転生したらアーサー王だった男がモルガンに王位を譲る話 作:飴玉鉛
城壁の一角が砕ける音がした。瓦礫の崩れ落ちた音が付随し、夜の城に大きく響く。すわ敵襲かとホムンクルス達が武装して駆けつけるも、そこにいたのはセイバーのみだ。機械的に何があったのかと訊ねる女に、セイバーは鬼気迫る形相で一睨みを向けるも――深呼吸を挟んだ後に、なんでもないとだけ告げてその場を後にする。彼は、怒りと羞恥を綯い交ぜにした表情をしていた。
(僕としたことが……怒りを抑えきれないだなんて。恥を知れよ、アーサー)
金色のアーチャーの発言を受け、堪えきれぬ怒りに突き動かされたのだ。発作的に拳を一閃して城壁を崩すなど、王騎士として恥ずかしい醜態である。厳に慎むべき振る舞いだろう。
そう自戒するも、自身はとっくに王騎士を引退した一般人だと思い返し、実はそんなに恥ずかしい行動ではなかったのでは、などと自己弁護してしまう。ますます恥ずべき精神である。
一般人だろうとなんだろうと、八つ当たりはするべきではない。自らに強く言い聞かせ、彼は胸の奥底に激情を押し込めた。この怒りの全ては、あの金ピカのクソ野郎に纏めて叩きつけてやろう。
「――マスター。宴での目的は果たした、予定通り今後の作戦を詰めよう」
宴のあった場に戻ると、そこには未だに自らの席に座り込んだままの切嗣がいた。
幽鬼のように虚ろな表情だ。光のない瞳を、セイバーの声に反応して向けてくる。
自らの理想を散々にダメ出しされ、かなり堪えたのだろう。まるで死人のような佇まいである。
「アーチャーの性質・性格から見て、私達の計画に差し障ることはないと見ていい。アーチャーとライダーを潰し合わせるようにもしたし、目障りなアサシンもライダーに特攻させ消滅させた。おまけにライダーの切り札も暴けた。計画は上首尾で終わったと言える」
構わず話し出す。あたかも先刻のことなど、意識するまでもないことだとでも言うように。
「明日はランサーと私が戦う。彼は強敵だが宝具による爆発力はない。真名が明らかな上に能力も知っている、普通に戦っても私が勝つよ。問題はマスターとケイネスの戦いだ、勝てるのか?」
「……お前は」
「ん?」
「……お前は、僕に、何を言いたい」
切嗣の瞳には、どろりとした激情が波立っていた。
時化る前兆のように、彼の声は酷く静かである。
「あの茶番で、僕の理想を口にし……お偉い英雄サマ達に否定させれば、僕が諦めると思ったのか」
「………」
「ご丁寧に聖杯の力の及ぶ範囲を説き、可能と思われる範囲の方法論を並べ立て、全てが無駄だと扱き下ろせば……僕は諦めるしかないと、膝を折るしかないと、そう決めつけているのか?」
「ああ、君は弱い男だ。きっぱり諦められただろう?」
「――ふざけるなッ!」
感情が爆発する。拳で卓を叩き、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった切嗣が、つかつかとセイバーに歩み寄るやその胸ぐらを掴んだ。
冷静な彼らしくない。だが、やっと人間らしい情動を浮かべた姿だ。
「諦める? 諦めるだと? そんなこと、許せるわけがない――! お前なんかに僕の何が分かる? したり顔で諭せば納得するとでも思ったか――!?」
衛宮切嗣は激怒していた。憤怒していた。何より、呪っていた。
何を? 誰を? 怒りは、セイバーに。呪いは、己に。
更に言い募ろうとする切嗣の手を掴み、セイバーは鋭く言の葉を差し込む。
「君は許せないんじゃない。
「ッ………?!」
中核を突き刺されたのだろう。自らで自らを呪う、呪いの本質を指摘されて言葉に詰まった。
透徹としたセイバーの眼差しが自身を見ていると、やっと認識した切嗣は、乱暴に彼の手を振り払い倒れてしまった椅子を起こす。そのまま腰を下ろそうとして――止めた。
逃げるように、出口に向かう。もうセイバーの顔も見たくない。声も聞きたくない。うんざりだ、たくさんだ、後はもう別行動で済ませてもいいだろう。切嗣は、セイバーから逃げる。
だが、セイバーはむざむざと逃がす男ではなかった。
「何処に行く? 話はまだ終わっていないよ」
行く手を阻むように聖剣を握り、切嗣の進行方向に向ける。立ち止まった切嗣が、殺気も露わにセイバーを睨むも、彼はやはり無表情のままだ。
「……僕には、話なんかない」
「君にはなくても私にはある」
「……あらかじめ取り決めた通りに進行する。これで話は終わりだ」
「終わらない」
「ッ――!」
カッ、と再び頭に血が上った。視界の中で火花が散るほどの赫怒である。
切嗣は語気を荒げ、腹の底から怒声を迸らせた。
「なんなんだ、お前はッ!? 偉そうにご高説を垂れ流してくれて、どうもありがとうございましたとでも言えば満足か!? ああ、それなら幾らでも礼を言ってやるさ! こんな戦争なんかすぐにでも終わらせて、僕はさっさとこの国から出て行ってやる!」
「出て行ってどうする? 妻や子の許に帰るのかい?」
「――帰らない。僕は、理想を、果たさなければいけないんだ。そうしないといけないんだッ!」
「マスター。こっちを向け」
喚きながら聖剣を避け、出口に向かう切嗣の肩に手が置かれる。
凄まじい力だ。人間には抗えない。堪らず振り向き、拳を握り締めた切嗣がセイバーに怒号を発そうとするも――彼の眼前に、暴力的な風圧を伴った拳撃が叩きつけられた。
――というのは錯覚だ。実際には寸止めされたセイバーの拳がある。だが、眼前で停止した拳の威力は、人間の頭部など容易く吹き飛ばすものだ。死を幻視した切嗣は堪らず停止してしまう。
血の気が引いた。
死を厭ったり、怯えるような男ではなかったはずだが、アインツベルンの本拠で過ごした九年で、切嗣はすっかり錆付き弱くなっていたのだ。死を、忌避してしまうようになったのである。
なぜ? それは、なぜ……なのだろう。
「失礼。君が拳を握ったから反撃しようとしてしまった。誓って言うが意図していない。普通に職業病の癖みたいなものだよ。……本当だ」
「……どうだか」
「本当だとも。信じてほしいが……まあ冷静にはなれたようだ、結果オーライだね」
「………」
「座るといい。話は終わっていないよ、マスター」
令呪で黙らせてやろうかと、切嗣は真剣に検討した。だがそんな無駄な真似はしてはならない。
セイバーの対魔力だと、令呪二画を費やさねば言うことを聞かせられない。後にアーチャー戦が控えているのだ、令呪を無駄に浪費するのは許されない。
今度こそ冷静になり、切嗣は無言で席につく。だが彼の満面は不快感と苛立ちで染まり、とても落ち着いて話し合いができる心理状態ではなかった。
だからなのか、セイバーは溜め息を溢す。僕もまだまだか、と。流石にここまで切嗣が
アーチャーの見立て通りなのは癪だが、乗ってやるとしよう。切嗣の道が終わっているのなら、また新たに始めさせればいい。まだ手遅れではないはずだと、
「これでも飲むといい」
二つの盃と、酒瓶を置く。ついでに切嗣の前に置いた盃に酒を注いでやる。
ぴくりと眉を動かした切嗣は、無言でセイバーを見遣る。だが結局問いただす真似はしなかった。先程の宴で余った、アーチャーの酒だとでも思ったのかもしれない。
追究して来なかったので、これがどんな効能を秘めた酒なのかは説明せずにおいた。話せば素直に飲むとは思えなかったからである。普段の切嗣は酒を嗜むような男ではないが、セイバーと素面で対面しているのがかなり辛い気分らしく、半ばヤケのように酒を飲み干した。
「さて、まずは仕事の話だ。マスター、明日の決闘で君はケイネスを討ち、私はランサーを討つ。どちらが先に決着するかは分からないが、君にはケイネスへの勝算があるんだろう?」
「……ああ。僕の切り札なら、一発で仕留められるだろう。奴がどれほど優れていようと、いや、優れているからこそ僕にとってはカモでしかない。だが、万一手こずるようなら、起源弾を連発して牽制にし、通常兵器で仕留める作戦にシフトするつもりだ」
微かに赤ら顔になった切嗣がそう言う。起源弾とは衛宮切嗣の魔術師としての礼装だ。
手術によって取り出した切嗣の肋骨の一部を、粉状に磨り潰した後で霊的な工程を経て作成したもので、この弾丸を撃ち込まれた相手には、切嗣の起源である『切断』と『結合』が同時に現れる。
修復ではなく紐を切って結び直すような効果を発揮し、出血することはないものの、撃ち込まれた部分は古傷のように変化し、元の機能を失ってしまう。魔術を使っていた場合は、魔術回路とそれにリンクする魔術刻印にも及んで、出鱈目に繋ぎ直された回路が暴走し、その余波で術者は命に係わるダメージを受けた上、魔術回路と刻印の機能も失われるのだ。たとえ奇跡的に生き残っても、肉体に後遺症が残ることは免れず、魔術師としても再起不能になるだろう。
作成された全六十六発の弾薬の内、第四次聖杯戦争までに三十七発を消費しているが、使った三十七人全てを一撃で仕留めており、『魔術師殺し』の代名詞と呼ぶに相応しい戦果を叩き出していた。
――それを切嗣は、ケイネス相手には連発もやむなしと考えている。もともとこの聖杯戦争を人類最後の流血にするつもりだった彼は、出し惜しむものでもないと割り切っていたからだった。
無論、ケイネスも馬鹿ではない。一度喰らえば起源弾の能力を悟るだろう。可能な限りスマートに仕留めたいところだが、最大限の効果を発揮させることが能わなかった場合も想定している。
ケイネスは優秀だ。自らの魔術回路や魔術刻印が一部でも破壊されれば激高し、切嗣に起源弾を撃たせまいとするだろうが、そうなれば行使する魔術の規模は小さくなり、通常兵器――銃火器の火力を前に削られていき、冷静な判断力を喪失するだろう。
起源弾の存在は初耳だったセイバーだが、だからこそアーチャーの酒の効能に関して確信を得る。コイツはどうやら、余程に口を滑らかにするらしいな、と。
「――ではランサー陣営に関しては思考のリソースを割く必要はないね。ランサーはあの性格だ、正面から戦っていれば奇策は練らない。ケイネスも私との契約がある、逃げも隠れもしないだろう」
「ああ……」
「となると残すはアーチャーとライダーだが……マスターはどちらが勝つと思う? 私はアーチャーだと踏んでいるが」
「……どちらでもいい。ライダーが勝ったほうが都合がいいが、どのみちやることは変わらない」
その通り。何も変わらない。
強いて言うなら、ライダー次第でやることが増えるかもしれないが、逆に減ることはないのだ。
どちらにせよ遠坂時臣にはこの世から退場してもらう。早いか遅いかの違いしかない。
手筈を改めて相談し、手順を取り決める。淡々と作業的に勝利の方程式を組み上げる。
イレギュラー要素は、やはりアーチャーだ。いっそのこと対ライダー戦に割り込み、アーチャーを奇襲で倒してしまう案も出たが、そんな真似をしてはライダーとアーチャーに袋叩きにされるのが目に見えているため避けるべきだろう。一撃で金ピカを殺せるならいいが、仕留め損なった場合のリスクを考慮するならやめておいた方がいい。
となると対アーチャー戦での立ち回りが主な会議内容となる。セイバーが先刻の宴で読み取った性質を加味し、真剣に作戦内容と行動を吟味する。
「こんなところか」
「……話は終わりだ。僕はもう行くが……構わないな?」
「ああ――いや、もう少し聞きたいことがある。ちょっと付き合ってくれ」
「チッ……なんだ?」
「そう急がないでほしいな。酒はまだ余っている。残すのもアレだし飲み干してしまうといい」
「………」
ちらりと酒瓶を見遣った切嗣だったが、諦めたように酒瓶を掴み、一気に飲み干した。
いい飲みっぷりである。かなり鬱憤が溜まっているらしくお労しい限りだ。
全く。ライダーもアーチャーも、少しは手加減してくれたら良かったのに。
――などと、冗談めいて心の中で責任転嫁をしながら、セイバーはさらりと本題に入った。
「マスター。君にいくつか聞きたいんだ。正味、君は恒久的世界平和を望んでいるんだろうが、正直な話として君にとって家族と理想、どちらが大事なんだい?」
「そんなもの……
ぽろりとこぼれ出た台詞に、切嗣は驚愕した。セイバーは苦笑しながら切嗣の隣に移動する。
「理想を追うのを諦めたくないようだが、本心はどうなんだ?」
「やめたい。もう嫌だ。誰も殺したくない。家族……アイリとイリヤのために生きたい。もう嫌なんだ、大切な人を犠牲にするだなんて、僕にはもう耐えられない……! ッ――! セイバー、僕に何を飲ませた!?」
「私は君の本心が聞きたいだけだ。そして、君も自分の本心を知るべきだろう――質問を続ける。理想を捨てたいのか、それとも捨てたくないのか。どちらなんだ?」
「ッ……! は、なせ……!」
咄嗟に席を外そうとするも、肩に置かれた手が逃亡を許さない。
口を抑えるべきなのに、堪え切れずに彼は言った。
「捨てたいに決まってるだろう! なんで僕の理想のために
――その本音に。誰よりも驚いたのは、他ならぬ衛宮切嗣自身だった。
逃げたい? もう嫌だ? ……やめたいだって? しかも、理想を捨てたいだと?
飲んでしまったあの酒のせいだ。心にもないことを言ったに決まっている。そう思いたいのに、吐き出された言葉は切嗣の心にすとんと落ちた。
あれが、こんなものが、衛宮切嗣の剥き出しにした本心なのだと、自分自身が納得してしまっている。掛け値なしに、嘘偽りのない心なのだと理解してしまう。
どうしてだ? なんで、こんなにも衛宮切嗣は弱くなった。なぜ……? なぜなんだ?
こんなのは嘘だ。本心なんかじゃない。そう思うのに、その思いは言葉にならなかった。まるでそれこそが偽りで塗り固めた呪いなのだと言うように。
――切嗣っ、すぐに帰って来てくれるんだよねっ。
脳裏をよぎる、幼い声。
「――ああ」
――切嗣はすごいがんばり屋さんだって、わたし、知ってるもん。だから、待ってるから。
「そう、か――」
――約束。帰って来たら、たくさんお話してね!
――ああ、約束する。すぐに帰るから、良い子で待っているんだよ。
――うんっ。
切嗣は悟った。自分はもう、既に理想なんかよりも、大切なものを得ていたのだ。
守るべき世界を、持っていたのである。
そしてそのためなら、たとえ何があろうとも、決して諦めたくないと思っている。
切嗣はやっとそれに気がついた。気がついてしまった。
――衛宮切嗣。貴様が何を求め、何を成さんとしているかを私は知らない。だが、もういいだろう。一度立ち止まり、過去の己を捨て、新しい自分を見詰めてはどうだ? さもなくば、貴様は何もかもを失くすことになる。
アサシンのマスターと、制約を結んだ際。言峰綺礼は意味深に言って、嗤っていた。
失くしてしまえと。無様に慟哭する様を見ていてやると。
だが確かに聖職者らしい厳かさがあり、耳にこびりついていた。
あの時は何を言っていると、一顧だにしなかったが……。
――泣かないで。大丈夫、大丈夫よ、切嗣。だって私は、貴方の味方なんだから。たとえ貴方が何を望んでも、私は貴方を支えるって約束する。だから、イリヤをお願いね。
「アイリ……」
頬を伝う、一筋の透明な涙。過去に飛んだ意識が、声を探り当てる。
――ケリィはさ、どんな大人になりたいの?
「僕は……僕は……っ!」
――昔とは違う。今の僕は
それを自覚した時。切嗣は恥も外聞もなく涙した。流した涙の分だけ、自分を縛る呪いが解れていくのを感じ、いっそのこと涙を枯れ果てさせたくて泣き続けた。
そうだ。もういいんだ。もう、頑張らなくてもいいんだ。
無責任かもしれない。今までこの手に掛けてきた者達に申し訳が立たないが……それでも。地獄に落ちると分かっていても、家族のために生きていたい。切嗣はそう思った。
だから。そのために、今は勝たないといけない。セイバーと、協力しないといけない。
そう思って、切嗣は顔を上げた。
そして、彼は凄まじい形相で己を睨む、妻を持つ夫を目にしてしまった。
「――『アイリを死なせないといけない』……?」
ハッとする。そうだ、それはセイバーに秘密にしていたのだ。
「どういうことだい? マスター……君は私に何を隠していた?」
切嗣は、もう隠し通せないことを悟る。そしてそんなこととは関係なく、全てをセイバーに打ち明けることにした。妻を助けたい、どうにかして救いたい。そして二人で娘を迎えに行きたい。
その一心だった。その一心で、切嗣は隠していた全てをセイバーに打ち明けた。
アイリスフィール・フォン・アインツベルンこそが、二つある冬木の聖杯の片割れであること。小聖杯と大聖杯のこと。サーヴァントが脱落するごとに、その魂がアイリスフィールの中に格納され、彼女の自我が圧迫されただの器になってしまうこと。妻が冬木にいること。
その全てを話した。
「だからか。だから彼女は……ああ、マスター。いや、キリツグ」
聞き届けたセイバーは、顔を険しくさせていた。日本にやって来る前に、切嗣を彼女の許に連れて帰ると約束した時、アイリスフィールは儚げに微笑んでいたのである。あの微笑の裏には、自分の運命を知っていたが故の諦念があったのだろう。
はじめてマスターを名前で呼んだ彼は、涙で顔を濡らしている男に告げた。
「もう手遅れだ。アイリスフィールは、私にも救えない」
「――――」
「せめてキャスターを討つ前から知っていれば……いいや、あの冬の城にいた頃に話してくれてさえいれば、まだどうとでも出来た。やりようはあったんだよ。今聞いた時点で打開策は浮かんだ。だけどもう遅い……アイリスフィールを、私は救えない」
それが答えだった。
もっと信頼関係を築いていれば。
もっと歩み寄っていたら。
もっと、腹を割って話していれば。
結末は、きっと、いいや確実に変わっていた。
だが既に遅い。
切嗣はそのことを悟り、呆然とする。分かっていたことではある。だが、もしかしたらと甘い希望を持ってしまった。もしかしたら、セイバーなら、あの騎士王ならなんとかしてくれると。
答えは、手遅れ。自分が隠したばっかりに、愛する妻を……救えない。
これが報いなのか? これが……殺してばかりの、大罪人への報い……?
「一発ぶん殴ってやりたいが……フェアじゃないな。私も君達のことを他人事だと思って、歩み寄る努力を怠っていたからね。だからこれは私の責任でもある……呪ってくれてもいい」
「………」
「……キリツグ。アイリスフィールは救えない。だが……今回で聖杯を手に入れないと、イリヤスフィールは救えないんじゃないか? 今は娘のことだけを考えろ。今、君が折れたら……誰が君の娘を救うんだい?」
「――イリヤを……」
折れかかっていた心が、既のところで持ちこたえる。そうだ――妻を救えないからと、膝を屈してしまったら、それこそ誰がイリヤを迎えに行ける。
自分しかいない。娘には、自分しかいなくなるのだ。なら……折れている場合ではないだろう。
「それこそ聖杯への願いを、妻を返してくれ、というのにするという手もあるだろう。だから、まだ諦めるには早い。そうだろう?」
「――そうだ。聖杯なら、アイリも……!」
「ああ。だからシャンとするんだ、キリツグ。君の双肩に家族の運命が懸かっているんだ」
そう言いながらも、セイバーは今更のように嫌な予感を思い出す。
本質が歪んでいた言峰綺礼がマスターに選ばれたこと。快楽殺人鬼である青年がマスターになり、悍しい怨霊がサーヴァントとして現界したこと。これらの事象が、どうにも不吉な予感を齎す。
いっそのこと……
だがそれは不可能だ。なぜなら
アヴァロンに今いるモルガンは、生前の彼女ではない。当然だろう、彼女もまた肉の器を持って生まれた存在である。寿命があったのだ。故にモルガンは一度死に、裏技めいた秘術で以て英霊の座から自分の本体ごと切り抜いて、アヴァロンに現界させている状態に移行した。
早い話、モルガンは聖槍の神を依り代にしたサーヴァントなのだ。
故に、現世に出て来ることはできない。聖槍の神の許を離れられないのである。
もし召喚されたのがセイバーではなくモルガンなら、どんな問題も手早く、容易く、鼻歌交じりに解決していただろう。だがセイバーはモルガンではない……無理なものは無理なのだ。
希望を懐いて前を向いた切嗣を見ながら、セイバーは拭い切れぬ嫌な予感を覚えて。
背筋を不快な汗が伝うのに、朧気に事の結末を予感した。