転生したらアーサー王だった男がモルガンに王位を譲る話 作:飴玉鉛
雪の降る夜。
満天を覆う暗雲の隙間から月光が差し込み、冬の城に仁王立ちする青年を照らしていた。
聖剣を地に突き立て、瞑目し佇む貴公子然とした青年は、最優のサーヴァントたるセイバーだ。
白銀の甲冑を纏い、蒼いサーコートを翻す彼は一両日もの間、ただそうして時を待っている。
心を研ぎ、整え、情報を精査し、イメージを固める。嘗て境界の竜と対峙する前にも行なっていた精神の統一。勝利への道筋を立て、強敵との対決を覚悟するのだ。勇気を振り絞る儀式である。
アーサー・ペンドラゴンは臆病者だ。
臆病だからこそ誰よりも研鑽を積み、情報を集め、対策を練り、勝算を立てる。
皮肉にも隔絶した戦闘の才を有していたアーサーは、己の臆病さ故に星の終わりまで続く生涯でも未だ常勝不敗を誇り、だからこそ油断とは無縁だった。慢心など懐きようもなく絶無である。
「有象無象は言うに及ばず、征服王は我の手により裁かれた。光栄に思えよ、セイバー。我が認めてやるのだ、貴様は我が拝謁の栄誉を賜るに足る英雄だとな。さあ、我が面貌を網膜に焼き付けよ。英雄である貴様が死ぬに相応しい、月夜の刻限を選んでやったのだ」
城壁の上。月光を背に襲来したるは黄金の王。
アーチャーのサーヴァント、ギルガメッシュだ。
魔の呪いじみた破格のカリスマ性を、砂漠の日光の如く照りつける暴力的な王気の出現に、剣士の座で招かれた青年は静かに目を開いて宿敵を見上げた。
交錯する、騎士王と英雄王の視線。
慢心は少なく、油断は一片たりとも内包しない、天が落ちるが如き殺気の重圧を秘めた英雄王。逆立つ金色の髪は月明かりで神秘的に照り輝き、纏う黄金の甲冑を厳かに見せていた。
腕を組んで己を見下ろす暴君たる王者に、セイバーは凪いだ声音で応じる。
「ああ、確かにいい夜だ。柄にもなく気が昂ぶってきている。遺言を聞こう、英雄王。私は寛大だからね、今ならまだ過日の暴言を許してやってもいい」
「ハッ。大きく出たな、騎士王。王たるこの我に二言はないぞ?」
「そうか」
ふざけているようで、その実かなり真剣な話だ。失笑するアーチャーに、セイバーは指摘する。
「貴公は知らないらしいな。我が娘バーヴァンシーは
セイバーが大真面目にそう言い切ると、アーチャーは束の間沈黙した。しかし顔を俯かせ、ふるふると肩を揺らし、やがて堪えきれぬとばかりに天を仰いで大口を開くや呵々大笑する。
「は……ハハハハ――! ハーハハハ! き、貴様……な、何を勘違いしている……? よもや聖杯を宿しただけの小娘に、この我が執心しているとでも……? ハッ! こいつは傑作だ! おいセイバー、まさか貴様、己の去就よりも娘の進退を案じているのか?」
「当然だ。私が今なお死を選ばず生き長らえているのは、娘たちや息子の軌跡を守り、見届けるためでしかない。死は恐ろしく痛みを忌む心はあるが、今更自らの命を惜しむ気はない」
「ハハハハハハハ! なるほど、なるほど! それなら確かに、貴様がそうも怒り狂っているのも納得だ。安い挑発のつもりだったのだがな、本気で奪ってやりたくなってきたぞ!」
セイバーの腹の底で煮え立つ溶岩の如き憤怒は、娘を攫おうとする暴徒を前にした父のそれだ。守るべき者のために、力の限りを尽くそうとする義憤の類型である。
余りにも平凡な心の在り様は、セイバーの人間性を見抜いていたアーチャーをして見落としていた。己の死を最も恐れるのが普通であるのに、我が子の安寧を脅かす存在にこそ憤怒する平凡さを、こともあろうに人界屈指の大英雄が具えているのである。だからこそ英雄王たるギルガメッシュは、愉快さ余って爆笑してしまったのだ。貴様の愚かさの度合いを見誤るとは! と。
組んでいた腕を解き、アーチャーは虚空に腕を掲げる。無造作に引き抜きたるは乖離剣。後背に展開するは百を数える黄金の波紋、宝具の砲口。残忍な眼差しにより殺気を満たした王が告げる。
「――ここらで戯言を垂れるのは仕舞いとしよう。王の裁定である、抗いたくば武を示せ」
聖剣を右腕に提げ、セイバーもまた殺気を放つ。竜王の眼光は破滅的な威圧感を醸し、常人なら視線だけで心臓を停止せしめる戦気を発した。
「慈悲は品切れだぞ、英雄王。もはや私の忍耐も限界だ、故に宣言してやる。貴様は私が殺意のまま殺める二人目の愚者だとな。さあ……放言のツケを払うがいい、下郎――ッ!」
「よく言った。ならば我も、生涯に一度あるかないかの
開幕せしは神話の戦いか。
否である、これこそは神域の頂上決戦。今宵、最強の座が決まろうとしているのだ。
英雄王と騎士王による、第四次聖杯戦争最後の戦いが始まった。
――同時刻のことだ。
魔力経路を通して思念を受けた衛宮切嗣は、自らの令呪を切った。
「令呪を以てセイバーのサーヴァントに補填する。『セイバー、一時間限定で全力を出し、英雄王ギルガメッシュを打倒しろ』」
三画の刻印が、二画に減じる。両者が合意の上なら、魔法に等しい奇跡をも可能とする莫大な魔力がセイバーに与えられ――この瞬間、数多の戦場を征した伝説の騎士王が復活したのである。
これでいい。これでセイバーは勝てる。後はただ、自身の仕事を熟すのみ。
切嗣は指定した刻限を前に、外道に手を染める為、今一度冷酷な暗殺者へ回帰する。彼は自らの具える性能を知っているのだ、殺人マシンとしての己こそが、最も勝率の高い状態なのだと。
五騎のサーヴァントの魂を回収した小聖杯は、次第に聖杯としての機能を発揮しようとしている。途方もない魔力の発露を感じるのだ、恐らくセイバーとアーチャーの決着を待たずに聖杯はその機能を実現するだろう。――故に、遠坂時臣は必ず招待に応じる。
アーチャーに殺害を断言され、後がなく。聖杯降臨の儀式が佳境に入っており、サーヴァント同士の対決が終われば即座に悲願を叶えられる可能性があって。なおかつ、自らの家族が人質にされているとなれば、遠坂時臣でなくとも罠があるだろう柳洞寺にやって来る。
果たして切嗣の右耳のイヤホンに、舞弥の声がした。柳洞寺の山門前に遠坂時臣が到着し、もう間もなく切嗣の前に姿を現しますと。
「――来たか」
なんの変哲もない自動拳銃を手に、煙草を吹かしていた暗殺者は呟く。
吸い殻を捨て、踏みにじる彼の近くまで来たのは、紅いスーツを着込んだ優雅な男。
この期に及んで余裕の態度を崩していないが、表情から険しさは抜けておらず、手に持つ樫材のステッキが魔力を充填されているところから察するに、精神的余裕も外見ほどはなさそうだ。
遠坂時臣だ。彼の魔術礼装は時臣が生涯を掛けて錬成してきた特大のルビーで、ステッキの握りの部分に象嵌されている。魔力を封入されたそれは、宝石を使い捨てる魔術を行使する物ではない。
パッと見でそこまで判断できたのは、宝石魔術が基本的に使い捨ての物であることを知っているのと、時臣の性格上無駄な装飾の為にステッキを飾らないと思われるからだ。
「そこで止まれ」
四方の視界を遮るものはなく、衛宮切嗣と遠坂時臣は正面から対峙した。
だが尋常なる果たし合いをするつもりは切嗣にはなく、時臣もまた相手にそのつもりがないことなど理解している。――当然だろう。どこの世界に、人質に銃口を向ける輩が、正々堂々の決闘を望んでいるなどと思う者がいるのか。時臣はここに呼び出された時、人質がいるとは聞いていなかったが、愛する妻と娘達を見て眉を顰めていた。なるほど、そういう手合いか、と。
「……下衆が。私を呼び出しておいて、我が妻子を盾にするとは。アインツベルンは魔術師としての誇りを捨てたらしいな。このような外道を傭兵として迎え入れるなど……恥を知るべきだ」
「御託はいい。無駄口を叩けと言った覚えはないぞ」
拳銃の撃鉄を起こす。銃口は依然、遠坂葵に向けられている。切嗣は冷淡に要求した。
「こちらからの要求は一つ。妻と娘達の命が惜しければ、お前のサーヴァントを自害させろ」
「………」
一瞬、時臣の瞳が揺れる。意外にも、迷いが見えた。
妻子に対する愛がある故か。
はたまた、自らのサーヴァントに向けられる殺意を知っているからか。
あるいはその両方か。
だが、彼は骨の髄まで魔術師だった。
「……何を言うかと思えば、話にならんな。我が遠坂の悲願、魔術師としての到達点を前に、私がそのような要求に応じるとでも?」
「要求は聞けないのか」
「無論だ。貴様の如き外道には、私の懐く崇高な願いは理解できないだろう。私も人として妻や娘を愛しているが、しかし私は夫であり親である前に魔術師なのだ。根源への到達の為なら、何を犠牲にする事になろうとも、決してこの足を止める理由にはならない」
「そうか」
轟音。切嗣は躊躇なく発砲した。
遠坂葵の脚に銃弾が叩き込まれる。激痛によって眠りから覚めた女が苦痛の呻き声を漏らす。
だが遠坂葵、凛、間桐桜は手足を縛られ目隠しされている。状況をすぐには理解できないだろう。
時臣は顔をこれでもかと顰め、憎悪と嫌悪を切嗣に向けるが、小揺るぎもしていなかった。
「これでも気が変わりはしないか?」
「――囀るな、外道。私の意思は揺るがない。葵は私の妻だ、魔術師の妻として、こうした事態は覚悟していたはず。貴様の脅しはなんの意味もない」
「こ、この声……あなた? あなたなの……?」
「ああ。葵、私だ。すまない……私が不甲斐ないばかりに、君を人質にされてしまった」
痛みに意識を焼かれながらも、葵は夫の声を聞くやすぐに反応する。そんな彼女に時臣は優しげに、そして悔やむように謝罪した。そして、彼は言う。
「私は君を見殺しにする。私の勝利のために、死んでくれ……葵」
「――――」
葵は口をつぐんだ。状況を理解したらしい。
恐怖と痛みに震えて、しかし命乞いもせず、覚悟したように身を固めた。
それを見て切嗣は小さく嘆息する。これでは時臣は、どれだけ葵を痛めつけられても動揺しないだろう。娘を銃撃されても同じだ。葵は我が子の存在に気づき、傷つけられたなら覚悟が揺らぐ可能性はあるが――仮に妻が揺らいでも時臣の動揺は狙えまい。
分かっていた。分かっていたのだ。魔術師とはそういうもので、遠坂時臣は典型的な魔術師なのだから。こうなることは最初から分かりきっていた。なのになぜ人質を用意したのか、それはひとえに簡単に目的が果たせるならそうするべきだと合理的に考えただけである。
「聖杯は目の前だ。令呪を全て費やし英雄王を自害させれば、聖杯は私のものになる。だがその為には貴様が邪魔だ。私の妻子を毒牙に掛けた愚かさを、心底から後悔しながら死んでもらう」
「――クソッ、このイカれた魔術師が! せめてお前の妻子だけでも道連れにしてやる!」
断固たる覚悟を示して杖を構えた時臣に、切嗣は狼狽したフリをしながら、遠坂葵に銃撃していく。脚の端から、腕やら肩やら、致命傷にならない程度に鉛玉を打ち込んだ。
銃声と共に血飛沫と悲鳴が上がる。時臣も流石に怒りを堪えきれなくなったのか、すぐさま動き出した。魔術回路と刻印を励起させ、呪文を詠唱しながら魔術を紡ごうとする。
僅か一秒足らずで、切嗣を灰燼すら残さず焼き払おうとした。
だが――終わりだ。無駄に葵を即死させず痛めつけたわけではない。時臣の意識を切嗣へ釘付けにする為に、わざと下手な芝居を打っただけなのだ。
「――やれ」
切嗣は短く命じる。瞬間、寺の周囲の玉垣や、寺院の屋上に潜んでいた者達が、一斉に
全員が配備された突撃銃を装備したホムンクルス達である。聖杯戦争にあるまじき、人海戦術による伏兵。意識の外からの銃撃の嵐に晒された時臣は、数発被弾した瞬間に、即座に反応して自身を炎の壁で守りに入った。顔を真っ赤にして激怒する時臣が何事かを叫ぶのに、切嗣は全く耳を貸さずに淡々と詰めに入る。足元に置いていたアタッシュケースから火炎放射器を取り出した。
間もなく溶かし込んでいた起源弾も効果を喪失する。折角対マキリ、対時臣を想定して用意していたのだ。どうせなら使い切ってしまおうという判断を下し、彼は時臣に歩み寄りながら火炎放射器にて投射を開始した。
「トドメは任せた」
起源弾を内包した火炎放射器で、炎の壁が途切れる。しかし宝石魔術の特性で、時臣自身にはなんのダメージも入ってはいない。だが、魔術の無効化には使えた。
そこに、間髪入れずに襲い掛かる五人の戦闘用ホムンクルス。
純オスミウム製のハルバードを装備した白い女達が、寺院の屋根上から飛び降り時臣に切りかかる。時臣は赫怒の念を燃やしながらも、咄嗟に得意の体術を披露してなんとか危機を切り抜けようとするが――そこに。狙い澄ました狙撃銃の一撃が背後から加えられた。
「ガッ……!?」
喀血し、倒れ伏した時臣の許に歩み寄った切嗣は、無言でその頭部に鉛玉を撃ち込む。
これで終わり。切嗣が撃つ前に死んではいたが、一応は念の為に銃撃したまでのこと。
時臣にトドメを刺したのは舞弥だ。
痛みの余り失神した葵や、魔術で眠らされているため反応のない子供達、そして時臣の遺体をホムンクルス達に運び出させながら、切嗣は呟く。
「一対一の尋常な果たし合いだとでも思ったのか? 僕らがアインツベルンから、大勢のホムンクルスを連れて来ているのは知っていただろうに」
外道と呼んだだろう、こちらも否定しなかった。
聖杯戦争だからマスターとサーヴァント以外は手を出さないとでも思っていたのだろうか。
バカバカしい。戦争には予備戦力は必須であり、予備戦力にはこうした使い方もあるものだろう。
まあ、何はともあれ、仕事は終わった。後は――
「――任せたぞ、セイバー。後はお前が勝つだけだ」
らしくもなく。
衛宮切嗣は、自らのサーヴァントの勝利を信じていた。
アンブッシュは一度だけ許してもらえると聞きました。