転生したらアーサー王だった男がモルガンに王位を譲る話 作:飴玉鉛
容赦なく顔面を抉る大拳の衝撃で、衛宮士郎は床の上に倒れ伏した。
「がっ……」
「筋は悪くない。だが、良くもないな」
無論、手加減はされている。当然だろう、士郎はまだ十歳なのだ。大の男が手加減もなしに、未成熟な少年を本気で殴りつければ、最悪死亡してしまうリスクがあるのだから。
しかも相手は歴戦の代行者。精神的な充足が足りている為に、聖堂教会勢力の埋葬機関にて弓の称号を持つ、最高格の代行者にも互角以上に渡り合える精鋭である。全盛期の言峰綺礼ならば、たとえ相手が不条理に生きる化外であろうと、一撃で仕留め得るのだ。
綺礼は士郎を容赦なく打ち据えつつ、無表情に士郎の才能を評する。平凡だな、と。子供だから肉体的には仕方ないにしても、反射神経や学習速度などは凡骨の域を出ないと残酷な現実を告げる。
士郎は歯を噛み締める。疲弊している体に気力を注ぎ、無理に立ち上がって綺礼と相対した。
「それでも、俺は……!」
「半年ほどお前に稽古を付けてやっているが……はっきり言おう。衛宮士郎、お前に才能はない。腐らず鍛錬を積めば、一定の力量を身につけられはするだろうが、精々一流止まりだろう」
「関係ない。俺は、皆を守れるようになりたいんだ! ……切嗣みたいに!」
「心意気だけは立派だな。いいだろう、お前が折れない限り付き合ってやる」
執念に似た狂気、狂気に等しい強迫観念。平凡に生きてきた少年の身には有り得ない、尋常ではない気迫を滲ませる士郎に、綺礼は淡々と応じた。
――半年前から、綺礼は士郎に戦闘の心得を叩き込んでいた。師事を仰がれたからだ。
過去は切り捨てられない。切嗣の養子である士郎には、切嗣に纏わる因縁が襲い掛かる。
事実半年前に、切嗣への復讐を目論んだ魔術師――嘗て切嗣に尊敬する父を奪われ、魔術使いに身を窶した男が襲撃してきたのだ。切嗣はその時、時計塔にてケイネスが巻き込まれた事件にて、救援に出掛けている最中であった。普段から便利に扱ってきたケイネスに、借りを少しは返しておこうと思ったのだろう。だから衛宮切嗣は不在であった。
男は、はじめから切嗣の不在を知っていたらしい。復讐のために、まずは彼の身内から狙ったに相違なかった。だが衛宮邸には久宇舞弥がいた。彼女は日常の中でも勘を鈍らせず、不意の襲撃にも即座に対応してイリヤや桜、士郎を守り通した。
しかし舞弥は重傷を負ってしまい、カレンを連れて近くに来ていた綺礼が助けに入らなければ死亡してしまっていただろう。士郎はこの時、護られるだけの自身の弱さを恥じた。そして復讐者を一撃で仕留めた綺礼を見て、彼に家族を守る為の力を授かろうと考えたのだ。
「お前には才能がない。だが――喜べ少年。お前には戦士としての才がある」
「……? 戦士としてのって、どういうことだよ。才能はないんじゃなかったのか?」
「ああ。憐れなほど専門技能を習熟する才能がないな。だが戦士とは、一つの技能のみに長けているものではない。お前が最も優れているのは、手持ちの手札の運用だ。機転は利く、視野も広い、度胸もある。故にそれを活かす為に一技能に拘泥するべきではない。私の教える八極拳だけではなく、衛宮切嗣から分析技能と戦闘論理を、魔術の師であるアーチボルトからは魔術をよく学べ」
綺礼は真摯に伝えた。士郎がどこか、不思議なシンパシーを感じる相手だからだろう。
彼はこの少年を気に入っていた。幼い故のひたむきさで、破綻者としての気質を隠す様子もなく露わにしているから。あるいは、先天的にか後天的にか、綺礼と同様に壊れているからか。
士郎という破綻者を導けば、自らに道を指し示してくれた御方に、少しは恩を返せる気がする。そうした欺瞞、偽善、自己満足がある故に、綺礼は士郎への指導には聖人めいて誠実だった。
士郎は、綺礼からの助言を真剣に聞いた。
「――ふむ。やはりシロウくん、君は凡骨だな」
ケイネスはそう言って、士郎に才能がないと断言した。
「しかし、一分野に於いてはこの私をも凌駕する素質がある。いいかね、シロウくん。君は魔術師にはなれない。魔術使いにもな。君が目指すべきは、固有結界使いとでも言うべき異能者だ」
彼は士郎の魔術の正体を見抜いた。切嗣から頼まれ、士郎に魔術の指導を施しているが、彼ほどの魔術師なら指導から一週間と経たずに真価を暴くなど容易いことである。
衛宮士郎は確実に封印指定にされる器だ。固有結界に特化した魔術回路は、あらゆる魔術師が是が非でも手に入れたいものだろう。なんせ固有結界とは魔術における奥義である。
しかしケイネスは殊の外、士郎を気に入っていた。なぜなら士郎は素直であるし、勤勉であるし、固有結界という一点に於いて明白に己を超える存在だ。この原石を磨き上げれば、どれほどの域に到達するのか目にしたいと思う。日本人への偏見があっても、士郎だけは例外だと思うぐらいには特別扱いをしていいとも考えている。
ケイネスが調べた限り、士郎の体質はやはり異質だった。
魔術回路が通常の神経と一体化しており、切嗣が魔術師としての指導を誤っていた為か、二十七本の魔術回路は殆どが眠っている。今はケイネスにより魔術回路は全て目覚めているが……。
「君は剣製に特化した存在だ。固有結界を具える故に、世界の異常にも敏い。物体の構造を把握する術に長け、『剣』が起源であり属性でもある為か刃物に纏わる『投影魔術に似た何か』の精度も異様だな――ふむ。君はこの国に伝わる古刀とやらを、日本刀展示会でも回り全て見てくるといい。私が君にしてやれるのは投影魔術と強化魔術、解析魔術の指導だ」
ケイネスは士郎をどのように指導するべきか、完璧に理解していた。
彼は魔術師としては無能である。ならば持ち得るリソースの全てを固有結界に特化させるまで。
そのために必要なのは、固有結界の展開に耐える魔力量と、魔術回路そのものの強度だろう。前者は幾らでも融通する術はある。足りないものは他所から持ってくればいいだけなのだ。故に問題は後者の方であり、こちらは切嗣が施していた誤った鍛錬方法――本来なら無駄でしかない、魔術回路を一から造る作業を熟していけば、自ずと必要な強度は身につくだろう。
無論、そんな修行は命の危険がある。だがケイネスが傍にいれば、そのリスクを限りなく些少なものへと抑えることは可能だ。大事なのは『誤った修行法を、確固とした理論で固め、最適化して効率を高める』ことである。その一環として、ケイネスは言った。
「シロウくん、君は魔術の鍛錬に際して、必要な集中力を養うといい。それがあれば大成する。いやこの私が大成させてやろう。私の指導について来るのなら、五年後までに固有結界を展開可能な域に導いてみせようじゃないか。無論使えるだけで、使いこなせるとは限らんわけだが」
「……はい! よろしくお願いします、先生!」
「うむ。気持ちのいい返事だ。……この家が嫌になったら私の許に来なさい。ソラウと娘共々、君を我が一門に迎え入れるのも吝かではないのでね」
ケイネスは満足げに頷いた。隙あらば士郎の血を一族に加え、固有結界の継承に向けた布石を打つのも忘れない。彼は貴族なのだ、優れた血を外部から取り入れるのに抵抗はなかった。
――ついでに修行を見てやっている、衛宮桜。おまけに衛宮イリヤスフィール。彼女達と魔力のパスを繋いでやれば、士郎の魔力量に関する問題も解決するだろう。第四次聖杯戦争で、騎士への魔力供給をソラウに任せていた時と同じ要領でやればいいだけの話である。ケイネスにとっては朝飯前だし、イリヤや桜は、自身の魔力量をまるで活かせないだろうから問題にもならない。
「……士郎。本当に、いいんだね?」
「ああ。切嗣はこれからも、何かと忙しいんだろ? だったら切嗣がいない時も、いる時も、俺が皆を守れるようになりたいんだ。だから、頼む。俺を鍛えてくれ」
「……分かった。言峰やケイネスに師事してるぐらいだ、どうせ止めても無駄なら、むしろ徹底的に鍛えた方が良さそうだからね。でも士郎、僕は手加減してやらないからな?」
「分かってる」
切嗣は、士郎の真っ直ぐな目を、眩しそうに見た。
彼はどうやら、自身を地獄から救い出した切嗣に、憧れてしまっているらしい。面映い反面、気まずくもある。士郎が身寄りを失くしてしまったのは、自分のせいだと切嗣は感じていたからだ。
しかも彼の起源や属性が、切嗣が聖剣の鞘を数年間も埋め込んでいたせいで変化し、剣という鋼めいたものに変質してもいる。聖剣の鞘は今更ながら外部に保管しているとはいえ、彼の在り方をも変容させてしまった疑いがあるとなれば後ろめたさも感じた。
だから士郎の訴えに耳を貸す。必要なら力も、知恵も貸す。鍛えてくれと言われたら鍛えよう。養父として情けないし、誠実さにも欠けるが、切嗣なりに士郎の親になる努力の一環だった。
とはいえ無理な話なら無理とは言う。士郎のためになるなら出鱈目を吹き込みもするだろう。彼としては士郎には普通の少年になってもらいたかったが、それが望めないとなれば諦めるしかない。
それに自分の留守を預かれるのが、舞弥の他にもう一人いたなら、心強いのも確かだった。おまけに士郎は刀剣以外には倍の魔力を要するとはいえ、起源弾をも投影してのけている。士郎がいるから切嗣は起源弾の在庫がなくなる不安とは無縁になれたし、助けられてばかりでは親として情けないだろう。ここは親として、士郎の望む在り方――家族の味方――の為に骨を折ろう。
斯くして、衛宮士郎は修行マニアと称されるような、勤勉過ぎる少年へと成長した。
体術は言峰綺礼に。
魔術はケイネスに。
戦術は衛宮切嗣に。
それらを日々必死に学びながら、異能者である衛宮士郎は長じていく。
来たる運命の日、英雄への階が待ち受けることを知らぬまま。
「――シロウ。お姉ちゃんは悲しいよ」
今年で十五歳になる中学三年生、衛宮イリヤスフィールは可愛らしく頬を膨らませていた。
彼女は近所で評判の、銀髪赤眼の美少女である。今のイリヤには幼少期の、欠食児童に等しい矮躯の名残はない。健康的に育った彼女は、麗しの姫君に相応しい恵体へと成長を遂げていた。
生前の母アイリスフィールによく似た風貌で、闊達によく笑い、よく遊び、よく怒る、豊かな感情をそのまま表情にする天真爛漫な少女だ。父からの溺愛ぶりをウザったがり、箱入り娘にしようとした父への反抗期に入ると、とある女性の影響もあり剣道を始めたイリヤは、普段から雪のように白い髪をポニーテールに纏めるようになった。
そんな彼女は、衛宮家の複雑な姉弟関係で
「悲しい? どうしたんだよ、いきなり」
彼としては全く意味が分からない。晩飯の仕込みをしていたら突然呼びつけられ、こうして説教されそうになっているのだ。前後の因果関係にまるで理解が及ばず、士郎の顔に疑問符が出ていた。
――聖剣の鞘が体内にない為か、彼の肉体的成長は阻害されておらず、無事に成長期に突入し身長が伸び出している。最終的には187cmにまで達する士郎の身長は、現時点で175cmだった。
中学二年生の14歳という身では、かなりの高身長に分類されるだろう。顔立ちも悪くはなく、鍛えている為か精悍な体躯を誇り、おまけに頭の出来も良い方に分類される士郎は、学校でも女子人気がとても高かった。更に人柄を知ればますます入れ込まれる士郎に危機感を持たないイリヤではない。だって士郎は切嗣からの教育で、女の子には殊更に優しく接するのだから。
居間で正座させている士郎へ、イリヤは不機嫌そうな表情で諳んじる。
「『可愛い子なら誰でも好きだよ、俺は』」
「ん……?」
「『いや、なに。気づいてはいないだろうが、今のはいい顔だった』」
「あー……」
「……ねえ、シロウ? わたしが言いたいこと、分かる?」
じろりと
(俺を売りやがったな、慎二……!)
前者の台詞には身に覚えがある。同性で唯一の友人である間桐慎二と、好みの異性に関して話した時のことだ。慎二が『頭が軽くて都合のいい女』を好みだと言ったのに対し士郎はそう返した。周りには誰もいなかった為、慎二からしか漏れない話だろう。
だが後者は特に覚えがなかった。俺そんなこと言ったっけ? などと首を傾げ、士郎は言い訳は火に油を注ぐだけと判断し、素直に姉貴分へ応答した。
「イリヤの言いたいことは分かった。でもそれはさ、慎二と男同士のバカ話をしていた時の台詞だろ? 実際可愛い子が嫌いな男なんかいないって」
「ふーん? さっすが息をするみたいに女の子を口説くだけのことはあるわ。将来はプレイボーイにでもなっちゃうのかな」
「なんでさ。そんな遊び感覚で女の子に声掛けたことなんかないぞ、俺」
言いがかりだ、と士郎は思った。そもそも誰かを口説いた覚えもない。
だって士郎にはそんな暇なんかないのだ。
変声期に入っているからか、若干掠れている声で否定すると、イリヤは露骨に嘆息した。
「はぁ。駄目だコイツ……早くなんとかしないと……タイガはあてにならないし、桜は甘いし、カレンはアレだし、マイヤは頼りになんない。やっぱりわたしが目を光らせてないと駄目かぁ」
「そこまで言うか?」
「言うに決まってるじゃん。だってシロウ、あんた自分がアヤコを落としたの気づいてないし」
「アヤコ? ……美綴か? なんだよ急に。俺とアイツ、そんなに接点ないだろ」
「今日の体育で、剣道で負かしてたじゃん。悔しがって再戦を挑んだアヤコに、いい顔してるなんて甘い声で言っちゃってさぁ。あの子ってば女傑みたいな気質なだけに、鍛えてる自分に打ち勝つような男の子は気に入るに決まってるでしょ。わたしには分かる、あの子はシロウに惚れた!」
「そんなインスタントに惚れただの腫れただのに発展する訳ないだろ? イリヤは美綴をなんだと思ってるんだ。アイツは一本芯の通った気持ちの良い奴なんだぞ? 軽薄に色恋へ走る奴じゃないって。まったく、イリヤも早とちりして美綴に迷惑かけんなよ」
呆れて肩を竦めると、イリヤは可哀想な奴を見る目で士郎を見下ろした。
「……はぁ。ほんと、あんなに素直で可愛かったシロウが……どうしてこう、へっぽこな朴念仁になっちゃったんだか……お姉ちゃんは悲しいです」
「む。朴念仁ってなんだ、朴念仁って」
「――無駄ですよ。先輩は少々お
当たり前みたいな顔で、居間にやって来た少女が自然な流れで毒を吐いた。
紙袋を引っ提げてやって来たのは、幼馴染の言峰カレンだ。
ウェーブの掛かった白い髪を伸ばし、セーラー服に身を包んだ少女もまた、イリヤに負けず劣らずの美少女である。イリヤは白い目でカレンを見遣った。
「ちょっとカレン? サクラはどうしたの? まさか荷物を全部サクラに押し付けたんじゃ……」
「押し付けただなんて人聞きの悪い。サクラ先輩と違ってか弱い私は、疲れを訴えただけです」
「はぁ……あの子も相変わらず人のいいこと。いいけど、埋め合わせはきっちりしなさい。ウチの妹を都合よくパシリにして、のほほんとしてたら本気で怒るわ」
「まぁ怖い。でも言われるまでもありません。――それより
「ん。ああ……メインの仕込みは終わったぞ。後は副菜だけだ」
「それでしたら後は私がやります」
言いながらカレンは台所に入って行った。
言峰家と衛宮家は、家族ぐるみの付き合いがあると言っていい。必然、カレンと衛宮姉弟は幼馴染といった関係に落ち着き、カレンは今や家族の一人に加わっていると言っていいだろう。
イリヤ、桜、カレン。そして藤姉と士郎に慕われる、今年に高校教師の職を得た藤村大河、衛宮家の母親代わりである久宇舞弥。切嗣達のような大人の男が留守にしがちな為、衛宮家は女所帯と言える状態になっていた。そんな中で男一人で育った士郎は、女性に対する遠慮や隔意を有しておらず、同級生達のやっかみを受けつつも充実した日常を送っていた。
エプロンを纏ったカレンが、未だに正座をしたままの士郎を一瞥し、蔑むように言う。
「――イリヤスフィール先輩。センパイは盛りのついた犬みたいなものなんです。どうしても躾けたいなら、いっそのこと去勢するしかありませんよ?」
「あ、カレンも今日のこと聞いてるの?」
「嫌でも耳に届きますよ。センパイ、
「誰が許嫁だ、誰が。そんなの言峰のオッサンが勝手に言ってるだけだろ?」
「――言わせていたらいいんですよ、兄さん。カレンさんも勘違いされて困ってるんですから」
カレンに遅れて帰宅してきた桜が、食材を一杯に敷き詰めたビニール袋を両手に二つずつ提げ、居間を横切り台所に向かう。
おかえりー、とイリヤと士郎が口を揃えて言うと、ただいまと桜は幸せそうに微笑んだ。
桜はまだ13歳でありながら、既に成熟の兆しを発する肢体の持ち主だ。穏やかで落ち着いた物腰はともすると大人の色気を感じさせる。だが見た目で騙されてはならない。桜は舞弥の弟子として軍隊式格闘術を修め、架空元素・虚数の属性魔術を極めようとしているのだ。単純なフィジカルの強さでも士郎に次ぎ、桜を舐めて掛かれば大の男でもノックアウトされてしまうだろう。
その桜は、優しい眼差しのままカレンを横目に見る。
優しいのに、ゾッとする闇の深さを感じさせる声と眼だった。
「比喩でも兄さんを盛りのついた犬なんて言ったんです、カレンさんが下らない勘違いをしているはずなんてありませんよね。もし勘違いしていたなら、調教が必要なのはどちらになるやら」
「あら、私が勘違いなんてするワケないでしょう? 桜さんは何を言っているんですか?」
「やっぱり。勘違いなんかしてないんですよね? ああ……安心しました。大切な幼馴染に、躾をしないといけなくなったら、わたし……悲しくて胸を引き裂いてしまいそうでした」
うふふ、うふふふふ……。
微笑み合い、肩を並べて料理に移る二人を横目に、士郎は「仲が良いな、相変わらず」と呟く。
マジかコイツ、といった思いで、白目を剥きつつイリヤは天を仰いだ。
どこが仲良しだ。寧ろあの二人は不倶戴天の仇敵同士なのに。士郎がいるから何も起こっていないだけで、もし士郎を巡って何かが起これば、行き着くとこまでノータイムで行きゴールをキメる。
「……もういいわ。士郎のことはもう諦める。お姉ちゃんは降参するから、絶対巻き込まないで」
――とか言うイリヤが、最も危うい意味で士郎に執着していることを、まだ誰も気づいていない。
イリヤ自身も自覚がなかった。一番大人で一番お姉ちゃんな自分が、まさか義弟に対して格別に重い想いを懐いているなどとは、夢にも思わずにいる。
「シロウ。今日はキリツグとマイヤが帰ってくるんだから、きちんとご飯を用意するわよ」
「ああ。今度こそ皆で、切嗣の舌を唸らせてやろう」
正座はもういいと、手をひらひらと振って示したイリヤが、士郎を伴い台所に入る。
四人もいると狭く感じるが、それぞれが勝手知ったる間柄だ。邪魔に感じることはなく、それぞれの役割を熟していった。
士郎は皆で過ごすこの時間が好きだった。狂おしく、大事だと思っている。
だから――幸福の中にいると、不意に叫び出しそうになった。
幸福を感じる度に、憤りから自分の首を絞めたくなる。お前はそんな幸福なところで何をしているんだ、と――自分自身に、かたちのない罪を告発されているようで。
「シロウ?」「センパイ?」「兄さん?」
「――いや。なんでもない」
士郎は同時に自分を心配してくる少女たちに、薄く微笑む。
衛宮士郎は、どうしても、『幸せ』な世界が苦しかった。
故に。
――士郎を救えるのは、過酷な旅を齎せる、運命の乙女だけなのだろう。
遠くに聞こえる鐘の音。遠くに見える青い星。
聖剣の鞘を体内に埋め込まれたあの日から、衛宮士郎は漠然と導きの光を予感している。
今はまだ、全て遠い。理想郷の果てから光を照らす星に、士郎はずっと手を伸ばしていた。