転生したらアーサー王だった男がモルガンに王位を譲る話   作:飴玉鉛

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運命の夜が始まる話

 

 

 

 

 

 水を打ったような、という比喩がある。

 居合わせた大人数が、一斉に静まり返る様を例えた表現だ。

 まさにこの場に当て嵌まる例えだろう。全国高等学校弓道選抜大会にて、圧倒的な成績を残して優勝した青年の射は、異様なまでの迫力と異質さを見る者に感じさせるのだ。

 弓道部副部長、衛宮士郎は虚無の眼差しと佇まいで、機械的に――そして、人形的に射を行う。

 放たれた矢の行方は、的の中心。中たるのは必然で、放つ前から中たるのが観えていたように、衛宮士郎は矢の行方を伽藍の眼差しで見切り、射法八節を粛々と完了させる。

 

 士郎が射を終えると、やっと異様な空気が霧散し、弓道場の部員達はホッと息を吐いた。

 

「――いや、見事だな。そうとしか言えん」

 

 固辞したものの、結局部長を任されてしまった女子生徒――美綴綾子が感嘆の念も露わに言った。

 部活終わりの時間である。各々が着替え、下校していく中、綾子は素直に士郎を讃えた。

 

「やっぱり士郎が部長やるべきだったろ。私には荷が重いんだよなぁ」

「無茶言うな。俺の弓は邪道だぞ、荷が重いって言うなら俺の方が副部長に相応しくない。後輩にもなんだかんだ、綾子の方が慕われてるしな。副部長も実質慎二の奴みたいなところもある」

「それはお前に愛想がなさ過ぎるからだ」

 

 自然体のまま名前で呼び合う様は、男女の仲を邪推させるように親密だ。

 しかし士郎と綾子はそんな仲ではない。

 中学生時代、綾子の方から士郎に好意を伝えはしたが、士郎はキッパリと拒絶している。

 だからこの話はそれで終わり。だが人間関係が絶たれるほどでもなく、以後の綾子は武人然とした潔さで身を引いて、武道で切磋琢磨する好敵手と目して士郎に挑むようになっていた。

 断じて男女の仲ではなく、別種の親密さはある意味で性別の垣根を超えた特別なものだ。

 

 士郎に関しては言うまでもないが、綾子の方にも蟠りはない。綺麗さっぱり好意を振り切り、今では単なる親友だとしか思っていなかった。過去にいつまでも引きずられる女々しさとは、全く無縁と言える豪傑が美綴綾子という女なのである。

 

「そういえば柳洞が嘆いてたぞ、『最近衛宮が付き合い悪い』って」

 

 ふと思い出したように綾子が言うと、後片付けを終えた士郎は立ち上がり肩を竦めた。

 

「ああ、近々身内でやらなきゃならない事があるんだ。ソイツに向けて俺も、色々片付けないといけないものが溜まってる」

「へえ? 詮索するつもりはないけど、同じ部活の仲間として聞いとくが、それってイリヤスフィール先輩と桜も関わってんの?」

「そうだな。綾子には先に言っておくけど、実は俺も近い内に休学する予定なんだ」

「……ふぅん。言峰(カレン)の奴も海外に短期留学に行っちまうし、なんか最近慌ただしいな」

 

 嘘は言っていないが、核心には触れない口振りに綾子は曖昧に濁した。士郎が明確に隠し事をしているのは珍しいため、本当なら細かく聞きたいところだが、親しき仲にも礼儀ありだ。話したくなさそうな空気を察して、綾子はそれ以上は何も言わないことにした。

 まさか聖杯戦争云々の話をする訳にもいかないだろう。カレンは海外に避難させられ、桜とイリヤは短期間休学して仮初の拠点に移り、身を潜めていることに身近な学友はおかしさを感じているだろうが――士郎からはこれ以上、何も言えることはなかった。

 

 士郎は綾子が引いてくれたことにホッと安堵しつつ帰宅の準備に移る。

 

 成長期が終わったのだろう。士郎の身長は187cmで止まった。顔立ちはまだあどけないものの、鍛えられた肉体は頑健で、手足は日本人離れして長い。筋肉質なモデル体型だ。

 運動能力の高さとそのルックスも相俟って、彼は矢鱈と人目を引く。そんな士郎と並んでしまうと如何な女傑・美綴綾子も単なる少女にしか見えない。制服に着替えてきた士郎を見て、綾子はぼんやりと思った。もうすぐ高校三年生になる――大学に行ったら、士郎と疎遠になるのだろうか、と。別におかしな話ではないが、なんとなく寂しくなる気はした。

 

「……? どうしたんだ、綾子」

「いや……なんでもない。なーんにもないぞ。ほら、さっさと出ろ、戸締まりが出来ないだろ」

「分かってる。途中まで帰り道同じだし、送ってやるからさっさと鍵戻してこいよ」

「いらない。待たなくていいからさっさと帰れ」

「そういう訳にいくか。もう暗くなってるし、綾子も女の子なんだ。一人で帰るのは危ないぞ」

「……あ、そ。……ほんと、これで口説いてるつもりがないのが、ねぇ……」

 

 ナチュラルに優しい士郎に、綾子は勘違いしそうな自分を戒めた。女の子相手には誰にでもこうなのだ、この朴念仁は。イリヤや桜、カレンがどれだけ言っても直らない悪癖らしい。

 全く、ツイてない。慎二のバカが、痴情の縺れで女に刺されて入院してさえなければ、少なくとも士郎と綾子が二人きりになることはなかっただろうに。

 あの軽薄で嫌味な慎二だが、いないならいないで悩ましいバカである。今度見舞いに行ったら文句の一つでも言ってやろう、と綾子は強く思うのだった。

 

「ん……?」

「どうした、綾子」

「……なんでもないよ。さっさと帰ろう」

 

 弓道場の鍵を職員室に返し、校門に向かって士郎と合流すると、不意に綾子は見知った顔を見つけて胡乱な声を発した。――紅いコートを羽織った、制服姿の少女が校舎屋上にいたのだ。

 何やってるんだ、あのバカは……そう思うも、今は詰問しに行く気分でもない。綾子は嘆息し、明日の朝に問い詰めてやると決めて、士郎を促し帰路についた。

 

 帰路につくと、なんとなしに雑談する。もうすぐ三年だし、進路はどうするんだとか、次の部長は誰が相応しいかとか。綾子は県外の大学に推薦入学するが、そうなったら疎遠になる。こういう別れを中学時代は意識してなかったから、なんだか感傷的になるなとか。

 そういう話。

 次の部長はカレンでいいだろ、と士郎は言う。綾子も同意見だった。桜も他の一年と比べて頭一つ抜けているが、弓の腕ではなく人から信用され頼られるのはカレンの方だからだ。

 そして士郎は言う。俺は大学には行かないな、と。

 

「今は誰にも言ってないんだけどな、実は俺……海外に興味があるんだ」

「は? 外国にか? そりゃまたどうして」

「俺のやりたいことってのが、ちょっとまだ見つからないんだ。だから、ソイツを探してみる為に、世界を見て回りたいって思ってる」

「へぇ……」

 

 まだ誰にも言っていない。士郎がそう言うなら、本当に誰にも言っていないのだろう。

 自分が一番最初に聞いた話だと分かると、綾子はなんだか背中が痒くなる。

 凄いな、と思った。日本人は海外に行くことに対して、無意識に敷居の高さを感じるものだ。言語の壁があるからというのも理由の一つだが、日本で暮らしていると大部分の人が海外に出向く必要性を感じにくいからだろう。旅行や仕事以外で日本から出るとなると、綾子も日本人らしく途方もない難事である気がしてきた。だが、士郎なら大丈夫なんだろうなとも思う。

 

「そっか……うん、応援するよ。頑張れ、士郎」

「ああ。ありがとう」

 

 素直に応援する綾子に、士郎は照れたように苦笑する。

 普段から大人びた――というより、どこか周りから浮き出た印象のある士郎が、子供みたいな感情を表に出しているのを見ると、なんだか女として惹かれるものを感じてしまう。

 いかんいかん、コイツはただの男友達だろ、と意識せずとも自戒する。綾子は士郎との今の関係を気に入っているのだ、そこに余計な感情を挟みたくないと思っている。本当に、心から。

 だから綾子は隣を歩く士郎の顔を見上げ、笑みを作るとその肩を思いっきり叩いた。

 

「いてっ」

「お前なら出来る! なんだってな! だからな、()()()()()()()、絶対」

「ん……? 行くなら挨拶ぐらいして行けってことか? そんなの当たり前だろ」

 

 ふと口を衝いた言葉に、他ならぬ綾子自身が一番驚いた。激励のつもりで背中を押してやろうとしたのに、どうしてか士郎がいなくなるのではないか、と綾子は不安を感じていたらしい。

 女々しいにもほどがある。喝! と自分を叱咤してやりたくなった。だが士郎が目を見開き、神妙に頷いたものだから、綾子の中の不安は大きさを変えないまま確かな形を持った気がした。

 その正体が分からず煩悶として、分かれ道で立ち止まってしまうと、士郎が何気なく言った。

 

「ここまでだ」

「……ああ」

「綾子の家も近いし、俺はこっちだ。またな、綾子」

「あ……お、おい……」

 

 気負う様子もなく、気取った印象もなく、自然体で後ろ手にひらひらと手を振って、士郎が去っていくのを綾子は見送ってしまう。言い知れぬ予感はまだ遠く――いずれ思い出の中に埋もれていくのだろうその背中が、なぜだかとても小さく薄いものに見えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青年――少年とは言えない頑健な体躯の――は、赤毛に交じる一本の白髪に気づく。

 なんとなく気になって抜いてみると、まるで色素が抜けきったように根本まで真っ白だった。

 

「……先生が言ってた奴か、これ」

 

 洗面台でポツリと呟く。先生曰く、士郎の魔術回路は人体の神経と一体化したものらしい。そうであるが故に、魔術の反動が人体に現れやすいそうだ。

 最も早く表面化するとしたら、髪の色。次に肌の色。その次に五感のいずれか。負荷の大きい投影をできる限り避けていけば、髪の変色までで収まる異常であるらしい。

 そうか、俺の髪は白くなるのか、と。士郎は鏡に映る自分の頭を、しげしげと観察した。

 今の一本以外、まだ白いものはない。そのことに安堵する。白髪なんて、まるで年寄りみたいで嫌なのだ。四十路手前の切嗣ですら、まだ白髪は目立たないのだから。

 

「――士郎、そろそろ時間だ。準備はできているから早く来るように」

「ああ、分かった」

 

 その切嗣の呼ぶ声が聞こえて返事をする。

 士郎は今からサーヴァントを召喚するのだ。――街の皆を守る為の戦いに挑むのである。

 自然、士郎の顔は引き締まったものとなる。

 

 靴を履いて玄関から外に出ると、衛宮邸の工房とも言える土蔵に向かう。

 そこには既に黒いコート姿の切嗣がいて、養父である彼に微かな緊張が見て取れた。らしくない表情である。何度か聞いた話だが、やはりアーサー王は切嗣にとって重い存在らしい。

 士郎はこれから自分が召喚する相手が、どんな人なのかを思い返した。

 

「なぁ、切嗣(オヤジ)。アーサー王は本当に来るのか」

「来るさ。間違いなくね」

 

 子供の頃は切嗣を呼び捨てにしていた士郎だが、最近はきちんとオヤジと呼ぶようになった。そう呼ぶと嬉しそうに喜んでくれるというのもあるが、他人行儀だと藤姉に指摘されたからでもある。

 士郎が問うと、切嗣は断言した。確信があるらしい。

 

「セイバー――アーサー王はまだ死んでいない、生きた神だ。その権能がどんなものか、またどれほどのものかは僕にも想像がつかない。だがアイツはとんでもない親バカでね、自分の娘が戦争に駆り出されそうになると、自分が代わりに出張ってくるんだよ」

「そういえば昔も聞いた気がするな。たしか、英霊召喚を拉致って言い張ったんだっけ?」

「ああ。逆の立場で考えたら納得できる。例えばイリヤが戦争に駆り出されそうになったら、僕は絶対にソイツを殺すだろうし、アーサー王の気持ちを今の僕なら痛いほどよく理解できるよ」

 

 懐かしそうに言う切嗣に、士郎は苦笑する。――ちょっとシロウ、キリツグの服と一緒に洗濯しないでって言ったでしょ!? なんて言われて涙目になっていた男が言うと説得力が違う。

 

「彼さえ来てくれたら勝ったも同然だ。不確定要素も手堅く排除していける。――聖杯戦争を、今度こそ完全に終わりにさせられるはずなんだ」

「それはいいんだけどな、オヤジは俺とアーサー王の相性が本当にいいと思うのか? そんな凄い英雄と会えるなんて光栄だけど、ちょっと不安なんだよ」

「大丈夫さ。セイバーは基本、相当におめでたい奴以外となら上手くやれると思う。当時の僕とすらやれていたんだからね。………本当なら僕がマスターをやりたいんだが、やることを考えたら裏方に回らざるを得ないのが辛いところだ」

 

 やや未練がましく士郎の令呪を見る切嗣である。

 

 ――切嗣の真意は、他にもあった。

 

 当時の切嗣以上に歪んでいる士郎の性質。十年も掛けてなお、正せる兆しすら見えないそれを、あの王様なら正しい方向に導いてくれるのではないかと期待しているのだ。

 養父として情けない限りだが、自身のプライドや面子に拘って助力を求めないようでは、それこそ保護者として失格以外の何者でもあるまい。切嗣はそう考えている。

 密かにカウンセラーに依頼し、それとなく士郎の心を治療しようと試みたが無駄だった以上、もうあの王様以外に頼れる人物はいないとまで密かに思い詰めてもいたのだ。

 

 言峰綺礼とかいう輩が立候補してきてもいたが、アレは論外である。

 

 切嗣は腕時計を見る。そろそろか、と彼が呟いた時、切嗣が取り出した携帯電話が鳴り始めた。

 

「僕だ」

 

 ワンコールで出ると、報告が来たらしい。士郎と同日にサーヴァントを喚ぶことになっているイリヤと桜に付いている、ケイネスと舞弥から連絡が来る手筈になっているのだ。

 

「――なるほど。桜はランサーを引いたか。真名は? ……なに、ブリュンヒルデ? 中々厄介なのが来たな……縁召喚でブリュンヒルデなんて、頭が痛くなる……」

「……うわ」

 

 ブリュンヒルデと聞いて、なぜか納得がいった士郎は堪らず呻く。切嗣も同じ気持ちらしい。

 

「それでイリヤは? ……準備に抜かりがないならいい。ケイネスにも伝えてくれ、ヘマをやらかしたらタダじゃ済まさないとね」

 

 言って、通話を切った切嗣が士郎に向き直った。

 

「時間だ。それじゃあ、はじめようか」

 

 地面には魔法陣が描かれている。そしてこの日のために設けられた台の上には、数年前まで士郎の体の中にあったという聖剣の鞘が安置されていた。

 切嗣に促されて頷き、暗記した呪文を唱えていく。

 大量の魔力が持っていかれる感覚に、額に汗しながら集中を途切れさせず、士郎はなんとか最後まで呪文を諳んじることに成功した。手応えは、まさしく完璧である。

 

「――抑止の環より来たれ、天秤の守り手よ――」

 

 ひときわ強いエーテル光が発され――そして。

 

「問おう」

 

 光の中から歩み出てきた存在を目にした時、士郎は瞠目させられた。

 

 凛と響く可憐な声。どこか無機的であるのに、高潔さの滲む清廉な表情。清純な乙女の風貌。

 黄金の冠を被り、青いリボンで金色の髪を括った姿。白い衣装と鎧を纏い、一際大きな聖大剣を携えた少女が、白目を剥いた後に顔を青褪めさせた切嗣を無視して、まっすぐに士郎を見据えた。

 

「貴方が私のマスターか」

 

 目を奪われ、心を奪われる。その――地獄の底を知りながら、なおも失われない青い光を灯す瞳に吸い寄せられ――衛宮士郎は、生まれて初めて、一目惚れというものを知った。

 

 こ、殺される……! などと小さな悲鳴を漏らす男なんて、士郎と少女の眼中にはなかった。

 

 ――運命は此処に。青年と乙女は、まるで導かれるように邂逅する。

 

 それは小さな運命だった。この後に待ち受ける、大きな運命の潮騒に呑み込まれるばかりの、小さな、されど決定的な出会いの瞬間である。

 

 (zero)に至った物語が、その先へと進む足音が確かにした。

 

 衛宮士郎を、守護者ではなく――本物の英雄へ誘う運命の足音が。

 

 

 

 

 

 

 

 




士郎⇢タッパはエミヤと並んだ。

カレン⇢海外に短期留学させられた。

桜⇢双子館に移動、休学して潜伏。舞弥が一緒。

イリヤ⇢アインツベルンの城の跡地に。休学。ケイネスが一緒。

慎二⇢女に刺される。


明日か明後日に次話更新予定。

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