転生したらアーサー王だった男がモルガンに王位を譲る話 作:飴玉鉛
厳かな静寂の十字架。後ろ手に組んだ手を解かず、偶像を見上げていた長身の男は報告を聞く。
街中に依然として手掛かりなし。だが最重要ターゲットを除く各マスターの所在は割れている。
男――言峰綺礼は髑髏面のサーヴァントが齎した報告を吟味した。
騎兵と槍兵の戦闘に至る経緯、結果。騎兵が撤退した先。
外来のマスターである時計塔の天体科のロード、魔術師の英霊の拠点。
実に素晴らしい仕事の成果だ。望んだ情報が殆ど手に入っている。
「――ご苦労だった。引き続き身を隠し、情報収集に徹しろ。くれぐれも私がマスターであると悟られることがないようにな」
「御意」
影が去る。齢を重ねてなお精強、代行者の中でも指折りの強者として名を馳せる男は思案した。
出揃ったマスターとサーヴァント達。いずれも油断ならぬ強敵揃いだ。
騎兵。マスターは言峰綺礼が若かりし頃に共闘したこともある、未だ年若い封印指定執行者。その女の能力と出自は知っている。おそらく騎兵はケルト出身の英霊だろう。聞き及んだ武装と出で立ちを併せて鑑みるに、光の御子だと踏んで良い。
光の神ルーの御子であるクー・フーリンなら、槍兵ブリュンヒルデを圧倒する戦闘力にも納得だ。弓兵の座で招かれたヘラクレスとも伍するだけの力があり、油断できる相手ではないが……。
(もしもライダーがクー・フーリンであるなら、奴のゲッシュを利用して謀殺する事も不可能ではあるまい。奴の死因そのものだ、明確な弱点とも言える)
この情報と推測は、すぐにでも
魔術師。マスターは盟友の一人と同格の、天体科のロード。大国の国家予算に等しい莫大な資金を求めて奔走し、夢物語のような計画のために行動しているらしい白髪の優男。
サーヴァントは褐色の肌に長い白髪の、格調高きローブを纏った青年。アサシンが遠目に見た限りでは左右の手に指輪をしていたらしいが――まさか、とは思う。
だがマリスビリーを伴い、神殿化した柳洞寺に立て籠もって以降、アサシンですら近づけもしなくなった点を加味すれば、有り得ないとは言えない想像だろう。綺礼はマリスビリーが冬木の聖杯に興味を示していながら、汚染されていると知り手を引こうとしていたという動きを、ケイネス・アーチボルトとその一派の者が集めた情報で知り得ていた。
故にマリスビリーが突如として変心し、参戦してきた理由はその英霊にあると見るべきだ。もしも綺礼の想像と懸念が正しいなら――
(……キャスターのサーヴァントは要注意だ。ともすると危険度は英雄王よりも高いかもしれん。奴が魔術王ソロモンであった場合、最悪
騎兵が槍兵を早期から奇襲できた要因は、マリスビリーがなんらかの伝手を使い、バゼットに情報を流したから――かもしれない。その場合、なぜマリスビリーがこちら側の情報を手に入れていたのかと逆算して推理すると、英雄王の影が脳裏にちらつく。
最悪のケースは常に想定しているが、凡そ考え得る限り最悪の展開は、受肉したサーヴァントである英雄王と、魔術王かもしれないサーヴァントが裏で繋がり、騎兵を尖兵にしているパターンだろう。もしその通りの展開になっていた場合、こちらの勝利は危うい。
『――厄介だな。余り考えたくはない可能性だが……念には念を入れるべきだろう』
携帯電話で連絡を取り、情報を渡した相手は魔術師殺しだ。戦術はともかく戦略を練れる器ではないと弁える綺礼は、戦略に関しては衛宮切嗣に丸投げしていた。
故に彼の作戦が妥当だと判断すれば、素直に協力する。
『英雄王の所在が掴めず、魔術王かもしれない奴が陣地を固めているなら、悠長に構えている時間はない。とにかく速攻でライダーを落とす必要があるな。言峰、いきなりだがコードCだ』
コードCとは、早い話『皆で囲んで袋叩きにする』人類最強の戦略である。
問題はその規模。確実に斃す為の作戦に、周辺の被害を顧みる倫理観は組み込まれていない。
早すぎる展開に、しかし綺礼は反対しようとは思わなかった。代わりに気になる点を訊ねる。
「ふむ……まあ、この時のために準備を重ねてきたのだ、それが妥当だろう。だが衛宮切嗣、凛の方はどうするつもりだ?」
『遠坂の娘か。そちらは言峰の方で足止めを頼みたいが……』
「出来るかは分からんな。アレは天性の跳ねっ返りだ、手綱を握るのも簡単ではない。それに最後のマスターであるアレが喚び出したのはバーサーカーではないぞ、エクストラ・クラスと見てまず間違いない。能力は未知数だ、捨て置くのは危険だと思うが?」
『頭の痛い話だな。お前の話を聞く限り、乱戦の中に突っ込んでくる猪だとも思えないが……横槍を入れて来るなら仕方ないと諦めよう。纏めて斃すまでの話だ。肝要なのはキャスターや英雄王が動きを見せる前に、速攻で相手の駒を減らす事にある。拙速でもいいからとにかくやるしかない』
「そうか。了解した、話が纏まり次第すぐに連絡しよう」
『頼む』
通話を切る。便利な時代になったものだと思いながら、綺礼は携帯電話で別の相手に連絡を入れた。
暫くその場で待っていると、カソック姿の男と騎士服を纏う者達が来訪してくるのを迎え入れる。
綺礼は厳かな面持ちで彼らに要請した。至急、指定した区画の人払いを為すように、と。
案の定いい顔はされなかったが、彼らも
言峰綺礼は、誠実で厳格な聖職者だ。同胞からの信頼も厚い。故に彼がサーヴァントを従えているとは、彼らも全く想像だにしていなかった。
綺礼はこれから訪れる聖職者の同胞達――仕事量の多さに絶望する者――の苦難を想い、密かに邪悪な笑みを浮かべた。他人の不幸は蜜の味とはよく言ったもので、こうした時でも愉悦の味を楽しむ心的余裕を保っているのだ。故に彼は真摯に祈る。どうか大過なく事が済みますように、と。――祈りを捧げる神父の貌は、やはり邪に歪んでいて。
しかし、
来訪した聖堂騎士団の人間達はおろか。卓越した技量を保つ代行者、言峰綺礼ですら。そして人を超越しているサーヴァント、暗殺者の英霊ハサン・サッバーハを以てしても。
ずっと、全てを。一部始終の遣り取りを盗み見ている存在に、気づくことは出来なかった。
「ライダーはクー・フーリンかもしれない、ですか」
衛宮邸の道場にて正座している少女、セイバーは切嗣からの報告を聞いて呟いた。
――シロウの力量を把握しておきたい。
セイバーのそんな要求を聞いて、手合わせをしていた士郎は疲弊して仰向けに倒れている。全身から汗を噴き出し、肩で息をしている青年には一瞥も向けない。
よく鍛えている。肉体面では文句の付け所はなく、思い切りの良さと魔術の出来も素晴らしい。あくまで現代の人間としては、だが。セイバーは息を乱すどころか汗一つ流さず、完膚なきまでに士郎を打ち負かしたが、サーヴァント以外にはそう簡単に負けないだろうと高く評価していた。何より彼の投影魔術が素晴らしい、古刀という刀剣を投影された時には度肝を抜かれた。
衛宮邸は今、セイバーが張った結界で覆われている。もしもその結界が現代の魔術師によるものであったなら、古刀を投影された時点で結界がぶった斬られていただろう。それほどの出来だ。
投影した古刀――新選組の斎藤一が使ったとされる、鬼神丸国重なる刀を見せてもらった。刀剣マニアのセイバーから見ても実物に等しい出来栄えで、切嗣達が探し回り手に入れた刀の中で、最も優れた使い手の刀だというそれを用いた士郎は、まるで超一流の剣豪であるかのようだった。だが士郎がまだ未熟なせいか、僅か五秒しか技量の一部を再現できなかったが。
士郎は間違いなく大成する。セイバーは口にしていないが、自らのマスターの素養を認めていた。
だがそれはそれとして、サーヴァントと人間の戦力差は思い知れたはずだ。まるで本気ではない上に本来の戦闘スタイルも見せなかったセイバーに、手も足も出なかったのだから、サーヴァントの脅威を知らなかった士郎にとってはいい経験になったはずだろう。
(モルガンが知ったら無理矢理でも連れ帰りそうだなぁ……)
投影魔術もどきの異能使い、衛宮士郎の能力を知れば間違いなくモルガンはそうする。召喚に応じたのが私で良かったねなんて思いつつも、セイバーは表面上真剣に切嗣の報告を吟味する。
「ああ。協力者の寄越した情報からそう推測したが、あんたはどう思う?」
「そうですね……」
ケルトの系譜はグレートブリテンに取り込まれている。アイルランドをアーサー王が征服し、完全に掌握する為の一環としてドルイドを駆逐したのだ。その事業の最前線を見聞したセイバーはある意味生き証人と言えなくもない。彼女はなるべくそれっぽく返した。
「魔剣に魔槍、身軽な衣装と立ち回り、ルーンの刻まれた車輪を持つ戦車と二頭の馬。話を聞くだけでも共通項は多いですし、可能性は極めて高いと言えるでしょう。ですが――」
もし本当にライダーがクー・フーリンだったら、手強そうで面倒臭い。セイバーなら罠に嵌めてから戦うだろう。具体的にはクー・フーリンを部下へ食事に誘わせ、犬の肉を食わせる。
目下の者からの食事の誘いを断らない、犬の肉を食わないというゲッシュを利用するのだ。生前というか現役時代というか、女王をしていた頃には出来ない戦法だが、今なら迷いなくそうする。
が、これは聖杯戦争だ。ライダーのマスターが余程の馬鹿じゃない限り、そんなあからさまに致命的な弱点は対策しているだろう。してなきゃ馬鹿だ。もしセイバーがクー・フーリンの主として聖杯戦争に参加するなら、事前に令呪を使って特定ワードが聞こえなくなるようにする。令呪を使わずとも、他にも対応策は二、三ほどパッと思いついた。
故にやる意味あるのそれ? とセイバーは思う。セイバー陣営は聖杯戦争を潰す計画の本丸だ、故に切嗣らの戦略の概要を聞いているセイバーは、弓兵のヘラクレス、槍兵のブリュンヒルデ、暗殺者のハサン・サッバーハの主達が味方と聞いている。こんなの勝ち確じゃんとセイバーは思うのだ。ぶっちゃけ負ける方が難しい。袋叩きにして終了だよとも思う。
まあモルガンから聞いた話によると、サーヴァントが一つの陣営に纏まり過ぎたら、大聖杯とやらの機能でサーヴァントが追加で召喚される事態になるらしいから、大手を振って味方面をするわけにもいかないが――それを知らないままサーヴァント側を信じず、一つの陣営に纏まらなかった切嗣達は運がいいのかもしれない。
ともあれそれはサーヴァント同士に限った話だ。小細工はいらない、ヘラクレスを突っ込ませたらいいだろう。ヘラクレスとクー・フーリンを戦わせ、決着がつくまで支援するのも手だが、二人が交戦中に敵マスターを綺礼とケイネス、切嗣や舞弥、士郎、イリヤや桜などで袋叩きにしてしまえば確実に倒せるのではないか? 本当に小細工はいらないのだ。
セイバーやランサーは、その間に横槍を警戒していればいい。英雄王をブッ飛ばしてアーサー王超えを証明さえすれば、後は事務的に目的を達成してフィニッシュである。
――という旨を、聖剣王フィルターを通して話した。すると切嗣は険しい顔で否定的に言った。
「……僕もそうするのが一番なのは分かる。アーチャーはイリヤに忠実らしいし、ランサーも穏健らしいからな。サーヴァント側に一定の信頼が置ける以上は、そうした方がいいと思う」
「その口振りから察するに、イレギュラーでも起きましたか?」
「ああ、それもとびっきりのイレギュラーだ。セイバー、あんたにも意見を出して欲しいからよく聞いていてくれ。――キャスターのサーヴァントは、あのソロモン王かもしれない」
「――え? なにそれ反則じゃない……?」
思わず素を出してしまって、セイバーは固まる。それほどまでにとんでもないビッグネームが飛び出したからだ。
全ての魔術の始祖にして頂点。魔術そのものを支配する古き王、ソロモン。
それは魔術という分野に於いては、自身よりも明確に上だと認めざるを得ないあのモルガンですら後塵を拝する――というか、魔術を使う以上は相性が悪すぎて話にならない相手である。
それでもモルガンなら、ソロモンに対して打開策を打ち出すぐらいは出来るかもしれない。しかし魔術史に於いてトップの座はソロモンが不動で、モルガンは二番手で据え置きなのだ。
この力関係は如何ともし難い。しかも生身なら兎も角、サーヴァントである今は絶対に敵にしてはいけない相手だ。なにせ聖杯戦争とは魔術儀式である。
つまり――聖杯戦争のシステムを支配するなり乗っ取るなりされたら詰む。具体的には令呪を横取りされ自害しろと命じられたら終わるのである。これはとんでもないクソゲーだった。
生身ならどうとでもなる。勝つ自信はある。だがサーヴァント化している今は無理だ。――あのクソ親父なら、聖槍抜錨というチートによる力技で打破できるかもしれない。しかし少なくとも自分には無理だとセイバーは自覚していた。
「うわぁ……」
「………」
「……私の意見を聞きたいのでしたね。ならば答えましょう」
素で呻いているのを微妙な目で見てくる切嗣に気づき、微かに赤面しつつセイバーは言った。
「ライダーを速攻で叩く。アーチャーをぶつけ、逃げられたらランサーをぶつけ、そこからも逃げられたら私が仕留める波状攻撃の人海戦術。これは愚策だと断じましょう。確かにライダーにはすぐ退場してもらった方がいいですが、キャスターに捕捉されてはいけない」
「どういうことだ?」
「今キャスターが動きを見せていないのは十中八九、アーチャーやランサー、そして私を探す為に盤面を確認している最中だからでしょう。ランサーは既に捕捉されていると見ていい、アーチャーは分かりませんが、少なくとも私はまだ捕捉されていない。キャスターは全員を同時に捕捉して、同時に令呪による自害を命じる腹なのかもしれません」
本当にキャスターがソロモンならの話だが。慎重論に舵を切るのはいいが、そうして実は勘違いでしたと言われたら笑えない。大戦略を崩す失態なのだ、誤報を齎した者は死罪に値する。
「つまり直接対峙しなければ令呪の乗っ取りはないと見ていいと。そして全員が同じ戦場に現れたら詰むかもしれないということか。ならセイバーが捕捉されていないという根拠はなんだ?」
「この屋敷には私の結界を張っています。感知に特化したものをです。故に此処には今、我々しかいないと断言できる。結界の主は私のままですし、相手が魔術王でも干渉されたら多少のノイズは認識できます。それがない今は一先ず信じてもらっても問題ありません」
「分かった。なら僕とケイネス、舞弥の三人で行く。ライダーはアーチャーに足止めさせ、ライダーのマスターを僕達で討とう。ライダー陣営を討つのは明日だ、セイバーはその間……」
「こちらは私に任せてください」
自信満々に言い切ると、切嗣は頷いて去って行った。
(いざとなったら「お父さん助けてー」って叫んでみよっかな)
なんてふざけた事を考えながら、上体を起こし胡座を掻いていた士郎と目を合わせる。
「シロウ、提案があります」
極めて真剣な面持ちで言われ、士郎は乱れていた呼吸を整え終えてから応じた。
「……なんだ、セイバー?」
正直な話、ライダーやキャスターの真名はまだ確定した訳ではない。不確定な情報に踊らされるのは面白くないだろう。聖剣王としては、そうした曖昧な状況で動くのは望ましくないと思う。
だから彼女は提案するのだ。不確定なら、確定させてしまえばいいのだと。魔術王ソロモンは知恵の王だ。叡智を誇る賢者である。そうした手合いに対する最適解を彼女は知っていた。
ずばり――
「柳洞寺に行ってキャスターの顔を見に行きましょう」
最悪、令呪を全画失くすかもしれませんが、まあそんなのなくてもいいですしね。
セイバーは軽くそう言った。
――賢者は時を置かずに
鉄則である。騎士王仕込みの速攻マジカル殺法が火を吹けば、頭の良い奴ほど困るものなのだ。
愚策、下策、大いに結構。虎穴に入らずんば虎子を得ず。聖剣王とはつまり騎士王と妖精王の後継であるからして、大いなる失策も巡り巡って大戦果に繋げるプロフェッショナルなのだった。
呆気に取られる士郎を前に、セイバーは微笑んでみせる。
それはそれは、とても綺麗な笑顔だったという。