「ふぅん」
感情がこもってない、いや、押し殺したような声だった。
「マヤだけなんだ、こんなになってるの」
ふるふると定まらない声色が、余計ボクの心に不安の種をまいた。トレセン学園に入学して、半年と数か月。ルームメイトと衝突することは何度かあった。でもこんなに、ここまで一瞬にしてこじれてしまうなんて。
「こんなの、不公平だよ……!」
肩を掴まれて、ボクはただ、黙っている事しかできなかった。
これは入学一年目に起きた、忘れられないような事件とその結末。
12/3
はじめに、あったかな暗闇があった。
スマホのアラームが「やかましい音あれ」と言う、するとやかましい音があった。それはもう、ちょーやかましいさ。
で、ボクが飛び起きる。ひと思いにお布団を突き飛ばすと、つめた~い空気がパジャマに入り込んてきた。歯がカチカチいいそうだけど我慢我慢。カイチョーだってもう起きてるに違いない。
ベッドから降りる。極寒の地を歩くためのブーツ(もふもふスリッパともいう)に足を通したら、窓辺まで行ってカーテンを開ける。夜は開けたばかり。オレンジグリーンの朝日はまだビルと山にくっついてて、目覚ましにもならない。そろそろ十分かな、と思って鳴り続いていたアラームを切る。右後のベッドを振り返ると、まだ動きはない。まったくお寝坊さんめ。
部屋の青白い電気を点けて反応を見てみる。オレンジ色のイモムシが、もぞもぞとお布団に潜っていった。逃げ場なんてないのにね。
「ほーら、起きな」
揺らしてみる。もう少しもぞもぞ動いて、結局止まる。厚い布に包まった姿は本当になにかの幼虫みたいだ。
じゃあしょうがない。布団をつかんで、三、二、一……。
「起きろ〜!!」
ねぼすけの力なんて強くない、蛹もといお布団はぶわっと宙を舞う。
「うひゃあぁ……」
現れるのは、体温を惜しむように丸まったマヤノ。光と寒さにひとたまりもない様子だ。
「テイオーちゃんひどぃ……」
「マヤノが起こしてって頼んだんでしょ」
暖房を点ける。今からじゃ効果は薄いかもだけど。
「ね、行くんでしょ、ランニング」
「いくけど〜……」
「ボクより用意に時間がかかるんだから、ボクより急がなきゃ!」
こっちがパジャマを半分脱いでズボンだけジャージになってる間に、マヤノはようやく起き上がってベッドの端に座っていた。
「マヤもテイオーちゃんと朝走る!」って。来年に持ち越さず、今始めるのはいい心がけだと思う。でも初日は寝坊で結局ボク一人だったし、昨日今日と朝起きるのには一苦労している。これから毎朝こうなるの?だったら大変だなぁ……。
「はい、立ち上がる」
ほっといたらまた寝ちゃいそうなルームメイトの腕を引っ張って、どうにか立ち上がらせる。けど、体にぜんぜん力が入ってないものだから、そのままボクにすべてを預けてくる。
「ちょっと、自分で立ちなよっ」
「むり〜……」
のしかかる女の子一人分の体重。重い。聡い子なんだけどな、朝は特に世話が焼けるや。
でもボクも慣れてきたらしい。自分が着替えて、マヤノを着替えさせても、出発の時間は十二分しか遅れなかった。部屋はもうだいぶ暖かくなっていて、外に出るのが惜しいくらい。逆効果だったかな。
ツーンとした十二月早朝の空気。いっそ雪でも降ってくれれば楽しいのに。損した気分にはなる。けど、そんなのは関係ないんだ。無敵の三冠ウマ娘になるんだから、このくらいフツーなのさ。
まあ、早朝ランニングってのは始めちゃえば悪くないもので。まだだれもいない街を独り占め(ここでは二人占めか)できるのは面白い。車道の真ん中を走りたくもなるけど、さすがにそれは我慢。空がじんわり色をつけていくのも綺麗だよね。
氷のような空気をたっぷり、でもゆっくりに吸い込んで、地を蹴る。吐き出して、また蹴る。マヤノを連れてくるまで気づかなかったけど、二人で走る事の良さというのがある。
「テイオーちゃん、疲れちゃった?」
適当な所で止めたくなる日でも、見られてるから止められない。しかもフォームの乱れはマヤノにバレる。今みたいにね。
「……ぜーんぜん!」
カッコ悪い所なんて見せられないし。起こすのは大変だけど、思わぬ収穫だ。
軽いストレッチから始まったランニングは商店街を抜けて、川の橋に差し掛かった。夜の深い冷気に、朝焼けの暖かさが染み込んでいくのがよくわかる。ジャージの擦れ。そして呼吸だけが響く。そんな世界に映し出された、朝だけの巨大なサイレント映画だ。お話が見えなくても、何かドラマを感じさせるんだ。観客はボクたちだけだった。
河原まで来れば今朝のランニングは終わり。柔らかい草の上でペースをゆっくり落としていく。クールダウン……ウマ娘はみんな、小さい頃から「走ったら急に止まっちゃダメ」と耳タコで覚えさせられるよね。
「お疲れ」
走りが歩きに変わったあたりで、呼吸の間を縫ってマヤノを労う。
「ありがと、そっちもお疲れ様っ」
とはいっても、あんまりお疲れな様子ではないのもこの子。頼めばきっとこの場で一曲踊れるだろう。一瞬ボクの脳裏に「羨ましい」という言葉がチラついた気がする。キミを起こすのにスタミナを使っちゃったのさ、と胸の中でつぶやいて、考えないことにした。
土手の傾斜でストレッチを終える。一人ならもう歩いて帰っちゃうけど、そのまま並んで座って一休み。静かな中でお話するのって、なかなかいいモノだよ。
「ね、聞いたことある?」
なにかくだらない話題の途中だったかな、この話が飛び出したのは。マヤノは立ち上がって、登る朝日の向こう側を見るようにして、背筋を伸ばした。
「年越しの瞬間にジャンプするとね……地球に居なかったことになるんだって!」
風に吹かれる栗毛の髪、しっぽ、横顔……「地球に居ない」という言葉とこの景色が合わさったせいなのか、脳みそに深く焼き付いたような気がした。
「……どういう意味?」
結局、説明は必要だったけど。
「ジャンプするじゃん」
「うん」
「地面に足はついてない」
「あっ、そっか……!」
突拍子もなかった話が、一気にスケールアップする。
「地球のみんながお祝いしてる瞬間に〜、自分だけお留守にしちゃうの!」
ぴょん、と傾斜から平らな土手まで飛び降りるマヤノ。イメージが湧く。月面の宇宙飛行士みたいにジャンプして、後にした地球を振り返る時の気持ち。寮のみんなも先生もパーティ気分の中、静かな真空から全部見下す気持ち。
「わぁ〜!いいねいいね、やろう!」
もちろんこれが現実離れした想像なのはわかるけど、感情の面、先行して流れたイメージの力は強くって。
「じゃあ、一緒にやろっ!」
宇宙への誘いに大きくうなずくボク。
ふと取り出したスマホを見ると、もうかなり時間が経っていた。先走ったイメージも地に引き戻された。
「そうだ、帰りにはちみー買ってこ!」
「マヤノ財布持ってるの?」
「え〜?朝がんばって起きた、マヤのご褒美に買ってくれないの〜?」
両手を合わせて首を傾げる、おねだりポーズだ。走って体温の上がった体からはまだ湯気が立ち上っている。そんな光景に危うく口が滑りそうになったけど、頭を振ってなんとか冷静さを取り戻した。
「がんばって起こしたのはボクだよ!」
「えへへ」
少し早足にボクらは帰りの道をゆく。お腹空いちゃった。この日はそう、なんでもない一日だった。普通に終わって、普通に明日の準備をして。
でも、静かな宇宙に飛び出す空想。これが小さい頃見た夢のように時々戻ってきて、その度にボクをワクワクさせた。
12/24
ハロウィンが終わったあたりから、クリスマスの飾り付けはさんざん見てきた。当日には飽きると思ってた。でもこうやってライトアップされた街を見てると、いよいよやってきたんだなと実感する。
夜風に首元が冷やされるから、マフラーを巻き直す。見上げれば、赤と緑にピカピカ光る木々。目線を水平に戻すと、普段よりずっと多い通行人。一人だったり、大勢だったり、二人だったり。
人の海流の中ぽつんと立っていると、なんだか川から突き出す流木みたいな気分になってきた。スマホを取り出して時間を見る。さっき見た時から四分しか経ってない。ふぅっと息を吐いて、立ち上る白息をただ見つめる。遅いなあ。
「おまたせ〜っ!」
川の流れに逆らって、時には流されそうになりながら、こっちに近づく耳を2つ見つける。
「遅いよ〜」
「ごめんごめん、思ったより列が長くって」
喫茶店の限定ラテ、だっけ。ぜったい混むのに飲みたいと言っていたやつ。
「はい、テイオーちゃんもどうぞっ」
二つ持っていたうちの一つを差し出すマヤノ。「ありがと」と言って、紙のコップを受け取ると、手袋の上からわかるくらい暖かい。なるほど、寒い日にピッタリだ。
「あぢっ」
「ちょっと、まだ熱いよテイオーちゃん!」
プラスチックの飲み口から吹き出たラテのせいで、ボクの舌はしばらくヒリヒリしたままになった。
『けやき並木のイルミネーションを見に行こう』。マヤノに誘われてやってきたここが、今夜のメインイベントだ。
透き通った空気。どこかのスピーカーで流れるクリスマスらしい歌。人が多くて地面が見えづらいのもある。華やかな光も手伝って、見慣れた場所でも日常から飛び出したようだ。それこそ、足が地を離れるみたいに。手を繋いでるマヤノと、二人で。
「きれいだね」
もっとはしゃぐと思っていたマヤノは、なんだか口数が少ない。
「うん」
オトナな雰囲気を、この子なりに楽しんでるのかもしれない。丁度いい温度になったラテを口に含む。シナモンが効いてておいしい。実家にいた頃とはぜんぜん違うけど、こんなクリスマスもいいな。
「あれ、会長さんじゃない?」
ふわふわ上を向いてた意識は人混み、ウマ耳一つ一つに差し向けられた。程なくして見つける。ふさふさな鹿毛の耳、見覚えのある耳飾り。カイチョーだ。
「何してるんだろ……」
「きっとデートだよ!」
「そう、なのかな」
実際一人じゃない。カイチョーにそんな相手が?いつから?こうなると、気になって仕方がないのが年頃の女の子だと思うんだ。スパイ映画のワンシーンを思い出しながら、通行人の影に隠れながら近づく。足音も立てないように、ゆっくりこっそりと。
カイチョーは、その人と楽しそうに話していた。なんていうか、見たことない表情だった。相手の人……男の人か女の人なのか、ここからじゃわからなかったけど。
そこからボクもマヤノも、一言も話さなかった。ボクのカイチョーの、見知らぬ一面。ジェラシーよりも意外さが勝つ、かな。そんなプライベートを覗いて、ボクらはどうするつもりだったのか……思いつかないけど、覗いた分はバッチリ見ることになった。
すっごく幸せそうな、柔らかい笑顔。そして目を閉じて、前のめりになって……ほら、わかるでしょ?カイチョーは恋人と過ごしてて、恋人らしい事をしてた。
もちろん悪い事じゃない。でも、ビックリっていうか、見ちゃいけないモノを見たというか。要するに、ボクは慌てていた。
付き合うだとか、キスだとか。ボクの知らない大人たちが、ボクらのとは別の世界でなんとなくしてると思ってたのかもしれない。それがカイチョーを通して、一気に日常に飛び込んできたんだ。
顔が熱い。厚着のせいじゃない。
首が石みたいに固まってるのに気づいて、動かすついでにマヤノの方を見る。口元を抑えて、やっぱりトマトみたいに赤くなっている。
すると、目が合った。
いつも通りのマヤノの目なのに。朝寝起きの時も、お風呂の時も、トレーニング終わりも、何度も合わせた目なのに。眉間のあたりで、熱いものがぱちぱちと弾けた。反射的に、跳ね飛ばされるように、ボクたちは繋いでた手を同時に離した。反らした目線をカイチョーがいた方に向けると、そこにはもう二人はいない。騒がしい外の世界とは逆に、ボクとマヤノの間には沈黙が横たわっていた。どうしていいのかわからなくって、しばらく立ち尽くしてたと思う。
その後はどうやって帰ったんだっけ。なんとなく歩き出して、なんとなく寮についた。
「あっ……その……」
ボクは何か言おうとしたけど、緊張なのか何なのか、そういう糊が絡んでうまく発声できない。
「マヤ、お、お風呂行くね……」
レコードタイムでお風呂の支度をするマヤノ。ボクとおんなじくらいギクシャクしてる。
「あ、うん……ボクは宿題」
ぱたん、とドアが閉じると少しは落ち着くことができた。重たい上着を脱いで、ベッドに体重を預けて天井を見上げる。はは、どうしよ。ぼーっとしたり、スマホをいじって、ただ現状維持するのが精一杯。
飲み残してたクリスマスラテはすっかり冷めてて、もう飲む気にはならなかった。
12/26
冬休み。デビューしたら忙しくなる時期なんだよね。
寝て起きれば大抵の悩み事は無くなるか、少なくとも軽くなる。二日も経てばなおさらで、ボクは乱れたペースをすっかり取り戻していた。せっかくの休みを、楽しく過ごす事だってできるかもしれない。カイチョーの事はもちろん驚きだったけど、陰ながら応援してるよっ。特になにかするわけではないけど。
まだ、学園の所々にはクリスマスの名残りが残ってる。お昼ごはんを終えて歩くボクの少し後ろにも、一つ。
「……」
小さな歩幅でついてくるマヤノ。せっかくのクリスマスだって一日ぽやぽやしてて、話しかけるとようやくいつも通りに振る舞う始末。「そういう」映画を見ちゃった時なんかは、半日で元に戻るのに。
さすがにボクも心配になってきた。だからなるべく、この子から目を離さないようにしてはいるけど……何か秘策があるわけでもない。時間がマヤノをもとに戻すのに、あとどれくらいかかるんだらう。
寮までの道で、飾りを片付けてるブライアンに出会った。
「……どうした」
マヤノがこんなじゃ心配にもなるよね。ボクが一昨日のできごとを説明する。カイチョーが……の部分はぼかして話した。自分の事じゃないけど、どうしても気恥ずかしい。
「それで、恥ずかしくなっちゃったんだよね、マヤノ?」
うん、ともちがう、とも言わず。マヤノは少し俯いただけだった。少し口元がこわばったようにも見えた。
「……」
え、なに、この沈黙。
「それじゃあねブライアン。片付け頑張ってね」
ボクはちょっと焦った。マヤノで途切れた会話のラリー、ブライアンは拾ってくれないだろう。でもそれだけじゃない。
きっとこの時点で気づいてたんだ、意識のレベルに上がってこなかっただけで。
「テイオーちゃん」
背筋もしっぽもピンと伸びた、漫画のキャラクターみたいに。脱いだ上着をハンガーに掛けてたとき。抑揚が効いてないせいなのか。後ろから投げかけられるマヤノの声が、うなじに突きつけられた氷柱のようだった。
「――なに?」
この瞬間、ボクの脳内では危険信号がピコピコ鳴っていた。言ったでしょ?きっとボク自身、もう気づいてたんだ。
「さっき言ってたの、ほんとにそう思うの?」
「カイチョーたちを見て恥ずかしくなった」の事に違いない。
「ホントだよ、少なくともボクはそうで……」
「ふぅん」
口は災いのもと?ブライアン相手に適当に言っただけだ、勝手で的外れだったかもしれないけど……けど。
「マヤだけなんだ、こんなになってるの」
けど、他に何があるって言うのさ?
「わかる?頭の中めちゃめちゃになってるのはマヤだけで」
向かってくるルームメイトは足音一つ立てない。毎日聞く声なのに、その皮一枚下になにかが潜んでいるようだ。すっかり圧倒されて、ボクは後ずさりもできない。
「テイオーちゃんは……なんとも思ってないなんて」
がばっと肩を強く掴まれると、マヤノの顔はボクの真ん前にやってくる。浅く息をしながら、オレンジの目がボクを捉えていた。目尻に涙を浮かべた二つの目が。
「こんなの、不公平だよ……!アタシはこんなにテイオーちゃんの事……なのに……!」
理解できるはずもなかった。今はただ、呼吸を忘れないようにして、この子だけでなくボクも落ち着くのを待つしかないんだ。
永遠のような時間だった。うつむいたからよく見えないけど、マヤノは泣きそうなのを必死に抑えているようで。震える手からその痛みが伝わってくるみたいだった。
「ごめん……マヤ外行くね」
落ち着きを取り戻し始めたかと思えば、肩から手が離れる。そのままマヤノは流れるような動作で外に出ていく。
「あっ、待って――!」
ようやく金縛りから抜けて止めようにも、声が出たのはドアが閉まった後。
電気もつけてない寮部屋は、曇り空の冷たい光だけが照らしていた。ボクは一人だった。
12/31
目が覚める。朝だ。鳴る前の目覚ましを止めると、あったかな暗闇から出てジャージを取り出す。なるべく静かに、誰も起こさないように。ゆっくりと前のジッパーを上げれば準備は終わり。隣のベッドを見る。壁側を向いて眠るオレンジ髪の頭。早く出てしまおう。太陽の気配が無いうちに、ボクはさむ〜い世界に飛び出す。
あの事件以来の毎朝を説明するとこんな感じ。ランニングは完全に一人で出るようになった事。ほとんどマヤノと話さなくなった事。謝ろうとしても「マヤが悪いの」の一点張りな事。調子はどうやっても狂うけど、それでも生活は続くんだ。
そう、謝ろうとしたんだ。慌ててた時は気付けなかったけど、冷静に考えればわかることだった。もっと早くマヤノの気持ちに気づいてあげられていたら、どんなに良かったか。なんて、なんてバカなんだボクは。どうしようもなく苛立って、アスファルトを乱暴に蹴りつける。こんな所、トレーナー達に見られたら怒られるかな。でもそんなの知るもんか。ボクさえしっかりしてればマヤノを……大事な友達にこんな思いをさせずに済んだのに……!
むしゃくしゃして、力任せに地を打っていたら、当然だけどそう遠くにはいけない。川をまたぐ橋の半ばまでくると、身体が言うことを聞かなくなって脚は止まる。吐き気がする。ぜぇぜぇと力いっぱい呼吸しないと苦しいのに、吸い込む乾燥した空気が喉をひっかく。生暖かい汗が、気持ち悪い。
こんな事普段ならぜったいしないけど、橋の柵に背中を預けてボクは座り込んだ。罰だと言わんばかりに地面がお尻を冷やす。
「……はぁっ……」
頭も金属の柵に預けると、上を向いた視線が丁度日の出をとらえた。どうしようもなく、メキメキと力強く登ってくる。きっと、明日もこうやって登ってくる。一秒も待たずに、今年を終わらせてしまうだろう。
太陽を止められないように、こじれてしまった仲もどうしようもないのかな。ずっと気まずくって、痛ましい日々のまんまなの?いや、マヤノは優しい子だ。そのうち、表面上は普通に接してくれるだろう。
絡まって、すれ違ったまま、正すことさえできず曖昧なまま、卒業まで取り繕って……!
思考の途中でボクは乱暴に前髪をかき上げて、思わずうなった。
まだ感触が曖昧な脚で立ち上がる。詰まったような喉を咳で正す。ああ、余裕ないんだな、ボク。
次の一手が見えないボクの足取りは、それは重かった。
おおみそか、今日も丸一日休み。今のボクには勿体ない。楽しむ?どうやって?お腹の中に鉄球が残ったみたいな気持ちで、すんなり過ごすなんて。大人になればできるのかな。じゃあ、ボクはやっぱりまだ子供なんだ。
戻ると部屋はからっぽで。シャワーにご飯を済ませたら、いよいよ時間を虚無に吸わせるしかなくなった。こうなると人はろくな事を考えない。たちの悪い景色が巡る。このままギクシャクし続けたら。マヤノは部屋割を変えるようフジに言うかな?それとも、我慢できなくなったボクが?電車の車窓がそうするように、景色は次々と移り変わる。
自分の思考で窒息する前に、コートを羽織って部屋を飛び出す。靴箱近くまで来た時だった。
「あっ……」
マヤノだ。
「……」
こんな時に何が言えるのか。答えはこの手にない。そのくせ、考えれば解決できると思ってその場にフリーズするボク。一瞬視線が交差すると、マヤノはうつむいて通り過ぎていった。いつか一緒に出かけた時に買った、香水の匂いを残して。ボクはその場で、中身をくり抜かれた人形になっていた。
「テイオー、さん?」
相当ひどい顔をしていたんだろうね。立ち尽くしてたら声をかけられた。
「……べつに」
マックイーンだ。おなじクラスの。
「……マヤノさんとの事ですわね」
「どうしてそう思うの」
「あれだけあからさまに距離が離れているんですもの、わからない事はありませんわ」
カッコ悪いけど、ボクはちょっと頭にきていた。
「何かあったなら相談なさっては?一人で抱え込んでいては――」
うるさいなぁ。
「イクノとはどうなのさ」
「なっ、いっ」
やっぱり慌てた。突かれたらイヤな所くらいわかるんだぞ。
「貴方には関係ないでしょう……」
「そうだね。関係ないよね」
「……」
牽制するも黙り込むマックイーン。じゃあ、と一言残して、暗くなり始めた外界に踏み出す。一人になるとろくな事を考えない。また増えた後悔を薄めるために、足先は自然と人混みの方に、街の方に向いていった。まったく、新年なんてあと半年来なくていいのに。
厨房ではそろそろ年越しそばでも作るのか、だいぶ賑やかになってきたようだ。初詣に行くのか、上着を着て友達と寮を出る子たちも見かける。玄関から入り込む風はとびきり冷たい。いいなぁ、楽しそうで。
ボクはといえば、栗東寮の談話室、テレビの前だ。
『来年のクラシックですか。うーん、私なら◯◯ちゃん一択ですね』
『たしかにここまで負けなし、既にG1ウマ娘ともなれば注目しちゃいますよねぇ。しかし私としては……』
流れてる番組だってちゃんと見てるわけではないけど……来年、かぁ。いつものボクなら、来年デビューしてやる、って意気込んでた所だけど。今のボクは、ソファが玉座のダラダラテイオーだ。そんな先の事はもうわかんない。いや、考えたくない。ほら、コートだって脱ぐ気も起きないんだ。
「ふあぁ……」
さすがに眠い。こんな時は全部忘れて寝ちゃったほうがいいかな。
目を閉じる。マヤノとの事。トゥインクルシリーズの事。お正月。静かに見下ろすお正月……考え事をなるべく無意識に押し込めば、そのうち寝られるだろう。
「テイオーさん」
訂正。同級生もどっかに押し込まないとだ。
「……今度はなにさ」
目を開けると、腕を組んで立つウマ娘。紫髪の、おなじクラスの。負けたく無い相手に、こんな時に会いたくはないんだけど。
「私の知ってるトウカイテイオーは、もっと活動的な方だと思っていたのですが」
お説教、ってトーンの声だ。なんだよもう。ボクは目を閉じた。
「お正月は帝王様も休業、お話の気分じゃないんだけど」
全身であっちいけアピールをすると、はぁ、とため息が聞こえた。
「……教えてあげますわ。私とイクノさんの事」
閉じきるつもりでも、さすがに片目を開いた。ボクを見下していたマックイーン。今はそっぽを向いて顔を隠すように髪を触っていた。
「イクノさんは……彼女の事はまだそんなにわかりません」
最初は、震えが混じった声。
「でも、思いやりがあって、優しいお方」
覚悟を決めたように、迷いなんて投げ捨てたように。そこから先、マックイーンの語りは一切途切れなかった。
「もっと知りたい、もっと一緒に過ごしたいって。そう、思っていますわ」
マックイーンは秘密を明かした。まったく同じとは言わない……少なくとも、まだそうではない。それでも。
「ボクだって……」
マックイーンは同じように隠したものを、ボクから引き出した。マヤノを大切に思っているの事に、嘘偽りなんて無い。
「なら、今すぐにマヤノさんを迎えに行きなさい」
メジロの令嬢はもう目を逸らしてはいなかった。また腕を組んで、厳しい目つきでボクを見下していた。
「こんな大事な事をやり残したまま今年を終えるおつもり?」
だらしなかった姿勢。無茶に対して反射的に、一気に正すことになった。
「そんな……何て言えばいいんだよ!今更になってさ!」
「それは貴方の胸に聞きなさい」
逃げ場の欠如を改めて告げるように、弱気な反論はピシャリと叩き潰されてしまう。
「もう考えている時間はありません。行きなさい、トウカイテイオー。どうするかなんて、後で考えなさい」
きびつを返してマックイーンは去ろうとする。まってよ、そう追いたくなって立ち上がるけれど。
「マヤノさんも、きっと待っていますわ」
けれど、そうだ。ボクが追う相手は他にいるんだ。
眠ったような時間を過ごしていたボクの脳細胞たちは、そこから一気にスパートをかける。マヤノは、あの子は今どこだろう?寮の階段まで走って、登りながら一つ一つ可能性を並べていく。
外は寒い、いるわけがない。ボクらの部屋にもいない、なるべく戻らないようにしてるから。二階までやってきて廊下を見通す。誰もいない。ボクは三階へと手すりをつかむ。
マヤノの友達……いっぱいいるけど、今なら……そうだ、わかったぞ。気づけば、ボクらの部屋からほど近い所にある扉の前にやってきた。無意識の推論がここまで導いたのか、ただの当てずっぽうなのか。そんな疑問はコンマ数秒で虚空に消えた。なけなしの確信をもってボクは『ナイスネイチャ・マーベラスサンデー』と札のかかったドアを開けた。力いっぱい、音なんて気にせずに。
「マヤノ!」
目に飛び込んできた。もふもふツインテールのネイチャ、すっごいボリュームの髪、マーベラス。そして、もう一人。太陽みたいなオレンジ色の、ツーサイドアップの小柄な女の子。その後ろ姿。
「へ……?」
三人でウノでもやってたのかな。ボクの乱入に驚いて、カードを持ったままフリーズしてるや。振り返ったマヤノ。ぽかんとしたネイチャと笑顔のままのマーベラス。テレビから流れる歌謡番組が、この場で聞こえる唯一の音だった。さあ何か言えボク!なんでもいい!
「ほら、行くよマヤノ」
もしかしたらウノもいい所だったかもしれない。だけど、お構いなしにボクはマヤノの手を取っていた。
「えっ、どこに……?」
「決まってるじゃんか」
正直、まだこれを覚えていた事に自分でも驚いていた。脳みその中の、ちょっと面白そうな事コーナーに入っていてくれたのかな。とにかく、とっさにそれは出てきた。
「年越しジャンプ、外でやろう」
「まって、コートが」
「もう三分しかない、間に合わないよ!」
まったりムードな寮階段を駆け下りる二つの足音。ドタドタと迷惑な足取り。零時に追いつかれまいと必死なんだ、許してよね。
「ちょっとごめんっ!」
賑やかな友達グループの真ん中を突っ切らせてもらう。お城の階段を駆け下りたシンデレラもこんな気持ち、だったのかな。でも、あいにく同じようにはいかないよ。
「さっ、靴履いて、はやくっ!」
「うん……!」
ガラスならぬ合成皮革の靴を二人分、しっかりボクが履かせるからね。外に出る準備ができたら手を差し伸べる。こんどは、マヤノから手を取ってくれた。まだ理解が追いついてない、って顔だった。
ぐいっと引いてマヤノを立ち上がらせると、スマホを見て魔法の時間のリミットを確認。あと一分もない!
ひゅう、と隙間風を吹かせるドアを超えて、夜闇の世界へ。お祝いの雰囲気。それから草の燃えたような匂い漂う、地球の大気をめいいっぱい吸い込んで走る。狭い所でやってもつまらない。寮前の広場が最適だ。
「あと、十二秒」
栗東も美浦も、寮たちが一回り小さく見える距離まできたら時間をチェック。深くうなづくマヤノ。心配はいらなそうだ。
手をつないだまま、ぶつからないように充分距離をとる。
「なな、ろく」
自分でやろうとしたカウントダウンが、遠くから聞こえる。どっちの寮の子たちだろう。
「ごー、よーん」
マヤノの手をぎゅっと握ってみる。すると『アイコピー』って応えるみたいに、ぎゅぎゅっと握り返してくる。
「さん、にー」
目線で合図して、身をかがめる。迷いと自責だらけだったのが嘘みたいに、この一瞬しかボクには見えていない。
「いーち……」
そして、両の脚におもいっきり力を込めて。
ボクたちは真空の世界へと飛び出した。
「ぜろ――」
トレセンで鍛えたおかげでなのかな、こんなにジャンプが長いのは。みんなの騒ぎでうるさいはずなのに。空中にいる間、この時間は静かに感じる。
隣をふと見やると、マヤノがいる。当然だけど。でも、見せてくれた横顔はとびっきりの、久しぶりに見る笑顔で。とても、かわいいなって……思った。
でも、こういうのって終わってみると一瞬だ。靴を鳴らして着地する。重力の世界へただいま。まだ寮から歓声が聞こえる。地球の住民たちが、拍手でボクらの帰還を祝福しているかのよう。
向かい風が吹きつける。ふと上を見れば、オリオン座がてっぺんに輝いている。朝のサイレント映画、夜になっても続いてたんだ。
そして、意識も地上に戻す。そりゃもちろん、一緒に帰還した子の方に。
「……テイオーちゃん、おそい」
ボクの手を握ったまま、もじもじと抗議するキミ。
「ふふ、マヤノだって忘れてたくせに」
キミと同じくらい、ボクも笑顔になってたと思う。肩の荷が下りて、素直に無言の時間だって楽しむ余裕ができたみたいだった。次の一言が出てくるまで時間がかかっても平気さ。
ひらひらと行き場を探して、動くキミの空いた方の手。今更恥ずかしがることなんてないのに。そっと捕まえて、向かい合って両方繋いじゃおう。
どこかでお寺の鐘が鳴っている。風はまだ耳に吹き付けてくる。急に走って飛び跳ねたせいで、心臓が喉元までやってきたみたいにどくん、どくんと、脈打っている。寮の騒ぎも落ち着いたみたいだ。今ごろおそばを食べてるのかな。そんな雑念の真ん中に鎮座するように、見つめ合うキミの瞳があった。
「あのっ」
意を決したようなマヤノが切り出す。
「ほんとにごめんね……マヤ、あんなこと言っちゃって」
亀裂が逆再生で繋がっていくように、また素直になれるのが嬉しい。
「ボクだってもっとマヤノの気持ちをわかってあげられなかった」
「そんなこと――」
キリのない謝罪合戦になりそうだった、けど。
「へくちっ!」
「わわっ、大丈夫!?」
そういやコートを着てるのはボクだけだ。急いで脱いで、マヤノの肩にかける。すそを両方もって、朝するようにきゅっと包まるマヤノ。心地良い日常がやっと戻ってきたみたいだ。
これからどうなるんだろう。今までどおりが、そのまま戻ってくる事はないだろう。ここから新しい仲になったり……するのかな。それも悪くないや、なんて。
なんであれ、ここから再出発だ。
「そばでも食べにいこっか」
「うん。行こ、テイオーちゃん!」
だから……今はとりあえず戻ろう、ボクらの寮に。
『彗星』第五号にて『いんたー・ぷらねたりー!』というタイトルで寄稿したSSです。テイオーの年末ボイスの一つ、年越しジャンプから着想を得た話になります。
彗星第五号: https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=2273677
↑なこさんによる素敵な挿絵も収録されています
感想等ありましたらとても喜びます、マシュマロもありますのでもしよければ…! https://marshmallow-qa.com/geezeeliam