ふと、目が覚めた。ザーッと地面を濡らす雨の低い音。それに混じって屋根から落ちる水滴が何かに当たってカンカンと金属的な音。マヤ的に寝覚めのいい朝の基準というのがあるけれど、この日は良くて落第点という感じだった。
少し肌寒い。半袖のパジャマは失敗だったな、と思いながらめくれた毛布を手繰り寄せる。いまいち暗い部屋の中、どうしても頭が起きる時間だと信じていない感じがする。かといって2、3度寝返りを打っても眠気の姿はもう無く、ため息をつきながら仕方ないとスマホに手を伸ばす。
AM7:30、窓は鈍いグレーに光るばかり。何だかもう損した気分。
6月。梅雨。当然こういう天気が続くのは知っているし、それに腹を立ててみたって何にもならないのも理解している。でも授業だってトレーニングだってこういう日が続くとやる気が萎んじゃうし、湿気で髪もまとまらなくなって準備がいつもより大変になる。
じゃあ今日みたいなオフの日ならいいのかっていうと、ぜんぜんダメ。せっかくのお休みでも服を濡らしてまでお出かけをする気にはなれなくて、結局部屋に籠ることになる。晴れの日のレースが得意な子の気持ちが、今ならわかる気がする。
壁に頭を押し付けながらもう1度ため息。吸い込む空気がじっとりと鼻に纏わりついた。
特に何かしようというわけでもなく、ただ耳を巡らせて栗東寮を取り囲む雨音を聞いていた。するとその中に聞き覚えのある寝息が混じっている事に気づく。マヤは雲間から差す一筋の日光を連想した。その光の方を振り返ると、やっぱりというか、テイオーちゃんが寝ている。ああ、本当なら一緒に遊びに行きたかったのに。部屋でずっと一緒にス〇ブラをやるだけって日も嫌いじゃないけど、そろそろ飽きてきた頃。今日もどんより気分で終わっちゃうのかな?
でもマヤは考える。こんな日をちょっとだけ良くする方法。まだふにゃふにゃの頭でも名案が予想以上に速く浮かんだ。マヤってば冴えてる!何をやってもダメなら……そう、二度寝しちゃおう!『さっき寝れないって言ってたじゃん』って?大丈夫だいじょうぶ、ただ寝るだけじゃないから。
音を立てないようにそっと床に足をつけて、忍び足で向かう先はルームメイトが眠る寝床。テイオーちゃんの寝顔は脱力しきっていて……とっても可愛かった。長いまつ毛とか、外ではあんまり見せない髪を降ろした所とかをついでに盗み見る。毎日合わせる顔でも簡単に見惚れちゃう、そういうのってズルいなぁ。
青い毛布の端をつまんで決して起こさないように、でも勢いよく持ち上げて、その隙間を重力が閉じてしまう前に転がり込んだ。ほんの少しスプリングがきしむ音がしたけど、見事なソフトランディング!そしてマヤが今一番たどり着きたかったキミの隣は、外とは違って優しく、マヤを受け入れてくれた。
「おきてる……?」
ほっぺをつつきながら呼んでみる。返事は無いし、遠慮することないよね。マヤが狙ってたターゲット、テイオーちゃんの左腕に腕を絡めて、肩に頭を押し付けるようにぎゅーっと抱き着く。パジャマの生地、その下の温もり、好きな人の匂い。それがみんな毛布の下でマヤを包んでくれる。しあわせ。
マヤとおんなじで細くて、オトナっぽいわけじゃない腕。それでもこんなに安心できるのはなんでだろう?でも大好きなキミがいる、こんなに近くにいるという事実がただひたすらに胸を高鳴らせる。レースの時とは種類の違うドキドキ、きっとクセになっちゃったんだ。
「んう……」
もっと感じていたかった、けれどもぞもぞ動きはじめたテイオーちゃんに思わず手を放してしまう。悪い事してるわけじゃないけど、嫌がるわけもないけど、なんだかイタズラが見つかっちゃったような気分に近いかも。でも離れてしまった温もりを惜しむ間もなく、それはすぐに戻ってきた。
「まやの……」
くるっとこっち向きに寝返ったテイオーちゃんはマヤの名前を呼んで、一瞬のうちにその体温でマヤを包んでくれた。ぎゅうっと強く抱きすくめられて、思わず押し出されるように息を吐く。テイオーちゃんの腕の中で胸がキュンとなる感覚、そして温もりと匂いも一層強くなる。どうして忘れてたんだろう。いつもこうやって思いっきりハグしてくれるテイオーちゃんの腕が好きなんだった。
じゃあ、お返し、とマヤもテイオーちゃんの背中に手を回す。柔らかい。気持ちいい。一方的に抱き着くんじゃない。抱き合ってるという事実に、思わず腕に力を込めてしまう。
文字通り目の前にあるテイオーちゃんの両目は中程まで開くと、ターコイズの瞳があいまいな軌道を描いてからまた閉じた。まったく寝ぼけていても、大事そうにマヤの髪を撫でてくれるのに呼応するように心臓が宙返りをした。もっと強く、額をくっつけるほど抱き返すとそこからまた甘酸っぱい痺れが全身に広がってゆく。こんなにマヤを夢中にさせてどうする気なの?テイオーちゃん。
頭の方から撫でる手は徐々にうなじ、背中へと下がってゆく。ちょっとくすぐったい……と思ったけど、手が不自然につまむような動きでごそごそと辺りを探っている。そこは丁度肩甲骨の間の少し下、つまりは丁度ブラのホックがある位置で……
「いででっ!」
考えるよりも先に手が出て目前のほっぺをつねっていた。痛みに声を上げたテイオーちゃんは距離を置くように転がって、またもぞもぞと動く。
……「こういう事」は雰囲気とか、時間とか考えて欲しかったんだけど。
少し時間を置いてテイオーちゃんは気だるげに起き上がる。眠そうな目を擦りながら、空のマヤのベッドと目の前にいるマヤを交互に見て状況を理解したみたいだった。
「んあ……おはよ、マヤノ」
ほっぺに赤い痕が残る顔を見て笑わないようにするのは一苦労だった。
「今つねった……?」
「デリカシーは大事だよ~テイオーちゃん」
いまいち納得いかないといった顔で赤くなった右のほっぺをさするテイオーちゃん。ほんとに寝ぼけてたんだ……つねっておいて何だけど、マヤの事が好きすぎる故の犯行だし許しちゃおうかな。
「ねぇ、それよりも……ん」
唇を尖らせ顔を上げて、促す。
2人で決めた朝の約束を。
「……」
ねぼすけな頭がようやく追いついて来たみたいで、緩んだ顔にも少し笑顔のニュアンスが見える気がした。ベッドに手を突き躊躇なくこっちに身を乗り出したキミ。もうすぐだとわかっていても、その瞬間が待ち遠しくてしょうがない。同時に、こんなに幸せな待ち遠しさなら、もうちょっとだけ我慢したっていいかもなんて思ったり。でもよく知る唇がマヤのと触れ合った瞬間、そんな考えも流れ込んでくる感情に押されて消えていった。
「キスの味ってどんなの?」と聞かれることはある。それってどんな気分の時にするのかで変わってくるとは思うけど。朝目覚めてからするおはようのキスは、すごくすごく甘い。きっと朝ご飯にうんと砂糖の入ったものを選んでもきっと越えられないような、全身に巡る甘さ。
ふと窓の方を見るテイオーちゃん。やっぱりまだグレーに光っている。
「天気……やっぱり雨だよね……」
そんな事を呟くキミはたぶん、マヤと同じ事を思ったんだろうな。
だったらいいよね?
「どうせ遊べないしテイオーちゃんも二度寝しよーよ」
窓からマヤに目を向けなおしたテイオーちゃんは一瞬考える素振りを見せて、
「まあ……そうだね、寝ちゃお……っわ!?」
我慢できなくなったマヤに飛びつかれちゃうのでした♪
腕の中に置いて来た温もりと再会を果たしながら、もう一度ベッドに2人で沈み込む。びっくりしたみたいだったけど、しょうがないなって頭をぽんぽんと撫でてくれる。耳を澄ませば心臓の音が、キミが生きている証が聞こえてくる。
どんなにグレーな朝で、一日分の「つまらない」が待っているとわかっていても。大雨にデートを邪魔されても、お休みの日にブルーな気分になっても。大好きなキミが側にいて、こうして触れられる。それだけで世界は虹色に輝くみたいで。
「……♪」
少しでも隙間を減らしたくて、一層強く抱き着く。今はただテイオーちゃんだけを感じよう。これで最後だったとしても絶対忘れないくらい、全部を感じ取りたい。そして今度目覚めたら、また一番にキミに会えるのが今から楽しみだよ。
春の陽気に照らされているかのような温かさに身を任せて、目を閉じた。