優木せつ菜は死んだ。
ゲインを目一杯に上げたマーシャルアンプに、エレクトリックギターと、ファズエフェクターを繋いだだけの音はとても原始的で、剥き出しの暴力性を感じさせる。
ファズエフェクターのスイッチを蹴飛ばし、フェンダーミュージックマスターの、汗に濡れたネックを絞り上げ、6本の弦にピックを力いっぱい叩きつける。
シールドケーブルを通し、真空管によって何倍にも増幅された電気信号が、スピーカーキャビネットを揺らし、吐き出された絶叫は、赤く焼けた切れ味の悪いナイフのようで。
ナイフの切っ先が、せつ菜の衣装の胸元を裂き、真っ白い新雪みたいな皮膚の薄皮を、そして肉を切り開き、内側を露わにする。
彼女の内側から溢れ出した真っ赤な液体は、歌声となり、その歌声は観客を切り裂き、バンドをも切り裂きバラバラにして、飛び散る血液は燃料で、ガソリンよりも、ニトロよりも、この世界に存在するどんな物質よりも可燃性が高く、途方もない熱量が会場を覆い、さらにさらに、もっともっと、熱く、高く、どこまでも。
せつ菜は笑う。自らの胸を裂き、進んで自らの血肉を燃やして、子供みたいに笑い、そして歌う。彼女は己の中の全てが燃え尽きるまで、きっと歌い続ける。
こういう歌い方をする人、音を鳴らす人を、僕は何人か知っている。実際に逢ったことは無い。彼らは遠い昔、僕らが生まれるよりもずっと前に、27やそこらで死んでしまって、彼らと逢うことが出来るのは、銀色の円盤に遺された音楽の中でだけだ。
優木せつ菜は死んだ。
確かにそうなのかもしれない。
彼女は彼らと同じになってしまったのだから。
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高校入学を期に姉とふたり暮らしを始めた。学校こっちのほうが近いし、いいんじゃない? という姉からの提案だった。
10歳以上も歳が離れていて、とっくに実家を出ている姉とはそれまで大した交流がなかったものだから、多少迷ったけれど、電車の乗り換えなしで通学できるのは非常に魅力的だったし、環境を一新するのも悪くないかな。そう思い僕は姉の提案を快諾した。
そして、その判断は間違いだったと、僕はすぐに思い知らされた。
「や、いらっしゃい」
引っ越し初日。僕を出迎えた姉の顔色はゾンビの様で、なんでか半裸だった。背後に見える部屋の光景はまさにゴミ屋敷。つんとした腐臭が鼻をつく。
こいつはマズい。
回れ右して帰ろうとする僕の背中に姉は「もう岬の荷物届いてるけど帰るなら処分しておくよ。ギターとか高く売れそう」そんな悪魔みたいなことを言って、僕は泣く泣く姉が手招きする部屋へ足を踏み入れたのだった。
ところで、姉はミュージシャンという、少し説明に困る職業をしている。
ミュージシャンと言うと、テレビの煌びやかなステージで歌う歌手や、ギターを掻き鳴らすバンドマンなんかを想像するものだけど、僕の姉はそういったステレオタイプなミュージシャン像からはかけ離れていて、あえて言うのなら『音楽のなんでも屋』といった感じだ。
一番得意にしているのはエレキギター。だけど鍵盤やドラムも人並みに演奏が出来てサポートで呼ばれることもしばしば。
音楽教室の講師や、個人レッスンも請け負っているとか。
PCを使った作曲に明るく、インディーズの歌手や地下アイドルグループに曲を提供している。
サポートでツアーに出たときはひと月くらい家に帰らなかったし、そうでなくても生活は大変に不規則で昼夜逆転は当たり前。曲を作っていないときは大体飲んだくれて寝ているのが日常。
部屋がゴミ屋敷に、シンクが腐海になるのも理解できる。
僕が来る前は一体どんな生活を送っていたのか、想像するのも恐ろしい。
だからそんな姉が、僕が学校から帰ってくる夕方の時間に、リビングで紅茶とケーキを用意して待っているなんて、天変地異の前触れのようなもので、何も見なかったことにして自室に逃げ込もうとするけれど、あっさり首根っこを捕まえられてしまって、僕はソファに座らせられた。
「岬、ショートとチョコどっち良い? あたしはチョコ食べるけど」
「最初から選択肢ないじゃん……」僕は嘆息して「どういう風の吹き回し? ケイコさんが食べ物を人に分けるなんて」
「たまには姉らしいこともしないとね」
そういうことなら、ありがたく。「頂きます」ケーキを口に運ぶ。スイーツの良し悪しなんて分からないけれど、少なくともコンビニに売っているやつに比べると上等なものらしいことはわかった。
食べている最中、じっとケイコさんがこちらを見ているものだから、大変居心地が悪い。
学校終わりで小腹が空いていたこともあって、僕はものの数分でケーキを平らげた。ご馳走様。するとケイコさんはニッと笑って「よし、食べたね」
「食べろって言ったから食べたんだけど……」
「そんじゃ、これよろしく。土曜までね」
そう言ってテーブルに放りだしたのは数枚のA4用紙とUSBメモリ。
……またか。僕はげんなりした気持ちでA4用紙に目を落とす。五線譜に音符の踊り、小節毎にアルファベットでコードネームが記載されているギターパートの譜面。USBメモリの中身は音源のデータだろう。
「……また下手くそな音が欲しくなったの?」
「捻くれたこと言わない。あたしが欲しいのはラフな感じの音」
なぜだかケイコさんは度々、自作の曲のギターを僕に弾かせようとしてくる。
僕自身、小さなころから父さんの友人の、大人げない大人たちに囲まれてギターを弾いているから、周囲の同年代のギタリストに比べれば多少なりとも弾ける方だけども、それはあくまでも素人の中の話であって。
「いつも言ってるでしょ。音楽は上手下手じゃないって」ケイコさんはチョコレートケーキを手づかみで頬張って、紅茶を一気に飲み干す。
「下手くそだけど音色が良いからね、岬のギターは」
「結局下手なんじゃん」僕が言うと、ケイコさんはケラケラ笑い「ふて腐れない。それに今回の仕事は楽だから安心しなよ」
「……どういうことさ?」
「あたしが教えてるとこでやるイベントのサポート。一曲だけだし楽なもんでしょ?」
「だったら、教え子に弾かせればいいのに。なんで僕?」
「めぼしい奴がいないから、アンタに頼んでんの。なに、ケーキだけじゃ不満?」
「そりゃあ、まぁ」
だって今週の土曜でしょ? 二日で曲を覚えて練習して、初対面の人たちとライブって、正直言って面倒臭い。週末の夜は父さんの友達のセッションに誘われてるし。
「よし、それなら姉さんが、何か好きなものを買ってあげよう。それがギャラ代わりってことで」
物で釣り始めたよ。
出来れば機材がいいな、経費で落ちるから。などとセコイことを言う。
それならばと、僕は前々から欲しかった、まず手に入らないであろう、市場にほとんど出回らない、ウンと高価なエフェクターを挙げると、ケイコさんは少し考える素振りを見せて、千鳥足で自室に引っ込んだ。
どたんばたんがしゃんと、棚をひっくり返す物騒な音を何度か響かせて数分、ようやくドアが開いたかと思うと、ほれ、円盤系のエフェクターをこちらに放って寄越した。
ズシリと重い金属の質感。
「……なんで持ってるのさ」
「親父のスタジオ行ったときに持ってきた」
「泥棒じゃんっ」
「親族間の窃盗は罪にならないのだ無知め」
ゲラゲラ笑いながら、全くためにならない知識を披露するケイコさんは「受け取ったんだから契約成立」と、こちらにまた何かを投げた。虚を衝かれた僕は「うわっ」それを顔面で受け止める。
視界を塞ぐのは布の感触。なにこれ? 服?
持ち上げて、眼前に広げてみるとそれは、どこかの学校の制服だった。しかも女子用。
「髪とかメイクとかは、やってやるから」
「えっ、なに? どういうこと?」
「言わなかったっけ、イベントって、虹ヶ咲って女子校の文化祭だから」
「聞いてない!」
「文句は受け付けない。そんじゃよろしく」ケイコさんはそう言い捨てて再び自室へと引っ込んでしまった。
エフェクターを突っ返して、駄々をこねて、ケイコさんを諦めさせるか。女装でギターを弾くことを甘んじて受け入れるか。
一晩悩んだ。結論は後者だった。
ああなったケイコさんは、僕が何を言っても聞き入れてくれないだろうし。
なんといってもこのエフェクターは、ヴィンテージの貴重な品だ、僕の小遣いじゃとても手が届かないし、大人になって稼ぎを得るころには、今よりも高騰していることは間違いない。
……たったの一回。たった一回女装するだけでこれが手に入るのなら。
翌日、一世一代の決心で「引き受けるよ」徹夜で作業をしていたらしい、目に隈を作ったケイコさんに言うと、当然と言わんばかりに頷いて、除毛クリームを投げてよこした。そこまでしないとダメ?
「言い忘れてたけど土曜は顔合わせで、本番は来週ね」
「……それって二回女装しろって言ってる?」
「一回も二回も変わらないでしょ」
「大違いだよ!」