燃え尽きるまで、君の隣で   作:ペンギン13

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裸足。ありがとう。

 演奏が終わるまで誰も止めに入らなかったのは、気を遣ってもらったのだと思う。

 セットリストが一巡し、アンコールを求める声が聞こえてきたころになってようやく、教員らしい男性が数人ステージへと上がってきた。

 それを見たリカさんが目配せをすると、メンバーたちは肩をすくめて、アンプの電源を切ったり、ドラムセットから出てきたり、僕もそれに習って、自分の楽器を片づけた。

 客席の生徒らから、多少の不満の声が聞こえて来たけれど、教員がいくつか声をかけると、案外と大人しく生徒たちは校舎へと戻っていった。

 ステージに上がってきた教員の中でも、一番年かさの総白髪の男性教師が、こちらに近寄ってきて、なんだか申し訳なさそうに頭を掻きながら口を開く。

 

「抗議にいらっしゃったそちらの生徒会長さんといい君たちもきっと、こちらの生徒のことを慮っての行動なんだろうね」

 

 気を遣わせてしまってすまない、と頭を下げる総白髪の教員に僕らは面食らう。

 こんな勝手をしでかした手前、怒鳴られるとばかり思っていたから。

 

「すまない、そう、すまないとは思っているんだ。だけどね、こう騒ぎになってしまって、なんのお咎めもなしというわけにいかない、こちらの事情も分かってほしい」

 

 弱り切った様子で言う総白髪の教員に「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」と、深々と頭を下げたのはリカさん。

 

「君が責任者かな? 職員室まで一緒に来てもらっても?」

 

 素直にうなずくリカさんに、総白髪の教員はホッとした表情で「それと生徒会長さんも呼んでもらいたい。便宜的なものだから、そう構えなくても大丈夫だから」と言って、そこで僕は、はたと気が付いた。

 いつの間にか、ステージから優木さんの姿が無くなっている。

 優木さんの正体を知っているのは僕とリカさんだけで、それに優木さんがライブが終わると知らぬ間に姿を消すのはいつものことだったから、メンバーたちは気にしていない様子だけれども。

 リカさんは面倒くさそうに「菜々ちゃんのこと探して職員室まで引っ張ってきて」そう僕に耳打ちして、教員らに付いて校舎の方へと去っていった。

 

 

*****

 

 

 ライブ行脚をするようになってわかったことだけれど、優木さんは初めて訪れた学校やライブ会場であっても、人気の少ない所を見つけるのが得意だ。

 というのも、生徒会長の中川さんから、スクールアイドル優木せつ菜へと変身するところは、正体を隠している手前誰にも見られてはならない訳で。

 だからか、学園祭やイベントの喧騒の最中でも人気の少ないお手洗いや、空き教室や、そういうところを見つけるのが優木さんは上手で、同じく正体がバレたらお終いな僕も、着替えが必要な時は彼女の後で使わせてもらったりしていた。

 すぐに見つかると思っていた。なんとなく、優木さんが使いそうな場所の目星は付いていたから。その筈だったのだけど。

 

「……だめだ、見つからない」

 

 校内中を駆け回った僕は荒い息を吐いて、もう何度目になるかわからない、優木さんの番号にコールしてみるけれども、呼び出し音が虚しく鳴り続けるだけ。

 諦めてスマートフォンをポケットにしまい込んで、肩を落とす僕の横を、実行委員の腕章をつけた生徒や、呼び込みの生徒が駆け抜けていく。

 優木さんのライブの分の時間がごっそりと空いた体育館は、タイムテーブルが再度組み直され、件の演劇部も当初の予定通りに公演が出来るようになったとか。

 二転三転する状況に振り回されている生徒たちだけど、来た時に比べると、校内はどこか明るい活気に溢れているように思えた。

 ふと窓から外を見ると、空は相変わらずどんより曇っているけれど、雨は止んでいた。

 

 ……ここからだと、こういう風に見えるんだ。

 

 屋外のステージには当たり前だけど人の姿はない。優木さんが歌って、僕がギターを弾いていた。

 ついさっきまであそこでライブをやっていたなんて、なんか現実的じゃない。

 魔法のような時間だった。

 優木さんの歌声と僕のギターの音とが溶け合ってひとつになる感覚も、ペンライトで都会の星空みたいに淡く光る校舎も。白昼夢のようで、けれど胸のあたりに残った熱の残滓は確かに現実のもので……。

 

 いやいやいや!

 

 今は物思いに耽っている場合じゃない。早く優木さんを見つけないと。

 再び駆け出そうとして、窓の外のステージに僕の意識は何か引っかかりを覚える。

 そういえば優木さん、あのとき校庭を突っ切ってステージに向かって行っていたような。

 もしかして……!

 弾かれるみたいに踵を返して、僕は昇降口の方へと向かう。

 

*※***

 

 予想は的中した。

 正午を過ぎて人通りの増す昇降口を出て、校舎に沿ってグルリと回り裏手に出ると、すっかり人気のないところにポツンと、プレハブ小屋をひとつ見つけた。

 立て付けの悪いドアをそうっと引いて中を覗き込むと、どうやら使っていない体育用具の保管に使われているらしい。

 割れた三角コーンや、錆びたハードルや、取っ手が壊れたライン引きや、それらが雑然と仕舞われていて、薄暗い埃っぽい空気の滞留した室の奥の、折りたたまれたマットの上に、何か黒い影が蹲るのが見えた。

 

「優木さんっ」

 

 黒い影の正体は優木さんで、僕は傍に駆け寄る。

 なんとか制服には着替えられたようだけれど、三つ編みのおさげは形が崩れているし、足元はまだ衣装のブーツのままだし、傍らに衣装やタオルが散乱していて「優木さん、ちょっと、大丈夫?」華奢な肩をおっかなびっくり揺すると、くぐもった呻き声が聞こえた。

 良かった生きてる、いやそりゃあ生きてはいるだろう。ダメだ思ったよりもテンパってる。

 

「……御崎さん?」

 

「ごめん、少し触るよ」

 

 前髪をよけて額に触れる。じわりと伝わってくる熱は明らかに平時のそれとは違っていて「救急車とか呼んだ方がいいのかな」無意識に呟くと「だ、駄目です」優木さんが焦った様子で身体を起こそうとして、だけど力が入らないのかまたマットに倒れ込んでしまう。

 

「それは駄目です、私がせつ菜だと両親に知られてしまいます」

 

「いや、そんなこと言ってる場合じゃ……」

 

 学園祭の喧騒が遠いプレハブ小屋に優木さんの荒い呼吸の音が痛々しい。どう見てもまともに動ける状態じゃない。

 だけれど「お願いします、駄目なんです」と、ほとんど泣き出しそうな様子で懇願されてしまっては、僕の方もどうしようもなくて。

 

「……一人で動けそう?」

 

 優木さんは蹲ったまま弱々しく首を振る。

 

「あの、邪な気持ちとか一切ないからね?」

 

 僕は優木さんの脚の方にまわって、ブーツの靴ひもを解いて脱がせる。次いで靴下も脱がすと、濡れた生白い素足が露わになる。

 くるぶしとアキレス腱の滑らかなライン。土踏まずのアーチ。つるりとした踵。形の良い整った指。丁寧に切りそろえられた爪。

 綺麗な人ってこんなところまで綺麗なんだな。

 早速邪なことを考えかけて、視線を逸らすと今度はスカートの意外に肉付きの良い白い腿やふくらはぎが目に入ってしまって、僕はぶんぶん首を振って口の中の肉を思い切り噛んで邪念を追い払う。マットの縫い目のほつれた所を一点に見つめながら、濡れた裸足をタオルで拭いた。

 

「すみません……お見苦しいものを」

 

 酷く恥ずかし気な様子の優木さんに僕は「いや全然、酔っ払ったケイコさんで慣れてるから」などと出来る限りの平静を装って言って、傍らに転がっていた替えの靴下とローファーを履かせる。

 出しっぱなしの衣装を畳んで、優木さんのスクールバッグに詰める。泥に濡れたブーツは大したものの入っていない僕のバッグに。

 ギターケースとそれらを背負い、優木さんに肩を貸してどうにか立たせて、人気の少ない裏門からこっそり僕らはその場を後にした。

 

*****

 

 裏門を出てすぐに通りかかったタクシーを捕まえた。悠長にバスなんて待っていられない。

 途中に見えたドラッグストアに寄ってもらって、風邪薬と栄養ドリンクを買い込んで、この期に及んで遠慮しようとする優木さんに押し付ける。

 昼を過ぎた中途半端な時間ということもあってか、観光地特有の駅前の混雑とは裏腹に、上りの電車はふたりで並んで座れるくらいには空いていた。

 シートの端に優木さんを押し込み、その隣に腰をかけてようやく人心地ついて思い出す。

 ……そういえば、リカさんに優木さんのこと連れて来いって言われてたっけ。

 電車内だから電話をかけるわけにもいかなくて。優木さんの体調がもう本当にどうしようもなく、もはや死んでしまうのではないのかと思うくらい悪くって、リカさんには大変申し訳なく思うけれど付き添って帰宅する次第です。というメッセージを送信して、電車の乗り換えを調べていると「すみません、何から何まで」隣から、か細い声の謝罪が聞こえてきた。

 

「いいよ気にしないで。それより体調悪いんだから寝てなよ」

 

「話している方が気が紛れますから……。御崎さんが良ければ話し相手になってくれませんか?」

 

「別にいいけど……」

 

 以前から訊いてみたいと思っていたことはあったし。

 

「優木さん……今は中川さんか。中川さんはどうして正体を隠してスクールアイドルをやってるの?」

 

「両親がそういうことに厳しくて、やりたいと言ってもきっと許してくれませんから」

 

「え、じゃあ親にもスクールアイドルのこと隠してるの?」

 

 頷く中川さんに「そこまでしてやりたいもの? スクールアイドルって」そう問うと「もちろんですっ」少し大きい声の返事が返ってきて、周囲の視線がこちらを向いたのに気が付いたのか中川さんは声を潜めて「初めて見たときから憧れだったんです」と照れくさそうに笑った。

 

「キラキラ輝いていて綺麗で、見ていると胸の奥が熱くなって、まるで大好きなアニメや小説の主人公みたいで……辛いときや苦しいときに沢山の元気と勇気を貰ったんです」

 

 そこにある熱の存在を確かめるかのように、優木さんはそっと自身の胸元に手を置く。

 

「学業を頑張ることも好きです。両親に期待されることは嬉しいですし、それに応えるために努力することも楽しいですから。……それでもやっぱり、一度くらいは自分の好きなことを本気でやってみたくて。憧れたスクールアイドルたちのように、ステージで思い切り大好きを叫びたくて……」

 

「生徒会長になって、同好会を作ったと」

 

「ど、同好会のためだけじゃないですよ? 学園の皆のために頑張ることだって大好きですからっ」

 

 それは知っている。初めて訪れた虹ヶ咲学園で迷ってトイレも見つけられず、途方に暮れていた僕を助けてくれたのは他でもない中川さんだった。

 

「……あの時はありがとう」

 

「え?」

 

「初めて逢ったとき、迷子になってたの助けてくれたでしょ? ちゃんとお礼を言ってなかったなと思ったから」

 

 学園祭の準備だったりで忙しかっただろうに。

 周囲の目があるから、僕は目立たないくらいに少しだけ頭を下げて「それと改めてだけど、騙して本当にごめん」

 

「……謝るべきなのは私の方です」

 

「中川さんが? どうして?」

 

「あの日、御崎さんの正体がわかった後で、岡峰さんと御崎先生……御崎さんのお姉さんにどうしてこんな無茶をしたのか理由を訊きました」中川さんは電車の床面を見つめたまま言う。

 

「それで話を聞いてみると主犯格はあのお二人で、御崎さんはむしろ巻き込まれた被害者じゃないですか? それなのに私は御崎さんを責める態度を取ってしまって、わかったあともなかなか謝ることができなくて……」

 

「いやまぁ、あの二人っていうかケイコさんが一番の元凶なのは確かだけど、僕だって報酬につられた共犯なんだから、中川さんが謝ることはないよ」

 

「いえ、本当なら御崎さんが被害者だと分かったときに、それこそ私の正体が明らかになってでも御崎さんのバンドへの参加を辞めさせるべきでした。それが生徒会長としての責務ですから。……なのに、そうしなかった、出来なかったのは私の私利私欲なんです」

 

「私利私欲?」

 

 中川さんは頷いて「楽しかったんです」ポツリと呟いた。

 

「あの日、御崎さんやバンドの皆さんとステージに立ったのが、あまりにも楽しくて。本当に楽しくて。もっともっと一緒に演りたいと、そう思ってしまったんです」

 

 生徒会長失格ですね。自嘲するように言う中川さんに、僕は何か声を掛けなければと思ったのだけど、間が悪く電車が乗り換えの駅に停車してしまった。

 よろける中川さんに手を貸して次の電車に乗り込み、空席に二人並んで腰を下す。そこで中川さんは「あれ?」と声を漏らして「御崎さんの乗り換え、この電車じゃないですよね?」

 ……僕は少し迷って、スマートフォンを取り出して文字を打ち込む。周囲に人が多くいて、声を出すのが憚られたからであって、決して気恥ずかしさを隠すためではない。

 

『お台場にちょっと用事があって』

 

 そんな苦しい言い訳を打ち込んだ画面を見せると、中川さんは眼鏡の奥の瞳を丸くして、それから「御崎さんは優しい人ですね」と緩く笑って言った。

 

 

****

 

 

 電車に乗る前に飲んだ風邪薬が効いてきたのだろうか。次第に会話は途切れ途切れになって、気がつけば中川さんは寝息を立て始めた。

 ……しまった。そういえば最寄り駅を聞いていなかった。

 だけれど、せっかく眠った所を起こすのもなんだか可愛そうな気がして、とりあえずは学園前で降りれば大丈夫かな。

 僕の方もトラブル続きで疲れていたからひと眠りしたい所だったのだけど、途中から肩を枕代わりにされてしまって、枕は動いてはならない、僕は流れていく車窓の外の景色を無心に眺めた。

 

 駅に到着してからが大変だった。

 学園前が間近に迫って肩を揺すったものの中川さんは、なかなか目覚めてくれなくて。なんとか下車して駅のホームまで引っ張ってきたものの、ぐったり僕にもたれかかったまま、うつらうつらと目が殆ど開いていない。

 

「中川さん、中川さん。大丈夫?」

 

「あぁ……ふぁい」

 

「いま学園前なんだけど、最寄りってここで合ってる?」

 

「だい、じょうぶです……世界は私が救いますから……」

 

「ごめん何の話?」

 

 その場に留まっていてもどうしようもないから、とりあえず改札を出ると「菜々っ?」驚く声とともに、黒いコートの女性がこちらに駆け寄ってきた。

 随分若く見えるから迷ったけれど「中川さんのお母さんですか?」僕は訊ねる。

 女性は頷いて「出先で体調を崩したって連絡があったから迎えにきたのだけど」ぐったりする中川さんの額に手を当てて「酷い熱……」顔をしかめる。

 

「一応、風邪薬は飲ませたんですけど、一人で動けないくらい弱っていたので、病院に連れて行った方がいいかもです」

 

「ありがとう。貴方は菜々の友達?」

 

「ええっと友達というか……色々あって通信課程に通ってるんですけど、生徒会活動に興味あって。それで今日は中川さんの厚意で活動を見学させてもらいまして」

 

「通信過程? 音楽科じゃないの?」

 

「え」

 

「だって、背中のそれ楽器でしょう?」ギターケースを指差されて「これは、そう、今日の生徒会の活動って他校との交流会だったんですけど僕、趣味で弾き語りやってるんでちょっと披露してみたらどうかしらなんて、そんな感じで、ええ」

 

 しどろもどろな僕に、中川さんのお母さんの表情は段々と曇ってきて「それよりも、貴方の方こそ体調は大丈夫なの?」

 

「はい? 体調?」

 

全く心当たりのない心配に僕は首を傾げたのだけど「だってその声。酷く枯れているみたいだから。普段からそんなに低い声ではないのでしょう?」と言われて、さあっと血の気が引く。

 なんで僕、普通にべらべら喋ってるの!?

 今日は普段女装しているときと比べて話す機会が多くて、油断していたのかもしれない。とにかく、これ以上ボロが出る前にここを立ち去らなければ。

 

「少し張り切って歌いすぎちゃったのかもしれません! のど飴買って帰らないと!」

 

 などと適当なことを口走りながら「それじゃあお大事に!」相変わらず世界がどうのこうのむにゃむにゃ言っている中川さんを、お母さんに任せて、僕は回れ右して改札にダッシュする。

 

「ちょっと! 具合が悪いのなら送って行くわよ!」

 

「大丈夫ですっ。中川さんまた学校でね!」

 

 背中にいくつか呼び止める声が追いかけて来たけれど、僕は聞こえないふりをしてホームにやってきた車両に身体を滑り込ませた。

 電車が走りだすと、僕はたまらずドアのすぐ横でへたりこんでしまう。

 あぁ、どうしよう絶対バレてるよね。ていうかなんだよ『また学校で』って。通信課程だって自己紹介したじゃん。

 後悔で身体がずっしりと重たくて、だけどそれは精神的な理由だけでないことに気が付く。肩に食い込んだギターケースのストラップと、スクールバッグがふたつ。ふたつ?

 

……うわぁ、中川さんのスクールバッグ持ってきちゃった。

 

 駅に戻って返しに行く。無理無理無理。また顔を合わせる勇気なんてない。確か中川さん、財布とスマホは自分で持ってたし大丈夫だよね。うん、きっと大丈夫なはず。

 そう自分に言い聞かせて、なんとか立ち上がって車内の電光掲示に目をやると、電車は僕の最寄りとは反対方向に向かって元気に走っているようだった。

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