「……どうしたものかなぁ」
リビングのテーブルの上に載った中川さんのスクールバッグを前に僕は嘆息する。
うっかり持って帰ってきてしまった中川さんのスクールバッグの中には、彼女が今日のライブの際に着ていた衣装が入っていて、確か泥とか跳ねて汚れていたし、何もしないでそのまま後日突っ返すというのはいかがなものだろうか。
けれども他人の、しかも女子の鞄を勝手に暴くというのは、倫理的にだいぶマズイ。
洗濯した方がいいでしょうか? と電話でお伺いを立てようかとも思ったけれど、あのぐったりとした姿を思い出すと、連絡をすることは憚られた。
僕の鞄に放り込んであったブーツの方は、合皮製だったから泥を落としてから、軽く水拭きして乾燥させている。
問題は目の前のブツだけだ。
僕はしばらくの間悩んで、ごめんなさい。邪な気持ちは本当にこれっぽっちもないんです。内心で言い訳をしてえいや、スクールバッグのジップを一思いに開いた。
目に飛び込んできたのはベストの赤色。次いでシャツの白。
雨なのか、はたまた汗なのかわからないけれど、それらはしっとり湿っていて、ひとつ取り出すたびに酷い罪悪感に苛まれて、良心がガリガリと削られていく。
「なんていうか、思っていたよりも複雑な構造だな」
テーブルの上に並べ終えた衣装を眺めて思う。
深い赤色のベストや、特徴的なアシンメトリーなデザインのスカートはもちろん、シャツ一つをとっても、袖口と裾にあしらわれたフリルは素人目にも凝った造形だ。ブーツでほとんど隠れてしまう靴下にまで装飾があって強いこだわりが感じられる。
手袋や髪飾りといった小物の点数も多くて、ていうかこれ、どうやって洗濯すんの?
ケイコさんと一緒に暮らすようになって、ステージ衣装の洗濯をやらされることはしばしばあるけれど、あちらはダメージジーンズとか、缶バッジや安全ピンで改造されたガーゼシャツとか、パンクテイストなものが多くて、まるで参考にならない。
「クリーニング屋に持ち込んだ方がいいのかな……」
スカートとベストには、それなりに目立つ泥汚れがあって、果たして素人が手を出してどうにかなるものなのか。そもそもこんな凝ったものをその辺のクリーニング屋が請けてくれるものなのか。
衣装を前にうんうん唸っていると「あれ、なんだこれ?」バッグの奥の方に何かが残っているのが見えた。装飾の類だろうか。
何の気なしにバッグから引き摺り出してそれを改める。
瞬間、僕の思考はフリーズした。
他の衣類と変わらず水気を孕んだそれは明るい赤色で、派手だけれど嫌味じゃないレースの生地。なんだか長くて、大きなまあるい形状のものがふたつあって、ホックになにかが引っ掛かっていて……。
あっこれブラジャーだ。
リビングの扉が開く音がした。
辛うじて引っ掛かっていた、ブラジャーと同じ意匠のショーツが、ぽとりと情けない音を立ててフローリングの床に落ちた。
帰ってきたらしいケイコさんと視線がバッタリ合って、永遠とも思える数秒の後、ケイコさんはいつもは乱暴に閉じるドアを、音も立てずにそっと閉じた。
僕は慌ててその後を追って「待って待って待って! 違うんだって!」そそくさと外に出ていこうとするケイコさんを引き留める。
「大丈夫、全部わかってるから。姉さんそういうのに理解があるほうだから」
「どう理解してるのか知らないけどそれ誤解!」
「お楽しみ中にごめん。外で時間潰してくるから1時間くらいでいい? 30分……いや10分もあれば十分か」
「そんなに早くないわっ」
間違えて鞄を持ち帰って来てしまったことなど、事情を必死になって説明するとケイコさんは「あっそ」つまらなさそうに鼻を鳴らして「で、それどうするの?」無意識に握りしめていたブラを指して言う。
「ケイコさん、代わりに洗濯してくれない?」
僕はこれ以上ブラを視界に入れたくなくて明後日の方向を向きながら、ケイコさんにそれを押し付けようとする。
「お願い、ほんとに。なんでもするから」
「嫌だよ面倒臭い。ていうか、普段あたしの洗ってるんだから気にならないでしょ」
「身内のとは事情が違うって……」
「なるほど……あたしのは大丈夫でも、優木せつ菜のブラだと欲情してしまうと。そいつはとんでもない変態野郎だ」
「誰がとんでもない変態野郎だ!」
「あんただよ。……認めなって楽になるよ? 自分は優木せつ菜のブラで欲情する変態早漏やろうだってさ」
「より酷くなってる!」
「認めたら代わりに洗ってやろう」
誰が認めるか。言いかけて僕はぐっと言葉を飲み込む。癪だけど今頼れるのはケイコさんだけだから。ちょっと恥をかくだけで済むのなら……。
「……僕は優木せつ菜のブラで欲情する変態早漏野郎です」
「えーなに? 聞こえなーい」
「僕は優木せつ菜のブラで欲情する変態早漏野郎です!」
「うっわ何言ってんのこいつドン引きだわ」
「あんたが言わせたんだろうが!」
さすがに頭に来て叫ぶと、ケイコさんはゲラゲラ笑いながら僕の手からブラを引ったくって、床に落ちたままのショーツを拾い上げ「……もしかして優木せつ菜って結構巨乳? 岬見てみなってめちゃくちゃデカイ」などと言いながら赤い布切れを目の前に広げてくるから僕は顔を覆ってその場に蹲って「もう本当に勘弁してください……」
「なんだよ、小娘のブラの一つでぴーぴー騒いで。童貞じゃあるまい」
「童貞だよ!」
「早漏変態童貞野郎?」
「うっさい!」僕がその辺にあったクッションを投げつけようとすると、ケイコさんは「童貞が怒ったー」と笑って洗濯機のある脱衣所の方に逃げていった。
このやりとりですっかり疲れ切った僕は結局、衣装を自分で洗濯することは諦めて、近所のクリーニング屋に持って行くことにした。
普通に男の格好でスクールアイドルの衣装を持ち込んだ僕のことを、クリーニング屋のおばちゃんが、とんでもない変態野郎を見るような目で見てきたのは仕方のないことだと思う。
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