父が案内してくれたレコーディングブースには、いささか多すぎる気がする、十数本程のアコースティックギターがスタンドに立てかけられた状態でずらりと並んでいた。
普段は手狭なレコーディングブースは、床面積の多くを占めて鎮座するドラムセットが解体されて、マイクやアンプ類とともに部屋の隅に追いやられていることもあって、普段よりも広く感じられる。
「岬が僕に頼み事をするなんて珍しいから、張り切って色々引っ張り出してきたよ」と笑う父に、中川さんが「全部御崎さんのお父様のギターなんですか?」と驚く。
「楽器が好きでね。昔からコツコツと集めてたんだ。弾く方はからっきしなんだけど」
照れ臭そうに笑いながらも、家族が関心を示さないコレクションに興味を持って貰えたことが嬉しいのか、ほらこれなんて僕が会社勤めの頃、初めてのボーナスを全部つぎ込んで手に入れた、と長い話が始まりかけたところで、父のポケットに入ったスマートフォンから着信音が鳴った。電話の相手を確認した父は肩を落として、ごめんしばらく席を外すよ。
「仕事?」
「いやスガさんだ。マーシャルのヘッドの調子が良くないって言っていたから、きっとそのことだと思う」
スガさん、というのは件のライブハウスのオーナーのことだ。父とは旧知の仲であると同時に同じヴィンテージ機材の愛好家同士でもあって、メーカーではもう受け付けていないようなクセのある機材の修理の依頼がしばしば舞い込んでくる。
「すぐ戻らないようなら、鍵をかけないで出ていって大丈夫だから」
何もない所だけれどゆっくりしていってね。と中川さんに声をかけて、父は慌ただしくスタジオを出ていった。相変わらず忙しい人だ。
……それにしても。
僕は用意してもらったギターを振り返る。ギブソン・マーチン・テイラー・ヤマハ・ギルドとまさに選り取り見取り。急な頼みだったというのに、こんなに用意してもらって全く頭が上がらない。
父の楽器蒐集は趣味であると同時に仕事の側面も持っていたりする。ただ集めて楽しんでいるわけではなく、たびたび知人のミュージシャンにレンタルしているのだ。
ヴィンテージのギターは個人で何本も所有するには値が張りすぎる。しかしその音色には無二の価値があって、主にレコーディングなどで重宝されるのだとか。
定期的にプロの演奏家に貸し出すということもあってか、どのギターもしっかりと調整が施されており、すぐに演奏ができる万全のコンディションだ。
……ライブで使える実用的なやつ、とお願いしたのは確かなのだけれど、商品にあたるものが出てくるとは予想外だった。
ヴィンテージの風格が漂うギブソンJ-45とかマーチンD-45とか一体いくらするのか。
つい最近ギターを壊したばかりの僕には考えるのも恐ろしい。
多少なりとも気軽に弾けるものがないかと、並んだギターを見比べて居ると「本当にたくさんありますね! ゲームの武器屋さんみたいでかっこいいです!」と唐突に快活な声が聞こえてきて、驚いて見ると傍にいつの間にか優木さんになった中川さんがいた。
優木さんになったといっても、ただ三つ編みを解いて髪型が変わっただけなのだけど。
艶やかな黒髪が流れるのを見て「優木さんて、髪が凄く綺麗だよね」そんな言葉が口をついて出た。
へっ? と優木さんが素っ頓狂な声をあげる。
それは以前から度々思っていたことだった。自分自身ウィッグを扱うようになってからその手入れも自身でやっているけれど、これがとても面倒で、ブラッシングはもちろん、シャンプーやらトリートメントやら。ちょっとぞんざいに扱っただけで変な癖がついたりしてもう大変。
その点、優木さんの髪の毛は本当に見事なものだ。だってさっきまで三つ編みだったのを解いて、櫛を通した気配もないのに、全く癖のひとつもついていない。
つい、まじまじと見てしまったのだけど優木さんが「あはは……面と向かって褒めてもらえると、なんだか照れてしまいますね」と頬を掻いて、しまった、なんの脈絡もなく僕みたいのに外見をどうこう言われたらそりゃあ困るだろう。
「なんか、ごめん」
僕は適当なギターを1本手にとって、チューニングは父が済ませてくれていたようだから、気まずさを誤魔化すみたいに音を鳴らす。
「えっと、やっぱり、ギターによって音が違うものなのですか?」
優木さんがそれ以上、髪の話を続けなかったことに安堵して「うん。使ってる木材とか、ボディの形状とか、ちょっと聴いてわかるくらいには違うと思うよ」
僕はスタジオの隅に積まれた丸椅子を二脚持ってきて、一つを優木さんに勧めた。
比較しやすいように対面に腰掛けて、ギターを数本持ち替えつつ手グセで弾いてみせたのだけど「この曲って……」優木さんは音色の違いよりもフレーズの方に反応を示した。
「この間のライブで弾いていた曲ですよね。思い返すとライブだけじゃなくリハーサルのときにも」
「あぁ、うん。よく覚えてたね。……きっと初めて覚えた曲だから、無意識に弾いちゃうんだと思う」
「有名な曲なんですか?」
「有名……っていったら、有名なのかな。古い洋楽好きの人じゃないと知らないと思うけれど」
ジミヘンて知ってる? と訊ねると優木さんは少し思案して「ええっと確かギターをこう壊したり……」と、ギターを振りかぶる仕草をして見せた。
「そう、それそれ」
ジミヘン。ジミ・ヘンドリックス。ギターの神様。
ビートルズやローリングストーンズなど、多くの伝説的なバンドが活躍したロックンロールの最盛期に流星のように現れて、そして本当に流れ星みたいにあっというまに燃え尽きてしまった。エレクトリックギターの可能性を大きく押し広げたギタリスト。
「ステージでギターを燃やしたり、頭の後ろや歯で弾いたり、滅茶苦茶やる人だから意外かもしれないけど、この曲は『Little Wing』っていってジミヘンが作った曲なんだ」
言いながら僕は曲を爪弾く。
『Little Wing』はジミヘンの2枚目のアルバムに収録されたバラードで、今日まで数多くのギタリストにカバーされてきた名曲だ。
薄氷を割るようなストラトキャスターの繊細な鈴鳴りと叙情的な歌詞は、それこそ先ほど優木さんが言ったような、破天荒な印象からはかけ離れている。
けれども、ソロのギターの咆哮は間違いなくロックンロールそのもので、きっと父さんも多くのギタリストたち同様、そういう不思議な曲調を気に入って、そして幼少の僕に教え込んだのかもしれない。今となってはもう分からないことだけれど。
「それじゃあ御崎さんは、そのジミヘンさんのことが大好きなんですね!」
「え?」僕は思わずギターを弾く手を止めて優木さんの顔を見返す。
「だって、その曲を弾いているときの御崎さんは、とても楽しそうですから」
だからきっと大好きなんだろうなと思ったんです。そう言って笑う優木さんは普段の照明みたいなピカピカした笑顔とは違った、温かな、柔和な笑みで、僕はなぜだかそれを直視できなくて「好きってわけじゃなくて、もちろん嫌いなわけでもないけど、多分父さんが弾き方を教えてくれた曲だから」しどろもどろに言う。
「ということは、お父様もジミヘンさんがお好きなんですか。親子で同じ音楽が大好きって、とっても素敵なことです!……ちょっと羨ましいくらい」
あれ、でも。と優木さんは、ふとなにかを思い出したように頭の上に疑問符を浮かべて「御崎さんのお父様、弾く方はからっきしだと仰っていませんでしたか?」
しまった余計なことを言った! 首を傾げる優木さんに、僕は膝の上のギターを取り落としそうになるのを寸での所で堪える。
「それは、ほら。父さん、昔はレコード会社で働いてて、色んなミュージシャンと仕事をしてきたらしいし、今もレコーディングの仕事なんてやってるから、人並み以上に耳が肥えていて。だから謙遜してるんだよきっと」
そうまくし立てるように言って「それよりも、前から気になってたんだけど優木さんって自分で作曲はしないの?」無理やりに話題を変える。
「作曲ですか?」
「ラブライブってオリジナル曲じゃないとダメなんでしょ? 優木さんの持ち曲って、学園祭の時に音楽科が用意した曲以外は全部カバーだから」
「あはは……さすが、よくご存じですね」優木さんは苦笑する。
自発的に調べたわけじゃない、リカさんやケイコさんから得た知識だから胸を張れることではないけれど、ラブライブのレギュレーションに関しては多少なりと知り得ていた。
非公式な活動ではカバーだろうがコピーだろうが、権利関係さえクリアしていれば、どんな曲をやっても問題はない。
しかし公式戦となると話は別で、オリジナル曲を用意しないことには、予選に参加する権利すら得られないのだとか。
年々増加の一途を辿る参加希望校をふるいにかけるためとはいえ、なかなかに難しいことだ。
「一応、挑戦はしてみたんです。でも思い浮かんだメロディを形にする術が無くって」
それはそうだろう。極論、作曲はだれにだって出来る。ちょっとした鼻歌だって言ってしまえば立派な作曲だ。
問題はそれを曲に落とし込む編曲の方。ある程度の音楽理論を修めていることはもちろん、曲を作るために必要なPCや楽曲制作ソフトは学生には高価な代物だし、作業環境を整えたところで、それらを使いこなすことは難しい。
「それに……虹ヶ咲には音楽科がありますし」
「……優木さん、もしかしてそれ目当てで虹ヶ咲に進学した?」
「ま、まさか。そんなこと、あ、あるわけないじゃないですかっ」
吹けない口笛を吹きながら否定する優木さんだけど、思い切り目が泳いでいて、なんというか、ごまかすのが尋常じゃなく下手。
その様子が可笑しくて、つい笑ってしまって、優木さんは「……御崎さん意地悪です」頬を膨らませる。
「ごめん。でもそっか、メロディまではできたんだ」
「メロディといっても、ちょっと口ずさむくらいのものですけど」
「良かったら、歌ってみてよ」
「えっ、いえ、本当にそんな大した物ではありませんから」
「大丈夫、笑ったりしないし」
「……さっき、笑ったじゃないですか」
「それとこれとは別でしょ」
しばらく僕を恨めしそうに見ていた優木さんだったけれど、やがて諦めたのか「……わかりました」小さく息を吐いて、佇まいを正して、スッと息を吸い込んだ。
溜息のような歌声。歌詞はまだ考えていなかったのかメロディだけ。素朴で拙いけれど確かな熱を孕んだ、そんなメロディ。
思わず聞き惚れてしまいそうになるのを堪えて、僕は探るように指板に指を這わせる。そうして手繰り寄せたキーに即席でコードを割り当てて、歌声に寄り添うように、アルペジオを爪弾いた。
打ち合わせなしに音を合わせたことに驚いたのか、優木さんの歌は少しの間止まって「魔法みたい」と呟いた。
かと思えば急にニヤリと挑戦的な笑みを浮かべ、先ほどまでよりも一段回、強い熱量を持った歌声でメロディを歌い上げるから、僕は振り落とされないように慌ててピックを取り出してコードストロークに切り替える。
やられてばかりでは癪だからと、いくつか手癖でアドリブを放り込むと、優木さんの方も負けじと鋭いフェイクでやり返してくる。
そんなやり合いの最中で、優木さんがふっと可笑しそうに笑った。僕の方もつられて笑ってしまう。
魔法みたい。
優木さんはそう言ったけれど、僕からすれば優木さんの歌こそが魔法のようだった。
彼女の歌声はいつだって、僕の知らない僕のギターを引き出してくれる。