アコースティックライブは成功だった。
日本人っていうのはバラードとアンプラグドが大好きな人種だ、と断言するのはケイコさん。
やや極端な物言いだとは思うけれど確かに、90年代にクラプトンが巻き起こしたアンプラグドブームよりもずっと以前から、フォークソングに親しんできた日本人には、アコースティックは好まれやすいみたい。
ライブに対して批判的な声もあった。
なにせ完全に見切り発車だったのだ。優木さん自身が病み上がりだったこともあって練習時間をろくに取れなかったダンスは断腸の思いで振付を簡略化せざるをえなかった。
それならばいっそと、マイクの前から一歩も動かずに歌う思い切った演出など、極端に歌唱に特化したステージは果たしてスクールアイドルのライブと呼べるのか、などと。
けれども、そういった声は湖に投げ入れた小石の波紋くらいの、本当にささやかなもので、その証拠に学園が管理するSNSにアップロードされた今回のライブ動画への反響は、最初の学園祭のライブのときに勝るとも劣らないくらいだった。
日本人っていうのは、人と違ったことをする奴に対して脊髄反射で否定的になる人種だ、と断言するのもケイコさん。それは極端すぎると思う。
ともかく、これでおよそ二か月間に渡って続いた優木さんのライブ行脚も無事に終わりを迎えたのだった。
そしてライブの終わりには打ち上げがつきものだ。特にバンドには。
すっかりバンドメンバー達のお気に入りとなった優木さんは、打ち上げと称した可愛がりに連れ出されたらしい。
らしい、というのは僕は参加を遠慮したからで。
いくら馴染んだといっても、避けられない用事以外で女装で出歩く度胸はない。
とはいえ、短期間で多くのステージを共にした、いわば戦友のような人たちの誘いであったから、少しだけ残念に思っていたのだけど、打ち上げの日に撮られたという動画を中川さんに見せてもらって、その判断は間違っていなかったと確信する。
「大丈夫だったのこれ?」
「……あはは、なんとか」奇抜な色のドリンクをストローでかき混ぜながら中川さんは乾いた笑顔。
その動画というのは、学校指定のジャージに身を包んだ優木さんたちが、お台場の砂浜で追いかけっこをしているもので、追いかけっこといっても追われているのは優木さんだけ。
普段から鍛えているのだろう、俊敏な動きで運動不足なバンドマンたちをかわし続けていた優木さんだけど、多勢に無勢では流石に分が悪く、やがて掴まってしまった。
メンバー全員に囲まれた優木さんは小さな体躯を軽々と持ち上げられ、なぜか胴上げされて、それだけならまぁ、女子高生の悪ノリとギリギリ理解できたのだけど次の瞬間、優木さんは悲鳴と共に海に投げ込まれてしまい、それに続いて全員が飛び込んで行くのだから、僕はもう唖然とするしかない。真冬になにやってんのこの人たち……。
「全員で凍えながら学園の寮まで走って行って浴場をお借りしたのですが、そこでも、まぁ色々と、えぇ本当に色々とありまして……」
虚ろな目で自身の身体を抱く様子から、きっとメンバーから手酷いセクハラに遭ったんだろうな。うっかりその光景を想像してしまいそうになって、僕はドリンクと一緒に邪念を飲み下す。
「えっと、身体は大丈夫? また風邪とか」ていうかお台場の海って衛生的にどうなの?
「はい、それが自分でも驚くくらいなんともなくて。心なしか身体が頑丈になったような気がします」と乾いた笑い。
おまたせしました、とスタッフが頼んでいた料理を持ってきた。
テーブルに置かれたプレートに盛り付けられた料理に、中川さんの表情が一転して華やぐ。中川さんがスマートフォンで写真をパシャパシャやっている間に、僕の方にも料理が運ばれてきた。
勧められて注文したキャラクターのイメージカラーを模しているらしい真っ青なカレーライスは、実際に現物を目の当たりにするとなかなかに異様で、美味しそうですねそちらの写真も撮っていいですか? とスマートフォンのカメラを向ける中川さんに、なんなら食べちゃってもいいよ、と言いそうになるのをなんとか堪えた。
*****
僕が打ち上げに参加しなかったことが気がかりだったのだろうか、打ち上げの日から数日経ったころに中川さんから連絡があった。
『気になっているカフェがあるのですが、ご一緒にいかがでしょう?』
同年代の女子が行きたがるカフェだなんてきっと、僕みたいのには縁遠いお洒落な場所だろうから少し気遅れしたけれど、折角の厚意を無下にするのはどうかと思ったし、それに中川さんに話さなければならないことがあったので、ありがたく誘いに甘えることにした。
待ち合わせ場所が秋葉原の時点でなにかおかしいぞとは思っていた。
中川さんに連れられて行ったカフェは、SNS映えするカロリー爆弾なパンケーキも、瀟洒な北欧家具もなければ、もちろん気の利いたジャズが流れていることもなかった。
壁一面は額縁に入ったキャラクターのイラストが飾られ、等身大パネルが所狭しと並び、スピーカーからは主題歌と挿入歌と登場キャラクターによるアナウンスが、大型モニターではアニメ本編を編集したらしいものがリピートで流されている。
コラボカフェというものらしい。未知の文化。
もう少しで期間が終わってしまうところだったんです! と興奮気味に話す中川さんだけど、僕の方はややグロッキーで。だってカフェに入るのに整理券なんて渡されると思わなかったし、まさか30分近くも待つとも思わなかった。
それでもひたすらに楽し気な中川さんを見ていると、まぁいいか、と思えてくるのだから不思議なもので。
奇抜な料理と中川さんの止まらないアニメ蘊蓄をひとしきり楽しんだ後は、中川さんに連れられてひたすらに秋葉原を練り歩いた。
僕でも知っているような大手のアニメショップはもちろん、ゲームセンターや少しアングラな雰囲気の個人経営のお店等々。スクールアイドル発祥の地ということもあって、それらのグッズも充実している。
中川さんは自分の庭と言わんばかりに、慣れた様子で街を案内してくれた。
秋葉原には全く馴染みのない僕だけど、あれはなにかと訊ねれば、10倍くらいの情報量で答えてくれる中川さんのお陰で思いがけず楽しめた。
「……ええっと、なんか凄い肌色な漫画だけど、中川さんこういうのも好きなの?」
「それは! 投稿サイトで人気を博した先生の初の単行本で……ではなくっ! そ、そちらは成人コーナーです!早く戻ってきてくださいっ」
……そんな、ささやかなトラブルもあったけれど。
*****
そうしてすっかり遊び呆けていたものだから、随分と時間が経っていたことに気がつかなかった。
見上げると雪でも降りそうな暗い曇り空が広がっていて、それを塗り潰さんばかりに、店々のネオンが煌々と輝いている。
この街はとにかく明るい。そこら中に星でも落っこちてるみたい。
人口の星々が地面や近くの空をむやみやたらと照らしていて、だから夜の訪れに気がつかない。
最後に中川さんが連れられてきた場所は、駅からほど近いところにある学校だった。
学校と言っても、曇った夜空を突き刺す高層ビルの校舎の威容は、虹ヶ咲学園のそれに勝るとも劣らない。
「やっぱり、大きいです……」中川さんは校舎に手を伸ばしながら言う。
UTX学園。芸能に特化した高校で、スクールアイドルブームの火付け役にしてラブライブ初代優勝校。
熾烈を極める東京エリアにおいて、毎年のように優勝候補に挙げられる屈指の全国屈指の強豪校だ。
他を寄せ付けない高校生離れした実力でもって手にした第一回ラブライブ優勝の栄光と、その僅か数か月後に開催された第二回大会において廃校寸前の公立校に喫したジャイアントキリングの汚泥は、今なお伝説のように語り継がれている……と中川さんが教えてくれた。
そういった経緯を知っているからだろうか、夜闇をたっぷり湛えたガラス張りの校舎はやたらと威圧的に見えて少しおっかない。
「来年からはここもライバルになるんだもんね。大変だ」自分が戦うわけでもないのに何故だか怖気づいてしまった風に言う僕だけど「そうですね……」中川さんは伸ばしていた手をぎゅっと拳にして「でも、楽しみですっ」とピカピカの笑顔で言うのだから敵わない。
実際のところ、来年度から始動する虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会がどこまで通用するのかは全く予想ができない。
優木さん個人であれば、並み居る強豪相手にも遅れは取らないだろう。
だけどラブライブ優勝を目指す以上はグループでの活動が必至なわけで、そうなると話しは大きく変わってくる。
果たして優木さんの実力に肩を並べられるメンバーが集まるのだろうか。
僕がそんな心配をしても仕方がないのはわかっている。だけども間近で優木さんのスクールアイドルへの熱量を目の当たりにしてきた身としては、出来ることならその想いが報われてほしいと思った。
「頑張ってね。応援してるから」ほんの短い間だったけれどステージを共にしたボーカリストに向けて僕はエールを送る。
だけど帰ってきたのは「えっ?」と素っ頓狂な声。
こちらを振り返った中川さんは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていて、え、なに、なんか変なこと言った?
困惑する僕をよそに中川さんは「あ、そうか、そうですよね……」となんだか一人で納得していて。
「ええっと、大丈夫? どうかした?」
「はい、すみません。その……先日のライブが御崎さんと一緒に出来る最後のライブだったんだと今になって気がつきまして」
あはは、と中川さんは頬を掻く。
「どうしてでしょう、同好会が発足した後も御崎さんや、バンドの皆さんとライブを続けていくのだと思い込んでいて。すみません、御崎さんには特にご迷惑をおかけしたのに、こんな身勝手なこと……」
「いや、全然。迷惑なんてことはない、けど」
それは、難しいことだと思う。
優木さん以外に僕の素性が知られないように活動をしていく自信は無いし、バンドだってそうだ。リカさんを始めとしたメンバーの全員が3年生なのだから来年には卒業してしまっている。果たしてあのクオリティのバンドをまた組めるのだろうか。
……いや、なんで続ける方向で考えてるんだろう。この間からちょっとおかしいぞ。
女装して他校に、それも女子高に忍び込んでバンド活動なんて無茶苦茶、もうこれっきりでいいだろう。この数ヶ月バレなかったことの方が奇跡だ。
そうやって自分に言い聞かせるのだけど「少し、残念ですね」という中川さんの呟きがボトリと、僕と中川さんの爪先の間に落ちるのを聞いてしまうと、なぜだかどうにかしなければという気持ちがあって、そこでふと思い出したのは父からの『お願い』だった。
……遊ぶのに夢中ですっかり忘れてた。
しかし、思い出したのはいいけれど、どうしたものか。
頭の中で気の利いた言葉を探すけれど、なにも思い浮かばず、だってこんな経験今までにないのだから、胃のなかに氷でも放り込まれたみたいな緊張に襲われる。
そうしてやきもき無言でいると中川さんが「さて、そろそろ帰りましょうか」と言って「今日は楽しかったです。お疲れ様会だったのにたくさん連れ回しちゃいましたね」駅の方に向かおうしてしまう。
だから僕はほとんど反射的に言っていた。
「中川さん、今月の25日って予定ある?」
少しの、だけどえらく長く感じる沈黙。耳の奥がシンと痛くなる。客引きのメイドの、メイドサンタと萌え萌えなひと時を、と言う呼び込みの声や、大型ビジョンのアニメの広告が遠くに聞こえる。いやサンタメイドってなに?
そうして恐々とこちらを振り返った中川さんの赤い顔を見て、僕はあまりにも言葉少なだったと後悔した。
「えぇっと、25日ってその……クリスマス、ですよね」と俯き加減の中川さんが言う。
「ごめんっ、下心とか本当そういうのじゃなくって、お願いしたいことがあって」
「お願い、ですか?」
キョトンと、首を傾げる中川さんに僕は、無駄に身振り手振りを交えて話をする。このクソ寒いのに冷や汗が止まらなかった。