燃え尽きるまで、君の隣で   作:ペンギン13

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12月25日。RED HOUSE。熊

 12月25日。

 新宿駅東南口はうんざりするくらいに混雑していた。

 普段の混沌とした雰囲気とは違った、どこか浮ついた、地に足が付いていないような、今年一番の冷え込みなのに生ぬるい熱を孕んだ空気感は、やはり今日がクリスマスだからなのだろうか。

 モッズコートの襟を掻き寄せて息を吐く。白く染まった息がふうわり浮いて消える。

 夕刻の空は、厚い雲にすっぽりと覆われて、夜と見紛う暗さ。雪でも降ってきそう。背後の甲州街道を行き交う自動車の巻き上げた風が酷く冷たい。

 改札近くには、恐らくというか間違いなく恋仲の人を待つ老若男女が吹き溜まっている。

 僕もまぁ、待ち合わせと言えば待ち合わせではあるのだから、彼ら彼女らといわば同属のはずなのだけど、まるで事情が違うから、他人からすればそんなの分かるはずもないのに、なんだか肩身が狭い。

 カップルが一組、また一組と、手を繋ぎ、腕を絡め、微笑み合ってネオンが点り始めた雑踏に混ざって消えていくのを、僕はガードパイプに縮こまって腰掛け、所在なく見送る。

 てっきり中川さんも、彼ら彼女らのように、改札の向こう側からやってくるものだと思い込んでいた。

 だから、横合いから「お待たせしました!」といつものように元気よく声をかけられた僕は驚いて背負ったままのギターケースごとガードパイプからひっくり返りそうになった。

 

「わわっ、大丈夫ですか?」

 

「だ、大丈夫。もう着いてたんだね」

 

 中川さんの方を見ると、先日の秋葉原の時と変わらない、どこか垢抜けないカジュアルな服装。

 ……なのだけど、この寒いのに赤いダッフルとマフラーは小脇に抱えられていて、寒くないの? 訊こうとして、やたらと血色の良い頬や、そういえば優木さんの方の雰囲気が漏れ出る、ぺかぺかの笑顔に気が付いて。

 

「……中川さん、もしかして今までどこかで練習してた?」

 

「はい昼頃からカラオケで!」

 

「うわぁぁ、なんか本当にゴメン……」

 

 

*****

 

 

 スガさんのライブハウスでは毎年25日、クリスマスの日にライブイベントを催している。

 イベント、と言っても集まるのはスガさんの現役時代の音楽仲間や常連客ばかりで。大体が引退した独り身ミュージシャンや、子供を送り出して時間を持て余した人の集まりだから色気のようなものは皆無。

 父さんがよくライブを演っていたところだから、その縁で僕も子供の頃から毎年のように参加している。

 ほとんどが身内のホームパーティのような催しだけど、ステージに上がるのが一線を退いたとはいえ、元は百戦錬磨のスタジオミュージシャン達なのだから侮れない。

 ジャケットにミュージシャンの名前がクレジットされるのが常識になる以前から、数々のレコードに音を吹き込んできた、名もなき名手揃い。

 コアな音楽通なら、それこそお金を払ってでも観に来たいと思うのではないか。演奏のクオリティはそこらではお目にかかれないくらいに高い。

 しかし悲しいかな、寄る年波には勝てないというか。一段と冷え込むこの季節、喫煙飲酒とただでさえ不摂生な老人どもだから、毎年のように体調を崩す輩がちらほら。

 今年はそれが、スガさんのバンドのボーカルだった。

 父さんからの『お願い』というのは、中川さんに件のバンドのボーカルの代役をお願いすることだった。

 

 

*****

 

 

「だけど、本当に大丈夫なの?」甲州街道を途中で折れて新宿三丁目方向へ。ライブハウスは東新宿の方にあるから少し歩くことになる。その道すがら、僕は中川さんに恐る恐る訊ねる。

 さすがに冷えてきたのだろう、コートを着込んでマフラーも巻き直した中川さんは「もちろん、ご心配なく。歌詞もしっかり覚えてきましたから」と頼もしい返事。

 

「えっ本当に? 全部英詞なのに……」

 

「英語の勉強にもなって、とても有意義でした」

 

「さすが生徒会長……いや、そうじゃなくて」洋楽ばかりやるくせに英語がさっぱりな僕はすっかり感心しきりで、でも訊きたかったのは「今日、付き合ってもらっちゃって大丈夫だったの?」

 

 先日の秋葉原での打ち上げの別れ際、しどろもどろになりながら話した、父さん伝手の代役のお願い。

 断られるだろうと内心では思っていた。だってクリスマスだよ? けれど返ってきたのは二つ返事の「是非、参加させて下さい!」

 あの日は中川さんが門限ギリギリだったこともあって、演奏する曲であったり、段取りの詳細はメッセージアプリでやりとりをしたから、なんとなく訊ねるタイミングを逃してしまっていた。

 

「えぇもちろん。御崎さんのお父様にはギターを貸していただいた恩がありますから。私に出来ることがあるのなら是非、お力になりたいです」

 

「それはありがたいんだけど……でも、今日ってアレじゃない?」

 

「アレ、とは?」

 

「ほら、クリスマス」

 

「はい。そうですね?」頷く中川さんだけど「それがどうかしましたか?」いまいち要領を得ない様子で首を傾げる。

 

「だから、ほら。なんていうか……」僕は言い澱んで「折角の日に、その、もしいるならだけど、彼氏さんとか、こんなことしてて怒ったりしないのかなって」

 

「はぁ、かれしさん、ですか」

 

 赤信号。立ち止まった中川さんは形の良い眉を寄せて「かれしさん?」そんな言葉生まれて初めて聞きました、みたいな反応。

 かれしさん。かれしさん。

 信号が青に変わって、郭公の電子音が聞こえて、人並みが動き始める。

 

「そ、そんな人はいませんッ!」目の前で巨大な風船が破裂したような大声だった。

 

 周囲の人がギョッとしてこちらを振り向いたけれど、さすがは東京は新宿シティ。一瞥して興味を失った様子で、何事もなかったかのように人々は流れていく。

 

「クリスマスは毎年ラブライブの予選をリアタイで応援して、その後は家族と過ごしています! か、彼氏なんていたこともありません!」

 

 あまりの剣幕に僕はちょっと引き気味に「そ、そうなんだ。ごめん、てっきり」

 

「むしろ、どうしていると思ったんですか!?」

 

「いや、だって、中川さん綺麗だし、普通にいるんじゃないかなって」

 

「き、綺麗って……」モニョモニョ言って黙り込んでしまう。人の流れを交差点の真ん前で人の流れをせき止めているものだから、すれ違いざまにあからさまに舌打ちをしていく、おっかないのがいれば、痴話喧嘩? 中学生かな? など茶化す声も聞こえて、非常に居た堪れない。歩行者信号が点滅を始めて、僕らは慌てて横断歩道を渡る。

 

「……ええっと、なんかごめん。気を悪くするようなことを言ったなら謝るよ」先を歩く中川さんの背中に言うと「いえ、そんなことは……」中川さんは立ち止まって「けれど可笑しいですよ。せつ菜ならともかく、菜々の姿の私が、その、き、綺麗なんてことは……」

 

「いや、同一人物なんだから、中川さんだって綺麗な人だと思うけれど……」そこまで言って冷静になる。なんで僕こんな口説き文句みたいな台詞を口にしてるの?

 振り返った中川さんの半分がマフラーに埋まった赤面した顔を見て、対照的に青くなった僕は「ごめん、もう言いません」再度謝罪して中川さんの先を歩く。クリスマスの雰囲気に当てられたのだろうか。

 先日もこんなことがあったような気がする。最近どうかしている。

 

 

*****

 

 

 花園神社を通り過ぎて、周囲の景色がオフィス街の灰色めいたものに変わった辺りで、僕らはようやく足を止めた。

 真新しいビルとビルの間に窮屈そうに挟まれた、干からびた野菜みたいな、哀愁漂う三階建の雑居ビル。その地下にスガさんのライブハウスがある。

 一階フロアの壁面にネオン看板が直接設えられていて、店名である『RED HOUSE』の赤い文字が怪しく浮かび上がっている。

 店名はジミヘンの曲からの引用で、ジャズドラマーのクセに重度のハードロック好きなスガさんの趣味だ。

 地下へと続く細い階段は壁面が毒々しい赤色に塗られていて、経年で剥がれ落ちた箇所を隠すように、色褪せたポスターやフライヤーが、そこかしこに貼られたままになっている。

 幼少の頃から出入りしている僕にとっては見慣れた光景だけれど、よくよく考えれば大変近寄り難い雰囲気をこれでもかと漂わせていて、さすがの中川さんも少し引きつった表情。

 

「父さんのスタジオと同じで、見た目は凄く怪しいところだけど、中身は……うん」

 

「中身は!? 中身はどうなってるんですか!?」

 

 取って喰われたりはしないって。僕は軽く笑って、中川さんを連れ立って細い急な階段を降りる。

 重い防音扉を引くと、煙草と地下特有の黴臭さを多分に孕んだ空気が顔にぶつかった。

 キャパ100人程度のフロアには、普段は無い簡素な丸テーブルと椅子とが雑然と置かれていて、馴染みのおっさん連中が早速酒盛りを始めていた。

 普段はあまり顔を出さないご婦人たちも、隅の方のテーブルを陣取って談笑に花を咲かせている。

 ステージ上ではまだ開演前なのだけど、ボロいアコースティックギターを抱えた白髪の老人が、生音でロバートジョンソンを弾き語っていて、これがまた抜群に上手く、丁度良いBGM代わりになっている。

 入ってすぐにあるバーカウンターに熊のような、というか熊そのものな巨体を見つけて「スガさん、来たよ」声をかける。

 振り返った禿頭が「おう、遅ェぞ岬」とこちらを睨め付ける。

 別に怒っているわけではない、これが彼の通常営業だ。

 だけど初対面の中川さんには、このライブハウスの雰囲気ともども、とてもカタギには見えないスガさんの風貌は、流石に刺激が強かったみたいで、僕の背中越しに「は、はじめまして」普段の元気は何処へやら、なんとかスガさんに挨拶。

 中川さんの姿を認めたスガさんは「あ? なんだその嬢ちゃんは」とドスの効いた声で言って、背後の中川さんがますます恐縮するから、人を食べない熊だから大丈夫だよ、そんな冗談でも言おうと思った時、椅子がバタバタと倒れる音、それからロバートジョンソンが聞こえなくなっていることに気が付いて、見ると赤ら顔のおっさんどもが立ち上がって、こちらを凝視していているのだから驚く。どうしたついにボケたか。

 少しの謎の沈黙のあとで、おっさんどもが同時に口を開いた。

 

 岬が女を連れてきたっっっ!

 

「あらまぁ綺麗な娘さんだこと。どこから来たの?」と婦人のひとりがするすると近づいてきて、中川さんの手を取って椅子に座らせると「オ、オレンジジュース飲むか?」おっさんが瓶入りのジュースをどこからか持って来てきて差し出して。

 

「バカヤロウ、今時の娘はそんなダセェもん飲まねぇよ」

 

「なんだバカヤロウ、じゃあなんだったら飲むってんだ」

 

「この間テレビでやってたぞ。紅茶になんとかってカエルの卵みたいなのが入ったやつが流行ってるらしい」

 

「すげぇな、最近の娘はカエルの卵なんて食べるのか」

 

「あれだな、きっとダイエットに効くんだろうな」

 

「あぁダイエットな。ダイエットは大事だよな」

 

 よっしゃカエル捕まえに行くか、数人のバカヤロウが本当に外に出て行こうとするのだから頭が痛い。

 

「オレンジジュース好きですよ! 大好きです!」中川さんが慌てて引き止めると「おぅマスター!店にあるオレンジジュース全部もってこい!」「おひとつで十分ですからっ」などと、てんやわんやの騒ぎで、見ていられなくて仲裁に入ろうとしたのだけど、背後から伸びて来た手が僕の頭をむんずと鷲掴みにした。こんなことをするのは小さな頃から一人しかいない。

 

「ちょ、スガさん痛い!」

 

「岬、ちょっと面ァ貸せ」

 

「痛い!潰れる潰れる!」

 

 

*****

 

 

 スガさんに引き摺られて行ったのは、バーカウンターの背後にある楽屋で。楽屋といっても倉庫を兼ねているから埃っぽく、大量の楽器が持ち込まれている今日は特に雑然としていてる。

 その辺から引っ張ってきたビールケースに座らされる。

 スガさんは座面のクッションがビリビリに破けたパイプ椅子に腰を下ろして煙草に火を付けた。溜息と一緒に紫煙を吐き出すと「でなんだ、ありゃあ」と、不機嫌そうに言った。

 

「父さんから聞いてないの? ボーカルの代役の話」

 

「頼みはしたがよ……あんな、ちんちくりんが来るたぁ思わないだろ」

 

「いや、ちんちくりんって」

 

 クソッあのロリコンめ。毒づいて苦々しく煙を吐く。人の父親をロリコン呼ばわりはいかがなものだろう。

 

「えぇっと……中川さん結構、ていうか、かなり歌えるよ?」

 

「誠一郎が推すんだ。そりゃ歌えるだろうさ」

 

 期待しちゃあいないがな。スガさんは転がっていた空き缶に吸殻を放り込んで、よっこらっしょ、立ち上がって「あー……お前の方はどうなんだ」

 

 僕? どうなんだってなにが? 「例年通りでしょ。なんにも変わらないよ」

 

 スガさんは胡乱な目で、そうかよ、僕を見やると巨体を揺すってバーカウンターの方に戻っていった。

 

 

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