燃え尽きるまで、君の隣で   作:ペンギン13

3 / 23
迷子。副会長。

 リハーサル後のコントロールブースは紛糾していた。リハーサル自体は滞りなく終わったのだけど、僕と女生徒のどちらをリードギターに採用するかで、意見が割れたのだ。

 それというのもケイコさんが僕に渡した譜面が、本来のものと全く違っていたらしく(僕がもらった譜面はコードのみのシンプルなものだった)、ふたりの演奏の比較がまともに出来ないのだ。

 音楽科で作曲を3年間学んだ生徒が考え抜いた譜面に基づいた精緻な演奏と、僕のほとんど手癖で弾いた演奏の録音が、巻き戻したり早送りしたり繰り返し再生され「演奏が機械的すぎる」とか「ここスケールアウトしてない?」「でもグルーヴはこっちのほうが」とか、そういう話し合いというか、言い合いが始まって、もう30分以上が経過しようとしていた。

 講師陣はリハーサルが終わるなりほとんどが帰ってしまった。残った講師は我関せずと雑談に興じていて、隣に座るケイコさんにいたっては気怠そうに欠伸をこぼしている。仕事しろよ大人たち。

 僕はというと、話し合いに混ざれるわけもないので、不本意ながら唯一気を許せるケイコさんの隣にパイプ椅子を持ってきて所在なくただ佇んでいた。

 先ほどから何度も録音を聴いているけれど、女生徒の演奏の方がいいじゃん。というのが僕の本音で。

 女生徒の演奏は上手かった。とにかくリズムとピッチが正確でミスが無い。こんなに上手な人は同年代では初めてだった。

 スタジオミュージシャン然とした彼女と、ブルースや60年代のオールドロックの影響が色濃い僕のプレイスタイルでは、比較が難しいのはわかるけれども、父の影響でギターを弾いてきただけの僕と、プロを志してきっと血の滲むような努力を重ねてきた彼女を、比較すること自体が申し訳ないような、居心地の悪さがある。

 

「岬、アンタ先に帰ってな」

 

 飽きた、と言わんばかりに何度目かの欠伸を噛み殺しながら「アンタがいると終わらないわこれ」話し合いの輪を見てそう言った。

 つられるように視線の先に目を向けると、リカさんが困ったような、それでも相変わらず柔和な笑みを浮かべて、こちらを見ている。

 ……本人目の前で結論を出すのが気まずいのかな? 

 リハ前のことを思うとそんな、繊細な配慮をしてくれるのが不思議で仕方が無いけれど、居心地の悪さは確かだったから、帰れというのなら喜んで帰らせてもらおう。

 ギターケースを抱えて立ち上がりかけて、はたと思い当たる。先に帰れって、どうやって帰れっていうのだ、こんな格好で。ケイコさんにその旨をスマートフォンに打ち込んで見せると「電車で帰れば?」などと。

 女装して電車なんていよいよ変態じゃないか。

 僕は怒りをぐっと堪えて『駐車場で待ってる』そう打ち込んだ画面を見せて、こっそりスタジオを後にした。

 

 

*****

 

 やはりというか……迷った。

 僕は設置されたフロアマップを見て、改めて虹ヶ咲学園の広大さを改めて痛感する。

 スタジオを出て数分、ケイコさんに連れてこられたときの道をなんとか思い出しながら、音楽科のエリアを歩いていると、方々から「あ、ケイコちゃんの妹だ」「それギター? ちょっと合わせていかない?」と声をかけられるものだから、精一杯の愛想笑いを返して、とにかく人気の少ない方を選んで進んでいった。そして当然のごとく、見事に道に迷った。

 

「だめだ、ここさっきも通ったところじゃん……」

 

 生来、引きこもり気味なところがある僕は、こういう大型商業施設じみた所には滅多に行かないから、縦横に無暗やたらと広い建物は得意ではない。

 人気の無い方を選んだ甲斐あって、生徒の姿は全く見えなくなったけれども、フロアマップを見る限りこの辺りは職員向けのエリアになっているらしく、万一声をかけられたときを考えると、冷たい汗が背筋をつたう。

 

「マズイ、マズイ」呟きながら、僕は未だ慣れないストッキングの脚を捩らせる。

 

 冷たい汗の理由はもう一つあって……トイレ。そう、トイレに行きたいのだ。

 学園に足を踏み入れてから続いていた極度の緊張。それは、リハーサルを終えこうして人気の無いところにひとりになったあたりから、猛烈な尿意へと姿を変え、僕を苛んでいた。

 広大な校舎を歩き回っている最中、何度かトイレを見かける機会はあったけれど、流石は女子校というか、それらは全て女性用で。

 ……いや、今の僕の外見を鑑みれば、女性用のトイレを使うのは、むしろ正しいのだ。理解している。理解しているのだけど……その一線を超えるのはマズイんじゃない?

 フロアマップを指でなぞる。現在地。東へ進んだところに女性用を示す赤いトイレのマーク。

 どうしよう。もういいんじゃないかな。いやさすがにそれは。

 理性と生理的欲求の闘い。理性が圧倒的劣勢。そうやってひとり懊悩していたものだから「あの、大丈夫ですか?」と、背後から声をかけられて飛び上がるほど驚いたし、本当に漏らすかと思った。

 恐る恐る振り返ると、心配そうにこちらを窺う、小柄な女生徒がひとり。アンダーリムの銀縁眼鏡と、三つ編みのおさげ。真面目そうな容姿。

 

「顔色が……もしかして具合が悪いのですか? 保健室にお連れしましょうか?」

 

 いいえ、トイレに行きたいだけです。顔色はこの状況に青くなってるだけです。そんなことを馬鹿正直に言えるわけもなく、僕はふるふると首を横に振る。

 ……選択肢はいくつかあった。

 走って逃げる。これは迷子がより悪化するだけだから無し。

 女生徒の好意に甘えて保健室に連れて行ってもらう。馬鹿野郎、一発で男だってバレる。

 素直にトイレの場所を教えてもらう。この場合、連れていかれるのは間違いなく女子トイレだ。

 どうしたものか。悩んでいると、一向に黙ったままの僕に女生徒の表情が僅かに曇り始めているのがわかった。

 

 悩んでいる時間はない。

 

 僕はスマートフォンを取り出して即座に文字を打ち込んで、それを女生徒の眼前へと掲げて見せた。

 

『トイレに行きたいんです』

 

 理性の敗北だった。

 

 

*****

 

 生まれて初めて入った女子トイレは、小便器が無いだけで男子用とあまり大差なかった。あと信じられないくらい綺麗で広かった。それは虹ヶ咲学園だからだろうけれど。

 そんな風に暢気に感想を抱くくらいに、僕は冷静だった。刑務所に入った人の2人に1人が出戻るとどこかで聞いたことがある。人間はいちど道を踏み外すとそこからは転がり落ちるだけなのかもしれない。

 ……大丈夫、僕はまだ大丈夫。

 恐る恐るトイレのドアを開けて外を伺うと、やはりというか、先ほどの女生徒は律儀に僕を待っていてくれた。

 

『すみません、とても助かりました』

 

「いえ、お役に立てたのなら良かったです」

 

 それで、その……。女生徒が少し言い淀んでから、僕を真っすぐに見て「不躾で申し訳ありませんが、学年と所属、それと名前を教えていただけませんか?」そう言った。

 

 あ、疑われている。間違いなく。

 あんな場所でギターを背負ってウロウロしていれば、それも当然だろう。

 僕はこっそり唾を飲み込んで、スマートフォンに文字を入力する。慌てない。慌てると怪しまれる。

 

『通信課程1年生、御崎岬です』

 

 画面を見た女生徒は「……通信課程?」呟いて首を傾げる。

 

 それは事前にケイコさんと打ち合わせていた設定だった。

 通信課程なら周囲に顔が割れてなくて当たり前だし、名前もどうせ女みたいなんだしそのままでいいでしょ。

 多分、考えるのが面倒くさかったのだと思う。

 

『ごめんなさい。病気で声が出ないんです。姉が音楽科の講師をしているので治ったら通いたいと思っていて、今日はわがままを言って見学に来ました』

 

 これは、今とっさに思いついた設定で。こんな噓八百がスラスラと出てくる自分に少し引きながら、スマートフォンの画面を女生徒にみせると彼女は、しまった、そんな表情を浮かべて、それから腰を90度近くまで深く折って頭を下げた。

 

「知らなかったとはいえ、申し訳ありません。辛いことを言わせてしまいました……」

 

『大丈夫です。気にしていませんから』

 

 ……うっわぁ、罪悪感が凄い。設定考えたやつ人の心とかないの? お前だよ馬鹿。

 ごめんなさい本っ当に。僕は心の中で平身低頭しながら、女生徒になんとか顔を上げてもらう。

 

「すみません生徒名簿で見かけなかったお顔だったもので……。文化祭シーズンに他校の生徒が制服を借りて忍び込む、なんてことが過去の記録にあったのでまさかと思ってしまって」

 

 通信課程の方なら納得です、と一人得心する彼女に僕はギョッとして『生徒名簿って……全校生徒の顔と名前を覚えているんですか?』

 

「はい、もちろん。生徒会の一員ですから」と当然のことのように頷いた。

 

 ホームページで見かけたけど、虹ヶ咲学園は中等部と高等部があって、生徒数は学年あたり千人近くも在籍しているらしく。

 単純計算で高等部だけでも3千人? とてもじゃないけれど覚えきれる人数じゃない。ていうか、いまこの人、生徒会って言った?

 唖然とする僕の視線をどう受け取ったのか、彼女は佇まいを直して。

 

「申し遅れました。1年普通科、生徒会副会長の中川菜々です」

 

 頭がクラリとする。副会長だって?

 今の状況で一番出くわしちゃいけない人じゃないか。

 

「道に迷ってたんですよね? どこに向かっていたんですか、良かったら案内しますよ」

 

 できれば遠慮したいところだけど、ここで固辞しても怪しまれるだけだし、何よりきっと一人ではまた迷う。背に腹は代えられない。僕は震えそうな指で『職員用駐車場までお願いしても良いでしょうか?』そう打ち込んだ。

 

*****

 

 

 中川さんは大変に親切な人で、駐車場までの道中、無言で気まずくならないようにと思ったのか、すすんで話をしてくれた。

 設定上、話せない僕を気遣ってか「学園に来るのは初めてですか? 広くて上級生でも迷う人がいるんですよ」とか「音楽科の御崎先生の妹さんなんですね。御崎先生は……ちょっと破天荒なところもありますけど、とても人気があるんですよ」とか。

 僕が頷くだけで良いような話題を選んで話してくれて、その親切心に、ただただ良心が傷んだ。どうしてこんな良い人を騙してるんだろう僕。

 歩きスマホは良くないかなと思いつつも、喋らせてばかりが申し訳なくて『生徒会とはいえ、土曜にまで学校なんて大変ですね』そう打ち込んで中川さんに見せる。

 

 中川さんは画面を見て「とんでもないです」控えめに笑った。

 

「文化祭は高校3年間で3回ありますが、その学年での文化祭は人生で一度きりじゃないですか。家庭の事情で全てに参加できない人だっています。だから、出来ることなら皆さんにとって良い思い出になる文化祭にしたいんです。そのお手伝いができるのなら、これくらいなんてことありません」

 

 ――私はこの学園が大好きですから。

 

 

*****

 

 しばらく歩いて目的の職員用駐車場へ繋がる出口まで、ようやく到着した。

 やっと、やっと解放される……。

 

『ありがとうございます。本当に助かりました』僕は頭を下げる。

 

「いえ、お役に立てたのなら何よりです」

 

 わざわざ案内してくれたことへのお礼の気持ちと、騙してることに対する謝罪の気持ちを込めて、もう一度深く頭を下げて、外へと向かおうとすると「そういえば」と中川さんが呼び止める。

 

「御崎さんは文化祭には来られるんですか」

 

 どうだろう。話し合いの結果次第だからなんとも言えないけれど、多分きっと落ちてるだろうし。あの感じだとリードギターどころかセカンドギターも難しいんじゃないかな。

 僕は悩んで『わからないです。人混みがあまり得意では無いので』打ち込んで見せた。

 

「そうですか……」と、中川さんは残念そうな表情を浮かべる。ここまで親切にしてくれた人に、そんな表情をさせてしまうことに酷い罪悪感を覚えて『でも、体調が良かったら来たいです』なんて、僕はまた嘘を重ねる。

 

「はい是非! ……最終日。良かったら最終日だけでも見に来てください。きっと凄いことが起こりますから」

 

 それでは。と踵を返して校舎に戻っていく中川さんの背中に、もう一度頭を下げて、僕はケイコさんの車の方へ向かう。

 

 最終日。きっと凄いことが起こる。

 

 なにか確信めいた物言いだった。優木せつ菜のゲリラライブのことを知っているかのような……いや、生徒会副会長なら知っていて当然か。中川さんもスクールアイドル好きなのかな? 全然そんな風には見えなかったけれども。

 

 そうしてようやく辿り着いた駐車場。なのだけど、ケイコさんの車が停まっているはずの場所はもぬけの殻になっていた。

 青くなって電話をかけると運転中らしいケイコさんは「電車で帰ったんじゃないの?」と他人事みたいに言ってすぐに通話を切るのだから、この野郎タクシーで帰ってやる、と思っても実行する度胸はなく。

 天罰なのかな。僕は絶望的な気持ちで、女装のまま電車で帰宅するのだった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。