燃え尽きるまで、君の隣で   作:ペンギン13

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正体は。

「あの後、生徒名簿を再度確認しました。通信課程の方とはお会いする機会が少ないからと、しっかり確認していなかったことも事実でしたから」

 

 中川さんは後悔を滲ませた様子で言う。

 

「しかし、何度見返しても御崎岬さん。あなたのことを見つけることが出来ませんでした。これはどういうことでしょう?」

 

『生徒名簿の印刷ミスじゃないですか?』

 

「それは私も疑って、職員室で原本を確認しましたが、結果は同じでした」

 

『実は最近編入したばかりで、もしかしたら生徒名簿の更新が間に合っていないのかも』

 

「当校の通信課程の募集は前期と後期の2回です。後期の募集は学園祭の後になりますから、それは考えられません」

 

 スマートフォンを握る手にじっとり汗が滲む。マズイ。どうしよう。言葉を重ねるたびに、嘘のメッキが次から次へと剝がれていき、中川さんの表情はどんどん険しくなる。

 

「お姉さんが音楽科の講師をしていると言っていましたね? 確かに同じ苗字の御崎先生が非常勤講師として在籍していますが、訊いてみたところ、全く知らない、とのことでした」

 

 僕はスマートフォンを床に叩きつけそうになって、それをグッと堪える。

 知らないわけないだろ! 事の始まりから今の状況まで、全部ケイコさんの責任じゃないか!

 そりゃあ、中川さんに顔を知られたのは僕の不注意かもしれないけれど、それにしたって無責任が過ぎるし、仮に問い詰めても「めんどかった」で済まされるのが、ありありと想像出来てしまってそれがまた腹立たしい。

 なにかこの場を切り抜ける冴えた言い訳はないものかと、必死に考えを巡らせていると、ふいに、中川さんが悲し気な表情になった。

 

「こんな無茶なことをしなくても、生徒会を通して下されば良かったんです」

 

 ……あれだけの演奏が出来るのならきっと、中川さんが呟く。

 

『ライブ見てたんですか?』

 

「えっ!? そ、それはもちろん、優木せつ菜、さんのライブは生徒会主導でしたから、生徒会の一員としての責任といいましょうか……」

 

 どうして言い淀むの? 首を傾げる僕に「と、ともかく」中川さんは取り繕うように何度か咳ばらいをしてから、元通りの険しい表情で僕を見据えて「今この場で、正直に話してくれるつもりはないのですね?」

 

 僕は慎重に考えて、スマートフォンに文字を打ち込もうとしてやめて、無言を貫くことを選ぶ。こうなってはどれだけ嘘を重ねてもボロが出るだけだ。いっそなにも喋らない方が賢明な選択に思える。

 背後のドア越しに学園祭の喧騒が、別世界の出来事みたいに聞こえてくる。そういえば後夜祭の催しでも音楽科の出番があったはずだ。僕の仕事は誰かが代わりにやってくれるのかな?

 気まずい沈黙。現実逃避気味になりつつある僕の意識を、直視したくない現実へと引き戻したのは、中川さんの「わかりました、もう結構です」という言葉と重たい溜息。

 

「貴方が説明を拒むのなら、音楽科3年の岡峰梨花さんに話を伺います」

 

 岡峰梨花って、リカさんのこと? いや、このタイミングで名前が出てくる以上きっと彼女のことだ。

 

『なんでリカさんに?』

 

 僕は慌ててスマートフォンに打ち込む。中川さんは画面を一瞥すると「バンドの責任者である岡峰さんが、今回のことを知らないはずがありません。他校の生徒を許可なくステージに上げるなんて前代未聞です。相応の責任を取っていただきます」

 

 そこを退いてください。僕の手を抑え込むようにしていた、中川さんの手に力が加わってドアを押し開けようとしてくるから『待って! ちょっと待ってください!』僕は必死になってそれを食い止める。

 ケイコさんの悪だくみを、生徒会や他の職員に報告しなかったリカさんにも、確かに責任の一端はあるのかもしれない。

 だけども実行犯は他ならぬ僕自身で、それに一番悪いのはケイコさんなわけで。ライブの後でケイコさんに理不尽に叱責されるリカさんの姿を思い返すと、やったこれで逃げれるぞ! なんて能天気に思えるわけがなく。それに最初はおっかなかった他のバンドメンバーも最後の方は気さくに話しかけてくれたりして、彼女たちにも何らかの処罰が及ぶのかもしれないことを考えると、素直にここを通す気にはなれなかった。

 

「通してください! 邪魔をするなら、このことも貴方の学校に報告しなければならなくなるんですよ?」

 

『だからちょっとだけ待って!話し合おう』

 

「貴方がなにも話そうとしないから、こうなってるんじゃないですか!」

 

 中川さんは小柄な割に意外と力が強い。運動部にでも入っているのだろうか。とはいえ体格差があるし、なにより中川さんは女の子で、僕の方は見てくれはこんなでも、中身は男なのだから、本気になればきっと、力ずくで彼女を突き飛ばすことくらいは簡単に出来る。きっと出来るのだけど、それをやってしまったら、さすがに色々と引き返せなくなる。

 なによりも悩ましいのは、中川さんは僕の正体に疑念を持っているようだけど、性別に関しては女性であると信じたままなので、ドア一枚を攻め守る最中、躊躇いなくその華奢な肩で押し開けようとして来たり、やや汗ばんだ小さな手が僕の方の手に触れてきたりするものだから、生まれてこの方、ロクに女子とスキンシップを交わしたことがない僕にとって、それらの接触は精神衛生的に大変よろしくないもので……あぁもう、どうしてこんなことになってるの? 僕はだんだん気が遠くなってきて、すると突然、眠りに落ちるときみたいな、抗いようのない感覚に襲われて、実はこれは悪夢だったのではなかろうか、そんなことを思ったのだけれど、当然そんなわけはなく、すとんと落ちる感覚の正体、それは背中に守るドアの固い感覚が唐突に消えたからだった。

 

「岬ちゃん着替え持ってき、うわっ!」

 

 後ろ向きにひっくり返る僕の視界の端にはリカさんの驚く顔が、もつれるように倒れ込んでくる中川さんが、なんだかやたらとゆっくりに見える。

 だけどもそれは全て気のせいで、次の瞬間には僕は、背中から床に叩きつけられて、肺の空気が全部漏れ出して目の前が真っ白になって、さらに後頭部を強かに打ち付けて、目の裏側に火花が散るのが見えた。

 

「ゴホッ、痛ったぁ……」

 

 僕は呻き声を漏らして、背中と後頭部の鈍痛に耐える。目玉が飛び出たかと思った。あれ、なんだ視界が暗いぞ? もしかして本当に飛び出た? えっと、僕いま仰向けなんだっけ? 息が出来ないんだけど、え、死んだ?

 真っ暗な視界と息苦しさに、僕は海にでも落ちたような心地で、藻掻くように手を伸ばすと、指先がなにか酷く柔らかいものに触れて、それから小さい悲鳴が聞こえて、僕はようやっと正気に戻る。

 視界を遮っている、前髪を除けると、こちらを見下ろす人の顔が見えた。

 僕の腰のあたりに馬乗りになったその人は、唖然とした表情をしていて「御崎さん……その格好は、一体……」

 その言葉にハッとなって自分の有様を改める。ウィッグは明らかにズレてしまって、変装用の眼鏡は外れて頭の横に転がっていて、そのすぐ傍に中川さんの銀縁眼鏡が落ちているのが見えた。

 ……終わった。もはや取り繕うことが出来ない絶体絶命の状況。

 だというのに、僕は逃げ出すこともせず、ただ目の前の、その人の顔から視線を外すことが出来ないでいた。

 三つ編みのおさげは、片方だけが倒れた衝撃で解けてしまったらしい。溶けた黒真珠ような艶のある黒髪が肩に流れている。眼鏡のない瞳は冬の夜の空みたい。

 僕の胸のあたりに置かれた、彼女の掌は制服のジャケットの厚い布地越しでも分かるくらいに熱くて、ライブの焼かれるような熱狂が、彼女の、優木せつ菜の歌声が、聞こえたような気がした。

 

「……優木、せつ菜?」

 

 僕がうわ言みたいに、その名前を呟くと、彼女は大粒の黒色の瞳をなお大きく見開いて小さな唇が、言葉を紡ぎだそうと開きかけたとき「生徒会副会長、中川菜々さん。至急、学園祭運営本部までお越しください、繰り返します……」という、アナウンスが学園中のスピーカーを通して流れてきた。

 それを聞いた彼女は弾かれるように立ち上がって、床に転がった銀縁眼鏡を拾い上げるや否や、物凄い勢いで走り去っていってしまった。

 僕は小さくなった背中が階段の方へ折れて完全に見えなくなってようやく、のろのろと身体を起こす。

なんだか面白いことになってきたねー。楽し気に笑うリカさんの声がやたらと遠くに聞こえた。

 

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