燃え尽きるまで、君の隣で   作:ペンギン13

7 / 23
正体。気持ちよく。

 とにかく逃げなければと思った。

 中川さんなのか、優木せつ菜なのか。彼女はなにやら放送で呼び出されて去って行ったけれど、用事が済めば教員なり警備員なりを引き連れて戻ってくるはずだ。

 ケイコさんが自白すれば、後々僕の通う高校に今回の件でクレームが入るだろう。だけど思い返すとステージ場で僕は女装をしていて、顔もマスクと眼鏡で隠れている。彼女以外には正体が割れていないのだ。

 仮にライブ中の動画や写真を撮られていたとしても、知らぬ存ぜぬを貫き通せばきっと切り抜けられる、はず。

 この場で捕まることが、何よりも致命的だ。今は逃げることが最善。

 そうと決まれば、どこか人目につかないところ、そうだ先日の職員駐車場がいい。

 乱れた身なりを正して、さっさと更衣室を後にしようと思ったのだけど、目の前にリカさんが立ちはだかった。

 

「逃すわけないでしょー? これからが面白いんだから」

 

「なんにも面白くないですよっ」

 

 女装を剥がされて連行される惨めな男の姿は、他人事ならばもしかしたら面白いのかもしれないけれど、当事者からしたらたまったものじゃない。

 

「ほんとに余裕がないんで、力ずくでも退いてもらいますよ?」

 

「わー怖い。でもいいのかなーそんなことして?」リカさんは意地の悪い笑みを浮かべて、スマートフォンを操作して画面を僕の方に向けて見せた。

 そこには先ほどの床に無様に転がる僕の写真が表示されていて、ウィッグがずれて眼鏡が外れてしまっていて、間違いなく僕だと判別できる。いつの間に撮ったんですか……。僕は膝から崩れ落ちそうになる。

 

「言ったでしょー。隠し撮り得意だって」なんて得意げにピースなんてするものだから、もういっそのことスマートフォンを取り上げて壊してしまおうかなどと、乱暴なことを考えてしまうのだけど「クラウドに保存してるから、スマホ奪ったって無駄だよー」と、見透かしたように言われてしまって、僕は本当にその場に崩れ落ちた。

 

「それじゃー諦めて、一緒に面白いことしようか?」

 

「……なんですか面白いことって」

 

「岬ちゃんだって知りたいでしょー? 優木せつ菜の正体」

 

 

*****

 

 

 音楽科3年、岡峰梨花さん……御崎岬さん。至急、生徒会室までお越しください。という校内放送が流れたのは、それからしばらく経ってのことだった。

 リカさんは、僕が反抗することをすっかり諦めたことを認めると、色々なところに電話をかけたり、メッセージを打ち込んだりと、なんだか忙しそうな様子。

 僕の方はリカさんが持ってきてくれた服に更衣室の隅の方で着替えていた。リカさんのクラスでお揃いで作ったTシャツの余りらしく、一緒に持ってきてくれたカーディガンを羽織れば、制服そのままに比べてだいぶ印象が変わる。

 ステージに立ったときのままの格好で、校舎をうろつくのは心臓に良くないから助かった。このまま家に帰してくれればもっと助かるのだけども、もちろんそうはいかず。

 

「それじゃー行こうか」

 

 放送で呼び出されてからも、10分ほど電話で談笑を続けていたリカさんがようやく通話を切って、意気揚々と、僕は恐る恐る更衣室を出ていく。

 そんなビビらなくても大丈夫だよー? 音楽科のお偉方にはケイコちゃんが話をつけてくれたみたいだから。リカさんが僕を振り返って言ってくれて、多少は気が楽になった。

 学園祭が終わり、後夜祭へと移行した学園内は、一般客がいなくなったためか多少落ち着いていて、祭りの終わりを惜しむ寂しげでだけど賑やかな雰囲気で満たされている。

 そんな中、生徒会室のある一画だけは、世界から切り離されてしまったみたいにシンと静まり返っていて、リカさんのドアをノックする音がやたらと大きく聞こえた。

 どうぞ、という声が中から聞こえて、悠々と中に入っていくリカさんの背中に隠れるように僕も後に続く。

 生徒会室は広かった。高い天井。広さは普通教室をふたつくっつけてもまだ足りないくらい。室の中央にローテーブルとソファがあって、壁面に寄せてスチール製の書庫が並んでいる。備え付けのホワイトボードにはびっしりと予定が込まれている。いかにも事務室然とした面持ちだけど、そこかしこに植えられた観葉植物の緑のおかげか殺風景には感じられない。

 空の薄闇を切り取る天井にまで届く高さの窓硝子を背に、木製のデスクが設えられていて、大柄な革張りのオフィスチェアにちょこんと座っていた中川さんが、僕たちの姿を認めて立ち上がる。

 

「お忙しいところお呼び立てして申し訳ありません」

 

「いいよー別に。暇してたから」

 

 リカさんは言いながらソファに身を沈める。その傍らに所在なく立ち尽くす僕に、中川さんは「どうぞ、楽にしてください」と言って、入口のドアにまで歩み寄り内側から鍵を閉めた。

 全然楽にできる雰囲気じゃないんだけど……。僕は恐る恐る、リカさんの対面のソファに腰を下ろす。

 デスクに戻りチェアに腰を掛けた中川さんは、組んだ手の上に顎を載せて口を開く。

 

「呼び出された理由はわかりますね?」 

 

 生徒を詰問する教師みたいな固い口調。眼鏡のレンズがLED照明に反射してとても怖い。

 ますます萎縮する僕とは対照的に、リカさんは「えー、なんでだろー?」などと、とぼけて、それに中川さんの眉間に皺が寄るのが見えて、そんな煽るような反応しなくても、僕は気が気じゃない。

 

「単刀直入にお聞きします。御崎さん、貴方は他校の生徒で……男性ですね?」

 

 リカさんみたいにとぼける度胸はない。僕は掌に滲んだ汗を握りつぶして頷いて「ごめんなさい騙して」スマートフォンに打ち込むのではなく、言葉に出して言って頭を下げる。生徒会室の床を見つめ続ける時間は、やたらと長く感じて胃の奥の方が鈍く痛んだ。

 しばらくの沈黙の後で「顔を上げてください」と中川さんが言ってそれから深い溜息。

「岡峰さん。バンドの責任者である貴方はこのことを知っていましたか?」

 

「うん。ケイコちゃんに面倒見てくれって言われてたから」

 

「……御崎先生と岡峰さん以外に、今回の件に関わった生徒はいますか?」

 

「いないよー。音楽科のみんなには岬ちゃんはケイコちゃんの妹ってことで通ってる」

 

「そう、ですか」中川さんは組んだ手の上に額をピッタリと付けて項垂れる。心底弱り切ってる様子で「何もかもが前代未聞です……」と小さく漏らすのが聞こえた。

 

「そんな深刻に考えなくていーんじゃない?」リカさんが能天気に言う「この三人が黙ってれば、それで済むんだからさー」

 

「いいえ、それはできません。生徒会の一員である以上、規則違反を見逃すわけにはいきません」

 

「お固いなー。さすが生徒会長様」

 

「確かに生徒会選挙には立候補しましたが、今は副会長です」

 

「他に候補いないんだからもう確定でしょー」

 

 おめでとー、と拍手をして見せるリカさんに、中川さんは居心地悪そうな表情を浮かべる。

 

「一年生で生徒会長って、よくあることなんですか?」

 

 規格外の大所帯である虹ヶ咲の生徒会長ともなれば大変な重責なんじゃないだろうか。僕はつい口を挟んでしまう。

 

「前例はありますから、そう珍しいことでは……」謙遜する中川さんの言葉を「いやいやー、かなりのレアケースだよ」とリカさんが遮るように言う。

 

「虹ヶ咲って専門性の高い学科が多いから、みんな自分の夢を追うのに精一杯で、菜々ちゃんみたいな生徒会活動に一生懸命に取り組む生徒って貴重なんだよー。今年の学園祭だって菜々ちゃんの働きぶりが凄いって音楽科でも評判だし」

 

 唐突なべた褒めに中川さんは「いえ、そんなことは」と少し狼狽えるのだけど「だからこそ、せつ菜ちゃんの正体が菜々ちゃんだって知ったら、みんな凄く驚くだろうねー」と、リカさんが黒い笑みで核心を突いて、その表情はピシリと固まった。

 

「……な、にゃんのことでしょう」

 

 不自然な沈黙の後で、中川さんが澄ました顔で言うけれど、思い切り噛んでるし、頬に冷や汗が伝っているし、眼鏡の奥の瞳が泳いでいるし、わかりやすいくらいに取り乱している。

 ……やっぱり、彼女が優木せつ菜なんだ。

 僕の視線を感じてか、中川さんは「証拠……!そうです私が優木さんだという証拠はあるんですかっ」とても焦った様子で言うと、リカさんはスマートフォンを操作して、更衣室で僕に見せたのと同じ写真を中川さんに突きつけた。

 

「そ、それが私だっていう確証はありませんよね? ほら画像も少し乱れていますし」

 

「ほー、まだしらばっくれるかー」

 

 リカさんがスマートフォンの画面をスクロールすると、僕と中川さんがもつれ合って転倒する場面が、パラパラ漫画みたいに再生されて、いやこの人何枚撮ってるのさ。

 

「これってさー見方によっては、せつ菜ちゃんが自分のバンドのギタリストを押し倒してるようにも見えるよねー」

 

「見えませんっ!」

 

「いやいやー人間はつまらないことより、面白可笑しいことの方が好きな生き物だからさー」

 

 リカさんが嗜虐的な色の笑みを浮かべる。

 

「優秀と評判の次期生徒会長が、策謀を巡らせ創設したスクールアイドル同好会。初ライブの後で自身のバンドの女装ギタリストを押し倒し、二人は持て余した身体の熱を慰め合う……」

 

 どう、面白いでしょ? 小首を傾げて可愛らしく微笑むリカさん。中川さんはさっきまでは赤面していた顔を、真っ青にして唖然としている。僕もきっと似たような顔色で、どうやったらそんな悪魔じみた話を考えつくのだろうか。

 

「わたしさーケイコちゃんから頼まれて学外で色々やってるせいで、色んな知り合いがいるんだー。ケチなフリーライターとかさ。優木せつ菜の正体がわかったかもって電話したら凄い食いつきだったよー?」

 

「……要求は、何ですか?」

 

 青白い顔の中川さんが絞り出したような声音で言う。そりゃあそうだ。万が一にでもそんな記事が画像付きでネットに出回ったら、学校生活どころか人生自体終わりかねない。その時はもれなく僕の人生もお終いだ。

 

「要求だなんてやだなー。何だか恫喝でもしてるみたい」

 

 みたいじゃなくて恫喝そのものだよ。内心で思うけれど、声に出す度胸は無い。

 今この場で一番強い力を持つのは男の僕でも、次期生徒会長の中川さんでもなく、間違いなくリカさんだ。

 大人しく、リカさんの次の言葉を待つ僕たちに笑みを浮かべて「お願いしたいことは二つ」と、ピースするみたいに指を二本立てて見せる。

 

「岬ちゃんの件は見逃してもらう。その方がお互いのためになるでしょー?」

 

「……もうひとつは何ですか?」

 

 中川さんが問うと、リカさんは愉快そうに笑って僕を指差した。

 

「せつ菜ちゃんのライブに、岬ちゃんを参加させる」

 

「どうしてそうなるんですか!」「何で!?」

 

 僕と中川さんはほとんど同じタイミングで立ち上がって抗議の声を上げるのだけど、リカさんはどこ吹く風、余裕たっぷりに脚を組み直して「なにー文句あるの?」

 

「文句しかないですよ!なにが悲しくてまた女装してライブなんかしなきゃいけないんですか!?」

 

「その割に楽しそうに演ってたじゃん? 好き放題アドリブ入れてさー」

 

「それは……目が合ったとき、リカさんがいけって言ったから」

 

「いけ? 死ねって言ったんだけど」

 

「そんな辛辣なこと言ってたの!?」

 

 実際言われても仕方ないくらいの暴走だったけれども。

 

「ダメです。認められません」中川さんが毅然と言う。

 

「えー、どうして?」

 

「他のスクールアイドルも参加するイベントや、他校の文化祭を巡るんですよ? リスクが高すぎます。なぜ御崎さんでなければならないのかも理解できません」

 

「えーわからないの?」

 

「音楽科にはギターを専攻している生徒が多く在籍していますし、3年には岡峰さんと同様に学外での活動をこなしている方が数人いらっしゃると聞いています」

 

「わたしたちの代は当たり年だからねー。ぶっちゃけ岬ちゃんより腕が立つ娘はゴロゴロいるよ」

 

「それならーーー」

 

「でも優木せつなのバンドのギターは岬ちゃんじゃなきゃダメ」 

 

 これだけは譲れない。リカさんの有無を言わせぬ口調に、中川さんは気圧されて黙り込んだ。

 リカさんは立ち上がって中川さんの方に歩み寄る。

 

「今日のライブ気持ちよかった?」

 

「それは……とても、楽しかったです」

 

「だよね。ナマのバンドで歌うのは初めてでしょ? 処女卒業おめでと」

 

 しょっ、処女って! 一瞬で耳まで赤くなって狼狽える中川さんの頬に、デスク越しに伸びたリカさんの手が触れた。感電みたいに硬直する中川さんの身体をそっと引き寄せて耳元で囁くように言う。

 

「言っておくけど、岬ちゃん以外のギターじゃ今日みたいに気持ちよくなれないよ?」

 

 何を根拠に、震える声でなんとか返す中川さんに「これまでの人生と、これからの人生を音楽に捧げた女の勘」とリカさんは答えた。

 字面だけ見れば大言壮語も甚だしいけれど、リカさんが言うとなぜだか説得力があって、あんなベースを弾く人は同年代では僕自身初めてで、きっと青春の多くの時間を犠牲にして努力を重ねてきたに違いないから。中川さんも同じように感じたのか反駁しなかった。

 中川さんが何か考え込むように俯く、会話が途切れ、後夜祭の喧騒が届かない生徒会室はやたらと静かで。

 だから「てーいうか、その反応。まさかそっちの方も処女? こーんなのぶら下げて?」とリカさんの能天気な声が沈黙を破壊して、それから中川さんの胸を鷲掴みにしたのは、想像だにしない突拍子がない行動で、制服のジャケットの上からでも分かるボリューム感のあるそれを揉みしだく様を僕は思い切り凝視してしまった。

 中川さんは自分が何をされているのか理解が追いついていない様子。ワシワシ好き放題される自らの胸元と、リカさんの顔とを視線が行き来して、最後に僕とばったり目が合った瞬間、火でも吹きそうなくらいに赤面した。

「何をするんですかっ!」リカさんの手を力任せに振り払うと、そのままバランスを崩してしまい背後の椅子の脚に蹴つまずいて、床にひっくり返ってしまう。

 

「岬ちゃんヤバイよ菜々ちゃんのおっぱい……」

 

「なにバカなことやってるんですか!」

 

「いやー場を和ませようと思って」

 

 どんな和ませ方だ。僕はデスクの裏に回って、転んだ中川さんを窺うと乱れたスカートの隙間から見てはいけないものがほんの少しだけ見えてしまって「大丈夫ですか?」僕は何も見なかった体で地べたにへたり込む彼女に声をかける。

 中川さん、は、はい……、と返事をするけれど、どこか呆然自失としている様子。あんなことをされればそうもなる。

 そんな状態だからか、差し出した僕の手を中川さんは「ありがとうございます」警戒することなく取ってくれて、僕はびっくりするくらい軽い身体を引っ張り上げた。

 

「で、どーする?」

 

 横合いから声をかけられて、中川さんはハッと我に返って、リカさんにキツイ視線を送る。

 

「もうちょっと、岬ちゃんと一緒にやってみなよ。きっと面白くなるよー?」

 

 手なんか繋いで仲良しさんなんだし。リカさんが揶揄うように言って、僕は慌てて「ごめんっ」取ったままだった手を離して後ずさる。

 

「……私が何を言っても、要求を通すつもりなんですよね?」

 

「最初からそう言ってるでしょ?」

 

 悪びれずに言う中川さんは、天を仰いでそれから特大の溜息を吐く。

 

「今日みたいな、全身全霊のステージをお客さんに届けるためには、御崎さんの存在が必要なんですね?」

 

 リカさんが鷹揚に頷くのを見て、中川さんは色々な文句を飲み込むように、わかりました。

 

「ただし、何かしらの問題行動があった場合、今回のことも含めて学園に全て報告させていただきます」

 

「わたしは別にいいけど、それだと菜々ちゃんもマズイことにならない?」

 

「自分で蒔いた種です。責任はとります」

 

 おーかっこいいー、と茶化すリカさんを無視して、中川さんはこちらに向き直り「改めまして優木せつ菜です。御崎岬さん、よろしくお願いします」そう言って手を差し出してきた。

 あぁ、結局こうなるのか。ライブってあと何本くらいやるのかな。ずっと女装してないといけないのかな。いけないよね。

 どうしてこうなったのか、わからないけれど、どう足掻いても逃げ場がないことだけはわかる。だから僕は「御崎岬です。本名です。よろしくお願いします」出来る限りこの悪夢が早く終わることを願いながら、その小さな手と握手をした。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。