「それは面倒くさいことになったねー」
リカさんが気怠そうにボヤく。
中川さんが職員室へ踏み入ってから少しして開場のアナウンスが流れた。相変わらず生徒が忙しく右往左往する喧騒の中、保護者らしい壮年の男女や、卒業生らしい私服の女性や、他校の制服を着た学生や、来場者が増え始めたころ、渋滞で遅れていたリカさんたちバンドメンバーがようやく到着した。
これまでの経緯をスマートフォンに打ち込んで説明したところリカさんは先ほどの反応。バンドの面々は「別にライブできるんだからいいんじゃない?」「向こうのゴタだし、こっちにゃ関係ないよね」「前座ここの軽音部だって」「いいね食ってやろう」と、なんだか血の気が多いことを言っていて、この場に中川さんが居なくてよかったなと心底思った。
静かに職員室の扉が開いて「失礼しました」一礼して、中川さんが出てくる。
振り返った険しい表情を見る限り、どうやら抗議は失敗に終わったらしい。
「おはよー菜々ちゃん。なんだか大変みたいだねー」
「岡峰さん……皆さんもおはようございます」
律儀に挨拶をする中川さんに「はよー」「なんか顔色悪くない?」「生理?」などとバンドの面々は雑な返事をして、あまり余裕が無いのか中川さんはそれらに取り合わず「先方の都合で予定に大きく変更がありました」と言いながら、職員室で貰ったらしい最新のタイムテーブルをメンバーに配る。
手渡されたタイムテーブルに目を落とすと、確かに大きな変更だ。昼頃に予定されていた出番が夕方ごろ。場所は体育館に変わり……いや、ていうかこれトリじゃん。
これまでのドサ回りの経験から、優木さんのライブが他のどの催し物よりも盛り上がることに確信はあるけれど、それにしたって部外者がトリを務めるというのはいかがなものなのだろうか。色々な事情があるのだろうけど、この学校の生徒のことを考えると少し居たたまれない。
「リハーサルの時間は取れないらしく、申し訳ありませんが今回もぶっつけ本番になります。集合時間やステージの段取りなどは、これから実行委員の方と優木さんと話して決まり次第お伝えしますので、皆さんは学園祭を見て回るか、バスの方で待機していて下さい」
中川さんは淡々と言って、それから僕の方に歩み寄ってきて「荷物、ありがとうございました」なんだかんだでずっと持っていたスクールバッグを僕は手渡して、小さな背中が雑踏の奥へと消えるのを見送った。
*****
「げー、出番5時だって」「時間まで見て回る?」「あたしバスで寝てるわ」などと言い合いながら三々五々散っていくメンバー達。
「菜々ちゃんが無茶しないか気にかけてなよー」と、別れ際にリカさんが言っていたのが気がかりだけど、裏方仕事で僕が力になれることなんてないし、そもそも中川さんに限って無茶なんてするわけがないだろう。
それにしても、夕方まで時間を潰すとなるとなかなかに骨だ。いくら慣れてきたといっても、この格好で他校の校内をうろつく度胸はさすがに無い。
タイムテーブルに改めて目を落とすと、演劇部の公演は昼頃かららしい。一応観に行ってみようかな……。
なんにしても、とりあえずは時間まで漫画喫茶でも探して時間を潰そう。
そうと決まれば、昇降口に向かって、虹ヶ咲と違って迷う心配もないから、スマートフォンで近隣の地図を眺めながら歩いていると唐突に声をかけられた。
「あの、せつ菜ちゃんのバンドの人ですよねっ?」
顔を上げると見たことのない制服の女生徒二人組。
彼女らはなんだかキラキラした瞳でこちらを見ていて、僕が機械的に頷くと揃って歓声を上げた。
「私たちせつ菜ちゃんのファンで」「今日ライブやるって本当なんですか」「バンドの人たちもすっごくかっこよくて」
それからなんでか握手を求められて、記念撮影をして、圧倒されているうちに彼女らは「ライブ頑張って下さい!」と満足気に去って行ったのだけど、似たようなことが校内を歩いていると頻発して、これには流石に参った。
だって皆、凄い勢いで話しかけてくれるのだけど、僕の方は喋れないし、喋れない事情をいちいち説明するのも億劫で、かといって優木さんの評判に関わるだろうから、邪険に扱うことも出来ない。
さっさと校外に出たかったのだけれど、開場から時間が経って人出の増した昇降口の方に行くのは自殺行為に思えた。絶対に捕まる。
どうしようもないから、学校の歴史だとか、地域の沿革だとか、人気の少ない展示をやっている教室を選んで時間を潰していると、ちょうどグラウンドの方に面した窓に、おかしな物が見えた。
朝に比べるとやや弱まった雨足。しかしグランドの土の地面は相変らずぬかるんで、水溜りが大小無数にあって、その真ん中あたりにポツンと佇む仮設ステージの白い幌が物悲しい。
その仮設ステージに向かって、水溜りを踏み潰しながら、傘もささずにずんずん歩いて行く小さな白い人影は、最初は何かの見間違えかと思ったのだけど、目を凝らして見るとそれはどこからどう見ても、スクールアイドルの衣装に着替えた優木さんの姿だった。
なにやってんのあの人!?
声を出しそうになるのをグッと堪えて、窓の方に寄って外を見ると、優木さんがステージによじ登ろうとしていて、なんだか滅茶苦茶に無茶しようとしてる! 僕は慌てて昇降口に向かって駆け出した。