僕の初恋は十歳のときだ。相手は同じクラスで、当時後ろから数えた方が早かった僕と同じくらい背が高く、さらりとした黒髪にかわいいというよりは大人っぽい雰囲気の女の子。運動も勉強もできて性格も良く、おおよそ非の打ち所がないものだから、逆にやっかみの強い女子は彼女を嫌い、そんな女子たちを男子は嫌っていた。僕もその一人だった。
林間学校の夜なんかでよくある会話として『好きな子はいるか?』という話が出た時も、彼女の名を挙げる男子は複数人いた。そして皆がそれに納得した。それだけ彼女は魅力的な異性であると男子は感じていたのだろう。
しかし彼女に告白する者は誰一人いなかった。別にお互いが牽制し合っているわけでも、彼女が男子を嫌っていると言うわけでもなかったが何故か告白はされていなかった。その理由は皆同じで、ただ玉砕するのが恥ずかしかっただけと僕が気づくのは中学生になってからだった。
小学生の僕は彼女を遠巻きに見るだけの存在だった。親しげに話しかける勇気なんてなく、接点があったとすればせいぜい係や委員会の用事くらい。おそらくさっきするまでに交わした会話は400字詰めの原稿用紙一枚程度だろう。それでも話せたことが嬉しかったのだから、あの頃の僕はなんて単純だったのか。
そんな日々に転機が訪れたのは中学生に上がった時。偶然にも同じクラスになった僕と彼女は、本来出席番号で決められるはずの席が視力の低い生徒が最前列に移動したことによる調整で隣同士になったのだ。中学生らしい格好つけが始まっていた僕は、隣に彼女がいる喜びを抑えつけるようにして頬杖をつき、『よろしく』と社交辞令を口にする彼女に適当な、しかし緊張に満ちた受け答えをしていた。
部活選びが始まった時、僕は迷わず彼女と同じバスケットボール部にした。当然男女に分かれてはいたが、同じ体育館で練習する姿を見れれば十分で、たまの合同練習では面倒臭がる男子に紛れて喜びを感じていた。
僕は今まで遠巻きに見ていた彼女の存在を身近に感じていた。談笑する笑顔、授業中の真剣な横顔、物思いに耽る顔。どれも綺麗で、写真に撮って飾りたいと思っていた。正直今思い返すと気持ちが悪い。
下心で選んだバスケットボール部だが、身長は無駄に高いくせに運動神経は致命的になかったため、永遠にベンチにすら入れなかった。監督には『恵まれた体格』だの『光るものはある』だのと言われていたが、実際のところ独活の大木という言葉がよく似合う部員だったろう。一方彼女は一年からスタメンの座を獲得し、順調に結果を残していた。
部活ではまるで結果を出せない僕だったが、学業はそれなりにできた。得意科目ならトップを争い、全教科でも上位20%には食い込んでいた。その成績が認められ、合宿中の勉強会では頼りにされていたことは僕の数少ない誇れる記憶だ。しかし彼女は僕よりも成績が良かったので、頼りにしてくる人間には入っていなかった。
中学三年生。部活動を引退して何ヶ月か経つと彼女はスポーツ推薦で有名高校に進学を決め、僕は一般受験でそこそこの高校を狙っていた。そして入試まで一月を切ったころ、僕は余計な決意をすることになる。
『告白しよう』。もしも僕がタイムマシンを手にしたら、最初に変えたい過去はここ一択だ。本当に何が起きてこう思ったのかわからない。顔は良く言って平均、運動はできず、成績は上位だが誇るほどでもない。クラスの人気者でも、逆にいじめられているわけでもない。身長こそ高い方だが、この頃にはクラスで三番目くらいで、特別な魅力なんてどこにもなかったというのに、何故か告白しようと思ってしまったのだ。
しかし、結果から言って僕は告白をしなかった。直接思いを告げるどころか、ラブレターで呼び出しをしたりもない。正確には呼び出しをしようとしたが、その前にある会話を聞いてしまったからだ。
「ねぇ、男子で誰が好き?」
「えー、誰かなぁ」
前者はもう名前すら思い出せない、眼鏡をかけて声が大きかった気がする女子。後者が初恋の女の子。下駄箱の前でこの二人が会話するところを、偶然通りがかった僕は聞いていた。内容は上記の通りの、よくある話。
「武田は?」
「えー、ちょっと身長がなー」
武田くん(当然仮名だ)はクラス一の秀才、運動はそこそこできて、人望があり、ユーモアにも富んでいる。ここまでは僕の上位互換だが、そんな彼でも彼女の恋心は得られない。しかもその理由が身長だったと知り、そこそこの身長の僕は希望を持ってしまった。
「じゃあ、溝口は?」
それから何人かの名前が挙がり、普通、嫌、普通と続いた後、遂に僕の名前(もちろんこれも仮名)が出た。僕は気配を必死に殺しながら、両耳に全神経を注いで聞いていた。お願いだから嫌われていませんように、あわよくば好かれていますように、好かれる所なんてないくせに、そんな傲慢な自信を持ち始めていた。
そして、彼女が口を開く。
「えー、いいかな」
それだけだった。全く感情がこもってない、後に何か続くわけでもない四文字。『いいかな』が彼女からの全評価だった。結局僕は眼中にすら入っていなかったらしい。当然の情け無さと身勝手な悔しさで動けなくなったことだけはよく覚えているが、この感情をどう処理したのかは全く覚えていない。
四月になると僕は高校に進学し、なんだかんだで大学は県外になった。喉元過ぎれば何とやらで、その後の学生生活で彼女のことを思い出すことはなかった。だが恋愛をしようとも思わなかったのは、無意識下で彼女の存在を引きずっていたのかもしれない。
卒業後は地元に就職することになり、久々に実家へ戻ると犬が暇そうにしていたので、僕は散歩をしてやることにした。懐かしい道をふらふらと歩いていると、途中のバス停に女性が立っていた。
あの女の子だった。身長は中学生の時から僅かに伸びたくらいで、大人っぽい顔立ちは大人の顔に成長していた。けれど、あの黒髪は金髪になっていて、隣には知らない男が立っていた。
会話は聞き取れなかったが二人はとても楽しそうで、理想のカップルが現実に現れたようだった。先へ進もうとする犬を引き止めながら、僕は彼女の隣にいる男が自分だったらと想像してみた。そしてすぐ振り返って、今来た道を戻るようにして散歩を再開した。犬は引き返すことが不満そうだったが、渋々着いてきてくれた。
いくら想像しても、自分勝手な妄想の上であっても、今の彼女より明るい笑顔を引き出すことはできなかった。つまり僕は隣にいるべき存在ではなかったんだろう。
情け無さと悔しさが心に残ったが、今度は普通に歩くことができた。振られることすらできなかった僕の初恋は、ようやく終わった。
※フィクション