カレン・ロウにとって、ジョーカーと呼ばれる男は特殊な部類であった。
彼との出会いは、まだ彼女が指揮官になる前。
師であり、敬愛する人民解放軍少将の陳国明(チェン・グオメン)が専務を務める香港の貿易商「大星海公司(ターシンハイコンス)」は、表向きは貿易商社であるが、裏の顔は中国の人民解放軍非公認部隊のカバー組織だ。
中国政府の管理下で、その指針や方針にそぐわない者の排除及び汚れ仕事を請け負うのも仕事の一部だった。
大星海公司の秘密部隊に抜擢されたカレンは、陳の命令のまま部隊の訓練キャンプに参加したのだが、その時に師が連れてきた教官がジョーカーだったのだ。
中国人ではないヨーロッパ風の顔つきに最初の頃のカレンは理不尽にも嫌悪感を覚えた。なによりも陳と親しげにしゃべる若年の男が気に食わなかったのだ。
彼女の師は戦闘力の権化のような人物であり、現役時代は銃剣付きCz52を2丁同時に使用し、驚異的な走力と身軽さを活かして戦い、敵兵士の一隊を単身で一掃してしまうほどの凄腕の兵士だった。
地雷を踏み、脅威的な身体能力を奪われた彼はその後一気に老け込んでしまったが、そのカリスマ性と力の残り香に目をつけた解放軍は、彼を少将として大星海公司の権力者に祭り上げたのだ。
そんな偉大なる師に気に入られている相手がどうしようもなく嫌いで、憎かった。
だが、そんな憎しみも怒りも、キャンプが始まれば木っ端微塵に打ち砕かれた。
ジョーカーは陳のオーダーに従い、模造の銃剣付きのCz52を2丁を手に取ったのだ。それで対人戦をやると言った時のカレンの怒りはどれほどのものだったか。師のご機嫌を取るためにそんな猿真似をするなら、私の手で葬り去ってやろうと意気込んだ。
結果、地面に転がされていたのはカレンだった。勝てないと痛感するまで1日と掛からなかった。ジョーカーの技量は現役時代の陳と同等、いや、それ以上だとも思った。
柔軟かつ強か。蛇のような鋭さで食らいついたと思えば、猛禽類のように肉を引きちぎる力強さもある。1日目の成果はひどい有様で、用意されたシャワーを浴びると身体中から痛みが溢れるほどだった。
模造刀でなければ今日の負けで百回は惨殺されている。それはカレンだけじゃなく、参加した訓練兵全員が言えることだった。
そんなキャンプの1日目が終わり、次の日、また次の日とカレンはジョーカーに一太刀も浴びせることなく地面に転がされ続けた。傷は減るどころか増えるばかりだ。それを見ている師は大いに満足そうに頷くばかりで、それがますますカレンのプライドを粉々に砕いていった。
そしてキャンプが最終日に近づくにつれて、粉々に砕かれたプライドなど役に立たず、なんとか食いしばって耐えていた怒りと憎しみで体を持ち堪えたカレンだったが、ここで転機が訪れた。
中国軍の秘密部隊の動きを嗅ぎつけた中東のスパイ組織が、大星海公司のキャンプ地に奇襲をかけたのだ。最初にやられた訓練兵の絶叫で飛び起きたカレンは、愛銃を持って下着姿のままテントを飛び出したが、彼女の前には殺された仲間の死体があり、その死体を蹂躙する敵がいた。
すぐに彼女も応戦するが状況が最悪だった。肩に敵の弾丸を受け、もんどり打ったカレンに、ゲスな笑みを浮かべた男が覆いかぶさる。その時のカレンはまだ筋力が十分ではなかったことと、連日のキャンプでの疲労もあり、抵抗しても男の拘束から逃れることができなかった。
奇襲に成功したと笑う男たちが、ここからはお楽しみだとズボンのベルトに手をかけた瞬間だった。
突如として、男の喉から銃剣の切っ先が生えたのだ。貫かれたことで血が舞いカレンの顔に血痕が飛び散る。本格的な出血が始まる前に喉を貫かれ呻き声を上げる男は横へと放り捨てられた。
「無事か、ロウ訓練生。よく生き延びた」
月明かりを背に立つのは、ジョーカーだった。奥から杖をつく師も現れ、片手に持っていた拳銃で敵の一人の頭を貫いたのが見える。
「さて、ジョーカー。君に授けたものを私に見せてくれ」
葉巻を取り出し、火をつけながらそう言った陳に、ジョーカーは銃剣付きの二丁を構えて答えた。
【確かに承った】
中国語で返されたジョーカーの言葉と同時、彼は風のように走り出した。マズルフラッシュと、月明かりに反射したナイフの刃先がひらめき、暗闇の中で数十名いた敵兵士たちを一切の躊躇いもなく屠ってゆく。
「彼が我々の元にいないのが、残念でならない」
敵の怯える声と、暗闇の中で出鱈目に撃たれるライフルの銃声。その声と音が中断されると肉と化した死体が崩れ落ちる音が響く。葉巻を優雅に吸う陳の前で繰り広げられた斬殺ショーは、ものの数分でケリがついた。
だが、その一部始終を見ていたカレンにとっては永遠に思える時間であった。
陳の現役時代の動き。それがそのまま目の前で再現されたのだ。それをするのは自分だという自信があったが、それよりも先に体現されてしまった。
闇の中、銃剣を構えて立つジョーカーの背中はかつて焦がれ、恋に似た感情を覚えた陳の武勇そのものだったのだ。
その日、カレンはようやく自覚した。
ジョーカーと陳。この二人が自分の追うべき目標であるということを。
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「まさか、貴方に会えるとは思ってませんでした」
Drの研究施設の一角にある宿泊場所で、シャワーを浴びて落ち着いた様子のカレンはそう言って切り出してきた。カレンと会うのは実に久々だ。彼女が大星海公司の秘密部隊に抜擢されて、キャンプで訓練をしている時以来だろうか?
あのキャンプは地獄だった。キャスパーから「あぁ、君は明日から傭兵だから。仕事も受けてあるよ」と笑顔で言われて、チェキータさんに追い出されて向かった先が中国の端っこだったもの。
今日限りで僕と君の契約は終了だよ。一人の傭兵として大星海公司のキャンプに潜入して情報を知らせてくれ。あ、僕の息がかかってるってバレたら陳さんに殺されるから気をつけてね〜、とチャラチャラした笑いで言ってくるキャスパーをぶん殴りたかったが、それをするとチェキータお姉さんとの殺し合いになるので何とか我慢した。
そんなこんなでキャンプに行くとまずは腕試しで色々とやらされて、最終的には陳さんの二丁銃剣の相手もさせられたっけ。しかも陳さんも俺も椅子に座った状態で。あれは死ぬかと思った。椅子に座っている人間の動きじゃなかったぞ、あれ。
地獄のような面接(?)をクリアした俺は、陳さんから「お前もキャンプ中に私の技を手にしろ。でなければ殺す(原文ママ)」なありがたい言葉を受けて必死こいて訓練したよね。
しかも訓練相手のカレンが強いのなんの。手を抜いたらカレンにぶっ飛ばされた後、陳さんに止めの鉛玉をお見舞いされる予定だったのでなりふり構わず勝ちに走ったよね!
その後は、キャスパーから情報を買った中東のスパイもどきのテロ組織がキャンプを襲撃したりしたのだが、そこは何とか切り抜けたので割愛。
その後、陳さんやカレンに惜しまれながらも訓練期間の教官を終えた俺はキャスパーに情報を持ち帰るために中国を後にしたのだ。その帰りに飛行機が墜落させられたり、陳さんの命令で俺を殺しにきた中国軍もいたけど、なんとか返り討ちにして……俺はキャスパーの元へとたどり着いた。
「あー、うん。大体自分で調べられたから報告はいらないかな♪悪いね、フフーフ」
必死こいて生きて帰ってきた元部下にあんまりな仕打ちじゃないですかねぇ!!流石にブチギレた俺はチェキータさん率いるキャスパーの愉快な部下たちと乱闘を繰り広げて、そのままバルト三国方面へと逃げたのだった。
それからはいろいろなところを渡り歩いたりしている。
「陳さんは元気……そうじゃないな」
あんな場所で路頭に迷っていたカレンの様子から見て、きっと陳さんは無事ではないのだろう。俺の言葉を聞いて、治っていたカレンの涙がまたぶり返してきた。
「そっか……陳さん、死んじゃったか」
「……はい。私が至らないばかりに……」
下手人はHCLIのココの私兵であるバルメであった。まぁ彼女と陳の因縁はとてつもないので、バルメに見つかってしまった上に侵入を許したのならこういう結末になっても仕方がないと俺は思った。
「でも、あの人はどこかで覚悟はしてたさ。多分、戦って死ねたことに誇りを持っているよ」
キャンプのとき、彼は言っていた。今の自分は死んでいるも同然であると。技術を教えた俺やカレンが憎たらしくて仕方ないだとか。彼からすればまだまだ現役でも通用する年齢だったし、地雷さえ踏まなければ戦士として彼は生きていただろう。
そう思えば、バルメは陳を強者として勝負を挑んだのだ。彼もまた、その戦士として彼女との戦い、満足して逝けたに違いない。まぁあくまで俺の予測でしかないんだけどな!
「貴方がそう言うなら……少し、救われました」
そう言って微笑むカレン。うむ、やはり笑顔の方が素敵ですよ!そういうとテーブルにあったハサミが俺の顔の横を通過して壁に突き刺さった。んだよ!そんなに怒んなくてもいいじゃん!!
ブツブツと文句を言う俺にカレンは心底面白そうに笑っていた。笑うことはいいことだぞ!ただ笑いをとるために命懸けなのは勘弁してほしいけどな!!
そう思ってると、外で順番待ちをしていたDrと同行していたモコエナが入ってくる。彼女がDrの護衛兼、秘書になれば丸く収まるだろう。なんて言っても人民解放軍のエリートで銃剣のスペシャリスト。体術もかなり強いと思うので護衛には申し分ないですな!!
「ならジョーカーくんは今日限りで契約終了で」
え?そう問いかける前に俺は手荷物を雑にまとめられてドイツの工場からさっさと追い出されてしまうのだった。
それを電話でココにチクると彼女は腹を抱えて爆笑し終えた後、報酬を振り込むからまたよろしくね、とだけ言って電話を切った。
後日、空港で通帳残額を見るととんでもない数字が入金されていて、思わず半額をココのシークレット口座に振り込み直すのだった。