ハングオーバー!!?魔法少女☆と史上最悪最後の二日酔い 作:明暮10番
「……そんな……」
荒れ果てた道路、燻る黒煙、吹き荒む暴風と、「彼女」の狂った笑い声の中、一人の少女が嘆き呟いた。
彼女の眼前にどこまでも、ただただどこまでも広がるのは、黒と灰色に変わり果てた街の有り様だけ。
「希望」はない。
「未来」もない。
この街にあるその全ては、もう呑み込まれてしまった。
「こんなのってないよ……」
「始まり」は、鮮やかな「祈り」だった。
そして残されたのは、鮮明に浮かび上がる「絶望」の景色。
絢爛なまでに染め上がる「呪い」の末路。
「……あんまりだよ……!」
つまりは、全ての「終わり」。
──『フィルで〜す。今、日本にいま〜す。コレクトコールで掛けたならご愁傷様──』
『やぁ、アランだ。電話よりメールにしてよ──』
留守番電話の応答メッセージがスピーカーから流れると、すぐに電話を切った。
「…………みんな出ない……」
スマートフォンを下ろし、一人の女性が物憂げに窓の外を見る。
空は分厚い鈍色の雲に覆われ、異様な速度で西へ流れて行く。
その雲々を導く風はあまりにも強く、雄叫びのような音を響かせながら窓や建物の外壁を叩いた。
遠く、あまりにも強い暴風に負けた企業の看板が、激しい音を立てて崩壊する。その様を見た建物内の避難者たちは悲鳴をあげた。
電話を諦めた彼女は欧米人で、特段に目立っていた。
と言うのは辺りにいる人々は、ほぼ全てが日本人だったからだ。
彼女はとある用事の為に来日し、そしてこうやって災害に巻き込まれてしまったようだ。
窓の外を見て不安がる彼女のそばへ、一人の男性が近寄る。彼は彼女の夫であった。
「『トレイシー』……校内は全部見て回ったけど、フィルたちはいなかったよ……電話の方はどう?」
「……駄目。フィルにもアランにも繋がらない……まだ電波は生きているハズなのに……」
トレイシーは再びスマートフォンを操作して別の人物にかけてみる。
『幸せ新婚生活満喫中の歯科医師、ステュアート・プライスは今、電話に出られません。ピーっと言う音の後に──』
また応答メッセージが流れ始めたので、苛つきと焦燥を込めて電話を切った。
「ステュも駄目……あぁ『ダグ』、どうしたら……!」
「落ち着くんだトレイシー、大丈夫だ、落ち着こう……なにも避難所はこの学校だけじゃないんだ。アランたちは別の避難所にいるんだよ、きっと」
「でも電話に出ないなんて……」
「電話を落っことしたのかもしれない……とにかく、今は信じよう。ここで君がパニックになっちゃ仕方ないだろう」
頭を抱えて動揺する妻を、夫のダグは慰めてやる。
トレイシーは彼の肩に寄りかかり、触れながら彼女は不安を吐露した。
「……嫌な予感がする。ベガスと、バンコクの時みたいな」
途端にダグは渋い顔付きとなる。
「あーー……さすがに……まぁ、この日本なら大丈夫だと思うよ?……その……ベガスとバンコクに比べたら遥かに治安が良いから……な?」
「……えぇ、大丈夫だと信じたいけど……」
「それに今度はバチェラー・パーティーに来た訳じゃないし、みんな……まぁ、僕も含めてアレから反省している。ハメを外したりはもうしないさ」
「……フィルとステュはともかく、アランが心配よ。またみんなを巻き込んでたりしたら……」
「君の心配は尤もだ、トレイシー……でもほら、さっきも言った通りここは日本で、しかもスラムとは程遠い街だ。さすがのアランでも酷いやらかしは──」
身を寄せ合う二人に、一人の日本人の女性が流暢な英語で声をかけた。
「あの、すいません……」
男勝りな顔付きと風貌の女性であった。ただその表情は酷く狼狽している。
只事ではない空気を察したダグはすぐに反応をする。
「どうしました?」
「その、娘が……ええと……中学生くらいで、髪を赤いリボンで二つ結びにした女の子なんですが……見ていませんか?」
見覚えのないダグは、トレイシーへ見ていないかと目配せする。しかし彼女も見ていないようで、小さく首を振るだけ。
「……力になれなくて申し訳ない」
「……い、いえ、ありがとうございます──ったく! まどかの奴、どこ行ったんだ……!」
二人から離れた彼女は髪をくしゃっと掻き上げ、やや乱暴な口調の日本語でぼやく。
外は風が荒れ狂い、遠くではまた何かが壊されたのか、ひっきりなしに破壊音が鳴っている。
すると彼女のポケットから着メロ。即座に携帯電話を取り出し、液晶に表示された発信者の名前を読む。
そこには「まどか」の文字が。
「……っ!!」
受信ボタンを押し、電話を耳に押し当て、辺りを一切憚らずに怒鳴る。
「まどかッ!? あんた一体どこにいやがんだッ!?」
その怒声に驚き、ダグとトレイシーが彼女の方へ向いた。
「心配させやがって……今すぐ戻って──あ? え、英語? 男?」
日本語で怒鳴っていた彼女が、瞬時に英語へと言語を変えた。声音から怒りの他にもう一つ、戸惑いが宿っている。
「……おい、てめぇ誰だ? なんで娘のケータイに…………フィル? フィル・ウィネック?」
彼女の口から「フィル・ウィネック」の名が聞こえると、ダグとトレイシーの目が一気に剥き出された。
そして次の瞬間には間髪入れずに彼女の隣へ夫婦揃って駆け込んだ。
「いいい、今今今ッ!? フィル・ウィネックって言ったか!?」
「ごめんなさいその電話貸して!! し、知り合いなのっ!!」
少しばかりパチクリと目を瞬かせてから、彼女は夫婦の熱量と勢いに押し負けておずおずと携帯電話を差し出した。
トレイシーがそれを引ったくるように借りると、すぐに話しかける。
「フィルっ!? フィルなのっ!?」
スピーカーの向こうからは切り付けるような風の声と衝撃音、そして一人の男の情けない声が聞こえて来た。
「と、トレイシーかぁ……!? あぁ、良かった……最後の奇跡だ……!」
フィルは暴風の中、そして破壊された街の中にいた。背後には瓦礫の上に腰を下ろし、頭を抱えるもう二人の男。
電話の主たるフィルは、汚れた顔と服、乱れ切った髪晒しながら険しい表情で話した。
「……すまない……まさか……こうなるとは思わなかったんだ……」
「え!?」
突然の謝罪を聞かされ、トレイシーは困惑する。
「もう……希望がないんだ……勝ち目がない……ステファニーや子供たちに、すまないと伝えてくれ……もっとお互い、話し合えば良かったんだ……」
「何言ってるのよフィル!? 何かあったの!? 怪我でもした!? ねぇ、アランとステュは!? 一緒なの!?」
トレイシーからの質問責めを受け、フィルはただただ申し訳なさそうに頭を振るだけ。
「……二人は一緒だ……でももう……無理だ。戻れそうにない……」
「フィル……?」
「……あぁ……その……また、やっちまって……いや、やっちまっただけならどんだけ良かったか……」
フィルは絶望に満ちた表情で、遠くの空を見渡した。
渦巻く黒雲の中心に、暴れ吹く突風の始まりに、「彼女」はいた。
くるりくるりと回り、狂った笑い声をあげていた。
その彼女の眼下には破壊された街と、膝をついた「少女」がいるハズだ。
絶望的な光景と、あまりにも強大過ぎる力を目の当たりにし、フィルは無力感と共に呟いた。
「……もう、説明する時間もない」
ただただ、首を微かに振るだけ。
「…………俺たちは呑まれちまったんだ……希望も、未来も──キョースケも……」
落胆の声をあげる彼に対し、電話越しのトレイシーは眉根を寄せ、顰め面のまま言葉を返した。
「…………キョースケって誰?」
──二ヶ月少し前の出来事だ。歯科医師「ステュアート・プライス」が診療所を構えているオフィスビルで、火事が発生した。
出火原因は埃の溜まったコンセント。あれよあれよで炎は燃え広がり、ステュアートの診療所を含めた四階層が全焼した。
不幸中の幸いなのは、火事の発生が深夜だった為、死傷者はいなかった事。
その幸い中の不幸が、火事の発見が遅れて燃え広がった事。
何にせよステュアート歯科医師は、理不尽にも診療所を休業せざるを得なくなってしまった。
「あぁもう、ホント最悪だよ……」
ナイトバーのカウンター席で、ステュアートは眼鏡を持ち上げて顔を覆っている。
隣には彼の友人である「ダグ・ビリングス」が肩を叩き慰めてやっていた。
「ホントにな。マジに災難だった」
「コンセントぐらい掃除をしろっつの……お陰で僕の真っ白だった診療所は真っ黒ケだよ……あぁ、思い出したら泣きそうになって来た……僕に子どもが出来たら、コンセントは掃除するよう絶対に躾けるよ」
「でも、火災保険には入ってたんだろ? それに火元は別のオフィスなんだから、賠償金も踏んだくれるさ」
「それでもだよ……新しいオフィスを探さなきゃだし、また一から機材も揃えなきゃ駄目。それにカルテも、パソコンのデータと一緒に燃えちゃったから顧客情報もパー。従業員たちへの説明に……あぁもう吐きそう……」
吐きそうと言いながら彼は、グラスに残った酒を一気に飲み込んだ。
「……結婚一年目にしてなんて災難だ。あのベガスとバンコクでの忌々しい事件を含めて、僕はとんとツイてない」
「それは僕も同意する。でもベガスとバンコクの時よりはマシじゃないか」
「診療所が燃えちゃったのにか?」
「今回は歯は抜けてないし、タトゥーも入ってない」
ステュアートは苦い顔をして口元と顔面の左側に手を当てる。
「……とにかく当分は……そうだな。向こう、一ヶ月か二ヶ月は休業しなきゃだ。休業と言っても、休む暇なんてないけど」
「困ったら頼ってくれ。僕はいつでも味方だ」
「……あぁ。良い友人を持ったよ……それなら良い感じのオフィスを見つけたら僕に教えてくれないか、友人?」
「お安い御用さ、友人」
二人は目を合わせて笑い合ってから、空いたグラスに酒を追加させ、乾杯をする。
酔いが回り、口が軽くなってしまったステュアートは、火事とは別の話題を話し始めた。
「……実はだな。火事さえなかったら、日本に行こうとしていたんだ」
その話題に対し、ダグは深い興味を持つ。
「へぇ! 日本に! どうして?」
「ローレンのお義父さんからの勧めだ」
「あぁ……君を
「今はお互い良好な関係だよ……まぁまぁまぁ、そうじゃなくてだなぁ……」
ステュアートは酒で口を湿らせてから続けた。
「義弟のテディがチェロ奏者だっただろう?」
「あの指切った子?」
「ダグ……友人なら一々そう、僕の傷を広げないでくれ……その繋がりで、日本のある音楽家と家族絡みの親交があったんだ。それも、メチャ有名な」
「誰? なんて名前?」
「『カミジョウ』って人だよ」
「知らないな」
「そりゃ良かった。僕も知らなかったからね」
皮肉気味に微笑んでみせてから、ステュアートはそのカミジョウに会う事となった経緯を話す。
「ローレンが僕と結婚したと話して、『是非会ってみたい』と言われたそうだ。それで『どうだ、日本に行かないか?』と、半年前に」
「それで、都合が合った矢先に火事って訳か」
「その通り。カミジョウさんの息子が才能あるヴァイオリニストらしく、披露してやりたいとか色々聞いていたんだが」
「仕方ないよ。診療所の火事なんて誰も予想出来やしないんだから」
「だけど、テディが『天才』と言っていたほどの腕前……是非聴いてみたかった」
ステュアートは肩を竦めて、残念そうに口を曲げた。
「ローレンは僕だけでもどうだと言っていた。ここのところ働き詰めだったから、ちょっと早いバカンスでも楽しんで来たらってさ」
「優しい奥さんじゃないか。確かにステュ、結婚して張り切り過ぎなトコあったからなぁ。『フィル』も心配していたよ」
「保険屋との相談は任せてって言ってくれたけど……さすがに面倒ごとを妻に押し付ける気にはなれない。日本旅行は諦めるよ」
「ほんの二、三週間ぐらい良いと思うけど?」
「なら君はトレイシーを置いてバカンスを楽しめる人間なんだな?」
「…………そう言うのはズルいぞ、ステュ」
そう言ってまた二人笑い合ってから、グラスの酒を同時に飲み干した。
ステュアートと飲み交わしてから暫くして、ダグは自宅で妻のトレイシーから相談を受けた。
最初はソファに腰掛け、リラックスした様子で聞いていたものだ。だが内容を知った彼は目を細め、困惑を表情に隠さず出してしまう。
「『アラン』がぁ?」
相談と言うのは、彼女の実弟でダグの義弟でもある「アラン・ガーナー」についてだ。
トレイシーはダグと向かい合わせになって座り、話をする。
「バンコクから帰ってから酷いのよ。一層様子がおかしくなって……」
「アランの様子がおかしいのは今までもだろ?」
「パパにも強く当たり出して、街に行ったらトラブルばっかり」
「例えば?」
「この間は酔っ払って、草野球の試合に乱入していたわ」
「まだマシじゃないか」
「全裸よ?」
「それは大問題だ」
トレイシーは疲れ切ったようにコメカミへ手を当て、あれこれ思案する仕草を見せた。
「……弟は忘れられないのよ。ベガスとバンコクでの出来事が……刺激が欲しいのよ」
嫌な頼み事をされる気がしてリビングから逃げようとするダグだが、完全に動きを呼んだトレイシーに肩を掴まれ阻止される。
「どこか、そう、海外旅行に連れて行ってあげたら良い刺激になると思う」
「トレイシー……じゃあ、今度はどこに連れて行くんだい? ベガス、バンコクと来たら、次はシリアかアフガン?」
「ダグ!」
「冗談だよ……でももう僕はそう言う派手で、治安の悪い所に行くのは反対だ。逆にアランを刺激中毒にしてしまう」
「別にベガスのような所に連れて行くって訳じゃなくて……海外のどこか穏やかな所でも。アランはここじゃないどこかに行きたがっているのよ……家族とじゃなくて、気の合う親友たちと」
「でもそんな急に言われても……僕も君も仕事があるし……」
そこまで言ったところで、ふとダグは先日聞いたステュアートの話を思い出した。火事でお流れになってしまった、日本への招待の件だ。
「いいや、行かない。仮に行くとしても、アランと行く訳ないだろ」
翌日にもダグはステュアートと妻のローレンを誘い、レストランで頼んでみたが、案の定断られてしまった。
「頼むよステュ……お義父さんも、アランを連れ出してくれるなら旅費を負担してくれるって約束してくれたんだ」
「それでも嫌だ。ベガスとバンコクの悪夢を忘れたのか? アランはイカれてる」
「ちょっとステュ!」
拒絶するステュアートを、隣のローレンが宥めてやる。
「アランは友達なんでしょ? 少しは寄り添ってあげたら?」
「断る。第一、診療所が燃えたってのに……愛しい妻を置いてはいけないよ」
「私の事なら心配しないでって言ってるじゃない……聞いて、ステュったら! 火事になってなかったら殆ど休み無しだったのよ?」
「ロぉーレンっ!」
ローレンを制止させてから、改めてステュアートは頼みを撥ねつけた。
「とにかく、日本旅行は中止だ。早いとこオフィスを見つけて、新しい診療所を作らないと……」
途端、ダグはニヤリと忍び笑いを浮かべた。それに気づいたステュアートは眉を寄せる。
「なんだその不敵な笑みは?」
「そう言うと思ったよ、
足元にあったバッグから何かのファイルを取り出し、それをプライス夫妻にそれぞれ渡す。
中に目を通したステュアートの表情が、愕然としたものへと変わった。
「おい嘘だろ!? ここ、超人気のオフィスビルじゃないか!? しかも家賃も……前のオフィスより安くないか!?」
「あぁ、そうさ。トレイシーのお義父さんには多くのコネがいて……そのビルの管理会社もその一つだ。頼みを聞いてくれるなら、その場所でその家賃で手を打って貰うよう計らうって」
「何でもありか!?」
「オフィス探しも済んだし、奥さんも連れて日本に行けるな?」
これには断ってやると息巻いていたステュアートの決意が揺れる。ローレンは隣で小さく手をパチパチと叩き、喜びを表していた。
「良いじゃないステュ! オフィスさえ見つかったら色々な問題が解決するし、半年も待ってくれたカミジョウさんをガッカリさせずに済むわ!」
「ローレン……でも、アランはさすがに……」
「それにバンコクと違って、日本は治安も良いじゃない。銃やドラッグの所持も違法だから、危険な物はそうそう手に入らない環境よ」
「…………」
「ねぇ、ステュ……」
卓上の夫の手に、ローレンは自らの手を重ねた。
暫し顰め面で思案と葛藤を繰り返した末にとうとうステュアートは根負けし、ヤケクソじみた口調で許諾する。
「……分かった分かった! あぁ、良いだろう! 僕らの栄えある未来の為に、アランを日本に連れて行ってやろうではないか!」
「……本当に助かるよ、ステュ」
「それで、ダグかトレイシーは来るのか?」
「いや。僕らは仕事があって無理」
それを聞いた途端にステュアートは手の平を返した。
「それならやっぱ駄目だ! 僕らだけじゃアランの面倒を見切れない!!」
「何とか頑張ってくれよ……」
「さすがに無理だよ……荷が重過ぎる」
困り果てたダグは眉間を指で押さえ、解決策を立ててやる。
「……フィルはどうかな」
「お忘れのようだが、奴は学校の先生で家庭もある。無理だと思うがね」
「駄目元で聞いてみるよ。もし駄目だったら……しょうがない。上司に無理言って、何とか有給取ってみるさ」
「義弟の為に優しいねぇ、お義兄さん?」
「それほど今のアランがヤバいって事だよ」
疲れたように笑いながら、ダグはグラスに入った赤ワインを飲んだ。
更に数日後、ステュアートはオフィスの件のお礼を兼ねてガーナー邸にやって来ていた。地中海の家々を彷彿とさせる、白い漆喰壁と赤煉瓦の屋根の豪邸だ。
玄関ホールに通された彼を、家の主人である「シド・ガーナー」がテニスウェア姿で出迎えた。どこか破天荒な雰囲気が伺える老父だ。
「久しぶりだなぁ! アランの件、引き受けてくれて助かったよ」
「こちらこそオフィスの件、感謝しますとも。お陰様で来月には再開出来そうです」
「良いって事だ。寧ろアランが迷惑をかけた分、償いと思ってくれ。特にその……」
シドは顔の左面を示しながら、悪戯っぽくウィンクをする。
何とか消したタトゥーの事を言っているのかと、ステュアートは苦笑いを返すのみ。
「それでっ!……問題の、アランの事ですが」
息子の話に入った途端、明るかったシドの表情が曇り出す。
件のアランの部屋まで案内する傍ら、彼は愛息子の現状を語ってくれた。
「ここ最近のアランはしょっちゅう、『狼軍団』の話ばかりする。つまり君たちとの……まぁ、ベガスとバンコクでの話だな。その二つの出来事を忘れられないのは明白だ」
「色々とヤバいってのは聞いてますが?」
「あぁ。公然猥褻に万引き、それに飲酒運転……もう一ヶ月に数回は警察に呼ばれている。お陰で私は光熱費と税金に加え、罰金と保釈金まで毎月払わなければならなくなった」
「それはぁ……かなり、ヤバいですね……」
「そうだ。かなり、ヤバい。それと比べたら旅費の負担ぐらい端た金だ」
廊下を歩いていた二人の足が止まる。アランの部屋の前に到着したからだ。
「……退屈なのだよ。昔から知っているこの街は、息子にとって……ベガスとバンコクが、あいつを変えてしまった」
「まぁ、確かに。あれほどの経験は一生の内に出来るもんじゃない」
「ベガスに心を置いて来ただけではなく……バンコクにも心を、囚われてしまったんだ……私たちの手に負えない。すまないが、もう一度だけ助けて欲しい」
真剣なシドの眼差しに押され、ステュアートも覚悟を決める事にした。
シドは一度深呼吸をした後、アランの部屋の扉を叩く。
「なあーにぃ?」
扉の向こうから不機嫌そうな、アランの上擦った声が聞こえた。最後にステュアートと目配せをしてから、シドは扉を開いた。
今思えばこの出来事が、全ての始まりだったのかもしれない──未来のステュアートは、そう思っている事だろう。
いや、何が発端なのかは分からない。
ステュアートが仕事を張り切り過ぎなければ、さっさと日本に行って終わりだったハズだ。
そうでなくてもコンセントプラグさえ掃除していれば火事にならず、ステュアートは仕事に集中出来たハズだ。
或いはダグに日本旅行の事を話さなければ、アランがおかしくならなければ…………
何にせよ運命の悪戯は彼らを、本来ならば知らずに済んだ世界へと引き摺り込んでしまった。
それは歯車のように上手く噛み合ってしまい、しかも止まる事はない────
──色々と話が進んだ一ヶ月後。ステュアートは空港にいた。日本行きの便を待っているのは勿論だが、同時に人を待っているようだ。
スーツケースを傍らに置き、神経質に時計を確認する彼の背中を誰かが叩いた。
「よぉ〜オカマ先生!」
ステュアートが振り返った先にいたのは、サングラスをかけた色男。彼こそが、待っていた人物の一人だ。
「あぁ、『フィル』か……驚かさないでくれよ」
「なんだシケてんな! 久々に会ったのにハグの一つも無しかぁ?」
「アランを連れて旅行と言うだけで滅入っているのに、君の顔を見たら余計ベガスとバンコクを思い出して滅入っちまう」
「インプラントとタトゥー痕の具合はどうだ? それかケツの具合も聞くべきか?」
「やめてくれ……」
トラウマをずけずけと掘り起こされ、ステュアートはうんざりした顔で頭を抱えた。
嫌がる彼の顔を見て意地悪く笑う色男こと、「フィル・ウィネック」は辺りを見渡してからステュアートに聞く。
「お前のペチャパイ細君は?」
「ローレンだ!……実は賠償金の話し合いと日程が被ってしまってね。彼女は来週末まで遅れて日本に来る事になった」
「妻が対応するのか?」
「ローレンは元々、法学と保険関係の仕事をしていた。この件に関しては僕なんかより専門家だよ」
「ほぉ〜? そりゃ凄い!」
ステュアートは下目遣いでフィルを見つめ、少しおどけたような顔をしてみせた。
「それで……君はぁ、どうしたんだい?」
「どうしたって、何が?」
「どうして家族がいる人間が、たった一人三週間のバカンスを許されたんだ?」
レストランでの話し合いの後、ダグはフィルにも一応聞いてみた。最初こそは彼にも生活があると、断られると思って話してみたものの、どう言う訳かフィルは快諾してしかも乗り気だったそうだ。
明らかに妙だと勘付いていたステュアートは、思い切ってフィルにその理由を質問してみる。
途端に彼は苦々しく下唇を噛み、目を細めて顔を背けた。
「女房は子供と実家にいる」
「ほぉ、実家に……なに? 実家ぁ!?」
「ちょうどダグから話を聞いた時ぐらいに……その……まぁ、喧嘩しちまってな。家庭を蔑ろにしているとか何とかで……そんでお互いヒートアップして、あいつは頭を冷やす為に俺から離れた。子供と一緒にな?」
「おいおい……旅行している場合じゃないだろぉ? 今すぐ帰って、話し合うべきだ!」
「良いんだよ。どうせ来月には戻って来る……多分な」
サングラスの向こうに微かに見せた彼の瞳は、寂しげで悲しげでもあった。
「……休みはどうやって勝ち取った? 君は教師で、しかもクラスの担任だろ?」
「育児休暇で申請してやった」
「……色々と凄いな君は」
冷ややかな皮肉に対し、フィルは忌々しげな声音で「ありがと」とだけ返した。
暫くしてツアー客らを押し退け、ズカズカノシノシとやって来る肥満で髭面の男が現れた。
彼の姿を見た途端、フィルは人懐っこい笑みで手を振り、ステュアートは呆れ顔で天を仰ぐ。
男は二人を見つけると嬉しそうに走り寄って声をかける。
「やぁ! フィル! ステュ! 元気してた!?」
「やぁ『アラン』……」
二人に駆け寄ってから、最初はステュアートに、次にフィルにハグをした。ステュアートは嫌々と言った具合だが、フィルは大袈裟にがっしりと彼を抱きしめた。
「よぉ〜! アラン! お前こそ元気にしてたかぁ!?」
「そりゃもう、毎日元気してたよ! さっきも麻薬探知犬にオシッコかけてやったからね!」
早速かと言わんばかりにステュアートとフィルは顔を顰めた。それでもフィルは何とか笑顔を崩すまいと努力する。
「あ〜〜……そうかそうか! 大した奴だよお前は!……手は拭いたよな?」
「拭いたよ。Tシャツで……ねぇ見て見て! バック・トゥ・ザ・フューチャーッ!!」
そう言ってでっぷりとした腹が拡げたTシャツにある、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のロゴマークを指差した。
この彼こそが問題の「アラン・ガーナー」だ。
相変わらずの奇天烈ぶりにステュアートとフィルは目配せして肩を竦めたものの、まずは改めて再会を喜ぶ事にした。
「僕はこの前に君の家に行った時以来だが、こうやって揃うのは実にタイ以来になるな?」
「すっかり髪も元まで伸ばしたなぁ! だが! あの丸刈り頭もサイコーだったぞぉ?」
「頭の事はよしてよ、フィル!……それよりステュの言った通り、俺たち最強の『狼軍団』の再結成だ! ダグはいないけど……」
結局ダグは有給を勝ち取れず、また後日トレイシーと共に日本で合流する予定だそうだ。
ダグが暫し不在で、アランの言う「狼軍団」が揃っていない事にやや寂しげな様子の彼であったが、すぐにフィルが肩を組んで慰めてやる。
「まぁまぁ! ダグが遅れる分、俺たちで楽しみまくってやろう! なっ!? 日本にだってストリップはあるッ!!」
「待てフィル……ストリップクラブは、無しだ。ナイトクラブやダンスクラブも同様」
「相変わらずシケた野郎だなぁ! 結婚一年目でそろそろ独身が恋しくなって来た頃だろぉ? 妻のいない来週末まで、思いっきりハメを外せば良い!」
「お生憎様。離婚寸前の君と違って、僕は妻を尊重している」
「クソッ……アランの前で……」
「離婚するのフィルっ!? マジでっ!?」
アランが興味津々で食いついて来た横で、「それを言うな」と言わんばかりに睨むフィル。彼の怒りの表情を前に、ステュアートはしてやったり顔で笑った。
「……まぁ、気にすんなアラン。まだこの通り、結婚指輪は嵌めてる。離婚はしない……多分な」
「結婚式があるなら離婚式もあるよね。またタイソン呼ぶ? それよりジョン・シナ? ドヴェイン?」
「縁起でもない事言うなッ! おいさっさと行くぞ時間だッ!……呼べるならヴァン・ダム頼める?」
怒鳴り声で話題をぶつ切り、フィルは先々に搭乗口へと行ってしまった。
彼の背中をステュアートは憐れみの目で、アランは惚けた顔で見つめる。
「……あれが中年の危機って奴か。恐ろしい」
「ねぇ。離婚式ってウェディングケーキとか出る?」
「…………パイなら出るぞ。あいつの顔にぶつけてやる為の」
「それめちゃくちゃ面白そう!」
やれやれとステュアートが首を振ってから歩き出すと、アランもウキウキとそれに続いた。
怒ったフィルを追って搭乗口へ向かう途中の二人の後ろを、ボトボトに濡れた麻薬探知犬が横切る。
飛行機で夜を明かし、朝日と共に街に着く。
ここは日本────ようこそ、「見滝原市」へ。