ハングオーバー!!?魔法少女☆と史上最悪最後の二日酔い 作:明暮10番
荒れた部屋、汚れてだらしのない身なり、ひたすらに痛い頭と身体、胃液があぶく立っているかのような不快感。
目に写るもの、身体で感じるもの、その全てに既視感がある。
延々と走馬灯のように頭の中で流れる記憶は、ベガスとバンコクでの悪夢。
「…………おい、嘘だろ……」
絶望と驚愕から頭が冴えて来る。両手で髪をゆっくり掻き上げ、気を落ち着かせようと二度ほど深呼吸。
朝ぼやけの都市を見下ろしながら放心状態のフィルの後ろ、破れたカーテンに埋もれながら寝ていたアランが起き上がる。
「……あー……あれ? フィル? なにこれ? めちゃくちゃ散らかって…………」
アランもこの既視感で、何が起きたのかを察したようだ。
振り返るフィルと目を合わせ、呆然と目を瞬かせている。
「……もしかして、またやっちゃった?……今回は髪、ある?」
「……ちゃんとあるぞ」
「そっか……うん。良かった」
「…………お前、また何か仕込んだか?」
以前もその以前も、この悪夢の発端はアランが仲間に盛ったドラッグが原因だった。フィルが疑うのも無理はない。
疑念を受けたアランは必死に首を振って否定する。少し振り過ぎて気持ち悪くなったのか、一回えずく。
「お、俺じゃないよぉ!?」
「どうだかな。前もそう言ってお前だったじゃないか」
「だって病院じゃ何もやってないじゃん!? みんな何も飲んでも、食べてもなかった!!」
確かそうだったとフィルは思い出す。恭介と話していた時に、一味は何も飲み食いをしていなかったし、アランが何か渡して来たと言ったような事もなかった。
あの時にコーヒーでも飲んでいれば疑うところだが、今回ばかりはどうやっても不可能だ。
「……ホントだろうな? 今度こそ神に誓うか?」
「か、神に誓うよぉ! そもそも日本じゃマリファナも
「よし……ひとまずお前を信じよう……とにかく、ステュと恭介を探すぞ」
足元で転がる車椅子を見ながら、フィルはそうアランに命じた。
命令を受けてすぐに動こうと、アランはのっそりと立ち上がって背を向ける。
その際に彼の後頭部を見て、フィルはギョッと目を見開き声をあげた。
「うおあビックリしたぁッ!?」
「え? どしたのフィル?」
「動くなアラン!」
振り向こうとするアランを止めて、まじまじと彼の後頭部を良く良く確認し、苦笑いをする。
「お前……ヴォルデモートに取り憑かれてるぞ……」
「はぁ?」
フィルが言う通り、丸刈りにされたアランの後頭部にはハリー・ポッターシリーズの悪役、ヴォルデモート卿のリアルな顔が浮き上がっていた──厳密に言えば実写版ヴォルデモートを演じているレイフ・ファインズのものだが。
どうなっているのかとアランが近付いて観察してみると、それは髪を剃り込んで描いたものだと判明する。
「……あー……ヘアタトゥーって奴か。すっげぇリアル」
「ねぇフィル? 俺の頭の後ろどうなってんの?」
持っていたスマートフォンで彼の後頭部の写真を撮り、それをアランに見せてやる。
「……嘘だろ!? 何コレ!? 賢者の石じゃん!?」
「あれ息子、めちゃくちゃ気持ち悪がってた」
自身に刻まれたヴォルデモートの顔に気付いたアランは、頭の後ろを触りながら少し泣きそうな顔になる。
「……ターバン巻いた方が良いかな?」
「ヴォルデモートは不気味だが、頭の後ろだけ丸刈りなのはなかなかウケる」
「…………ドビー好きだった俺にこんなの屈辱だよ……」
茫然自失とした足取りで、顔でも洗おうかとキッチンの方へ歩く。
その際にキッチンのバックカウンターにて、空っぽの酒瓶と共に倒れていたステュアートを発見。溢れた酒に塗れていた。
「あ! ステュいたよ!」
「いたか!?」
すぐさま駆け付け、フィルはステュアートの横でしゃがみ、彼の頬を叩く。
「おいステュ起きろ!」
呻き声と共にステュアートは目をしぱしぱさせながら覚醒する。
「……あー……あぁ、フィル……ええと……身体が凄く痛いんだが?」
「あぁ安心しろ。俺も痛い」
「俺はそうでもない。この脂肪がクッションになってくれた」
自身のお腹を叩いて自慢げなアランを無視し、ステュアートはゆっくり上半身を起こしてまず一言。
「……おい嘘だろ」
「俺もその台詞言った」
「……た、タトゥーは?」
「安心しろ。今回はない」
「あぁ、良かった……なら歯は? アー……」
確認してくれの口を開くステュ。頼まれた通りに彼の口内を覗くが、欠けた歯は一本もない。
「大丈夫そうだな。キッチリ揃ってる。インプラントになってる奴を除いて」
「言わないでくれフィル……」
安堵したような表情になったのも束の間、アランに向かってぎろりと目を向ける。
「俺じゃないってぇ!?」
「ベガスでもバンコクでもやらかした君だぞ? 何言っても信じられないな?」
「ステュ落ち着け!」
アランを疑う彼を、フィルが宥めてやる。
「病院じゃアランは何も俺たちに勧めてなかっただろ? それに何も俺たち、食ってもないし飲んでもない!」
「それはそうだが…………」
病院と言う単語を聞いた途端、病室での出来事を思い出し、ステュアートの顔から色がなくなる。
「お、おい!? 恭介は!? 彼は無事なんだろうな!?」
「ま、まだ見つけてない……」
「彼はお義父さんの友人の一人息子だぞぉ!? テディーみたいに何かあったら、もう僕らの結婚生活はおしまいだッ!?」
「車椅子がそこに倒れてる! あの子はテディーと違って一人じゃ歩けないんだろ!? なら……この部屋にいるハズだ!」
「いるハズってどこに!?」
「だから今から探すんだろッ!?」
錯乱状態に陥るステュを、フィルは一喝して黙らせる。
「とにかくここでブータレても仕方ない! とっとと恭介を見つけて病院に返す! 簡単な事だろ!!」
「今まで簡単に行かなかったじゃないか……」
「なんだかんだ丸くは収まってたろぉ!?……まずは部屋中を探そう。おいアラン!」
アランは、キッチンカウンターに置いてあった缶コーラを嗜んでいた。
「なに?」
「俺は玄関を見るから、お前はまずバスルームを見て来るんだ!」
「えー? やだよ俺!」
「なんでだ!?」
「また虎とかお猿さんいるかも……」
「いる訳ないだろぉ!? ここは野犬一匹いない事で有名なあの日本だ!」
「それもそっか」
納得し、コーラを持ったままバスルームへ向かう。背を向けたので、後頭部のヴォルデモートがステュアートにも見えた。
「……幻覚か? アランの頭の後ろに……ヴォルデモートがいた」
「気にすんな、ただのヘアタトゥーだ。そんじゃ俺は玄関と廊下を……ステュ、服が酒塗れで臭いぞ。まずは着替えて来るんだ」
ステュアートは天を仰いだ後に覚束ない足で立ち上がり、ふらふら着替えが置いてあるベッドルームへ歩いて行く。
それを見届けてからフィルも立ち上がり、玄関口へ恭介を探しに駆ける。
バスルームの前まで来たアラン。
ドアノブを掴むものの、虎と遭遇したトラウマが手を止めさせてしまう。
「安心するんだアラン・ガーナー……ここは日本だから、虎もお猿さんもマイク・タイソンもいない……多分いない」
自己暗示を何度も唱えてから、意を決して扉を開く。
恐る恐る足を踏み入れて、中を確認。バスルームは、 シャンプーや石鹸などで広く乱雑としていたものの、虎や猿と言った他の動物はいなかった。
「……ふぅーっ。良かった良かったぁ……」
安堵し、振り返るアラン。
その先にあった洗面台の上に、黒猫がちょこんと座っていた。
ビックリして落ちていた石鹸を踏み、アランは滑って転ぶ。
玄関とトイレを確認してから、フィルは廊下に出て左右を見渡す。
しかし彼の視界には、恭介らしき人影は見当たらなかった。
「クソッ! どこにいるんだ……」
苛つきを滲ませ悪態吐き、ドアを閉めてから玄関口でたたら踏む。
ふと目線を下げた際に、傘立ての下で何かを発見した。
「…………ん?」
何だろうと顔を寄せたフィルだが、その正体に気付いた途端に目を大きく見開いた。
大慌てでリビングに戻るフィル。
「お、お、お、オイ!? 大変だ! 傘立ての下でコレが…………」
そこには黒猫を抱いてにこやかに笑うアランの姿があった。
「……なんで猫が?」
「分かんないけどバスルームにいたんだ。ホラ見て! 俺に懐いてる!」
アランが猫の頭の上に手の平を置くと、それを猫の方から頭を擦り付けて甘え出した。
「こいつの名前決めた! ミリセントなんてどう!?」
「……誰かの飼い猫なんじゃないか?」
「首輪着いてないし、多分野良猫だよ。日本は野良犬はいないけど、野良猫はいっぱいいるんだって!」
「……そ、そんな事は良い! アラン、落ち着いて聞くんだ──」
フィルが話そうとした途端に、今度はベッドルームからステュアートの悲鳴があがる。
二人と一匹は顔を見合わせた後に、すぐさまベッドルームへ駆けた。
「どうした!? 恭介見つけたか──うわあああッ!?」
「ねぇ、ステュどうしたの──うわぁ!? マジで!?」
キングサイズのベッドの横、服を替えようとして上半身裸のステュアートが立っている。
二人が驚いたのは、彼のその上裸にあったものだ。
「これは……い、一体なんなんだぁぁ!?」
震えて困惑するステュアート。
彼の臍の下と乳首の周りには、色鮮やかでなかなか大きなタトゥーが彫られていた。
「今度は顔じゃなくて身体かよッ!?」
「お、落ち着くんだステュ! まだ顔よりマシ……だろ?」
「マシな訳あるかぁッ!? これじゃ……ローレンと夜を楽しめないだろぉ!?」
パニックに陥って喚き散らすステュアートの、その身体に彫られたタトゥーを良く見てみる。
臍の下に彫られていたタトゥーは、ショッキングピンクと黒を基調とした、ハートに蝙蝠の翼を生やさせたような複雑でシンメトリーなデザインのもの。もう一方は乳輪を沿うようにしてターゲットマークが彫られ、それをまたピンク色のハートで大きく囲ったようなデザイン。
それを見てアランは何か確信を得たかのように頷き、猫を撫でながら真面目顔で話す。
「ステュ……それ『淫紋』だよ」
「い、い、淫紋?」
「ジャパニーズHENTAIカルチャーの一種さ。それ彫られた女の子はエッチになっちゃうって設定」
「どうでも良いッ!!」
即座にステュアートは脱いだシャツでゴシゴシ拭い取ろうとするが、タトゥーなので消えるハズがない。
消せないと悟ると、彼は怒りに任せてシャツを床に叩き付け、顔を覆う。
「あんまりだ……! 僕が何をしたって言うんだぁ!?」
「また顔の時みたいに除去手術したら良いじゃん」
「簡単に言うなアホッ! タトゥー除去でも完全に消せないんだぞ! しかも今度はこんな、派手でデカくてカラフルで……!」
「そ、それよりもだ、二人とも……!!」
フィルが二人の注意を引く。さっきからずっと、顔が蒼白としていた。
どうしたと言いたげな表情で顔を向ける二人に、フィルは玄関で拾った物を見せつけた。
彼が持っていたのは、付け根ごと一緒に切断された、人間の薬指と小指。
それを見た途端にステュアートもアランも腰を抜かし、猫もニ"ャ"ーと鳴く。
「うわああッ!? そ、それ……恭介のモノか!?」
「テディーの時よりゴッソリじゃん!?……ホントに恭介の?」
「そ、そうだ! アランの言う通り、まだ分からないぞぉ!? 見た感じ……こ、子どものものっぽいが……」
フィルの言う通り、その薬指と小指は若々しく綺麗なもの。
更に指には傷が入っていた。その傷を見たステュアートは「あっ!」と思い出し、歯をガチガチ震わせる。
「そ、その指、見た感じ左手だろ……!? 確か恭介、あの時……ひ、左手に怪我していた……!」
「じゃあコレやっぱり恭介の? うわぁ……大変だよミリセント」
呑気に黒猫のミリセントに語りかけるアランの前で、指を持ったまま膝から崩れ落ちるフィル。
「なんてこった……! これじゃ……腕が治せる方法が見つかっても、ヴァイオリン弾けないぞ!?」
「終わった……僕らはもう破滅だ……あぁ……完全に彼の夢を潰してしまった……!」
「日本は医療大国だからどうにかなるんじゃない?」
「なるかぁッ!!」
あくまで呑気なアランを怒鳴り付け、ステュアートはベッドを激しく殴った。
もぞりと、ベッドの上で何かが動く。
それを目の端で捉えた三人は、そちらの方へ目を向けた。
キングサイズベッドの頭に、大きく膨らんだシーツ。
凝視する三人の前で、またシーツはもぞりと動いた。
「…………誰か……寝て、る……よな?」
ステュアートがそう聞いたと同時に、フィルは目を輝かせてベッドに飛び乗った。
「恭介かァ!?」
彼の名を叫び、柔いベッドの上を進み辛そうに這う。アランもステュもその後を追った。
何とか膨らみのある場所まで到達し、フィルはシーツを掴む。すぐに引っ張ろうとした時に、ステュアートがぼそりと呟く。
「……また赤ん坊、とかじゃないよな?」
「赤ん坊にしてはデカい!」
「もし赤ん坊だったらステュ、今度は重婚しちゃった事になるよね。しかも臍の下と乳首に淫紋タトゥー彫ってさ!」
ミリセントを撫でながらケタケタ笑うアランを、ありったけの憎しみを込めてステュアートは睨む。しかし上裸でその淫紋タトゥーを晒した今の自分の姿を客観的に想像してしまい、情けなさから泣きそうな顔で俯いた。
「おいよせ、茶化してやるなアラン!……あー、ステュ。ローレンには俺から説明してやるから。な?」
「……記憶もないのにか?」
「これから取り戻す」
ステュアートを割りかし雑に慰めてから、改めてフィルはシーツを引っ張って剥ぎ取った。
「恭介っ!!」
彼の名を呼び、膨らみの正体に目を向ける。
シーツの下にいたのは、探し人たる中学生の少年──
「むにゃ……キョーコぉ……」
──ではなく、小学生と思われる、パジャマドレス姿の少女。
全く予想外の人物に、フィルのみならず全員の思考が停止する。
「…………?…………????」
「……幼女じゃん?」
そう呟いたアランの腕からミリセントが飛び出し、まだ寝息を立てている彼女の顔元まで寄って、柔そうな頬をペロペロ舐める。
ザラザラした猫舌の感触が目覚ましとなり、少女は少し微睡み気味ながらも起床する。
「う……うぅーん……」
身体を起こし、寝起きで焦点の合わない目でぼんやりあらぬ方を見る。寝惚けた様子だが、膝の上に乗っかったミリセントは撫でていた。
「えへへ……よしよし……ふぁあ〜……」
「………………」
起きて猫を撫でて欠伸をする一連の動作を、宇宙人にでも遭遇したかのような顔で見ている大人三人。
やっと頭がスッキリして来たのか、彼女はやっと隣に座っている、フィルらに目を向けた。
「……あ。おはよ〜、おじさんたち」
ぽやぽやとした笑顔で、挨拶をする。
暫くしてリビング。
あらゆる物が散らかった中、フィルとステュアートは椅子やソファに座って向かい合わせとなっていた。窓から燦々と照る朝日をバックに、双方とも頭を抱えている。
黒猫のミリセントだけが呑気に、朝日を浴びながら香箱座りで寝ていた。
「……状況を整理させてくれたまえ」
まだ上半身裸のステュアートが、先に手を挙げた。
「……僕たちは昨日、病院に行った」
「怪我した俺の手の検査をしにな」
「それで恭介の病室に入って、彼を励ました。そのまま泣かせてしまったガールフレンドを追いかけて、恭介を車椅子に乗せて病室を出た……」
「んで、気が付いたら……俺の足元に恭介が乗っていた車椅子があって、この通り部屋はぐちゃぐちゃ。俺たちはベガスとバンコクの時のように……記憶が吹っトんで二日酔い状態……」
キコキコと音が聞こえて、二人はそちらへ目を向ける。
車椅子にアランが座って、動かして遊んでいた。
「そんでステュの身体には淫紋。俺の頭にはヴォルデモート。バスルームにはミリセントがいて、ベッドルームには幼女、玄関には恭介の指……だよね?」
アランの総括を聞いて、フィルは天を仰いだ。
「……さっぱり訳が分からん! 俺たちは夕方の病室から朝のホテルまで、何をしちまったんだ!?」
「も、もしかしてあの子……ラリった勢いで僕たちが誘拐しちゃったんじゃ……!」
「落ち着けステュ! 誘拐されたにしちゃあ、あの子は俺たちに懐いてた!」
「懐いていても、親元から離してしまった事には変わりないだろぉ!? 日本の法律は知らないがこれは……立派な犯罪だぁ!!」
「そ、そうだが……クソッ! 訳を聞こうにも、英語が話せんから全く話が聞けない……!」
そう言ってフィルはベッドルームの方を見る。
今ベッドルームで謎の少女は、普段着に着替えている最中だ。
「……あの子もそうだが……歩けないハズの恭介はどこに…………」
ハッと気付いたような表情で顔を上げ、フィルは希望を込めて言う。
「……屋上……ッ!!」
すぐに三人はバリケードをこじ開け、ユグドラシル見滝原の屋上に出る。鋭い風が吹き荒むそこはヘリポートだった。
三人は散り散りになり、ヘリポートの隅から隅までを捜索する。
「恭介ーーッ!! どこだーーッ!?」
フィルはヘリポートの四隅にあるアンテナの根元まで走り、その裏に隠れていないか探す。
「おーーいっ!? いたら返事をしてくれーーっ!!」
ステュアートはヘリポートの出入り口付近を含めて探す。上着代わりに羽織ったバスローブだが、強風の為に前がはだけてしまい、しっかり淫紋タトゥーを晒していた。
「恭介ぇー! いるー?」
「にゃー」
アランはミリセントを抱っこしながら、ヘリポートを沿うように走って探す。後頭部のヴォルデモートが嘲笑っているかのようだ。
五分ばかり探したところで、三人と一匹は「いない」と判断して引き返す事となる。
帰りのエレベーター内でフィルとステュアートはアレコレ議論し合う。アランはエレベーターの階層表記を見上げながら、ミリセントを撫でていた。
「……フィル、こうなったら頼みの綱はあの子しかいない……ホテルの人間なら英語が話せる。彼女の通訳を頼んだらどうか?」
「馬鹿言うなステュ。あの子が包み隠さず、何かマズい事言っちまったら警察を呼ばれる」
「あぁ、そうか……と言うかあの部屋……見られたらマズいよな?」
「クソッ……ルームサービス断って、清掃も来ないようにしないと……」
チラリとフィルは、ステュアートを見やる。バスローブが解けて、淫紋タトゥーが前開きの隙間から丸見えだ。
「……前隠せ」
「おっと……これは失礼」
「ステュ、街のどっかで淫魔にでも会ったんじゃない?」
アランにそう言われ、ステュアートは前を閉じながら呆れ顔で背後に首を回す。
「……君は死喰い人にでも会ったか?」
エレベーターの後方は鏡張りになっており、バッチリとアランの後頭部にあるヴォルデモートが写っていた。
部屋に戻った三人だったが、先に玄関に入ったフィルが驚きと共に立ち止まる。
玄関にはあの少女が、深緑のワンピース姿で立っていたからだ。
「お、おおっと……!? どうしたんだ?」
通じないと分かっていながらも、英語で話しかける。
彼女も意味を分かってはいないだろうが、声をかけられた途端にボロボロと泣き出した。
「ふぇ……っ……! キョーコもみんなも……どっか行っちゃったっておもって……!」
出迎えかと思いきや、突然泣く少女。フィルは日本語が分からない事もあり、原因が分からず当惑する。
「お、おいおい!? なんで泣いてんだ!?」
「君の顔が怖いからじゃないのか?」
「馬鹿野郎! 自他共認めるハンサムだ俺ぁ! ハンサム顔は恐ろしくないッ!」
ヒョッコリ顔を出したアランが話しかける。
「ママが恋しくなったとか?」
「お前じゃあるまいし」
「それはニートに対する偏見だ! 俺はニートだけど親からは独立してる!」
「はいはい、そうだな……仮にママが恋しくなってりゃ、起きた時に泣いてるだろ……」
原因が分からないなりにもフィルは彼女に近付き、跪く。
大粒の涙を流しながら少女は、ちょっと困った顔で微笑む彼と目を合わせた。
「あー……Hello?」
「ぐすっ……はろー……」
「まぁ、なんだ……俺にも君ぐらいの子どもがいるから分かるぞ? 多分……あー……寂しかったんだろ? ごめんよ、独りぼっちにして」
そう言って彼女の頭を撫でた。
割れ物を扱いような辿々しい手つきではあるが、少女はその手を受け入れて、鼻を啜りながら涙を拭いて泣き止む。
「……うん。わたし、もう泣いてない」
「……泣き止んだか。やっぱ寂しかったようだぞ?」
安堵した様子で振り向くと、ステュアートとアランがほっこりした顔で微笑んでいた。
「全く。羨ましいねぇ、子どもがいる親は……僕も子どもが欲しくなるよ」
「離婚寸前なのにね!」
「アラーン!」
また余計な事を言うアランを黙らせた後、ウンザリした顔でまたフィルは少女に向き直る。
「ええと……俺は、フィルだ。分かるか? My Name! フィ・ル!」
「ふぃる?」
「そうだ! で、あっちがステュ。ス・テュ。その隣がアラン。ア・ラ・ン」
フィルの紹介に合わせて二人は手を振る。
それから彼は少女に手を差し出し、聞いた。
「
英単語を聞き取りやすいように、ゆっくり発音する。
少女はそれを必死に聞き取り、何となく「名前を教えて欲しいのかな」と察してから、辿々しい英語で名前を言った。
「まい、ねーむ、いず……『ゆま』」