ガチの悪役は世界観的に禁止スよね 作:ポッキー
一日の始まりは、まず猫先生への挨拶からスタートする。
早朝、起床した俺のお腹の上に乗って丸まっている猫先生を確認し、いつも通りの光景に安心しつつ上半身を起こした。
おはようございます、と朝のご挨拶を交わしつつ耳の付け根辺りを撫でてあげると、猫先生も起床なされて俺のそばから離れていく。
朝のルーティンの変わらなさを実感しながら一階へ降り、リビングへ向かうとテーブルの上にラップで包まれた食事が置かれていた。
『重畳ッ! 今日も起きれてえらい!』
労いの言葉が書かれた手紙も添えられて。
命を救ってくれたばかりか、寝床だけではなく朝の食事まで用意してくれている秋川理事長大先生には本当に頭が上がらない。
俺が元居た世界での”ウマ娘”における秋川やよいという存在は、ウマ娘たちに対する熱意や真摯さこそ伝わるものの、それ以外の面やプライベートなどがほとんど不明瞭な状況だった。
この世界に訪れて判明したのはその部分だ。
秋川やよいは大人だった。
小中学生のような背丈や容姿を加味しても余りあるほど、彼女はこの上なく立派な社会人でしかなかった。
もっとロリロリしい印象だったのに、気がつけばバブみを覚えてしまっていたくらいだ。
彼女はあまりにも大人過ぎる。
世のロリコンはあの方と触れ合ったら確実に性癖が矯正されてまともになると思う。それぐらいスゴいまともな御人なのだ。
その身一つで悪の組織に潜入したり、俺が性犯罪者のような事態を引き起こさないことを前提として、学園内の男子禁制の場所へも潜り込めるようウマ娘への変身を指示したりと、思い切った判断を下すことはあるがそれを無謀だ何だと考えるのは早計だろう。
思慮深い彼女のことだからきっと様々な考えがあって俺を利用しているに違いない。
この世界で唯一信頼できる相手と言っても過言ではないので、基本的にやよいさんを疑うようなことはしないと決めているのだ。
──まぁ、いろいろ語ったが結局は惚れた弱みというやつかもしれない。
恋愛的な意味ではなく、戸籍無しで正体不明で危険な改造を施された俺ですら救ってくれたその人間性に惚れ込んでいるため、基本的には何があっても俺は彼女の味方として行動する、ということである。
つまり多少の無茶ぶりを求められても従うしかないということだが、そこら辺は気合いでなんとか。
元の世界へ帰りたい気持ちと同じくらい、理事長に褒められたいという思いで日々がんばっております。
「おはようッ! 本日もよろしく頼むぞ!」
ウマ娘に変身してから登校し、理事長室へ赴くといつも通り彼女がいた。
俺の頭に乗って自宅から付いてきていた猫先生は、やよいさんの頭上という定位置に飛び乗り、彼女は『やはりこの重さが丁度良い』といいながら資料をまとめる業務に取り掛かる。
それを確認した俺は邪魔にならないうちに退室しようと、ドアノブを握り──
「……あの、
後ろから声をかけられた。
この世界で、俺をそう呼称してくれる人物は、たった一人しかいない。
偽の戸籍上では”田中太郎”である自分の本当の名前は、彼女にしか共有していないのだ。
悪の組織に改造された影響なのか、自分の苗字は忘れてしまったが、唯一覚えていた名前だけは忘れないように、と二人きりの時は毎回律儀に俺の名前を呼んでくれている。
言われて振り返ると、偉大なる夜空に輝く流星にして理事長大先生様は、いつもの自信に満ちた笑顔だったが、ほんの少しだけ心配の色を覗かせていた。
「体調のほうは……だいじょうぶ?」
常日頃から使っている堅い口調ではなく、こちらを慮る寄り添った喋り方で問うてきた。
彼女がこういった面を見せることに当初は面食らっていたのだが、もはや慣れたものだ。
秋川やよいという少女は、いたって普通の人間なのだと。
そう理解してからは、元の世界から持ってきた『秋川やよい』というキャラクターの概念に当てはめて驚くようなことは、全くもってしていない。
「ええ。有り余るくらい元気ですよ、心配してくれてありがとうございます」
「そ、そっか。よかった」
「……でも
「あっ」
指摘されて気づいた理事長は、コホンと咳払いを一つして切り替えた。
別の名前で呼ばれているところを生徒や教師から見られてしまったら、不信感を抱くきっかけになってしまうので、そこら辺は本当に気をつけてもらいたい。
もちろん名前呼んでくれるのは嬉しいんですけどね。
自宅で二人きりの時にそう呼ばれると、まるで同棲してるみたいで楽しいから、家ではむしろもっと名前を呼んでほしいくらいだけれどもね。
「──うむ。体調が良好であるならば心配はないな、ライジングホッパー。本日も勉学にその他諸々、精進してくれたまえ」
「ありがとうございます。では、失礼いたします」
軽くお辞儀をしてから退室。
すると、すぐに廊下で理事長秘書を務めていらっしゃる駿川たづなさんとすれ違った。
「あら、おはようございます」
会釈して通り過ぎると、たづなさんは理事長室へと入っていった。
彼女は一応の協力者ではあるが、このウマ娘の正体が俺であることは知らない。
清掃員のお兄さんとして働いている田中太郎に関しては、政府から派遣されてきた特別捜査員という態で通しているが、俺がヒロインと定めたあの三人と同じく『転入生のウマ娘=男が変身している偽物』という事実は伏せてあるのだ。
この学園で俺がTS美少女だという事実を知っているのは理事長だけである。
「おぉたづな。……む、周囲を見渡して、どうした?」
「いえ、今日は特別捜査員の方が見当たらないな、と思いまして。理事長はなにかご存じでしょうか」
「明瞭ッ! 彼は一旦本部へ戻っている模様!」
「そ、そうですか……ほっ」
ついでに言うと、たづなさんからの俺の評価はかなり低い。
というか、あまり信用されておらず警戒が解けない、といったほうが正しいか。
たづなさんは理事長が政府のお偉いさんと絡んで悪の組織の調査に多少絡んでいることは知っているのだが、俺に関しては以前からの顔見知りでもなんでもない、本当にただのぽっと出の新人調査員という印象しかない。
そんな得体のしれない新人が、なぜか理事長の仮住まいに居座ってしまっているため、困惑が抜けきらないのだろう。
政府の決定に正面から噛みつくわけにはいかないが、やよいさんを心配する立場としては、俺みたいなよくわからんヤツには近づいてほしくない──といったところが本音だろうか。
いや、ほんと怪しすぎる立場なのに同居しちゃっててすいませんとしか言いようがない。
理事長には誓って何もしてないのでどうか安心してほしい。
……説得力ないか。
ムリだなこれ。
「ホッパー! おはようーッ!」
そうやって思考に耽っていると、廊下の奥から大きな声が聞こえてきた。
顔を上げると、目と鼻の先で見覚えのあるウマ娘が、こちらに手を振ってくれている。
転入早々オグリキャップとかいう実力派のウマ娘を併走で負かしたにもかかわらず、学園を休みがちな変わり者の生徒の名前が響いたのもあってか、周囲の視線を集めてしまった。
オグリとのアレに関しては、改造されたウマ娘ボディの制御がうまくできなかったがために不可抗力的にああなってしまい、その結果として学園生から注目を集めてしまったのはとても大きな誤算だった。
もっと地味に転入してくるはずだったのに、これでは先が思いやられるというものだ。
また俺なにかやっちゃいました?
いろいろ派手にやらかしました……。
「び、ビコー。大声で名前呼ぶのやめてって」
「えー、なんで? 朝の挨拶は元気よく、だぞ!」
ウマ娘姿の俺にいの一番に話しかけてきたのは、先日ヤバい秘密を共有したばかりのビコーペガサスだ。
そんなかわいい声で呼んだって迷惑なもんは迷惑なんだからな。
お詫びに目覚まし用のボイス録音してスマホに送っといてね。
「ホラ急ごう! ヒーローは遅れてやってくるものだけど、遅刻は怒られちゃうからな!」
「ちょっ、引っ張らないで……っ!」
そんなこんなで、自分のペース全開のヒーロー大好きっ娘に手を引かれながら、今日も俺の一日が始まるのであった。
わー!
あぁーッ!!
女の子の手、やーらかーい!!!