Fate/Ideal World -Over the mith- 作:桜ナメコ
「………………どこだ、ここ」
目の前に広がっていたのは、灰色の世界。
空が曇り空、ではなく、灰色に染まった世界。
決してコンクリートの建築物が乱立しているというわけではない。なんというか、純粋に世界から色が抜け落ちてしまったような、そんな灰色の世界。
思わず自分の身体へ目をやって、それがいつも通りの状態だったことに安堵の息を吐く。
「魔術師さんの隠れ家…………ってほど、ちっさい企みじゃなさそうな雰囲気はあるけど」
いつか、いつか、目の前に広がる灰色の世界全体が現実へと牙を剥きそうな……そんな怖さが、この世界にはあった。
「……師匠に、知らせた方がいいよな」
と、ここで、ようやく気がついた。
「……なん、だ、これ」
視線を落とすと、痛みの発生源——右手の甲に赤色の痣のようなものが薄く浮かび上がっていた。
「…………厨二病ごっこをするにゃ、ちょいと寂しすぎる世界なんですが……毒とか仕込まれてねえよな?」
わからないことばかりで、頭が痛くなってくる。なんだ、この状況……まず、帰り方がわからねえ。
取り敢えず、でけぇ鏡でも探すか? 魔術師関連っぽい建物を見つけるところから始めるとしよう。
しんとした静かな空気。
色を、音を、熱を失った灰色の中を歩いていく。
時間感覚が狂いそうになり、腕時計へと目をやると、その短針は1と2の丁度ど真ん中あたりを指していた。
「……ちゃんと進んでる、よな。確信はねえけど」
屋敷を脱出したのが11時前だったことを考えると、この世界へとやってきた際の
「ある意味じゃ、遭難とも言えるが……長時間続くようなら、食糧とかも問題になってくるんだよな……」
余りに人気のない灰色の街。
俺以外に誰も居ないのであれば、多少の無礼は許されるだろうと考えて、最寄りの一軒家の庭へと足を踏み入れる。
そして、手頃なサイズの石を持ち、窓へと向かって——
シャッター下ろしてなくて助かります、あとごめんなさい!
なんて、心の中で叫びつつ、全力投球。
ズガァッという衝撃音。
最低でもヒビぐらいは、なんていう予想は大きく外れて、窓は無傷のままであった。
というか——
「……今、障壁みたいなの発生してたな」
そもそも、俺の投げた石は窓へと届いていなかった。
まるで、
「ますます、謎だわ……いっちょんわからん」
唐突に博多弁が口から飛び出るほどの困惑である。因みに、九州には行ったことすらない。
それは置いといて、この分だと、世界全体に今の障壁発生魔術がかけられていると見てもおかしくはなさそうだ。
もしかしたら、偶々俺が目をつけた一軒家と偶々俺が拾い上げた石にだけ、魔術が仕込まれていた可能性もないことはないが、あってたまるかそんな偶然。
……落ち着け、落ち着け。
周りを警戒しながら、この空間の持ち主を探そう。
相手は人間、対話ができりゃ怖くない。
いまどき、理由も聞かずに殺し合いなんて野蛮人はそうそう居ないのだ。
不気味な空間といえば、その通りだが、今のところ、右手が痛えことぐらいしか被害はない。
人畜無害な灰色の世界へと迷い込んだだけと考えれば、そこまで焦ることでもない…………ない! はず!
と、ここまで思考したところで、視界が一瞬、真っ白になる。続いて、鳴り響くは轟音。
つまるところ——
それも、かなり近い。
閃光から二秒も経過せずに、聞こえた音からもわかるが、何よりも両の足から伝わる振動が、直ぐ近くに落ちたのだと否応にも理解させてきた。
「…………はは、雨もねえのに、雷とか」
誰だよ、人畜無害とか言ったやつ。
いや、待て。
逆に考えれば、ただの落雷だ。
落雷なんて現実世界にも満ち溢れている現象が、この世界にも存在するということは、逆説的にこの世界が現実世界と大差ないものであることを示しているのだと考えられるのでは——
ピカッと閃光。
ズギャァアアアンッ! と、轟音が再び鳴り響く。
「あ、これダメっすね」
瞬時に理解した。
ここ、ヤバい。
雷に怯えて、脇目も振らずに街中を猛ダッシュした俺だったが、案の定、迷った。
そりゃ、脇目も振らずに走ったらそうなるよね。見てないのなら、記憶力とか関係ないもの。
「……帰れねえ」
自分が目を覚ました地点への戻り方を忘れて、途方に暮れていたのだが、朗報が一つある。
周りから雷の音が聞こえなくなったことだ。
因みに、凶報も一つ。
代わりに、風が、すんごい、強い。
変化すら存在しないような雰囲気を纏っているこの灰色の世界で、雷やら暴風やらの存在は異質に感じられる。
多分、何か本質的な所で違いがあるのだろう。
この世界のルールと災害を引き起こされている原因は、噛み合っていないのだ……多分。
そんなことをなんとなく考えていたのだが、肝心の現状に対する打開案などは思いついていない。
「さてはて、どうするか……」
彷徨った果てに辿り着いた安住の地。
それ即ち、超大型サイズの犬小屋の中にて、俺はぼうっと思考を続ける。
腕時計の短針は、二を超えてちょっと、というぐらいで止まっていた。
吹き荒れる暴風。
今、外へ出るのは無謀の極みだ。
だから、それ故に。
「————————————」
「……?」
誰かの声が、聞こえたのは異常だ。
思考する。
自分の状況と外界の状況。
想像する。
自分の立場と相手の立場。
この世界の危険性と自身の辿り得る未来。
そして、決断する。
「——行くか」
迷ったら動け。
すればよかった、の後悔よりも、しなければよかった、の後悔を選択し続けろ。
失敗だらけの人生だったからこそ、俺の行動理念は、そこに完結する。
この暴風の中で助けを求めている人がいるのかもしれない。
そうでなくとも、この世界に詳しい人間が居たのなら、俺は現実へと帰れるかもしれない。
そんな期待を頭の中で積み重ね、無理矢理、心を奮わせる。
直後、俺は、吹き荒れる風の世界へと、足を踏み出した。
◇◆◇
嵐がやんだのは、俺が犬小屋から飛び出してから10分も経たないぐらいの頃合いであった。
姿勢を低くして、声のした方向へと歩き続けていた俺は、ここにきて見逃していたある事実に気がついた。
「……この世界、俺の住んでる地域と所々リンクしてやがる」
最初に違和感に気がついたのは、何の変哲もない横断歩道に備え付けられた小さな旗の汚れだった。
本来なら黄色の旗が灰色に染まっているのは当然だとして、その旗の一部がくすんだように濁っていた様子に既視感を抱いたのである。
時間をかけて考えてみれば、屋敷の最寄りの横断歩道に設置されている黄色の旗の一つが、同じような汚れ方をしていたことを思い出した。
気がついてから先は早かった。
意識して周囲へ目を向けてみれば、所々に見覚えのある建物や空き地が存在していて、何よりもトドメとなったのが、現在眼前に聳えている大きな建物——紅蘭高校の存在だ。
俺の通っていた高校。
つい先日、妹のストーキン……見守りのために、訪れた場所である。
「建物の立地はバラバラ。大多数は見覚えのない場所だらけ。完全な再現がされているわけでもない…………けど、見過ごすにはちょいとばかり、大過ぎる情報だな」
まるで、全く違う土地の上に、現実世界の建物を適当に並べ直したような状態だ。
「となると、ここに師匠の屋敷が存在する可能性もないとは言い切れない……」
一瞬だけ、その屋敷を見つければ、師匠が助けに来てくれるのではないか、なんて思考が脳裏を過った。
頭を左右に振って、その選択肢を追い出す。
まずは、聞こえた声の持ち主の捜索からだ。
人探しのついでに屋敷が見つかったのならば、それはそれでよし。しばらくの間の拠点として利用すれば良いだろう。
「とりあえず、高校の場所は覚えといて損はねえよな……」
頭の中で組み上げた即席の地図の現在地にピンを刺してから、周囲の探索を続けることにする。
更に十数分ほど歩き回って、それらしい人影は見当たらない。
聞き間違えとは思わないが、声の主がさほど危機的な状況ではなかったのかもしれない。
これだけ探してみて、見つからないのならば仕方ないか、そう思考に結論づけて、とりあえず、学校へと戻ろうとしたそのときに、左耳がある音を捉える。
「————————水の音?」
せせらぎ、そう呼ぶには音が太いか。
ごうごうという低音の発生源へと足を向けると、そこに一本の大橋が存在した。
その中央に
「…………ッ、これは、驚いた」
何でもかんでも、灰色というわけではないらしい。その違いがどこにあるのかはわからんが。
流れる水の極上の色合いに目を見開く。
驚いた理由は、もう一つあった。
俺が見ているのは橋の中央。そう、中央である。
「なんだ、この穴——いや、穴というよりは、この橋がど真ん中で分断されてんのか」
散らばる瓦礫。
崩れ去った足場。
底の抜けた大橋には、確かに抗争の痕跡が残されていた。
風で抉られた道。
弾丸の跡。
おそらく、暴風の発生源はここだ。
この跡地からは、魔力が残っている。
いきなり崩れ去られても困るので、橋の中央には近づかないようにして、辺りの様子を警戒しながら観察する。
落雷、暴風、弾丸——もしかしたら、自分はとんでもないところへと放り出されたのかもしれない、その考えを思考の中から追い出せない。
でも、確かに声は聞こえたのだ。
この場所で戦いがあったのならば、そこには誰かが居たはずである。
橋から陸地へと戻り、少しの間考えてから、目の前に広がる、その異常へと触れていなかったことに気がついた。
斜面は緩く、水辺への移動は容易だった。
周りに人の気配がないことを確かめつつ、片膝をついて手を伸ばす。
手のひらに伝わったのは冷たさと流れによる手応え。
淡青色の底は見えない。
フードケープを脱いでから、目一杯に腕を伸ばして深さを確かめてみるが、それでも底に手がつくことはなかった。
「……深いが、水だな。酸とかじゃなくてよかった」
少し不用心だったか? なんて反省をしながら、立ち上がる。
辺りを見て、そして——見つけた。
「……あれは、人か」
橋の下。
陸地へと接する際に生まれる空白部に、誰かが倒れている。
駆け寄って、様子を伺う。
翡翠色の髪。
白と薄緑のローブに、黒の大弓。
異国風で、中性的な顔立ちの華奢な男性がそこにいた。
脈を測ろうと近づいて、上下の運動を続ける胸部に気がついた。
どうやら、生きてはいるみたいだ。
何度か身体を揺すってみるが、反応は得られない。
とりあえず、放置しておくわけにもいかないので、彼が目覚めるまで俺も仮眠を取ることを決める。
「…………………………」
瞼を下ろす。
遠くの方で、どこか聞き覚えのある誰かの声がしたような気もしたが、それが誰なのかを思い出す前に、意識は闇へと溶けていった。