Fate/Ideal World -Over the mith- 作:桜ナメコ
目を覚ます。
いや、目を覚さざるを得なかったというのが正しいだろうか。
ガチャガチャ、ガチャガチャと、不規則に鳴る多数の足音が、俺と名も知らぬ美少年が眠っていた橋へと近づいてきたのだ。
すぐさま、フードケープの隠密魔術を起動して、耳を澄ませた。
ただの足音じゃない。
聞き覚えのない微妙な高さの音に、眉を顰める。
多数の気配は俺が身を潜めている橋下の丁度真上へとやってきてから止まり、しばらくの間、静かになる。
「————嫌な、感覚だな」
理由はない。
ただの勘だが、上の気配には妙な気持ち悪さがあった。
いつでも動き出せるように、未だに意識を戻すことのない少年を持ち上げて、背負う。
「この弓は——」
持ち運ぶには大き過ぎるような、そんな思考が浮かんだ直後、橋の上から奇声が上がった。
「「「GRAAAAAAAAAAッッッ!!!」」」
「なにごと!?」
怪物の雄叫び。
明らかに人外の叫びが、幾つも重なり合い、暴力的なまでの衝撃となって、鼓膜を揺らす。
頭が痛くなりそうだ。
こんな事態になっても、目を覚さないこの少年は大物に違いない。
そんなことを考えることができる余裕があったのは、ここまでだった。
ガチャ、ガチャ。
ガチャ、ガチャ。
見えたのは。
「……骨?」
ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ——
橋の横側を這うようにして、下側へと回り込んできたのは、優に百を超えるほどの異形の怪物——骨でできた人型の何かだった。
「………………ッ!?!??!?」
呼吸が止まる。
悲鳴すら出なかった。
視界全部を気味の悪い何かが埋め尽くし、逃げ場のないこの状況に、拒絶感が働き、吐き気すら込み上げてくる。
「……ん、だ、これ」
足が竦んで、動けない。
だが、それでも、相手が待つことはない。
気がつけば、怪物達は俺に対して挟み撃ちの状態を完璧に整えていた。
まずい。
師匠の隠密魔術は、対人特化型だ。
少なくとも、目の前の怪物に効いているようには見えない。
……これは、既に詰んでいる。
どうにかして叩き出した結論も、諦めるのが上策だろう、なんていうクソみたいなものだけだ。
——もしかしたら、戦闘行為ではなく、身柄拘束だけで済ませてくれるのでは。
そんな願望混じりな甘ったれたことを考えた直後、最寄りの怪物が短距離選手のようなスピードで、俺に向かって飛び込んでくる。
「GAAAAAAッッ!」
「…………ッ!? 危——」
斜め後ろの方向へと跳んで、振り下ろされた骨の腕を回避する。
一発目は、なんとか躱せた……と、無意識領域で生じた俺の油断を、踏み躙るように、目の前の怪物は次なる一撃を振り下ろす。
軌道を予測して理解する。
避けられない。
なんとか、受け止めて——
ボキッ、と音がしたのがわかった。
「————ッ、ぁ、ぐぅ」
衝撃。
身体が、宙へと浮かぶ。
痛みよりも先に左腕が折れたことを理解する。
数秒ほどの浮遊感。
そして、落水。
呼吸、痛み、衝撃、水温——幾つもの情報が頭の中で混濁し、意識が薄らと遠くなる。
目を開いた。
そこは、ただ————青い。
水の中。
流れは思っていた以上に強かったようで、自由に腕を動かすことができない現状、思うような抵抗ができない。
足はつかない。
一瞬間、パニックになりかけて、ほんの少しだけ水を呑む。
それが、焦燥の火種となって、身体には無駄な力が込もる。
力が入った分だけ、浮上は厳しくなって焦りは増していく。
そんな悪循環に陥った。
体が、酸素を求めている。
焦りが思考を支配する。
やたら滅多に腕を振り回して、コツンと何かに手が触れた。
反射的にその一瞬だけは、思考が何に手が触れたのかの確認へと向かう。
そこにあったのは、先ほどまで俺が背負っていた少年の姿だった。
彼は未だに目を閉じたままで、ここまでくると、この人は眠っているのではなくて——いや、今はそんなことを考えている場合じゃないか。
想像外の事実を見て、冷静さを取り戻す。
脱力し、流れに身を任せつつ、この状況を打破し得る何かを探す。
既に、肺に空気は殆んど残っていない。
どこを見ても、青一色の世界の中では、自分がどれだけ沈んでいるのかわからない。
もしかしたら、すぐ上に空気があるのかもしれないが『青色』で光は遮られて、距離の認知が阻害されている。
身体が浮上しないのは、空気が残っていないこと、身体の力みが取れていないことが原因なのだろうか。
それとも、この水に特殊な効果が——
思考を重ねている間にも、身体が下へと引っ張られていくのがわかる。
ほんの僅かな間だけ、姿を消していた焦燥が、再び顔を出し始めた。
本格的に、やばい。
打てる手が、もう何も……
片腕は動かず、酸素は足りない。
流れに振り回されたことで、平衡感覚はあやふやで、自分がどれだけの深さにいるかすら認識できない水の中。
付け加えるのなら、意識不明の要救助者がもう一名。
せめて、この人と離れ離れにならないようにと、右腕を伸ばして、少年の服を掴む。
意識が落ちる。
呼吸の限界に口を開き、体の中に『青色』が入り込んでいく。
苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしいくるしい、くるしいくるしい、くる、し…………………………
薄れゆく意識の中で、力の抜け落ちそうになった右腕に力を入れ直す。
けして、はなさぬように。
心に決めたものを貫き通すために。
せめて————
◇◆◇
ドンッという、腹部への強烈な衝撃で意識が覚醒した。
仰向けだった状態から、ゴロリとひっくり返るようにして四つん這いの体勢へと移行して、何度も咳き込むと、それまで感じていた気持ちの悪さと喉奥の異物感がゆっくりと消えていく。
「………………」
大量の水を吐き出し、涙目になりながら、先ほどの衝撃の原因を探そうと顔を上げる。
そこに、ボロ絹のような茶色のフードコートを見に纏った誰かが立っていた。
その誰かの横には、俺と一緒に流されてきたであろう少年の眠りこける姿があって、一先ず安堵の息を吐く。
人の腹を踏み潰して、意識の覚醒を促す目の前のバイオレンスチックな思考の持ち主だろうと、流石に殺すために命を救った、なんてバカな真似はしないはずだ。
つまり、この誰かさんは敵ではない。
味方でもないと言えそうな事実からは、目を逸らすことにした。
「あんた、は、誰だ?」
「………………」
無言のまま、頭がフルフルと横に揺れる。
答えられない、もしくは答えたくない、ということなのだろうか。
「じゃあ、あんたは……味方か?」
「……」
コクリと頷きが返ってきたことに、思わずガッツポーズをしそうになる。
そのタイミングで、ようやく自分の格好へと目をやった。
なんだか涼しいなあ、とか思っていたのは、現在進行形で俺がパンイチだったのが原因のようで、骨を折ったと考えられる左腕には、何やら文字が書かれた包帯が巻かれてあった。
「……服、どこすかね?」
「…………」
コートの袖に隠れていた指先が一瞬だけ露わになって、目の前の誰かが、随分と華奢な体型であることを知った。
白く細長い人差し指に示された方向には、張られた太い紐に、隠密コートやら何やらが、まとめて丁寧に干されていた。
「……ここ、どこですか?」
「………………」
フルフルと『いいえ』の返事。
喋れないのは、正体がバレると不都合だから、だったりするのだろうか。
まさか、師匠ではないだろうな?
「…………師匠?」
「…………」
ボロ絹の動きが固まる。
まさか本当に、と腰を上げて、コートの正体をハッキリさせようとする直前に——
「ふむ、これは驚いた。お主ら、どこから迷い込んだ?」
本物の殺気というものを、初めて身に浴びた。
白を基調とした和の上衣に、深緑の羽織。
紅と漆黒の袴。艶やかな黒の長髪。
携帯するは、鈍色の長剣。
ゾッとする程に美しい女が立っていた。
「まあ、よい。何も
後退りしようとして、足がもつれて尻もちをつく。
腰が抜けて、身体に力が入らない。
四肢が震えて言うことを聞いてくれない。
言いようのない絶望が逃走を逃すことなく押し寄せてくる。
そんな初めての感覚に、思考が止まる。
ボロ絹をまとった人物——どうやら、女性らしい、は俺とは違って臨戦態勢へと移行していた。
現れた女の言葉を受けて、ボロ絹コートは一歩、二歩と後退して、座り込んでいる俺の隣までやってきた。
「私から逃げるつもりか?」
「…………」
返答はない。
和装の女性がゆったりと俺たちへと近づいてくる。
咄嗟に後ろを振り向くが、そこには先ほどまで溺死しかけていた底なし(仮)の川が広がっているだけだ。
もし逃げるのなら、俺が拾ってきた少年も連れていかなくてはならない。
欲を言えば、コートだけでも回収していきたいところでもある。
だが、それをこの女が許してくれるだろうか。
目の前に立っているのは人間であるはずなのに、橋の下で襲いかかってきた異形の怪物なんかとは比べ物にならないぐらいの『圧』が、この空間に満ちていた。
「…………この状況下で、イレギュラーか……面白い。どれ、試しに一発だけ——」
ブツブツと何事かを呟いていた和装の女は、無造作に長剣を上段へと構えると、ボロ絹コートの女性に向けて、獰猛な笑みを浮かべた。
「——ハァッ!」
「…………ッ!?」
地面が抉れるほどの踏み込みで、急接近した女は躊躇なく、その長剣を振り下ろす。
対するボロ絹コートは黒色のナイフを取り出すと、振り下ろされた長剣を完璧に受け流して見せた。
ズガッという衝撃音を立てて、長剣は地面を粉砕する。
その長剣を真上から踏みつけて、ボロ絹コートはナイフを女の首へと滑らせた。
素人目に見ても無駄のない一撃に、女は更に笑みを深めると、体を逸らして当然のように致死となりうる攻撃を避ける。
女はナイフによる攻撃のために身を乗り出してきたボロ絹コートの腕を掴もうと腕を伸ばし——ボロ絹コートがソレをすんでのところで、後ろへと下がり、回避する。
ボロ絹コートが下がったことによって、女は長剣を自由に扱えるようになり、後退するボロ絹コートを追い詰めるようにして、猛攻を仕掛け始めた。
縦方向の斬撃は下へと受け流すか、半身になることで回避して、横方向の斬撃に対しては身体を後方へと倒し、距離を取りつつ退避する。
女の方の身体能力がボロ絹コートを圧倒しているが、その守りは中々崩れることがない。
今の内にと、ようやく動かせるようになった身体に鞭を打ち、まだ湿っている服を身につけた。
長剣とナイフの交錯の後に、弾かれるように離れてから数秒ほど、女とボロ絹コートの間に無言の時間が続く。
「なるほど、なるほど……悪くない、が——絶望的に足りないな」
「……………………」
小手調べはおしまい、と言うことなのだろうか。
和装の女は最初に放ったような殺気を纏い、ゆったりと長剣を上段へと構えた。
構えだけを見れば、先程とさほど変わることはない。
だが、明らかに瞳に宿る光が違う。
「疾く、死ね」
「……ッ!」
一閃。
ボロ絹が、左右対称真っ二つに切れる様子を直視して、血の気が退いた。
「ああ、まったく——もう言い訳のしようが、なくなったではないですか」
その澄んだ声は、長剣を振り下ろした体勢である女の向こう側から聞こえた。
身につけていたボロ絹で、相手の視界を塞いだのだろう。
彼女は、無傷のまま、パタパタと服についた埃を払っていた。
飄々と死地へと身を置くその人の声を、姿を、俺はずっと昔から知っていた。
白の長髪。
透き通る碧眼。
戦地に似つかわしくないメイド服。
毒舌メイドこと零華さんの姿が、そこにあった。
彼女はこちらを一瞥すると、心底面倒そうな顔をしながら、声をかけてくる。
「そこで突っ伏しているのを引き摺って遠くへ逃げなさい、駄犬」
「零華、なんでお前が——」
「反論は後で聞きます。とっとと失せなさい」
「言い方ぁ!?」
ああ、それと。
と呟いてから、零華は何でもないことのように告げたのであった。
「ユメミヤ様が、つい先程亡くなりました。駄犬も気をつけなさい」
「————は?」