Fate/Ideal World -Over the mith- 作:桜ナメコ
意識のない少年を背負ったまま、零華に指示された通りに、灰色の世界をひたすら駆け抜けていく。
応急処置として左腕へと巻いてくれた包帯には、やはり魔術が仕込まれていたようで、流石に違和感は残っているものの、左腕の機能に問題はない。
足を運んでいる間に、思考のほとんどを埋め尽くしていたのは、零華が最後に伝えた情報——俺の師匠、ユメミヤが死亡したということについてだった。
死んだ? 死んだって、なんだよ。
ありえない。ありえるはずがない。
いきなり、なんなんだよ。
師匠が死ぬ? ふざけた冗談はやめてくれ。
現実を肯定できない。
だが同時に、零華がこんなことで嘘をつくような人だとはどうしても思えないのだ。
……くそ、意味がわからないことばかりだ。
この世界に来てから、散々な目にしか合ってない。
なんだよ、これ。
自分が左腕を折った、ということすら自覚することができていないのだ。
処理する情報が多すぎるせいで、逆に現実味が薄くなっている。
ああ、くそ。
くそったれ。
唇を噛む。
……断言してんじゃねえよ。
あんた、マジで死んだのかよ。
そんなにあっさり死んじまっていいのかよ。
まだ何も、返せてねえのに。
これまで、意味がわからないことだらけだった。
だからこそ、わからないことをそのままにしておけた。
知らないのがデフォの状態にしてしまえば、考えることをしなくて済む。
状況を先送りにして、少なくとも今は楽ができる。
だが、零華の告げた絶望は誤解のしようがないただの結果であった。
虚無感と言うのだろうか。
悲しいとか、そういう次元の話ではない。
自分の身体から、何かが無くなったような。
心に穴の空いた状態というのは、今のような心境のことなのかもしれない。
走る。走る。走る。走る。
一度、思考をやめようと決めて、ただ前を見て道を駆けていく。
——一度だけ、最後に俯いて。
「………………………何、死んでんだよ」
細かいことも、状況の一つも、何もわからないまま、絶望に心を沈めた。
◇◆◇
「ここなら、休めそうか」
人を背負っての全力ダッシュなど、当然だがこれまでに経験したことはない。
とりあえず、クソキツかったとだけ言っておこう。
これ以上は倒れる、というぐらいまで、疲労が足にきていたので、パッと目についた広場へと休息のために訪れた。
灰色のベンチへと少年を寝かせて、俺もその場で座り込む。
そういえば、と腕時計へと目を向けると、幸いにも度重なる衝撃から身を守り切ったようで、時計の秒針は元気に円運動を続けている。
仮眠や溺死未遂を含め、それなりに時間は経過していたみたいだ。
時刻は、午前四時半ほどになっていた。
空も地も建物も自然も、あの川を除いた全てが灰色に染まっていたので時間感覚が狂いそうになるのだが、こちらの世界では、日の出は見られるのだろうか。
そもそもの話、これまで過ごしてみて、夜という概念が無さそうな以上、昼も夜も何もないのかもしれない。
永遠に、灰空の下で灰色の中を生きる。
考えただけでも、頭が痛くなりそうだ。
「……逃げろ、と言われてもな」
これから、どうすればいいのだろうか。
指示を出したまま、安否不明状態へとなった零華のことを思うと、連鎖的に師匠のことを考えてしまう。
気持ちが落ち込まないように、未来のことを考えようとしても、どん詰まりの状況に光明は見いだせない。
せめて、落ち合う場所や目指すべき場所でも教えてくれたのならばよかったのに、なんて文句を考えてしまうのも仕方がないだろう。
「結局、お前は全く起きそうにないし……」
目を閉じたまま、呼吸だけを繰り返す少年の姿を視界に入れて、ため息を吐いた。
何もわからない。
ひとまずは、現状に潜む危機のリストアップを行なってから、次の行動を決めるとしよう。
命大事にの考え方を尊重して、危険度の順位づけをするのなら、危険度順に挙げて——
・和装女との遭遇
・師匠が亡くなった原因
・怪物の群れとの遭遇
・零華からのお仕置き
・一生帰還できずに餓死
このようになる。
少なくとも、和装女のような存在が次に敵意を持って目の前に現れた瞬間、俺は問答無用で死亡することになるだろう。
怪物の群れに囲まれるなどをしても、同様だ。
あれ、私弱すぎっ?
なんて、考えてはいけない。
それにしても、零華はあんなにも戦える人だったのか。
話には聞いていたが、魔術師らしいところなんて全く見られなかったので——いや、屋敷に探知魔術仕掛けまくってたな。
じゃあ、どうしてと考えてみて、思いついたことが一つ。そうだ、メイドだ。
滲み出る圧倒的なメイド力によって、魔術師としての印象が薄かったのだろう、多分。メイド力って何?
話がズレたが、方針は決まった。
身を隠しつつ、零華への合流を最優先。
余裕があったなら、帰還の方法を探る。
体は冷え切っていて、体力に余裕はないことから、時間に余裕があるとは思わない方がいい。
息は大分整った。
プルプルと震えの止まらない両足は、気合いでどうにかするとして、移動を再開することにする。
隠密コートの魔術を起動。
人外の蔓延るこの世界で、態々魔力を使うことに無駄を感じなくもないが、何かあってから、やっておけばよかったと後悔するのもアホらしい。
「……ここまできたら、置いてくって選択肢はないしな」
よっこらせ、と寝かせていた少年の身体を背負いあげて、ゆっくりと歩き始める。
広場を出て、数分と経ったところで、小川を見つけて足を止めた。
その色は、やはり灰色ではなく、淡い青色をしていて、どうしてかその色合いがたまらなく魅力的なものに感じられた。
「逃げろ、としか言われてねえし、この状況が長期間に渡るなら、水源に目星は付けといた方がいいよな……?」
一人、首を傾げながら、まるで自分に言い訳をするように、進行方向を小川の上流へと変更して、歩みを再開する。
意識がぼんやりとしているのが、自覚できるぐらいに疲労は溜まっている。
今度、意識を落としたら、当分は帰ってこれない自信があった。
一歩、二歩、三歩と震える両足を動かして、周りの景色なんかを見る余裕もなく、歩き続ける。
そうやってどれぐらいの時間が経ったのだろうか。
周りの景色は、市街地から、いつのまにか大きく変化していた。
灰色の林。
自然界の掟やらを完全に無視して、唐突に始まった大自然の世界。
一度、前にも考えたが、まるで元々別に存在していた地域を継ぎ接ぎに付け直したかのようなチグハグ感が、そこにあった。
ただそれも——小川にだけは、影響を出していない。
そこが舗装された道であろうと、人の手が及ばぬ自然の中であろうと、姿を変えることなく、流れ続けていく青色に、何か意味はあるのだろうか。
歩いて、歩いて。
やがて視界が一気に開ける。
きっとこの瞬間が、俺の運命を変えたのだ。
そこに、湖があった。
湖のほとりには、彼女がいた。
「〜〜〜、〜〜♪ 〜〜♪」
細く、透き通った密やかな鼻歌が鼓膜を揺らす。
ほんのりと光を放つ淡い青色は、彼女を祝福するかのようにぼんやりと照らしていた。
ああ、そこに。
何よりも美しい——紅眼の少女が立っていた。
足音に気がついた少女が、こちらを向く。
右手が熱を放っていた。
焼けるような痛みすら気にならない。
それぐらいに——いいや、足りない。
言葉なんかでは、言い表せない。
この想いを誰かに伝えることなんて、できやしない。
兎にも角にも、ただ純然たる事実として。
俺は、ただただ君に見惚れていたんだ。
「……貴方は——ああ、時間切れですか」
美しい声だと思った。
その吐息一つにさえ、狂いそうなぐらいの愛おしさを感じていた。
少女は、一度目を細めてから、こちらへと背中を向けて林の奥へと歩いていこうとする。
「…………ま、って、くれ」
自分でも驚くぐらいに掠れた声で、その背中に声をかける。
どうやら、その声は彼女の耳に届いたようで、少女がその歩みを止める。
「……なんですか? 一言で答えられる疑問をどうぞ。時間がないので」
少女の言葉を受けて、呼び止めてどうするのだ、という疑問が今更ながらに脳裏を過ぎる。
この世界について?
貴方は誰か?
俺は何をしたらいいのだろう?
そんな、
「————好きです。今、一目惚れしました」
「ふむ、なるほど…………ほぇ? へ、なぁ……はい?」
すぐさま振り向いて、慌てふためく少女の姿に、内心で悶絶するほどに尊んでいると、少女の身体が——いや、俺の身体も、が段々と光を帯びていることに気がついた。
「ちょ、待ってください。一言で答えられる質問って言いましたよね? え、あっ! イエスがノーかってことですかっ!?」
「いや、そんなことより、身体が光って——」
「そんなことって言いました!? あ、ちょっ、時間がもう——」
たまたま、視界に入った腕時計の時刻が、五時半を示していた。
身体を覆う光の輝きは、次第に強さを増していく。
「————————ッ! ああ、もうっ! 貴方、右手を出しなさい!」
「え、ああ、はい。こう、か?」
凄い勢いで、こちらへと詰め寄ってきた少女に、少々緊張しながら、言われた通りに右腕を前へと差し出す。
彼女は、その手を両手で握りしめると、俺の目を覗き込んで、口を開いた。
「
「な、急に手とか繋がれると、手汗とかが」
「女子高生ですか!? 別に気にならないので、さっさと契約を——」
律儀にツッコミを入れてくる目の前の少女と自身の身体が、徐々に光の粒へと変わって、宙へと溶けていこうとしていた。
凄い剣幕で掴みかかってきた彼女に、戸惑いながら、生まれた疑問を口にする。
「……で、契約って何?」
「サーヴァント契約の他に、何があるって言うん、です……か……………………まさか」
「さーゔぁんと?」
「嘘ですよね、嘘って言ってください。冗談でしょう!? …………これが、残りの最後の一人……私の、マスターだなんて」
どうやら、ヤバい……みたい?
身体が溶けていく感覚が、限界に近い。
目の前の少女の表情が絶望に染まってしまったのを見て、どうにかしてあげたい、という気持ちで、胸の中がいっぱいになっていた。
サーヴァント?
サーヴァント契約、とやらの魔術があるのだろうか……よくわからないけど。
ああ、でもと思うのだ。
目の前の少女が、悲しむことはしたくない。
ただ、純粋にそう考えたのだ。
できることなら、その望みを叶えてあげたいな、と願った数瞬後、視界が真っ白に染まる。
ふわふわという浮遊感と、力の抜け落ちるような虚脱感が同時に訪れて、世界は光に包まれた。
◇◆◇
目を覚ますと、まず最初に視界に映ったのは見慣れた自室の天井であった。
パチパチと瞬きを繰り返して、部屋の中の調度品やら何やらに色が存在していることに、強い安堵の気持ちを覚えた。
直ぐに起き上がり、部屋から出て、事情を深く知るであろう毒舌メイドの姿を探す。
とりあえず、リビングに向かって、と移動し始めると、道中の廊下にて、一人の少女が立っていることに気がついた。
「……おや? 起きましたか、マスターさん」
それは、意識を失う直前まで話をしていた紅眼の彼女だった。
無意識とはいえ、一目惚れをしたと告げた相手が、唐突に自宅に現れたら、困惑は必至である。
加えて、なんだか妙なあだ名をつけられているのだから、その困惑は尚更であった。
「え、なんでお前が…………って、ますたー? それ、俺のこと?」
「はい、貴方が私のマスターです。詳しいことは、後でまとめて説明させて頂きますね! …………本当に何も知らないんですね。なんで、契約は成功させれたんでしょうか?」
「ん? どうかしたか?」
「いえ、なんでもないです」
まあ、なんでもないなら、いいか。
とりあえず、全く意味もわからないが、どうやら俺は無事に現実世界へと帰ってくることができたみたいだ。
少女のこと、師匠のこと、そういえば、あの少年はどうなったのだろう、そんなことを考えながら、リビングへと顔を出す。
そして——
「さて、駄犬。お仕置き、始めましょうか?」
「待ってごめん。本当にごめんなさい。どうか許してください零華様」
素晴らしい微笑みを浮かべていたメイドに向けて、土下座をかますのであった。