「退部ってどういうこと?!」
バン、と大きな音を立ててまどかが身を乗り出すように俺の机を叩いた。
「……先生から聞いたのか?」
情報が伝わるのが早すぎだと感心する。打ち明けたのつい今朝のはずなんだけど。
「晶也さん!私のこと、嫌いになってしまったんですか?」
そこへ今にも泣きそうな顔をした明日香が追従した。
「私、何か晶也さんの気に触るようなことをしてしまったんでしょうか……?」
「いや、違う違う」
俺は涙目を浮かべた明日香に、慌ててパタパタと両手を振りながら否定する。
「じゃ何だっていうんですか!みさき先輩に続いて晶也先輩まで!」
胸ぐらを掴みかかって来そうな真白を手で抑えながら、俺は話を切り出した。
「実は、他の選手のコーチをすることになったんだ……」
「「「ええーーーーー!!」」」
途端に甲高い悲鳴をあげる3人。教室の目線が一斉に俺の机に集まった。
「いっ、一体誰のコーチをするというんですか!今まで一緒に頑張ってきた私たちを差し置いて!――ハッ、まさか!」
そう言って机でグースカと寝ているみさきに視線を投げかける真白。
「……いや、違うよ」
「じゃ、じゃあ晶也さんのコーチをする人って一体?」
明日香が文字として見えるぐらい表情に疑問符を浮かべていた。
「乾だよ」
「へっ、乾さんってもしかしてあの……」
「――真藤さんを打ち負かして全国優勝したあの乾さんですか?!」
素っ頓狂な声を上げたまどかの声を遮るように、真白が悲鳴をあげた。
「……そうだよ」
こうなることは言う前から分かっていた。が、実際、明日香たちからしてみたら俺の行為は裏切りにほかならないよな……。
「ごめん、本当にごめん」
頭を下げて謝る。
「ごめんで済むなら警察なんて要らないんですよこの裏切りものーー!」
「そうだそうだーー!」
真白の声に賛同するように声を上げるまどか。
「ほら、明日香先輩も!この裏切りものに何か言ってやってください!しかもよりによって明日香先輩のライバルに寝返るなんて……ぶつぶつ」
「え、ええっと……私は悲しいですけど、晶也さんのことですし、きっと何か大切な理由があるんですよね?」
「あ、ああ……」
俺は曖昧に頷く。信頼の瞳が眩しい。
「なら、分かりました! 晶也さん無しでも、私頑張りますから!!」
「ええい!こうなったら、晶也先輩がいなくなった分も私が張り切っちゃいますよ! この裏切りものに目にもの見せてやりましょう明日香先輩!」
「え? えっと、そうだね、うん頑張ろう真白ちゃん」
「晶也先輩なんてべーーーっだ。ぺっぺっ、近寄らないでくださいこの浮気男!」
「近寄ってないんだけど……」
「……この浮気男ー」
まどかが小声で耳元に囁いてきた。
うるさいと、しっしっと手を振って遠ざける。
――と、始業のチャイムが鳴った。
真白はチャイムに気づいて騒がしくパタパタと焦って教室を出ていった。
「えっと、そのぉー……浮気男?」
「明日香は別に乗らなくていいからな?」
うししと笑うまどかと苦笑する明日香も俺の机を離れて自席へと戻っていく。
思っていた以上に俺の退部は受け入れられていた。
明日香なんかは俺に信頼の眼差しを向けてくれていて少し心苦しいが、皆俺の意思を尊重してくれている。
本当にいい部員たちだ。いい人達に囲まれたなと実感する。
こういった人間の中だからこそ、俺はFCというものにコーチという立場とはいえ、ある程度向き合うことができるようになったのだろう。
ともあれ、それもこの夏で終わりだ。
今の俺には、スポーツより勉強の方が重要だ。俺ももう高校2年の中ほどまで来てしまっている。そろそろ将来のことを考えなければならない。
俺はいつもより集中して、教師の声に耳を傾けた。
やがて修業のチャイムが鳴ると、バタバタと周りが騒がしくなる。
部活に行くため、着替えをするものや、雑談するもの。様々だが、俺も以前はこの輪に加わっていた。
とはいえ、今日は乾との練習がある。少し早いが、練習メニューでも検討しておく時間にしよう。
そう思いながら、荷物を手に取り、教室を出ようとすると、
「ねえ、晶也」
「ん?」
呼び止めたのはみさきだった。
「ちょっと話さない?」
「ああ、別にいいけど……」
みさきに連れられるまま、近くの空き教室に入った。
「ね。晶也も部活辞めるって本当?」
「なんだ、聞いてたのか」
「そりゃ、私の机、晶也の席の隣だもん。あんな大声で話されて聞こえないわけないでしょ?」
「ま、そりゃそうか。まあそうだよ。辞めるというか辞めた」
「どうして?」
みさきはド直球だなと思わず苦笑してしまった。
みさきは少し表情を不快げに歪めて、
「晶也、なに笑ってるの?」
「いや、痛いところを突かれたからさ」
「へえー“痛いところ”なんだ?」
今度は珍しいものを見つけたとでも言うような、嘲笑するような表情。
「まあ、な。俺はまた逃げたんだから」
「逃げたって、FCのこと? 別に乾さんのところに行くなら逃げてないでしょ?」
「違うよ。乾に1ヶ月間教えて、それで俺のFCはお終いにするんだ。ほら。逃げてるだろ?」
「どういう経緯でそうなったのかはあえて聞きませんが〜逃げてるっちゃ逃げてるのかにゃー」
そういって背後の壁に体をだらんともたれさせるみさき。がハッとなにかに気づいた表情をして、
「……というか。つまりそれは、明日香にもうFCを教えるつもりは無いって事?」
「……まあ、そうなるな」
「晶也きゅんも随分ひどい子に育ったもんだねー……」
「自覚はあるけど。でも明日香のためにはその方がいいだろ。先生がコーチをやった方が間違いなく成長できるだろうし」
元々、先生はメンブレンの使い方に関してはプロの中でもトップレベルであり、頂点と言ってもいいくらいの技術力だ。
俺より先生から教わった方がずっと明日香は強くなれる。それは間違いない。
「でも、明日香は晶也に教えて貰いたがってるよ?」
「小ガモが初めて見た成体を親と勘違いするのと同じだよ。明日香に最初にグラシュの使い方を教えたのは俺だったからな。それだけの話だよ」
「私にはそうは見えないけどなー。まあ、いいや」
みさきはそう言葉を切ってから、キュッと姿勢を正して俺に向き直り、
「――ね、晶也。私たち付き合わない?」
「はっ?!」
その後の言葉に俺は激しく動揺してしまう。
「すごい動揺してる……」
「そりゃあ、するだろ普通……。というか、冗談、だろ?」
ふーっと肩を落とす俺にみさきが言う。
「冗談? 違う違う。本気だよ本気」
「はあ? なんでいきなり……」
「だって私たちさ。FCやめたら暇になるじゃない? だったら、折角だし学生らしいことしてみようと思って」
「暇じゃないだろ。俺たちも来年には受験だ」
「私に受験勉強が必要ないの、知ってるでしょ?」
「まあ、な。だが俺には必要ある」
「晶也、将来な夢とかあるの?」
「……いや、特にないな、今のところは」
「なら、それを私と探すってのも一興でしょ? 晶也が言ったように私たち、来年は受験生。何だかんだいって私も学生らしいこと出来なくなっちゃうだろうから。ね、ちょっと試しに付き合ってみようよ」
「……試しにって言われてもな」
「どうしても駄目? 私とは嫌?」
「いや、そう言われるとアレだけど……」
「――やっばり、晶也、押しに弱い」
「え?」
「乾さんのことも、こうやって押されて仕方なく了承したんじゃないの?」
「まあ、それも少しはあるかもしれないな」
「本当にいいの? 明日香を捨てて、乾さんを取るんだよ?」
「明日香は……1人でもやっていける」
「乾さんはやっていけないの? あの真藤さんを倒すくらい強い乾さんが?」
みさきが皮肉げに笑った。
「……何を聞き出そうとしてるんだ?」
「決まってるでしょ。晶也が明日香よりも私よりも乾さんを取る理由」
「帰るぞ」
「だーめ。聞き出すまで帰さない」
出口に移動して、通せんぼされる。
仕方なく、俺は話し出す。
「……乾と俺は似てるんだ」
「似てる? ……晶也と乾さんが?」
「そうだ。俺が昔、FCの選手だったことは知ってるだろ?」
「うん、確か……何回か全国で優勝とかしてるんだっけ?」
「ああ、小学生の頃だけどな。けど、結局のところ俺には才能がなかった。FCを始めたばっかの男の子に1時間ばかしの練習で1点を取られて、俺は初めてそれに気付かされたんだ」
「1点? 1点ぐらいだったらたまたまってのもあるよね?」
「ビギナーズラックって言うんだったか。始めたばかりの人間が急激にコツを掴んで上手くなることがある。今の俺ならそれは理解してる。けど、俺の心はそれでポッキリ折れた。越えられない才能の壁というやつは実在する。今の乾も同じだ」
「乾さんが?」
驚いた顔でみさきが俺を見る。
「ああ。乾は睡眠以外FCに全てを捧げるくらい必死で練習を重ねてきた。けど、真っ当な方法じゃ真藤さんに勝てなかった。だから、あの作戦を編み出したんだよ」
「へー」
みさきは興味無さげにそう答えたが、
「……そっか、乾さんもそうだったんだ」
下を向いて、ぶつぶつと小声で何かをつぶやき、俺の顔を見る。
「だから、私とは付き合えないの?」
「そういう話だったか? 今の俺の話」
「あれ、違うの? じゃああれ、次の新作ポテトチップスの……」
「もういいもういい! ……とにかく、付き合うとか軽々しく言うなよ? もっと自分の体を大切にしろ」
「体って……晶也ったらいきなり過激じゃない?」
「うるさい。俺はもう帰る」
時計見ると結構な時間が経ってしまっていた。
あまり俺自身乗り気じゃ無いとはいえ、初練習で遅刻というのは不味いだろう。
「悪いけど、じゃあな」
そう言って、俺は急ぎ足で校舎を後にした。
【みさき視点】
晶也が去った後。
「あーあ、フラれちゃった……」
私は誰もいない教室で1人ぼやく。
「体を大事にしろよって、晶也以外に言うわけないでしょあんなこと」
「晶也となら付き合うのも割と本気でアリかなと思ってたんだけど。あー……暇だなぁ」
ぐでんと壁によりかかった。
部活も勉強も恋愛も、する事が特筆してない。はっきりいって手持ち無沙汰だ。
「どうしよ、これから……」
美味しいものでも食べに行こうか。久しぶりにうどんを食べよう。そうしよう。
「……」
いや、そんな気分ではなかった。
……ふと、さっきの晶也との会話を思い返す。
真藤さんと乾さんとの試合。それは私にとって余りに衝撃的だった。
本気を出さずとも私に絶対的な力の差を見せつけた真藤さん。私の目標と捉えていた稀代のスカイウォーカーである彼が苦悶の表情を浮かべながら、あっさりと乾さんに破られたのだ。
私がFCを辞める決断をするには十分すぎる理由になる強烈な試合だった。
あの1戦で才能というやつを嫌という程思い知らされたからだ。
だが、あの真藤さんを破った乾さんは、持てる時間全てを使って全力で努力していた。……私とは根本的に違う。
それでも勝てない人がいると知った時、彼女は一体FCという競技に、何を思ったのだろうか。
結果は晶也の様子を見れば分かる。彼女は戦うことを選んだのだ。
さて、私はといえば。暇を持て余し、こうして誰もいない教室で夕日を見て黄昏ている。
「……私は本当にこれでいいのかな?」
晶也は、自分と同じ境遇の乾さんが必死で才能に打ち勝とうとする姿を見て、何を思うだろうか。
なんとなく想像がついた。
私は暮れていく夕陽を見ながら、校庭から聞こえる騒がしいバットの金属音に耳を傾ける。
「みんな、頑張ってるねー」
果たして、その先に何があるのか。
報われない努力に価値はあるのか。時間の無駄ではないのか。
「よしっ」
私は、立ち上がった。
蝉の声が騒がしい。耳をすませばあっちからこっちからうるさくてたまらない。
どこか遠くに行こう。
――そう、あの橙色の空とか、悪くないね。