試合開始を告げるホーンの音が鳴り、白瀬さんと沙希の練習試合が始まった。今回は互いにセコンド無しの様子見の試合だ。
白瀬さんは現役時代、生粋のファイターだった。それもフェイントの上手さと正確さで世界最高峰まで登りつめた選手だ。
同時にスタートした二人。まずは定石通りに白瀬さんがセカンドラインにショートカット。沙希がファーストブイにタッチ。
白瀬さんは何故か位置の高低を特に気にせず、ライン上のブイと同じくらいの低位置でサークルを描いて待機している。
当然、ハイヨーヨーで上の位置を確保する沙希。迎え撃つ白瀬さん。セカンドラインでの上の位置の攻防が始まった。
俺は思わず息を飲む。
「……」
白瀬さんの傍目から見て判断がつかない巧妙なフェイントを、上の位置から沙希は冷静に判断し、上手く押さえ込んでいる。
「凄いですね、沙希……白瀬さん相手に」
イリーナが満足気に頷く。
「沙希は厳しい練習でプロの選手相手に完璧に上を抑えるだけの能力を手に入れましたから。とはいえ……」
相手は、フェイントの名手、白瀬さんである。
気がつけば、海面に追い詰められていたはずの白瀬さんがジリジリと乾を押し上げ、セカンドブイ方向に誘導している。
刹那の隙を作り出した白瀬さんが沙希の包囲を抜け、一目散にセカンドブイにタッチした。
白瀬さんはファイターだが、スピーダー相手にテクニカルな得点。
大会でも見た事のない珍しい抜き方だ。
そのままセカンドブイの反動を利用してサードラインを飛行する白瀬さんを、沙希が同じようにブイに触れて加速してから、追う。
ブイにタッチするため、ローヨーヨーで高度を落とした沙希と互い違いに入れ替わるように白瀬さんがハイヨーヨー。いつの間にか沙希より上の位置をキープしていた。
「っ?!」
沙希がすぐに気づいて即座にハイヨーヨー。上を取り返そうと勢いをつけた沙希が白瀬さんに向かってグングン距離を縮めていく。
上の位置を取っているとはいえ、このままでは白瀬さんは追い抜かれてサードブイまで沙希に逃げられてしまう。
プロ選手であった白瀬さんはこういう時一体どう対処するのか。目を見張る。
――と、そこで白瀬さんが後方の沙希に向かってエアキックターンを使った。
「えっ?!」
思わず大声を上げてしまった。
当然ながら、白瀬さんの咄嗟の行動にすぐ後ろを飛んでいた沙希は避けられず、真正面から激突してしまう。
バチンと大きな音が立った。双方が大きく空中で回転する。
白瀬さんも沙希も持ち前のバランス力で脅威の速さで体勢を立て直したが、白瀬さんの方が僅かに速かった。それに未だ上の位置をキープし続けている。
白瀬さんが沙希に瞬時に手を伸ばしてタッチしようとする。
「ッ!」
スピーダーの初速は遅く、自身が逃げられないことが分かっている沙希は身体を不規則にきりもみ回転させながら白瀬さんから逃げようとする。が、白瀬さんはフェイントに騙されず、その指は冷静に沙希の左足首を捉えていた。
バチッと先程より軽い音。
バランスをほとんど崩していない白瀬さんと、完全に反転して頭を下に空中でもがいている沙希。決定的な隙だった。
白瀬さんは必死で背中を隠そうとする沙希の周囲を旋回しながら冷静に手を伸ばす。そしてタッチ。
バチン――と背中を押された反動で沙希が海面方向に押し出された。
同じく反動を受ける白瀬さんは器用にバランスを保ったまま上へ。
1-1。まだ同点だがこれで沙希はファーストブイでのリードを無くしてしまった。
白瀬さんは冷静に沙希の体勢の崩れ具合を見てから、深追いせずに颯爽とサードブイへ向かう。
体勢を立て直した沙希がいち早くそれを追った。
これなら、距離的に白瀬さんがサードブイに到達するまでに十分追いつけるはずだ。
だが、白瀬さんのエアキックターンを警戒しているのか沙希が位置取りに苦戦している。
上下左右に細かなフェイントを何回も入れて牽制する白瀬さん。焦れた沙希がローヨーヨーで追い抜かそうとすれば、白瀬さんも合わせて下がって距離をキープ。追い抜かそうとする沙希を背後に押しとどめようとしている。
この状態でまたさっきのように激突すれば、沙希はセカンドブイ方向に押し戻されてしまうので無理に距離を詰められない。
スピーダーとファイター。本来のスピードは沙希の圧勝の筈なのに、白瀬さんの技術がそれを許さない。完璧な位置取りとフェイント技術だ。
セコンドも無しにどうやって背後の様子を把握しているのだろうかと疑問に思う。目が頭の後ろにもう一つあるんじゃないかと本気で疑う。
打つ手なしと判断した沙希が、悔しげな表情でフォースラインにショートカットした。それを確認した白瀬さんは悠々とサードブイにタッチ。1-2。これで白瀬さんが逆転した形になる。
真藤さんを苦しめた沙希のあの上の位置取りを大技もなしにフェイント技術とバランス能力だけで完全攻略している。
これが、明日香と俺が考えていた沙希を破るための方法その1、強いファイターになること、正にその一つの成功例だった。
ブイにタッチしたファイターをショートカットしたスピーダーが待つ異様な展開。……見たことないぞ、こんな試合。
沙希はフォースブイのすぐ近くでサークルを描くように飛び、速度を保ったまま上の位置をキープ。そして、向かってくる白瀬さんの少し前の位置に飛び込み並走するように飛ぶ。
そして沙希は左右にジグザグに飛行する技――シザーズを行った。
自分はスピードを落とさずにわざと白瀬さんを追い越させてブイ得点権を獲得した後、すぐにスピーダーの速度で追い越し、そのまま距離を離して逃げるつもりだ。
白瀬さんは一体どうするんだ?と思い見ていると、
「……」
白瀬さんは沙希を追い越す前に急停止。その場に体を起こして立ち止まってしまう。
「……えっ」
沙希が驚嘆の声を上げた。
ショートカットしてから白瀬さんに一度も抜かされていない沙希は、得点権が無い為、フォースブイにタッチしても得点が入らない。
これでは沙希は反転して自ら待ち構える白瀬さんに近づくしかない。
いくら初速が最高速と殆ど変わらないファイターだからデメリットが無いとはいえ、あまりに卑怯な手だ。
だが、ルール違反ではない。ブイの直前で待ち構えたり、試合中で急停止するのはマナーとしてはあまり宜しくない事だが、ルールとしては禁止されていないのだ。
更に、常識の範囲内であれば、警告どころか注意すら受けない。つまりは1,2点のリードを奪う目的であればルール内で十分、戦略として使用可能だということだ。
まあ、そもそもスピーダーがショートカットする展開というのが極めて稀だからルール化されていないのだろうけど。
――それからも、そんな調子で白瀬さんが主導権を握る試合が続いた。
そうして、試合終了のホーンの音がなった時、白瀬さんと沙希の得点は5-3。白瀬さんの勝利にて幕を閉じた。
「いやー僕が選手として試合するのは随分と久しぶりだけど、やっぱり体はなまってるもんだね。あはは」
「むー……」
ご機嫌そうににこやかに話す白瀬さんに、沙希が恨めしげな目を向ける。
さっきの試合は点差はさほど付かないものの、白瀬さんの圧勝だった。
沙希が強くなる方法どころか、沙希の倒し方すら明確に検討がついていなかった俺だったが、白瀬さんには存分にそれを見せつけられた。そんな試合展開だった。
白瀬さんはあれでも全然本気を出していない。
俺の目的通り、沙希がどんな方向に弱いかとか、そういうのを確かめながら弱点を的確について行く。そんな指導の為の試合だった。
白瀬さんは大きな口を開けて笑って、
「次は日向くんが相手をするかい? 僕は構わないよ」
「だから、やりませんって」
「あっはっは!」
まるで酒でも飲んだかのように陽気だ。飲んでないのに。
グラシュはアルコール厳禁なので、警察に見つかったら職質されそうだ。
「それにしても、これで沙希の弱点が見えてきましたね」
イリーナさんが真面目なトーンで話を切り出す。
「うん。沙希ちゃんは意外とプレッシャーをかけられることに弱いね」
いつの間にか馴れ馴れしい呼び方になっていた。だが、それより。
「沙希がプレッシャーに弱い……?」
「あら、気づかなかったのですか?」
イリーナさんが心做しか小馬鹿にするような笑みで言う。
「すみません。俺には沙希が合理的な判断を適切にしているようにしか見えなかったので」
白瀬さんは俺をピッと指さして、
「そう!それだよ。 沙希ちゃんは合理的過ぎるんだ」
「……。 それの何が悪いんですか?」
「?」
沙希と二人して首を傾げる。白瀬さんはその様子を見て少し笑って、
「つまりは次の行動が予測しやすいんだよ。沙希ちゃんは」
そうか、そういう事か。
「例えば、最初に沙希が上の位置を取った時に白瀬さんがエアキックターンで奪い返す展開がありましたよね」
「ええ、覚えてます」
「ここで意表を突かれたのは仕方ないですが、この後、再度のエアキックターンを警戒した沙希には白瀬さんから上を奪う選択肢が殆どありませんでした。つまり、白瀬さんはこのエアキックターンの牽制さえしていれば、問題なくサードブイにタッチできたのです」
イリーナさんがわかりやすく解説してくれる。
「……すみませんでした。コーチなのに、何も理解出来てませんでした」
イリーナさんの代わりとしてセコンドまでやるつもりなのに、俺がこれでは情けなさすぎる。俺は項垂れるように頭を下げた。
「いえ、沙希には案外その方がいいかもしれませんね」
「え?」
「沙希と同じ立場から物事を考えてあげられる人間でなければ、実際の試合で咄嗟に行動する沙希の弱点なんて分かりませんから」
「……いえ、そんなことないですよ。情けないです」
イリーナさんが慰めの言葉をかけてくれるなんて意外だった。もっと強く非難されるかと思っていた。
が、今回の件は完全に俺のミスだ。コーチとして、決してしては行けないミスをした。
やっぱり、長い間FCから離れて、選手として勝とうという気持ちすらなくFCに居座る人間に、本当の力で日本一を目指している沙希を教えることなんてできないんじゃないだろうか。
その時、項垂れる俺の裾がちょいちょいと引かれる。
見ると、沙希が物言いたげに俺を見ていた。
「……なんだ?」
「ちょっと、こっち来て」
「? ああ……」
沙希に連れられるまま、イリーナさんと白瀬さんから離れて海岸の隅まで移動する。
いつの間にか日は暮れて、星がポツポツと見え始めている。
そこで沙希は向き直って口を開いた。
「私は、FCが好き。空を飛ぶのが好き。風を切る感覚が好き。星空を飛ぶ時の景色が好き。FCの全部が好き。……晶也は?」
その質問にドキッとする。好き、俺がFCが好きか……。
「俺は……どうだろうな……」
俺はFCを好きとか嫌いとか、そういう単純な言葉で表せるものじゃないように思っている。
好きな部分もあれば、血反吐を吐くほど嫌いな部分もある。一長一短だ。
「けど、多分嫌いじゃないよ。……好きな所の方が多いんだろうと思う」
本当にFCが嫌いならコーチなんてやらないだろう。多分、是が非でも断っている。
だから、きっと俺はFCが好きなのだ。まあ相対的に見ればだけど。
「なら、1つお願いしてもいい?」
「ん? あ、ああ構わないよ」
「じゃあ、もっと本気で私にFCを教えて。私には、今の晶也は全然本気に見えない。私は、もっと死ぬ気でFCをやりたい。そして、勝ちたいの」
「ッ?!」
……そうだ。確かに、俺は全然本気なんかじゃない。
きっと惰性で沙希に教えていただけだ。
久奈浜で明日香に教えていた時もそうだ。明日香はあんなにも一生懸命だったのに……俺だけは全然いつも通りで練習メニューを考えて、見てわかるダメなところを指摘して。……そんなことしかしていない。
結局俺は、コーチとして他人事のように考えて教えている。慕ってくれているあいつらに甘えている。
もっと本気でやっていれば、夏の大会も違う結果があったかもしれない。自惚れかもしれないけど、より良い何かはあったはずなのだ。
「……ごめん、そうだよな。俺、全然必死じゃなかったよな……」
「うん。明日は頑張ろ。私も……頑張る」
今日の白瀬さんとの試合のことを思い返しているのだろうか。
沙希はぎゅっと瞼を瞑って、小さくガッツポーズをしている。
……沙希の為に俺に出来ること。それはなんだろう。考える。
もっとプロの試合を見て、戦略を学ぶか?
違う、それはもう既にイリーナさんがやってる。
技術とか経験を学ぶ?
それだって白瀬さんがいる。俺だけができる事じゃない。
じゃあ、俺に出来ることっていったい?
ふと、さっきのイリーナさんの言葉が思い浮かんだ。
沙希と同じ視点から物事を考えてあげられる人間が必要。
なら、俺に出来ることって。きっと、これしかないのだ。
俺の他には誰にも代換えの聞かない。沙希を本気で勝たせるための方法。その一つの方法として。
俺はスマホを取り出して、電話帳を開いた。
そして、連絡先の中から、『真藤部長』と書かれたダイアルを呼び出す。
何回かコールがあった後に驚きながらも嬉しそうな声が応答した。
まず、夜遅くの電話を謝罪した俺に、真藤さんは日向くんならいつでも構わないよと言ってくれた。
そして本題に入る。
「――真藤さん、もし良かったら俺の練習相手をしてくれませんか?」
「俺にFCを教えてください」
……想像力が足りない。。。