いつもの集合場所には、既に沙希、イリーナさん、白瀬さんの3人が揃っている。
軽く集まって情報共有をしてから、早速練習を始めようとする3人に俺は声をかけた。
「すみません!その前に俺からちょっとお願いがあるんですがいいですか?」
「お願い?……ええ。何です?」
イリーナさんがちょっと疑問符を浮かべて俺に続きを促す。
「実は……ちょっと、練習メニューの変更をしたいと思いまして」
「……へえ」
白瀬さんが興味深いものでも見るかのような視線を向けた。
「沙希が個人練習をしてる間、白瀬さんが暇になりますよね? その間、俺と練習してもらってもいいですか?」
「日向さんはFCの選手はやらないのでは?」
イリーナさんが首を傾げて言う。
「……俺ももっと本気で沙希のコーチをしたいんです。前、イリーナさんは俺と沙希が似てるって言ってましたよね。俺なら沙希と同じ視点から試合を見ることが出来ると」
「……ええ、確かに言いましたけど」
「俺も選手として、実際に自分で試合をして、沙希の手助けをしたいんです。多分これが、白瀬さんにもイリーナさんにもできない俺のコーチングだと思いますから」
「僕はいいよ」
白瀬さんが即答した。
「日向くんの相手なら、いつでもウェルカムさ。なにより、昨日日向くんをFCに誘ったのは僕だしね。……まあ、決心したのは僕の言葉ではないみたいだけど」
そう言って、白瀬さんがちらりと沙希を見る。
「?」
沙希は俺と白瀬さんを交互に見て小首を傾げていた。
「……そんなことないですよ。白瀬さんのお陰です。ありがとうございます目いっぱい頼らせて頂きます」
「うんうん」
白瀬さんが満面の笑みで頷く。
イリーナさんは少し考えて、
「……そうですね。沙希の為になる部分も多いでしょう。なにより、白瀬さん本人が了承しているのなら何も問題はありません。個人練習の際でしたら沙希の練習の妨げにもならないでしょうし」
「すみません、イリーナさんもありがとうございます」
沙希は心做しかキラキラした目で、俺の横にぴったりくっつくように座って、
「……お兄さんだけじゃなく、私とも試合しよう」
「……ああ。そうだな」
こういう所、やっぱり明日香と沙希は少し似てるかもしれない。
そう思いながら俺は頷いて……1拍置いて気づいた。
「……お兄さん?」
白瀬さんの方を怪訝な目で見ると、白瀬さんはワタワタと胸の前で手を振って、
「い、いやぁ沙希ちゃんいい子だからさ。冗談でお兄さんって呼んでって言ったら……」
イリーナさんが鋭い目を白瀬さんに向けて、
「白瀬さん……依頼を受けてくれた貴方には感謝していますが、沙希にもしもの事があったら……」
――殺します。
殺意の波動を感じた。
「そ、そんなことあるわけないじゃないか。ただ……僕は若いっていいなあと思っただけだよ。ぐすん」
白瀬さんは涙目になっていた。
なんだか可哀想に思えてきた。
俺はパンパンと手を叩いて、
「まあ、それはともかく練習しましょう。白瀬さんは昨日と同様にセカンドブイで沙希を――」
そしていつものように練習が始まる。
「――ローヨーヨーで白瀬さんの右前方5m、頭を押さえろ!」
「うんっ」
今日は俺が沙希のセコンドをしている。
上の位置をキープする沙希の戦法には、適切な距離を維持することが必要不可欠であり、選手より試合全体を見渡せるセコンドの指示がかなり重要になる。
これまではイリーナさんが距離を目視で計測して、指示を飛ばしていたが、今度は俺がその代わりをしなければならない。
だが、想像以上にシビアだ。
ちょっと指示が遅れたり、目視での予測がズレたりするとあっという間に白瀬さんを逃がしてしまう。
やっぱりイリーナさんは賢いな。これはかなり頭の回転が早くないと中々出来ないぞ。
あの夏の大会、真藤さんを押さえ込んだのは沙希だけでなくイリーナさんでもあったと思い知らされる。
そんなこんなで俺のグダグダな指示で、沙希も思うようなFCが出来ず、練習が終わる。
こんなんで俺に沙希のセコンドなんてできるのか?
イリーナさんに変わった方がいいんじゃないかと思ってしまう。……いや、ここで放棄するなんて絶対に嫌だけど。
「日向さんはいつも頭を抱えてばかりですね」
「あ、イリーナさん……」
海岸の隅でタオルを頭の上に被せて体育座りしていると、イリーナさんが隣に座って話しかけてきた。
「今日の沙希のセコンドのことですか?」
痛いところを突かれる。
「やっぱり、わかりますよね……」
「ええ、酷いものでしたから」
イリーナさんが少し笑みを浮かべながら言う。
まあ……そう言われても仕方ない。今日の試合は誰が見ても泥仕合だった。
「……イリーナさんは凄いですね。上の位置をキープする発想を思いついても、それを実現するのがこんなに大変なんて思いませんでした」
「ええ、思いつきから始まって、1年以上沙希とこの戦略のために練習してきましたから。日向さんに1日2日で追い越されても逆に困ります」
「……やっぱり、大会のセコンドはイリーナさんにお願いした方が」
「――ふぅ……」
そこでイリーナさんはこれみよがしに大きなため息をついた。
「あの夏の大会から思っていましたが、貴方はやっぱり馬鹿ですね」
「へっ?」
「沙希がなぜ1番の理解者である私ではなく、日向さんを次の大会のセコンドに指名したのか。考えたことはないのですか?」
「……」
「上の位置をキープする作戦のために私ではなく貴方を選んだのだと思っているのなら、大間違いです。きっと沙希はもう、私と同じところを見ていません。いや、もうずっと前からそうだったのかも知れませんね……」
そして小さくもう一度ため息をついた。
イリーナさんが弱音のようなことを口にするところ、初めて見たかもしれない。
「沙希が期待しているのは、私ではなく、貴方なんですよ。今日になって 急に気合いが入ったかと思えば、筋違いの所ばかり見て勝手に落胆している。なんで沙希がそんな貴方に頼っているのか、私にはこれっぽっちも分かりませんが……」
「すみません……」
本当にその通りだ。頭が上がらない。
「――日向晶也にしか出来ないことがある。あの子をその確信に至らせる何かがあるのは事実なのでしょう。だから……目先のことばかり見るのはやめなさい。それに、私も頼ってください。元は敵同士でしたが、今は沙希のため同じ目的のため協力する同士なのですから。それに」
イリーナさんはそこで1つ言葉を切って、
「……沙希のことは私が誰よりも理解しているつもりです」
その通りだ。沙希はイリーナさんと幼い頃からずっと一緒にFCを頑張ってきたのだ。
誰よりも二人は通じあっている。俺なんかとは比較にならないほど。
「すみません、ありがとうございます。いつも情けない姿しか見せていない俺ですけど、今度こそベストを尽くしますので。……これからはもっとイリーナさんに頼らせていただきます」
「ええ。それにしても、グラシュを与えたのは私ですが、貴方がFCを始めるとは思いませんでした」
「まあ、沙希を見ていたら。俺も本気にならなくちゃなって思いまして」
「それは、コーチとしての本気ですか? それとも……」
「も、勿論コーチとしてに決まってるじゃないですか!」
俺は慌てて否定した。しかしイリーナさんは表情を変えずに、
「私はどちらでも構いませんよ。これから沙希の一番近くにいる貴方がそういう対抗意識を持つことは、沙希にとっても悪くありません」
なぜだか、イリーナさんには全て見透かされている気がする。
大富豪のお嬢さんと言うだけではなく、底知れない何かを感じた。
「それは……俺が、沙希を倒しても構わないということですか?」
冗談まじりの笑いで俺は聞くと、イリーナさんも少し笑って、
「倒せるものなら、倒してみてください。沙希は強いですよ?」
「勿論、理解してます。でも弱点もありますし、それを一番知ることが出来るのはコーチの俺です」
「沙希の成長に繋がるなら、それも許容します」
「……沙希は、俺に負けたらFCを辞めるかもしれませんよ?」
「私は、沙希にFCを強要するつもりはありません。私はいつもいつまでも、あの子の傍に寄り添って支えるだけですから」
「……どうしてそこまで?」
「あの子とは、血は繋がっていませんが、立派な家族ですから」
イリーナさんはそう言うと、満点の星空を見上げる。
俺も釣られるように空に視線を向けた。
「綺麗ですね……」
「ええ」
イリーナさんと沙希の間で過去に何があったのか、俺は知らない。
けれどその表情には、沙希が時折浮べる覚悟に近い何かを感じた。