『破ァァァッ!』
『嘘……アタシ、こんな……負けて……?』
チナツの組み立てた作戦は間違っていなかった。リーチの短い八極拳を封じるために残像と機動力で撹乱し、遠距離攻撃で徹底的に攻めていく。
そして、それを実現できるだけのクオリティを、アストレイシックザールは持っていたはずだ。
それでも、上を行ったのはリンファとズィーロンワンだった。
全力で挑んだ勝負なら後悔はないというかもしれないけど、全力で挑んだからこそ、全身全霊をかけたからこそ、負けた時は悔しくなるのだ。
セントラル・ロビーに帰還してから、チナツは気丈に振る舞ってこそいたけど、あいつのことだから、きっと今頃塞ぎ込んでいるかもしれない。
メガ粒子杯準決勝戦を終えてのインターバル期間。俺は何度もチナツとリンファの戦いをアーカイブで見返しながら、やるせない気持ちを抱いていた。
チナツからの連絡はない。
GBNにもログインしてみたけど、通知を切っているのか本当にログインしてないのかはわからないけど、フレンド欄から辿ったログイン情報では、あいつのアクティビティは沈黙したままだった。
この程度のことで落ち込むようなタマじゃないのかもしれないけど、チナツは意外と繊細なところがあるから、心配といえば心配だ。
「なんだかなあ……」
一応ユウマさんとミライさんに話を聞いてみようとはしたけど、チナツから口止めされてるのか、教えてくれなかったし。
そんな具合に薄らぼんやりとインターバル期間を特にやることもなく過ごしていた時だった。
ぴこん、と間抜けな音を立ててスマートフォンが何かしらの通知を受ける。
「なんだ、バイトの指名……って、マフユか」
確認してみればそれは、マフユから入ったバイトの指名だった。
バイトの方はメガ粒子杯で最近ご無沙汰だったし、存在を完全に忘れかけてた。慌てて外行きの服に着替えて、部屋を飛び出していく。
携帯用のポーチにストライク焔を詰めていくことも忘れない。
このポーチ、元はGPD時代に作られた公式グッズで父さんのお下がりだ。
最初は俺だけのガンプラが完成した嬉しさから持ち歩いてたけど、ここ最近は何となく、父さんから受けたアシムレイトの教えに少しでも近づけるんじゃないかと思って、ストライク焔を肌身離さず持ち運んでいる。
気休めかもしれないけど、鰯の頭も信心から、ってやつだ。
「あらユウヤ、お出かけ?」
「ちょっとバイトでマフユの家まで!」
「行ってらっしゃい!」
廊下ですれ違った母さんに手短に用件を告げてザックを背負い、俺は軒先に停めてある自転車に飛び乗った。
チナツのことが気がかりにならないかといわれてそうだと答えれば嘘になるけど、何をやっても梨の礫だったし、今はまず、頼まれた仕事を優先しないとな。
◇◆◇
インターフォンでマフユを呼ぶと、俺は相変わらずデカい門を潜って豪邸の敷地に入る。
家がこんなにデカいのに、マフユが頼んでるのはいつも通りのハンバーガーセットで、案外庶民的だ。
まあ誰が何を食ってようと当人の勝手だから、突っ込むだけ野暮ってもんだけど。
俺は普段と同じ場所に自転車を止めて、玄関先にも設置されているインターフォンを押して、マフユが出てくるのを待つ。
「ごめんね、ユウヤ君……遅くなっちゃって」
「ああいや、俺は大丈夫だぜ」
マフユの格好はいつもと変わらない、袖の余ったゴスロリドレスに、フリルがあしらわれた黒のカチューシャを頭に乗せて、白いリボンで髪の毛をお嬢様結びにしているものだったけど、今日はどことなく雰囲気が違うような感じがした。
「マフユ、もしかしてイメチェンしたか?」
具体的に何がどう違うのかと訊かれると答えに困るけど、なんというかただでさえ可愛らしい童顔が際立っている……ように見える。
なんともなしに問いかけてみたら、マフユは何故か頬を赤らめて、何度も縦に首を振り続けていた。
「う、うん……! よくわかった、ね……?」
「なんていうかその……雰囲気が微妙に違った気がして」
マフユの長くて綺麗な黒髪は腰まで届くほどだけど、手入れは行き届いてこそいてもそれを切った形跡は見当たらないし、じゃあどこが変わったんだって感じはする。
でも、確実にこう、纏うオーラというか漂う感じというか、そういう曖昧なものが変わっていた気がしたのだ。
「……えへへ。お母さんにお化粧教えてもらって、ちょっと試してみたの」
「なるほど、化粧か!」
それは盲点だった。
確かによく見れば白い肌を引き立てるようにファンデーション……? とかそういうのが乗せられてるし、唇だって多分色付きのリップか何かで彩られている。
母さんも大概若々しく見える童顔だけど、どっちかというと血色がよく見えるように化粧をしてるのに対して、マフユはその肌の白さが際立つような化粧をしてるのは、なんか対照的だな。
「あ、あれ……? 気付いてなかった……?」
「いや、なんか違うなーとは思ってたけど具体的にどこが、って言われると」
「……そっか……」
「だってマフユ、化粧しなくても可愛いだろ? でも化粧したらまた違って見えてくるから凄いな!」
化粧とかスキンケアとかそういうのは生憎だけど俺にはさっぱりだ。それでも、チナツや母さんが日頃から気にしてたりする辺り、女子にとっては外せないことなのだろう。
マフユはそういうのがなくても十分に美人というか美少女というか、そういうカテゴリに入るのかもしれない。
だけど、化粧をしたら今度はまた違った綺麗さが引き立てられてるんだから女の子ってのは不思議なもんだ。
「……か、可愛い……えへへ、そっか……なら良かった、な……」
「ごめんな、すぐにわかってやれなくて」
「ううん、大丈夫。ユウヤ君に、その……可愛い、って言ってもらっただけで、嬉しい、から……」
なんだか背中がむずむずする言い回しだ。
でもまあ、喜んでくれたんならそれに越したことはない。
俺は背負っているザックを下ろしていつものハンバーガーセットをマフユに手渡すと、手招かれるまま、いつも通りにリビングルームへと上がっていた。
「今、飲み物と……そ、その……お腹減って、る……?」
「確かに腹は減ってるけど」
そういやチナツとリンファの戦いを俺なりに分析することに夢中で、昼飯食べるの忘れてたな。
しかしなんで腹が減ってるかなんて、訊いてくるんだ、と、俺が首を傾げて頭上にクエスチョンマークを浮かべていると、マフユはぱあっと笑顔を輝かせて、言葉を続ける。
「よかった……じゃなくて、その……私、お昼ご飯作ってみたから、食べてくれ、る……?」
「お、おう」
「えへへ……それじゃ、持ってくるから、ね……」
昼飯自前で作ったのに出前頼んだのか?
なんてことを問いかけるよりも先に、マフユはどこか浮かれた様子でぱたぱたと台所の方に駆け出していく。
うーん、女子ってのは謎の生き物だ。自炊できるけどめんどくさいから出前頼んでるってんならわかるけど、自前で飯作ってから出前頼むパターンには人生で初めて遭遇した気がする。
「えっとね、これ……よければ、いっぱい食べて、ね……?」
「サンドイッチか! ありがとな、マフユ!」
「……えへへ」
まあでも、腹減ってる時にちょうど食事をもらえるってのは、理由は謎だとしてもありがたいことだ。
クラブハウスサンドが乗った皿と、コップに注がれたコーラをマフユは俺の前に差し出すと、自分は頼んだハンバーガーセットをもきゅもきゅと、小鳥のように啄む。
俺の方もご厚意に与るとして、楊枝でピン留めされているクラブハウスサンドにかぶりつく。
「……どう、かな?」
「……すげー美味い!」
嘘じゃない。マフユのクラブハウスサンドは、思わずそう叫んでしまうぐらいの代物だ。
美味かった。マジでこれだけのクオリティで飯を作れるのに、なんで出前を頼んでるのかがますますわからなくなってくるレベルで美味かった。
もしゃもしゃと残りを頬張りながら、少しソースの味が濃くなってきた口の中をコーラでリセットする。うーん、美味い。
「よかった……その、ユウヤ君のために、作ったから……」
「俺のために?」
「あ、えっとね、えっと、えっと、その……その、その……め、メガ粒子杯の決勝戦、頑張ってね、って……!」
おうむ返しに問いかけると、マフユは顔を真っ赤にして腕を振りながら、突然激励を飛ばしてくる。
なるほど、そういうことだったのか。
なら納得がいく。出前を頼んだのは俺を呼び出すためってことか。
「ありがとうな、マフユ」
「ど、どう、どう、どういたしまして……」
「それと、俺を呼びたいだけだったら今更だけど、わざわざ出前取らなくてもいいように連絡先交換しとかないか?」
GBNではフレンドワープとかがあるから不自由してなかったけど、よく考えたらリアルで連絡先を交換するの、すっかり忘れてたな。
真っ白なナプキンで手を拭くと、俺はポケットからスマートフォンを取り出して、連絡用アプリを起動、QRコードを表示する。
「えっと……い、いいの?」
「いいもなにも、マフユなら大歓迎だぜ」
「そっか……その、ありがとう、ユウヤ君……」
マフユは眦に涙を浮かべながらそれを読み取って、連絡先の交換が成立する。
そんなに感動するほどのことでもないと思うんだけどな。
でも、不謹慎かもしれないけど、泣いてるマフユも可愛らしい。
「そういえばマフユ、あれからカールの野郎に絡まれてないか?」
あいつが突然諦めないとかどうとか言ってたことを思い出して、俺はふとマフユにそう問いかけていた。
GBNで過剰な粘着行為と認められればガードフレームが飛んでくるらしいから心配はないとしても、あいつがマフユに絡んでいる姿を想像するのはどういうわけかとにかく癪だ。
「ううん、全然。だって、その……私、もう……心に決めた人が……好きな人がいる、から……」
「そっか、あいつもそこまで往生際は悪くなかったか」
なら良かった。マフユが心に決めた相手が誰なのかはわからないし、それを考えるともやもやするけど、誰を好きになってどんな恋をするかなんてのは相手の自由だ。
他人の幸せを祝いこそしても、妬む理由にしてはいけない。それは拳を曇らせることになるから。
師匠の教えだ。
「……にぶちん……」
「えっ?」
「……なんでもない、よ?」
何事かをぼそりと呟いたと思いきや、マフユは控えめな笑顔を浮かべてみせる。
──ユウヤ君はユウヤ君だな、って。
マフユがはにかみながら続けた言葉に俺は首を傾げる。俺は俺。当たり前のことだ。
俺は俺以外の何かになることなんて──
ふと、天啓のようなものが降りてきたのは、そんなことを思った瞬間だった。
そうか、俺は俺。ストライク焔はストライク焔。その二つが重なり合った時、本当にストライク焔のことを、俺と呼べるまで理解した時、きっと。
「ありがとうな、マフユ!」
「えっ……?」
「マフユのおかげで、俺、なんかわかってきた気がする! 父さんが……師匠が教えてくれたことが!」
真のアシムレイト、その境地に辿り着くための極意。それはきっと相手は相手だと理解した上で、心を重ね合わせることなのかもしれない。
それは相手が物言わぬガンプラでも同じことだ。
ストライク焔のことを、もっと深く。自分のことを、もっと深く。窮地に追い込まれた時にそれができていたのは、危機からくる過集中がそうさせていたからだろう。
だから、いつでもその集中力を引き出せるようになる。それがインターバル中に、俺がやっておくべきことなんだ、きっと。
「俺、何をすればいいかわかった気がするんだ。だから改めてありがとうな、マフユ!」
丈の余った袖に包まれているマフユの手を取って、俺はもう一度礼を言う。
「……うん。ユウヤ君の役に立てたなら……私も、嬉しいから、その……」
ありがとう。マフユも控えめにその言葉を口に出して、そっと何かをしまい込むように、そうでなければどこか呆れたようにはにかんでみせる。
俺は俺、か。
もう一度マフユの言葉を思い返して、こんな時にもガンプラとガンプラバトルのことを考えてしまう自分に苦笑したんだろうな、と振り返る。今度、ちゃんとした埋め合わせはしないとな。
◇◆◇
その後はいつも通りにマフユと一緒に見てなかったガンダム作品を見て家に帰ったら、どういう理屈か、道着に着替えたチナツが、腕を組んで立っている姿があった。
「遅い」
「……俺、なんかお前と約束してたか?」
「してないわ、ただアンタに用があってわざわざこんな格好してんだから、さっさと着替えて道場に来なさいよね!」
びしっと人差し指を突き立てて、チナツは道場の方に歩いていく。
道着を身につけてるってことは、そういうことなのか?
いつ以来かわからないけど、チナツから突きつけられた組み手の誘いを突っぱねるわけにもいかない以上、俺もまた急いで道着に着替えて、道場に足を踏み入れる。
「どういう風の吹き回しだ、チナツ?」
「メガ粒子杯の決勝戦、アンタが戦うのはアイツでしょ? なら、アタシだって……負けたかもしれないけど次元覇王流をやってたのよ、ちょっとは練習になると思わない?」
「……そういうことか。いつでもいいぜ、チナツ!」
でも、怪我だけはさせないようにしないとな。
そんなことを考えている間にもチナツの鋭いハイキックが頬を掠めて、連携の後ろ蹴りが襲いかかってくる。
両腕を交差させてその一撃をガード、俺はカウンターとして、そのままチナツの体幹を崩すように足技を仕掛ける。
「今のがアイツの発勁だったら、アンタやられてたわよ!」
「ああ、そうだな!」
それを巧みに回避するとチナツは距離を取り直して、再び次元覇王流の構えをとった。
確かにチナツの言う通りだ。リンファの拳は一撃必殺、防ぐという概念が意味をなさない。
あるいはキョウヤさんや、キョウスケさんぐらいに作り込まれたガンプラならできるのかもしれないけど、カールに指摘されたように、コドウとの戦いでわかったように、ストライク焔には弱点が──鳳凰覇王拳の出力に、根本的にはバーニングバーストシステムの最大出力に機体の強度が耐え切れていないというそれがある。
要するにまだまだ、俺のガンプラは、リンファと比べて未熟だということだ。
だからこそ、一発だって食らってやらないという自信を持たなければ、あいつが一発を打ち出す前にこっちが手数で圧倒しなければ、勝ちの目は恐らく気が遠くなるほど薄くなる。
そんな状況であいつに勝つのなら、こっちが使える手札は二枚。一つはさっきの手数、そして、もう一つは。
雑念を振り払い、心の海をどこまでも深く掻き分けて潜っていく。そうして俺は、そこに揺らぐ炎の一欠片を見る。
「次元覇王流!」
「っ、次元覇王流!」
『聖拳突き!』
俺の拳とチナツの拳がぶつかり合って、骨が痺れるような感触が伝わってきた。現役を退いたとはいえ、まだまだチナツの拳は凄まじい。
そして、拳を通じて理解する。チナツが今、深い悲しみに包まれていることを。悔しくて悔しくて、仕方がないことを。
「……やっぱ、馬鹿力よね。アンタ」
「手加減抜きでやってくれって、チナツの拳がそう言ってた。だから全力で応じた」
「ふんっ……それでいいのよ。変に気遣いとか、同情とか、いらないんだから! だから、その……」
──勝ちなさいよ、ユウヤ。
その一言を呟くと同時に、チナツが噛み締めていた薄い唇が震えて、噛み殺すことができなかった嗚咽が夕暮れの道場に響く。
「……頑張ったな、チナツ」
「バカぁ……っ……! ぐすっ……うええええ、んっ……!」
「俺は……お前の思いも背負ってあいつに、リンファに絶対に勝つ、だから」
──俺の胸でよければいくらでも貸す。
だから、その悲しみが晴れるまで、悔しさを飲み込めるまで、好きなだけ泣いていいんだ。
俺の言葉を聞いた途端にチナツの涙は絶え間なく溢れ出し、どうして、という悔しさと、俺と戦いたかったという思いの丈を、何度も何度も胸板にぽこぽこと軽く当てられる拳と共にぶつけてくる。
赤い夕陽が、西の空へと沈んでいく。
俺は夜の帳が下りるまでただ、チナツの思いを受け止めて、ここまで背負ってきたものを一つ一つ確かめるように、自分の覚悟を見つめ直していた。
挑むは強敵