世界平和監視機構“コンパス”。
それはカガリ・ユラ・アスハの主導によって、オーブ、プラント、大西洋連邦の3ヶ国で結成された国際機関の名称だ。
それぞれの国から選抜された独自の戦力を持ち、本部はプラントの首都アプリリウスに置かれたコンパスは、初代総裁に“平和の歌姫”として知られるラクス・ディノを置き、主に世界全土で行われている戦闘行為の鎮圧を行っている。
その実行部隊の隊長として“歌姫の騎士”アスラン・ディノ。
また構成員に“エンデュミオンの鷹”、意外な所では“月光のワルキューレ”など、各陣営のエースパイロットを結集させたこの部隊は、少数ながら1方面軍にも匹敵する強大な軍事力を保有する精鋭部隊だ。
オノゴロ島に位置するコンパス地球支部ビルの会議室にて、組織の成立を主導したオーブ連合代表首長カガリ・ユラ・アスハはクロトに視線を向けた。
「まだ発表されていないが、つい先程“フリーダムキラー”を確保した」
アスランと並んで実行部隊の中心人物であり、第2次連合・プラント大戦で挙げた成果から“フリーダムキラー”と称されたクロトは、先程までテロ被疑者として地球支部ビルの地下室に拘束されていたのだ。
クロトは解除された手錠型電子監視機を机の上に置くと、腕をゆっくりと回した。
「情報精査中だが、黒幕の正体は掴めていない。だが世界各地で同様の犯行が繰り返されていることから、ブルーコスモスの関与した可能性が高いそうだ」
元は自然環境保護を訴える団体だったが“蒼き清浄なる世界の為に”をスローガンに、手段を問わず反コーディネイター、反プラント活動を実行する思想集団だ。
一時は秘密裏に支援していたロゴスの壊滅や、ネオ・ブルーコスモスの結成などで勢力衰退を余儀なくされていたが、第2次連合・プラント大戦の戦後処理や世界各地で行われた独立運動の被害を受けたナチュラルの支持を集めていたのだ。
「ブルーコスモスねぇ。僕の名前なんか使っても意味ないってのに」
クロトはケラケラと笑った。
第2次連合・プラント大戦の最終決戦となったメサイア攻防戦で、クロトは不敗神話を誇っていた“フリーダム”を撃破した。その戦果から“フリーダムキラー”の異名を付けられ、ナチュラルでありながら世界有数のエースパイロットと評されている。
だがそれはナチュラル至上主義のブルーコスモスにとっても、決して望ましいものではなかった。クロトは地球連合軍とブルーコスモスが共同開発した“生体CPU”の1人であり、コーディネイターを排除するために造られた人間兵器だ。
あえて喩えるならば、魔法使いと使い魔といった関係か。いずれにせよ非人道的な行為に手を染めたブルーコスモスが、クロトの件で支持される理由など1つもない。
その通りだと肯定した上で、カガリは顔を顰めて小声で言った。
「だが今回の事件を受けて、ファウンデーションはお前の排除を要求したそうだ。お前を処分しなければ、我が国はコンパスを支持しないとな」
あからさまな挑発行為に、クロトは仏頂面のまま返答した。
「言わせておけよ、って状況じゃないみたいだな」
「あぁ。連中の独立経緯は複雑だからな。デュランダルを討ったお前を、目障りだと考えているのかもしれない」
物事には裏と表がある。
それは世界経済を崩壊させ、前代未聞の遺伝子至上主義政策を全世界に強制執行しようとしたギルバード・デュランダルであっても例外ではない。
特にデュランダルの支援を受けて独立したファウンデーションには、今もその遺志を支持する者が存在しても不思議ではないのだ。
「それが政治の世界って奴か」
「そんなところだ。しかし、発足されたばかりのコンパスが奴等の言葉を無視出来ないのも事実だ」
コンパスが本拠地を構えるのはプラントの首都。
初代総裁、初代指揮官はいずれも元プラント最高評議会議長の子息。
主要な構成員の大半はコーディネイター。
どう贔屓目に見ても、プラントを支援するための地上部隊だ。
ましてクロトが組織から排除されたことが明らかになれば、不支持を表明する者も現れるだろう。コーディネイター国家であるプラントを除けば、各国の市民は優秀な新人類に劣等感を抱いたナチュラルが大半なのだから。
どちらにしても手詰まりの状況らしい。クロトは肩を竦めて苦笑した。
「僕はクビでもいいけどねぇ。ラクスがいれば大丈夫だろ」
「それはそうかもな。だが、そんな単純な話じゃないだろう」
カガリは頷くと、虚空を見上げて溜息を吐いた。
このコズミック・イラはどうしようもない世界だ。
たった数年で2度も人類滅亡寸前の危機が訪れたと思ったら、平和が訪れた後も懲りずに世界各地で戦いを続けている。
もしもこの世界に神がいるのなら、余程人の不幸を楽しんでいるのだろう。
世界平和を維持・監視するために武力介入を実行する機関。
そんな空想の世界では敵役のような超国家的組織が結成されたのは、そんな手段しか平和を維持する方法を思い付かなかったからだ。
今の自分達には、遺伝子至上主義に傾倒して世界平和を成そうとしたギルバート・デュランダルを愚者の暴走だと一蹴することは出来ないだろう。
「でもさぁ。他に方法があるの?」
「あぁ。ほとぼりが冷めるまで、お前を別の組織に出向させるつもりだ」
要は厄介払いということか。クロトは試すような笑みを向けた。
「へぇ。今度はザフトとか?」
遺伝子調整によって強靱な肉体、優秀な頭脳を先天的に獲得した新人類。
そんなコーディネイターの権威を失墜させたクロトを心底憎む人間は、今もプラント内部には無数に存在するだろう。特にエリート揃いのザフトなら尚更か。
やるならやってやる。
カガリは好戦的な笑みを浮かべたクロトに呆れると、更に言葉を続けた。
「先日、ターミナルから私に増員要請があった。場合によっては世界各地で現地調査を行うこともあるらしいが、お前なら十分こなせるだろう」
ターミナル。
それは主に国家間の情報伝達を担う非政府組織だ。
世界各国に諜報員が存在し、国家の情報機関相当の情報力を有する隠密組織である彼等は第2次連合・プラント大戦でも秘密裏に暗躍した組織であり、ストライクレイダーを製造したファクトリーとも繋がりを持っている。
いわばコズミック・イラの平和を裏で支えている屋台骨と言えるだろう。
「僕に諜報員の真似事が出来るのかねぇ」
クロトは困ったような表情に変わった。
モビルスーツの操縦と拳銃等を用いた白兵戦。いわゆる諜報員に最も求められる能力はそうした戦闘技能よりもむしろ、適切な情報分析・解析能力だ。
そうした分野の能力においては、コンパス所属者の中でも最下位を争うだろう。
あの遺伝子絶対主義に傾倒していた男流に言うならば、クロト・ブエルは戦士としての運命を定められた者なのだから。
「お前1人じゃ無理だろうな。お前、意外と馬鹿だから」
「おい。他の奴もいるのかよ」
何かを試すようなカガリの言葉に、クロトは苛立ちを露わにした。するとカガリは手元に伏せていた1枚の書類を示した。
そこには見慣れた顔の少女のデータが記載されていた。
「キラが?」
「あぁ。ターミナルはコンパスの有力な情報源だし、アイツもラクスを助けるためだって志願したらしい」
コンパスのように武力介入が職務という訳ではないが、それでも国際的な情報機関であるターミナルの活動は危険を伴うことも事実だ。
強過ぎる力は争いを呼ぶが、力無き想いもまた争いを呼ぶ。
前大戦における“ストライクレイダー”と同様に、ターミナルではファクトリーと連携して新型機動兵器の開発に携わることもあるだろう。
不穏な表情に変わったクロトに対して、カガリは可笑しそうに笑った。
「アイツ、お前が見てないと危なっかしいだろ? 今回の事件がなくても、ラクスに相談するつもりだったんだ」
「そうか。それなら前向きに考えとく」
定められた運命を拒み、抗う自由を選んだ代償に奪われた平穏。
ギルバート・デュランダルが世界に掛けた呪いが解けるのはまだ先のことらしい。クロトは不敵に微笑すると、その場から立ち去った。
「そりゃ傑作だ。テメーが消えれば俺が小隊長だからな」
オルガの囃し立てるような声に、クロトは無言で大型自動拳銃を撃った。
アルテミス要塞跡地で“偽者”が拘束されたことで無罪の確定したクロトは、鈍った勘を取り戻すため支部ビル地下に設けられた訓練所で実弾射撃を行っていた。
「話し掛けんなよ」
「ははッ。相変わらず下手糞だな」
聴覚保護のヘッドホンを付けたクロトは、すぐ隣に立っていたオルガ・サブナックの嘲笑と共に呻き声を上げた。
昼食代の奢りを賭けて、2人は真剣勝負を始めようとしていたのだ。
目標までの距離は100m。
クロトとオルガが使用している自動拳銃の有効射程ギリギリだが、卓越した射撃能力を誇る2人にとっては決闘に相応しい難易度だ。
「じゃあ、手加減は終了だ」
「おいおい、それで負けたらダサいぜ。フリーダムキラー」
オルガは電子パネルを操作すると、再設定を実行した。一方のクロトはボックスから弾丸を取り出し、空になった弾倉に手早く込めた。
「その呼び方は止めろ」
クロトは所定の位置に立つと、滑らかな挙動で1発撃った。自動拳銃の中では最上位の威力を誇る強烈な一撃が標的を貫き、モニターが命中を告げた。
「じゃあ“不死の襲撃者”?」
「それって別の奴と混じってないか」
軽口を叩きながら引き金を引くと、オルガの放った一撃はクロトの放った銃弾と寸分違わぬ位置を正確に穿った。
「しっかし、俺の偽者もどっかにいるのかねぇ」
「お前の偽者なんて造っても仕方ねぇだろ」
クロトは得意げなオルガに対して、煽るように言った。単に整形手術で似せただけなのか、それともクローンか。
正体不明の秘密結社が独占していた不完全な技術とのことだが、生前の記憶を保持した死者を蘇らせることが可能な世界で、自分を騙る偽者が現れたことに驚きはない。
「それはそうだ。どうせやるなら
クロト・ブエルとオルガ・サブナックはどちらも元生体CPUだ。
しかし片方は“フリーダムキラー”の異名を持つエースパイロットだが、もう片方はあくまで無名のパイロットだ。
わざわざ偽者を用意する意味もその必要もないのだ。単に優れた戦闘能力を求めるのであれば、ナチュラルである2人の上はいるのだから。
「そういえば、シャニの奴は何処行った?」
「さぁな。最近あの野郎、1人で外出することが多いからな」
「アイツが?」
クロトは再び標的を撃ち抜くと、そのまま押し黙った。休日でも外に出掛けることすら稀な出不精のシャニに、いったい何があったのか。
「
「……ま、別に何をしてようが関係ねーか」
「人のコトは言えねぇもんなぁ」
オルガは笑いながら無造作に銃を構えると、標的のど真ん中を撃ち抜いた。
「しかしこれじゃ終わらねぇな」
雑談を交えながらの訓練だったが、どちらも一向に外す気配はなかった。一方の集中力が途切れるまで、決闘はしばらく続くように思われた。
「だったらアイツはレイダーキラーか?」
「僕は何回か落とされてるんだけど」
小馬鹿にしたような声を無視し、クロトが再度引き金に指を掛けた瞬間だった。オルガの言葉に反応したのか、背後から少女の声が聞こえた。
「レイダーキラー?」
一瞬遅れて鋭い銃声が鳴り響き、モニターは命中のシグナルを表示した。クロトが放った弾丸は標的の先端を掠めるように着弾した。
「…………」
クロトは標的を見詰めたまま硬直し、どうやら2人の邪魔をしたらしいと悟ったキラは黙り込んだ。オルガは気まずい雰囲気を一蹴するかのように欠伸すると、実弾射撃用の格好をした少女達に振り返った。
「訓練か?」
オルガは僅かに口角を上げ、おどけたような笑みを返した。
グラディス隊の一員としてザフトの快進撃を支え、今はコンパスの実行部隊“アスカ隊”に所属する少女ルナマリア・ホーク。
真紅の髪と男勝りな雰囲気が印象的で、ザフト製の最新鋭機“ゲルググメナース”で戦場を駆け抜ける遊撃兵だ。
「はい! 何かコツを聞けたらなーって。私、あまり上手くなくって」
「外せば
元生体CPU特有のブラックジョーク。
成績下位者は失敗作として改造手術を行われ、高度な空間認識能力が必要な“ペルグランデ”の素体に使われたことも。
「……外せば脳を連結?」
「あー、冗談だ。ちょっと見てやる」
オルガはルナマリアに話が全く通じていないことを悟ると、キラと視線を交わしたまま沈黙するクロトに場所を譲った。
彼女の惨憺たる結果は才能というよりも、精神面の問題だろうか。
「少し休憩しよう。外に出るのも、久しぶりだし」
クロトは疲れた口調で言った。
キラは高速で動き回るモビルスーツで多数の敵を無力化出来るというのに、動かない標的に銃弾を当てるのは難しいらしい。
それも人型の標的に対する反応は、まるで素人同然だ。
これではあくまで本分ではないにせよ、敵の勢力圏内で情報収集を求められるターミナルのエージェントとしては失格だ。
どうしたものかと道を歩いていると、隣を歩いているキラの声が届いた。
「私達は、何も守れていない」
世界各地で起こっている戦闘行為に対して、対処療法的な武力介入を実行しているコンパスの評判は決して良好ではない。
コーディネイターの手先。第2のコンクルーダーズ。
そう揶揄する者も決して少なくない。
こうした人種間闘争はナチュラル、コーディネイター間の不和といった根本的な原因を取り除かない限り、どちらかが滅びるまで繰り返されるのだろう。
「こんなこと、いつまで続けるのかねぇ」
カガリの掴んだ機密情報によれば、ファウンデーションは侵攻を繰り返すブルーコスモスを壊滅させるため、その本拠地の強襲作戦を提案しているらしい。
コンパス結成後初となる大規模合同作戦が失敗に終わることなど、今後のことを考えれば絶対にあってはならない。
その裏取りの為の情報収集が、ターミナルが課す予定の任務だ。
ファウンデーション軍は火力不足を補うため、主力機である“ブラックナイト”シリーズは無人機を随伴させているという。
それは先日カナードが撃破した“フリーダムキラー”が従えていた無人機と何か関係があるのか、あるいは無関係なのか。
そもそもムルタ・アズラエルが見限り、ロード・ジブリールの暴走で衰退した筈のブルーコスモスが本当に復活したのか。
そして敵対勢力を武力で排除することが本当に正しいのなら、それは遺伝子至上主義を強制することで、まがりなりにも世界平和を実現しようとしたギルバート・デュランダルの正義とどう違うのか。
「ところで、なんでターミナルに?」
クロトは誤魔化すように早口で言った。
もう2度と戦いに関わらない道も、自分の秘められた才能を生かす道も自由に選ぶことが出来た筈だ。
争いを繰り返す世界で、平和を実現しようとする親友のため?
定められた運命を拒み、抗う自由を求めた責任を果たすため?
それとも──。
「僕には出来ないって思ったから?」
本来は先程の訓練と同様に、他人を撃てないのが彼女の本質だ。
モビルスーツ搭乗時が例外なのは、自分の弱さが彼女を極限状況にまで追い込んだからだ。そんな彼女を再び戦場に立たせたのであれば、それは自分にとって敗北だ。
「私も、貴方と共に戦いたいと思ったから」
クロトは顔をはっとさせて、目を丸くしながら微笑した。
彼女と共にいれば、この無力感を殴り飛ばしてくれるような気がした。どれだけ世界が闇に覆われていたとしても、太陽が昇れば明るくなるように。
「……つまんねーことを言ったな」
「ううん。私は全然気にしてないから」
空を見上げると、先日キラの造った蒼いトリィが空を舞っていた。新たな困難に立ち向かおうとする2人を祝福するかのように。
「ホントかウソか知らねーけど、ターミナルって制服がないらしいぜ。新しい服でも買いに行くか」
「えーっと、ロングコートとか?」
「サングラスもな」
劇場版編に向けた陣営配置です。
終わりなき戦いの日々と、陰謀渦巻くコズミック・イラでクロトは今度こそ真の自由を手に入れられるのか。
またこの世界線におけるライジングレイダーまでの開発史は以下の通りです。
・レイダー
※本作ではアズラエルの早期介入に伴い、イージスの兄弟機としてヘリオポリスで先行開発。改修機も存在する。
・アストレイブラックフレーム
※レイダーの開発が前倒しされたことで、ヘリオポリスで極秘開発されたプロトアストレイ。本作未登場。
・ムラサメ
※ブラックフレームの量産型。C.E.71年時点でオーブ軍の指揮官機として少数生産されており、73年には主力量産機に。
・ストライクレイダー
※未完成のまま凍結・封印されたザフト製レイダーを、ファクトリーが再開発した機体。
・ライジングレイダー
※オーブで発展した可変技術に加えて、ストライクレイダーの運用データを参照して開発された機体。
いきなり可変機になったフリーダム、ジャスティスよりも開発史的には自然ですね。
【オマケ】もちぉ先生に描いて頂いたストライクレイダーです。ただただカッコいい……
【挿絵表示】