かつてイシュタリアのメイン・ストリートだった旧市街地の地下区画は、2度の大戦と独立戦争で開発計画が中断されたことで、複雑に入り組んだ薄暗い迷宮に変貌していた。この地下迷路はファウンデーションの権力に対抗するレジスタンス達の隠れ家であり、今も彼らの活動拠点が隠されている可能性が高かった。
無機質なコンクリート製の壁には“運命計画”に対する抗議のスローガンなどが書かれた落書きが無数に存在しており、それはナチュラルとコーディネイターが共存することで飛躍的な経済成長を果たしたとされるこの国の空虚な実態を物語っていた。
周囲に流れている空気は湿気が混じっており、空間全体を包んでいる静寂を天井から落ちた水滴の音が時折破っている。
それはこの場所が完全に放棄され、外部と隔絶されていることを示すようだった。
『──そこを右。……そっちの区画は封鎖されているみたいだから、一旦回り込んで』
『了解』
クロトはサングラス状の暗視ゴーグルを装着し、照明の大半が故障して薄暗くなった空間を正確に把握しながら慎重に進んでいた。
その耳には、地上の安全な場所から発信されたキラの指示がイヤーピースを通じて届いていた。その声はクロトにとって、この不確かな環境を進む上で唯一の光だった。
クロトに課せられた任務は、ファウンデーションの抑圧に立ち向かうレジスタンスと接触し、彼らから詳細な情報を得ることにあった。
暗視ゴーグルで拡大される淡い光を頼りに、そして遠隔で届けられるキラの指示に耳を傾けながら、徐々にレジスタンスのアジトと思しき広大な空間に近づいていった。
やがて緊張感に包まれながらも穏やかだったキラの声は、突如危険を警告するような鋭い声に変わった。
しかしその穏やかな指示は突然、危険を警告する声に変わった。
『待って、近くに反応が──』
その場所は、まさに地獄のような光景が広がっていた。
クロトが目指していたレジスタンスのアジトだったはずの場所は、何者かの襲撃を受けて完全に破壊されていた。
周囲の壁は爆発や銃撃による痕跡で黒く焼け焦げており、奥の通路は瓦礫で塞がれていた。まるでその場所は、死体安置所のように死の匂いに満ちていた。かつてここで自由と抵抗のために戦っていたのだろうレジスタンスのメンバー達の、生存の兆しはどこにもなかった。全てが無惨に失われており、残されたのは静寂と破壊だけだった。
『……遅かったか?』
クロトは通信越しに息を呑んだキラに、囁くような声で言った。
レジスタンス達の目的が第二次連合・プラント大戦末期に“運命計画”を否定したラクスとの接触であれば、政府はそれを断固として阻止するだろう。ミレニアムに加えて、大西洋連邦から供出されたアークエンジェル、プラントから供出されたミネルバのコンパス実行部隊が到着する前に、この国の体制を揺るがす可能性を持った不穏分子は排除しなければならなかったのだ。
この空間はまだ、戦闘の熱気と残穢に包まれていた。
それは目の前の悲劇が起こったのは、それほど昔のことではないことを示していた。まだ周囲の空気は煙ったように濁っており、壁や床からは僅かな温かみが感じられる場所もあった。
何かヒントがあるかもしれない。床に転がっている死体の一つを慎重に調べようとしたクロトは、その遺体に残された異常な痕跡に気づいた。
「……?」
惨劇を引き起こした首謀者達と戦おうとしたのか、拳銃を握ったままこの世を去ったその男の胴体は、鋭利な刃物のようなもので真っ直ぐに両断されているようだった。その断面は異常なほどに滑らかで、それを実行した者が持つ圧倒的な身体能力と、人間離れした剣の技量を物語っていた。
『隠れて!』
その瞬間、遠くで微かな物音が耳に届いた。
クロトは即座にキラの声に耳を傾けて身を翻し、近くの瓦礫の陰に身を隠した。
不明瞭な闇が広がる中、暗視ゴーグルを通して見えたのは、この惨劇の原因となった憲兵らしき者たちの姿だった。
彼らは組織的に周囲を散策しており、レジスタンスの生き残りを探しているようだった。彼等はライトを照らし、哀れなレジスタンスの隠れ場所を一つずつ慎重に調査していた。発見された者がいるのか、誰かの懇願するような声と無慈悲な銃声が何度も周囲に響き渡った。
『あと一分』
キラは周辺施設のセキュリティシステムに侵入を開始し、クロトの迅速な撤退をサポートする為の準備を行っていた。
クロトは心臓の鼓動すら耳障りに感じるほど静かに息を殺し、憲兵たちの捜索が終わるのをじっと待っていた。しかし突如として緊張の糸が切れたかのように、憲兵の1人がクロトの隠れ場所を正確に照らし出した。思わぬ生存者を発見した憲兵たちは、暗闇に身を潜めていたクロトに向かって銃を構えながら罵声を上げた。
「!!」
クロトは言葉を交わすことなく、猛禽類が獲物を狙うような俊敏さで動き出した。
まさに弾丸の如く加速しながら自動式拳銃を手に取り、手首を返しながら1発の銃弾を放った。その銃弾は先頭を走っていた憲兵の太腿を正確に撃ち抜き、男は痛みに呻きながら倒れた。その突然の出来事に憲兵たちはパニックに陥り、無数の銃弾を闇雲に乱射した。
「危ねっ」
身を守るために飛び込んだコンクリート製の柱が、敵の銃弾によって徐々に削り取られていく。
四方を銃弾が飛び交い、無数の破片が飛び散って周囲を破壊した。クロトは絶体絶命の中でカウントダウンに耳を傾けながら、再び逃走を開始した。
「なんだ!?」
セキュリティシステムを掌握したキラは、この区画全体のブレーカーを落とすことに成功した。
非常時に使用される予備電源に切り替わるまでの間、周囲は完全な暗闇に包まれた。
この突然の暗闇と同時に生じた憲兵たちの混乱は、クロトにとって逃走の絶好のチャンスであった。彼はその隙を逃さず、全速力で走り出した。
事前に集光機能を最大限まで引き上げていた暗視ゴーグルが、このライトがなければ何も見えない暗闇を照らす目となった。
キラの正確無比な誘導を受け、クロトは暗闇の中でも最適な逃走ルートを見つけ出し、敵の追跡を鮮やかに躱す。無数の障害物を避け、瓦礫の山を乗り越え、クロトは憲兵達の追撃を振り切ることに成功した。
「ふぅ」
ついに安全と思われる場所にまでたどり着いたクロトは、安堵の溜息を漏らしながら足を緩めた。
しかし、その平穏は瞬く間に喪われた。
「野良犬狩りくらいしか出来ないくせに、使えん奴らだ」
それは憮然とした冷ややかな声だった。
視界を上げたクロトの前方には、素顔を仮面風の暗視ゴーグルで隠した青年が立っていた。
レジスタンスを襲っていた憲兵たちのリーダーなのか、それとも“ブラックナイツ”と称される女王親衛隊の一員なのか。
素顔を覆う暗視ゴーグルを装着しているため、青年の正体を見分けることはできない。
青年は拳銃を収納したホルスターの真横に下げていたサーベルを抜き、狙いを定めるように突き付けた。
──コイツがさっきのサーベル使いか。
状況が再び緊迫したものに変わる中、クロトは青年の動きを牽制するため、即座に狙いを定めて拳銃を放った。
すると青年は無造作に構えていたサーベルを鋭く振るい、クロトが放った銃弾の軌道を捉えて斜め後ろに弾いた。
「!?」
有り得ない。
人間離れした能力を持っている者であれば、銃口からおおよその軌道を予測してかわすことは可能かもしれない。それこそクロトも、アルテミス要塞やバナディーヤ市街で似たような行為を成功させたこともある。
しかし細いサーベルで銃弾を迎撃し、それを弾き返すというのは完全に人間の範疇を超えた神業だ。コンマ数秒単位でも剣を振るうタイミングが合わなければ、確実に銃弾が身体に直撃するだろう。そして弾丸は音速と同等の速度で飛翔する以上、発砲音に反応してから反応しても間に合わないのだ。
クロトは青年の見せた尋常ではない剣の技術に驚愕しながら、今度は次々狙いを変えて銃弾を放った。
しかし青年は再びそれをサーベルで悠々弾き返すと、再装填しようとしたクロトを狙って凄まじい勢いで迫った。青年の動きは肉食獣のように無駄がなく滑らかで、まるでスローモーションに見えてしまうほどだった。
青年は強烈な斬撃を繰り出し、反射的に突き出したクロトの拳銃を一撃で両断した。素早く後ろにバックステップし、拳銃の残骸を投げ捨てながら距離を取ろうとした瞬間、青年は壁を蹴って投擲を躱すと跳躍し、一気に間合いを詰めようとした。
「くっ──」
クロトは背中に冷たいものを感じ、思わず悪態を吐いた。
目の前に立ちはだかる青年の戦闘能力は、想像を絶するものだった。純粋な身体能力はそれほど差が有る訳ではなかったが、完全に手の内を見透かされているようだった。
それは圧倒的な運動能力・反射神経を特徴とするアスラン、シンの強さとは明らかに異なるものだった。
コートの内側に隠していたサバイバルナイフを逆手で抜刀すると、クロトは空中で身動きが取れない青年の太腿を狙って切り裂こうとした。
しかし青年はまるで剣筋を見切ったかのように最小限の動きでサーベルを振るうと、刃の先端でクロトの斬撃を正確に防御した。
クロトの動作を予測し、その対応を完璧にこなす青年の異常な戦闘能力は、これまでに経験したことのないものだった。それはただ速いだけでなく計算され尽くした動きで、クロトの仕掛けた攻撃どころかその裏に隠された意図を完全に見透かしているかのようだった。
青年の放った閃光のような刺突を回避し切れず、クロトの左腕に刺されたような痛みが走った。
出血が服を真っ赤に染める中、クロトはナイフを斜めに振るって青年を大きく後退させた。
「強いな、貴様は」
青年は好成績を残した生徒を褒め称える教師のような、どこか称賛するような口調で言った。
それは仮面状の暗視ゴーグルで不明瞭になった声だったが、その自信に満ちた声は肩で大きな息をしているクロトとは対照的に、青年が十分な余裕を残していることを示していた。
しかし完璧に手の内を読み切った格下に対する言葉としては、どこか違和感があるものだった。
それは青年の人並み外れた危険察知能力のようなものは、まるでその戦闘能力と直接的な関係がないことを示しているようだった。
この青年の圧倒的な実力には、なんらかの理由があるのではないか。たとえば高度な空間認識能力として発揮出来るだけでなく超感覚的な索敵能力と未来予知を実現させる、フラガ家の“先読み”のような。
「
突如沸き起こった疑問を棚上げするように放った一言が、地下施設の緊張感を帯びた空気を破った。
クロトは圧倒的な自信と優雅さを見せ付ける青年を嘲笑うように、敵意を込めたサムズ・ダウンのポーズを決めた。
するとその直後に施設のどこかで警告音が鳴り響いた。そして数秒後、ふたりの間の天井部分に備え付けられていた重いシャッターが盛大に落下した。
「チィッ!!」
怒りに我を忘れてしまった青年は一瞬のうちに状況を把握すると、シャッターに向かって鋭くサーベルを振り下ろした。
その斬撃は人間であれば絶命を避けられない強烈な一撃だったが、防火シャッターはそれを鈍い音で阻んだ。この防火用シャッターは火災時に施設の延焼を阻止するためのもので、たとえ驚異的な身体能力を誇る青年であろうと容易に破壊出来ない堅牢さを有していたのだ。
『危なかった……』
この思いがけない出来事は、キラの技術的な介入が引き起こしたものだった。
地下区画のセキュリティシステムの一時的な掌握に成功したキラが、絶体絶命の危機に陥ったクロトを支援したのだ。
青年は激昂しながらサーベルで何度も障壁を斬り付けたが、やはり厳重な防炎性能を求められる防火用シャッターは簡単に破壊出来るようなものではない。
障壁の向こう側に取り残された青年の怒りの声を背に、クロトは貴重な時間を稼ぐことに成功した。そして迅速にその場を離れ、キラの待つ安全な場所への撤退を果たした。
「…………」
暗闇と静寂を破り、重厚なシャッターを強引に破壊した青年──シュラ・サーペンタインは、もはや役割を終えた暗視ゴーグルを軽蔑と共に地面に投げ捨てた。
シュラは銀色の髪を掻き上げると、金色の瞳で地下施設を一瞥した。
しかしそこには純粋な戦闘技術は彼に匹敵するレジスタンスの生き残りも、謎に包まれた支援者であるハッカーの姿もなかった。
「神聖な戦いの場を汚したな」
シュラは冷たく呟いた。
アウラ女王親衛隊“ブラックナイトスコード”の隊長であり、国防長官・近衛師団長を兼ねるシュラは、この介入を実行した無粋なハッカーに対する怒りを胸に秘めた。そして未だこの場に姿を現さない無能な部下達への不満を、心の奥で静かに呟いた。
──しょせんコーディネイターといっても、こんなものか。
かつてギルバート・デュランダルがメンデルで執筆した論文において、人々を導く新たな人類の指導者とされた存在──“アコード”。
それは当時その研究に携わっていた一部の関係者を除き、古典物理学における“ラプラスの悪魔”のように、
しかし、
シュラは遺伝子操作を施すことでナチュラルを凌駕する才能を付与されたコーディネイターに対して、遺伝子自体を直接改造する事でナチュラルはもちろん、コーディネイターをも凌駕する才能を付与された
並行して研究が進められていた“スーパーコーディネイター”計画を参考に、ヒトとして限りなく究極の才能を獲得した上に遺伝子改造で付与された特殊な感応能力を有していた。
彼等はそれを利用して互いに言葉を交わさずとも意思疎通が取れる他、先程までシュラが用いていた読心術や一定条件下での精神干渉術をも獲得した超人だった。
その中でも“戦士”としての役割を担うシュラにとって、通常のナチュラルどころかコーディネイターも単なる弱者に過ぎなかった。
たとえそれが“レイダーキラー”や“月光のワルキューレ”のように大戦で活躍したコンパス主力部隊の構成員であろうと、シュラにとっては例外ではなかった。
あのオルフェを差し置き、
ブルーコスモスが造り出した最強の生体CPUであり、
最後にその2人を圧倒し、デュランダルもシュラと並んで“
シュラは今後自分達の前に立ち塞がるだろう3名の戦士を想像し、先程の奇妙なレジスタンスと同様にわずかながらの期待感を抱いた。
──俺を楽しませてくれるのは誰だ?
そして役割を果たし終えたサーベルを静かに鞘に収めると、無言で冷たい笑みを浮かべた。
キラちゃんがいなかったら即死だった。
前倒しで登場したシュラくんですが、彼も劇場版とは異なる顔を見せてくれるかもしれません。
しれっとサーベルで主人公を圧倒する実力者になってますが、まぁ読心術が出来るなら余裕でしょう。
-追記-
R18版を更新したので、興味のある方はどうぞ。