マリューがアークエンジェルの後部デッキにやっとのことで辿り着くと、彼女を待ち受けていたのは火の海だった。
デッキの床は何箇所も破れており、その大穴からは火の粉を含んだ煙が絶え間なく立ち昇っていた。
その下では炎が勢いよく上がっており、それは一向に消える様子がなかった。
この場所も間もなく崩壊し、炎に飲み込まれることは明白だった。しかし、マリューに逃げる場所はどこにも残されていなかった。
先に退避させたクルー達は逃げられただろうか。自分はアークエンジェルの艦長として、このままこの墜ちた大天使と運命を共にするべきだろうか。
だが、まだ死ぬわけにはいかなかった。
ファウンデーション軍、そしてブラックナイツが犯した罪を、世界に伝えなければならなかった。
ついに本性を現し、自分達の殲滅に成功した彼らがこれからとんでもないことを起こすだろうと考えれば、なんとしても阻止しなければならなかった。
そんな思いで歩き始めた彼女の前に、待ち焦がれていた救世主の姿が現れた。
先程からの戦闘で損傷を受け、かろうじて飛行可能な状態のムラサメがデッキに着地した。
すぐにコクピットハッチが開くと、中からムウが身を乗り出し、呆然としているマリューに手を差し伸べてきた。
「すまん、待たせた! 逃げるぞ!」
「まったくもう、遅いわよ!」
マリューはようやく現れたムウに文句を言うが、その声には怒りよりも安堵が込められていた。
周囲を取り巻いている煙に刺激されたのか涙が自然と溢れ出る中、マリューはムウの差し伸べられた手を力強く握りしめた。
ダニエルが叩き付けるようにビームソードを振り下ろし、ついにフォビドゥンが振り回していた重刎首鎌の刀身をばっさりと両断した。
シャニは即座にフォビドゥンの両腕に内蔵された大型機関砲を構えるも、その動きはダニエルに読まれていた。
ルドラのビームマントが突如紅の輝きを放ち、鮮明な幻影を生み出した。
ダニエルはその幻影に惑わされ、明後日の方向を向いているフォビドゥンを斬りつけようと迫った。
ほとんど何も考えていないシャニの思考回路に少々手間取ったが、これでとうとう終わりだ。
〈風通しをよくしてやるぜ!〉
その瞬間、視覚外から迫るルドラの存在を察知したシャニは叫んだ。
するとフォビドゥンは真ん中から折れた
グレイブヤードで研究されていた特殊精錬技術で製造され、純粋な実体剣でありながら使い手の技量次第で護衛艦さえ両断する力を秘めている大鎌の一閃が、鉄壁を誇る漆黒のフェムテク装甲に深々と突き刺さった。
〈なにっ!?〉
ダニエルはその驚異的な行動に絶句した。
シャニは最初から機関砲など牽制程度としか認識しておらず、ルドラが不用意に接近しようとする一瞬の隙を狙っていたのだ。
装甲の厚みで何とか攻撃を受け流したダニエルは、返しの一撃でフォビドゥンを両断した。
そしてコクピットから投げ出されたシャニをビームライフルで撃とうとした瞬間、予想外の出来事が起こった。
巨大な鞭のようなものがルドラに巻き付いた。それはギャンのヒートロッドだった。
ヒートロッドを通じて流された強烈な電流がルドラを襲い、僅かにその動きを封じた。
生じた隙を突いてルドラの負傷箇所を狙い、バックパックに搭載された誘導ミサイルを全弾発射する。
そして素早くヒートロッドを分離させたギャンは、落下するシャニに回り込む形で機体を移動させると、彼を救出するためにコクピットを開けた。
〈ナイスファイトだ、坊主!〉
ヒルダ・ハーケンがそう声をかけると、ギャンのコクピットから彼女の姿が現れた。
先程までミネルバを護衛するハーケン隊を率いていた彼女は、総員退艦命令の下ったミネルバからの撤退支援を部下に任せ、ダニエルと交戦していたシャニの救援に駆けつけていたのだ。
彼女の存在に気付いたシャニはヒルダの腕を掴み、ギャンのコクピットに飛び込んだ。
コクピットハッチを閉じた直後、ギャンが放った誘導ミサイルがルドラに次々命中し、わずかながらもダニエルのルドラにさらなるダメージを与えた。
「クソっ!!」
思わぬミサイル攻撃を受けて一気に距離を置かれ、ダニエルは舌打ちした。
シャニを乗せたギャンはすでにルドラとかなり距離が離れており、追撃には時間を要する状況となった。
まもなく核攻撃の時間が迫る中、残忍ながらも怠惰な性格のダニエルには深追いしてまでリスクを背負う意志などなかった。
しょせん大勢に影響はない。最後の一撃こそ一瞬ひやりとしたが、やはりシャニ・アンドラスはたいした敵ではない。
あんな雑魚が生き延びていたとしても、何の脅威にもならないだろう。
そう思ったダニエルは追撃を諦め、奇妙なモビルスーツと戦闘していたオルフェと共に撤退を決断した。
〈シャニ!?〉
オルガは遠くで爆発するフォビドゥンに気を取られ、わずかに目の前の脅威に対する集中を乱した。
その致命的な隙を見逃さず、グリフィンは冷ややかな口調で言い放った。
〈よそ見してんじゃねーよ!〉
その言葉とともに、オルガの視界にダニエル操るルドラが急接近していた。
オルガは辛うじて反応し、胸部装甲に増設された大出力ビーム砲から最大出力の砲撃を放った。
しかしグリフィンはシールドでその攻撃を防ぎつつ、オルガが機体を後退させながらビームシールドを展開するよりも一瞬早くビームソードを振り下ろした。
カラミティの装甲が紙のように切り裂かれ、地上に落下して大破した。
コクピットハッチが吹き飛び、オルガの姿が露わになる。
昨日は下等種族のナチュラルでありながら、生意気にも上位種族のアコードを挑発した男が焦燥に満ちた無様な表情をしているのを、グリフィンは勝ち誇るように見下ろした。
グリフィンはビームサーベルを構え、自分達の屈辱を晴らすようにオルガにとどめを刺そうとしたその瞬間、背後から放たれた電磁砲の衝撃がルドラを襲った。
〈よそ見してるのはアンタの方でしょうが!〉
頭に血が上っていたグリフィンは、ヒルダと同様にオルガの加勢に駆け付けたアグネスの接近に気付いていなかったのだ。
振り向きざまにビームソードで反撃するグリフィンに対して、ギャンシュトロームの円盤状シールドがそれを受け止めると、シールド外縁の回転機構から展開したビームサーベルが唸りを上げてルドラに襲い掛かった。
グリフィンはその回転ノコギリのような一撃をバックステップで回避しながら、シールドの隙間を狙ったビーム射撃を放った。
しかしアグネスは巧みにシールドを動かすと、その正確無比な一撃を受け止めた。
この大胆かつ繊細な対応に、グリフィンは一気に警戒度を強めた。
彼女は月戦線で不敗を誇った“月光のワルキューレ”こと、アグネス・ギーベンラートだ。
アコードの設計図を作成する際にアウラが参考にした“
核攻撃が間近に迫っている状況で、これ以上戦いを引き延ばすわけにはいかない。
彼等の母艦であるアークエンジェルとミネルバを沈め、ユーラシア連邦軍の目撃者も排除した。
たとえ生き残っている者がいたとしても、間もなく訪れる核の炎が全てを消し去るだろう。そう考えたグリフィンはアグネスとの戦いを断念し、機体を翻して撤退した。
シュラはマントから伸ばしたビームカッターでハイペリオンの左前腕部から伸びるビームランスを凌ぎ、更に右腕で振り抜かれたビームソードを後方に跳んで躱した。
片腕を喪ったシヴァでも“月光のワルキューレ”程度なら十分に倒せる自信はあったが、目の前のモビルスーツには全く隙が見つからない。
敵の機体性能は想像以上で、パイロットの技量も相当なものだ。
たとえ自分がレイダーとの連戦で消耗していなかったとしても、確実に勝てるとまでは言い切れない相手だ。
変幻自在の戦闘スタイルと、“三姉妹の長女”だという奇妙なキーワード。
この最低限の情報から、対峙しているモビルスーツの乗り手を察知したシュラは呟いた。
「……カナード・パルスか?」
シュラは今回のコンパスとの決戦に備えて、様々な陣営のエースパイロットたちのデータを独自に収集、分析してきた。
その中でもブラックナイツのメンバーを除けば、彼の知る限りでトップ5に入る実力者がカナード・パルスと呼ばれる少女だった。
第一次連合・プラント大戦でユーラシア連邦軍の“特務部隊X”を率いた若き女隊長であり、スーパーコーディネイターの失敗作とされる彼女は、成功作のキラ・ヒビキと、ナチュラルだが同じ両親から生まれたカガリ・ヒビキを含めれば、確かに“三姉妹の長女”と自称しても不思議ではないだろう。
オルフェがキラを確保した今、カナードは間違いなく最強の女性パイロットだ。
この不利な状況下でカナードを倒すことが出来れば、それはシュラ・サーペンタインの最強を真の意味で証明出来る。
新たな強敵に興奮を隠せないシュラの脳内に、オルフェの声が響いた。
〈シュラ、時間だ〉
意外な形で訪れた絶好の機会を目の前にして、シュラは思わず歯噛みした。
しかし、計画の成就は何よりも重要だ。
そのために自らを最強だと証明する機会を捨ててまで、可能な限りクロトとアスランを消耗させたのだ。このままカナードと戦っている最中に核攻撃に巻き込まれ、母上とオルフェの計画を失敗させるわけにはいかない。
シュラはハイペリオンの後方に見える大破したレイダーと、そこへ一直線に走るアスランの姿を一瞥した。
奴らの実力は本物だった。
もしもこの核攻撃を生き延びて再び戦場で相見えることになれば、今度は対等な条件で戦ってやる。
シュラは腰の装甲にビームサーベルを収納すると、カナードの追撃を躱して飛び立った。
「おい、何が起こったのか説明しろ!」
声を上げるアスランに対して、あちこちから出血し、疲労困憊したクロトはその場から一歩も動けず、答えることができない。
アスランはクロトに肩を貸すと、強引に立ち上がらせた。
自分を襲った突然の精神的な異常と、ラクスの裏切り。
それに続けて起こった電波障害と、それを予期していたようなブラックナイツの強襲。
そしてファウンデーションの首都に行われた核攻撃と、その緊急事態を喜ぶかのようなブラックナイツたちの態度。
最後に自分達の救援に現れたカナードと、上空から降りて来た奇妙な円盤状の飛翔体。
これらの事態は全て、アスランの理解出来る範疇を超えるものだった。
〈早く逃げないと! アークエンジェルと、ミネルバの人たちも回収した!!〉
ステラ・ルーシェの声が、この“キャバリアーアイフリッド”と呼ばれる支援フライトユニットから届いた。
どうやら彼女が、この機体のパイロットらしい。
アスランは更に混乱を深めた。
いつもどこで何をしてるのか分からない神出鬼没なカナードはともかく、マルキオ導師の孤児院で過ごしているはずのステラが、どうしてこんな場所にいるのか。
そして彼女の口ぶりからすると、アークエンジェルとミネルバは沈んでしまったのか?
「……保険だよ。ステラの方は知らねーけど」
力なく呟くクロトとアスランに対して、カナードは叫ぶように言った。
「説明は後だ。さっさと乗れ!」
アスランは混乱する心を抱えながらも、わずかに気力を取り戻したクロトを引きずるようにしてカナードが伸ばした手を握り、ハイペリオンのコクピットに乗り込んだ。
岩山の要塞跡地では、緊迫した空気が漂っていた。
ミケール大佐ら側近たちを従えながら、一人の男が急いでアイドリング中のヘリコプターに向かって走っていた。
その男は半年前に起こった“ジャスティス強奪事件”に乗じて、大西洋連邦の軍事刑務所から脱走した男──ロード・ジブリールだった。
ジブリールはクロトに追われる存在でありながら、自らもクロトに深い憎悪を抱き、世界中から拉致した無数の孤児をデストロイなどの生体CPUとして改造し、自分を評価しない世界に死と破壊を振り撒いていたのだ。
彼が拠点を放棄し、抵抗を続ける同胞たちを見捨てて逃げ出そうとしたその瞬間、空から落ちてきたかのような閃光がジブリールの視界に入った。
その直後、強烈な光が彼と側近たちを焼き尽くし、数千度の熱を帯びた爆風が彼らを瞬く間に消し去った。
「マジか……!」
まるで空から隕石が墜ちてきたような光景に、オルガは思わず息を呑んだ。
アグネスのギャンに同乗し、水中に隠れて離脱しようとしていたのだが、上空で起こった事態に思わず目を向けた。
眩い閃光の直後に水面の上を爆風が吹き荒れ、猛烈な衝撃がギャンを襲った。
「ちょっと、何なのよこれ!?」
「見てわかんねーのか、核だ!!」
アグネスの叫びに、オルガは怒鳴ったような口調で返した。
突如発生した強烈な水流に押し流されて水上に飛び出しそうになるギャンを、アグネスは必死に制御した。
さきほどファウンデーション方向から上がったキノコ雲を、オルガとアグネスは目撃していた。
どうやらブラックナイツは自分達の国だけでなく、このエルドアにもユーラシア連邦軍から強奪した核ミサイルを撃ち込んだのだ。
エルドア上空で起こった核弾頭の炸裂は、戦場の風景を一変させた。
巨大な爆発により、大破したレイダーも、ジャスティスの残骸も、まだ活動していたモビルスーツや戦車も。
そして翼をもがれたアークエンジェルと地に墜ちたミネルバまでもが灼熱の光に晒され、直後に発生した爆風によって跡形もなく消し飛んだ。
核の炎はエルドア地区の郊外に広がる森を焼き払い、街を破壊し尽くし、そこにいた人々を一瞬で蒸発させた。
この悲惨な光景は、成層圏を上昇する小型シャトルからも明瞭に目視できるほどだった。
あの赤みを帯び、ときおり落雷のような光を放つどす黒いキノコ雲の下では、もはや何も、誰も存在しないだろう。
目を覚ましたラクスは、その衝撃で声も出せなかった。
そして遂に知覚した自らの不気味な能力を思い出し、その事実に心を苛まれた。
自分が殺した。
自分がクロトとアスランを殺し合わせ、彼らを含む大勢を死なせたのだ。
どれだけ後悔しても、もう取り返しがつかない。
密かに恋慕する男をあの炎の中に残し、唯一無二の親友から彼を永遠に奪ったのはこの私──アコードの女王である自分自身だったのだから。
本作では種運命編で未登場だったヒルダを登場させるか迷いましたが、シャニの助っ人として登場してもらいました。
一応オッドアイと隻眼風のファッション、ラクス関連と接点のようなものはありますが。
レイに次ぐ成績でアカデミーを卒業し、月戦線で不敗を誇った“月光のワルキューレ”はコンパスでもアスラン、クロトに次ぐエースパイロットなんだよね(適当