アルテミス要塞を脱出した後、先行して月に向かったミレニアムとの合流を目指し、慣性飛行を続けるスーパーハイペリオンにて。
キラとクロトはその専用個室の中で、言葉を交わしていた。
部屋には、プラントでクーデター鎮圧に励んでいるアンドリュー・バルトフェルドから送られたコーヒーの華やかな香りが漂う中、キラが真っ直ぐな視線でクロトに尋ねた。
「現状を教えて」
クロトは深く息を吸い、彼女の期待に応えるように話し始めた。
彼が語ったのはあの日起こった事実と、その報復措置として行われたモスクワでのレクイエムの使用。そしてファウンデーションが現在世界を恫喝して推し進めている、運命計画の承認・実行の過程だった。
更にそれを支持するハリ・ジャガンナート国防委員長率いるザフト軍・ファウンデーション軍と、反発する地球連合軍・オーブ連合軍・ミレニアムが繰り広げている大規模な戦闘についても詳述した。
キラはクロトの説明を目を伏せて聞いていたが、その表情は複雑だった。
彼女もある程度までは予想していたものだったが、実際に聞くと改めてその内容に圧倒された。
そんな事実を隠しながら、よくもまぁ平気な顔で自分達に従えだなどと言っていたものだ。結局のところ、自分達の行動は間違っていると自覚していたのではないか。
「ごめん。そんなことになってるのに、呑気に捕まってて」
キラは消え入りそうな声で言った。
「ホントだよ。おかげで僕は10万人殺しのハイジャック犯だ。無実を証明しないと、今度こそヤバいかも」
キラはクロトの冗談めかした言葉に困惑したが、自分を安心させるためだと気付いて、つい笑ってしまった。
しかしすぐに真剣な面持ちに戻り、コーヒーを手にしたまま言葉を失った。こんな状況なのに気を遣わせてしまったことに対して、深い自責の念に駆られた。
「……まー、君にも弱点があったみたいだし、本当はもっと凄い連中がいたみたいだし、ちょっと気が楽になったかも」
不意にクロトが言うと、キラは小さく頷いた。
キラはアコードのように超常的な力を持っておらず、もしもクロトととトリィたちの助けがなければあっさり殺されていた。
かつて最強と謳われた自由の体現者──“フリーダム”の幻想に囚われていたのは、他ならぬクロトとキラだったということだ。
「私は、ずっと貴方に甘えていた。それを愛だと思ってた」
キラは静かに語り始めた。
不安から解放されるために。
地獄のような戦場を生き延びるために。
そして自分の呪われた境遇と向き合うために、クロトの存在が必要だったから。
これまでクロトに向けていた感情は、アコードたちが語る愛の形と何も変わらないものだったのかもしれない。
だけど、今は違う。
「私は貴方を、その全てを愛している」
キラは続けた。
必要だから愛しいのではない。愛しいから必要なのだ。
クロトはキラをじっと見つめた。目が潤むのを感じながらも、その表出をなんとか堪えて笑った。
するとその直後に、部屋の扉がノックされた。
そして少し間を開けて、カナードたちが部屋に入ってきた。
アルテミス駐留軍を引き付けるため、アスランに合わせて最適化されていたレイダーのOSを本来の状態に戻したのだ。
「私は大丈夫。……皆もありがとう」
キラがメンバーに感謝の言葉を告げると、メイリンはモニターの操作を開始した。
「先ほどミレニアムと通信は取れましたが、戦況はあまり変わっていないようです」
メイリンは現在の戦況を報告した。
自分たちミレニアムはアルテミス要塞に囚われていると予想していた、ラクス救出に失敗した。
結果としてザフト軍を懐柔出来る見込みは立っていない。
このままでは孤立した地球・オーブ艦隊は、ジャガンナート率いるレクイエム防衛部隊に殲滅される可能性が高かった。
しかしレクイエムが温存されている以上、別方面に伏せているオーブ主力艦隊は動けず、バルトフェルドとニコルが率いているクーデター鎮圧部隊も動けない。
シンを主力としたミレニアムは、数で勝るファウンデーション主力艦隊の猛攻を持ち堪えているが、追撃を振り切ってレクイエム攻略に向かう余裕はなかった。
あのままずるずるとラクス捜索を続けず、迅速な撤退に成功したのは幸いだったが、状況を好転させるためには最大戦力であるクロトとアスランだけでも戦場に急行しなければならない。
通信に合わせてミレニアムを飛び立ったジャスティスは自動操縦でこちらに向かっており、合流まではあと少しだったが、それ以上の脅威が迫っていた。
「ちょっと怒らせ過ぎたんじゃないか?」
カナードは冗談交じりの口調で言うと、アスランは肩を竦めた。
無力化されたアルテミス要塞に戻り、アウラの救助を行うだろうと予想していたシヴァが要塞を離れ、こちらを追って来たのだ。
このままではミレニアムに戻るどころか、追い付かれて戦闘になってしまう。
「しょうがない。私が出る」
カナードはコーヒーを飲み干すと、盛大に鼻を鳴らした。
ハイペリオンからキャバリアーを分離し、単独でシヴァを迎撃するのだ。
キャバリアー対応機のレイダーなら、ハイペリオンに代わってミレニアムにキラたちを送り届けることが出来る。
戦闘が長引けばアルテミス防衛軍に包囲される危険もあるが、クロトとアスランをレクイエム攻略へ向かわせるには、これ以外の選択肢はないのだ。
「いや、僕が出る」
そんな中、クロトは気合を入れるように自分の頬を叩くと、カナードの意見を否定した。
するとアスランは何かを言いたげな口調で問いかけた。
「……ヤツは強い。勝てるのか?」
先日の敗戦に加え、アルテミス要塞での白兵戦でもクロトは大怪我を負っている。
肉体的にも精神的にも、ベストコンディションからは程遠い。
ラクスが敵の手中にある現状で実質的に反ファウンデーションの旗頭であるクロトが討たれるようなことがあれば、全ての作戦が崩壊してしまう。
「今度は負けねーよ」
しかしクロトはキラの信頼に満ちた顔に目を向けると、悪戯っぽい笑みを返した。
凄まじい速度で迫り来るレイダーに向かって、シュラは充満する闘気を示すように吠えた。
〈クロト・ブエル! その女は返してもらおうか!〉
心を読むまでもなく、そのモビルスーツの挙動が物語っていた。
次の行動に移るまでの反応速度と、自由自在にレイダーを操縦する技術。 何よりこの自分が負けることなど微塵も考えていない闘争心は、間違いなくクロトのものだ。
〈勘違いしてんじゃねーよ! ストーカー野郎!〉
クロトは挑発するようにレールガンを連射し、レイダーを軽快に飛翔させた。
その動きは、シヴァが後方のスーパーハイペリオンに接近するのを牽制するようだった。シヴァは一騎討ちを望むかのように、全身のスラスターをフル稼働させてレイダーを追う。
〈来いよ〉
周囲に無数のデブリが散らばる、灰色の宇宙空間。
この虚無に満ちた場所で行われる決闘は、その敗者が全てを失うことを意味するようだった。
クロトは後方に跳んで繰り出される蹴撃を回避しながら、反撃のレールガンを放つ。
それを見切り、再度接近したシヴァのマントから無数の斬撃が繰り出されるが、レイダーは腰部の鈎爪から展開されたビームクローを使ってその全てを斬り払いながら間合いを詰める。
〈旧式のモビルスーツで俺に勝つつもりとはな!〉
クロトの剣舞のような連続攻撃をシヴァは掻い潜り、叩き付けるような斬撃を繰り出してレイダーを後方に吹き飛ばした。
強烈な衝撃を受けたフレームが、嫌な音を立てて軋んでいる。
火力、パワー、スピード。
シヴァは全ての性能においてレイダーを上回っている。これが厳然たる現実だ。
〈モビルスーツの性能で勝負が決まるか!〉
クロトは体勢を立て直して破砕球を投擲するが、シュラはその軌道を見切り、紙一重で避けながら距離を詰める。
ヒートソードの一閃がレイダーを吹き飛ばし、猛烈な勢いでデブリに激突させる。
〈そうだな!〉
シュラが叫ぶ。
確かにクロトはナチュラルでありながら、異常なまでの力を持っている。そこらのコーディネイターはもちろん、アコードをも凌駕する強者なのかもしれない。
オルフェは1つだけ勘違いしている。
力こそが全てだ。力が全てではないなど、弱いやつの言い訳だ。本当は欲しいくせに、自分を誤魔化してるんだ。
クロトがキラを手に入れたのも、ラクスが世迷い言を抜かしてオルフェを拒んだのも、クロトがその力で2人を魅了したからだ。
〈だから貴様は俺に勝てん! 俺より弱い貴様にはな!!〉
だが、このシュラ・サーペンタインは違う。
自分はパイロットとしての実力も、クロト・ブエルを上回っているのだ。
パイロットとしての実力。モビルスーツの性能。どちらもクロトとレイダーを凌駕している自分に、敗北は有り得ない。
〈僕にも武器がある!〉
クロトは叫んだ。
確かにモビルスーツの性能も、パイロットとしての実力も、シュラの方がスペックは上だろう。
だが、結果はまだ分からない。
クロトは心をクリアにすると、極限の集中状態に入った。
瞬時にレイダーを反転させ、接近してくるシヴァを迎撃した。
閃光のように繰り出されたヒートソードの一撃を、背負っていた漆黒の実体剣で受け止める。
鍔迫り合いと同時に密着状態で放ったビーム砲は躱されるが、マントから伸びた無数のビーム刃を神憑り的な反応で回避する。
〈だったら見せてみろ!!〉
シュラは畳み掛けるように、左右の手で斬撃を繰り出した。
激しい連続攻撃が立て続けにレイダーのシールドを襲い、手から離れて宙を舞う。
優勢を確信したシュラは大きく踏み込みながらビームサーベルを縦に斬り下ろすが、クロトはその攻撃を先読みしていたような反応で回避する。
同時に投擲した破砕球がシヴァの胴体に命中した。コクピットに強烈な衝撃が走り、シュラは僅かに体勢を崩して呻いた。
〈ぐっ──〉
やはりあの時のように、クロトの思考が読めない。
極限まで集中したクロトの反応速度は、思考を読み取る間がないほどに速い。まるで動きが思考よりも先に来るようだった。
レイダーはシヴァに実体剣を振り下ろし、僅かに上方に跳んで蹴撃を躱しながら、更に鈎爪の連撃を叩き込んだ。
急降下して避けたシヴァにレイダーはレールガンで追撃するが、シヴァは無数の残像を繰り出しながら反転する。
クロトはその中の本体を見極めて即座に実体剣で斬り掛かるが、それを先読みしていたシヴァのヒートソードがレイダーを弾き飛ばした。
〈そんなものか!〉
確かに驚異的な集中力だ。
自分と同格のオルフェはともかく、他のブラックナイツでは対応出来なかったかもしれない。
だが、目の前の相手の思考を感じることに長けた自分であれば、読みの深度を最大限に深めれば問題ない。
誰であろうと、思考を閉ざすことなど出来ないのだから。
シュラが勝利を確信しながら、クロトの心の奥深くを覗き込んだ瞬間だった。その極限まで加速した思考の中に突如として、明確なイメージが浮かび上がった。
〈な、なんだ……?〉
それは地獄のような風景だった。
目の前には漆黒の炎と、底なしの闇が広がっていた。その正体を探ろうとした瞬間、まるで焼けた杭で脳を掻き回されているような激痛がシュラを襲った。
周囲を見渡しても、何も見えない。
仲間。還る場所。自由。全てを喪失し、死の影が確実に迫ってくるような恐怖がシュラを圧倒した。
そして絶望の感情が彼の体を包み込むと、肉体が一瞬にして炎に呑まれた。
そして身体が粉々に爆散したような感覚に包まれた。
〈うわあああああああ!!!〉
まるで、実際に経験としたとしか思えない。
あまりにもリアルな死のイメージに、シュラは思わず我を忘れて絶叫した。
それは魂の記憶だった。
かつて第2次ヤキン・ドゥーエ攻防戦で壮絶な死を遂げ、魂に刻み付けられた最期の瞬間を読み取ってしまったのだ。
根源的な恐怖に駆られたシュラは反射的にシヴァの胸部から無数の針を発射し、目の前のレイダーを貫こうとした。
何が起こったのかは分からないが、どうやらクロト本人も正気を喪っている。
あんな思考の断片に触れただけで心を侵蝕されそうになった状態では、まともな操縦など不可能だろう。
しかしレイダーは機敏に反応し、大きく跳び上がってシヴァの放った攻撃を躱す。
両手に構えたレールガンを立て続けに放つと、直撃を受けたシヴァの右腕は破壊され、メインスラスターも損傷を受けた。
〈これは──〉
クロトの心は、今も闇に包まれていた。
その一端を読もうとするだけで、再び発狂しかねない程の不吉を感じさせる暗闇がクロトの心を覆い隠していた。
〈リモート操作か!〉
シュラはその異様な光景に、結論を下した。
どこかで別の誰かが、正気を喪ったクロトに代わってレイダーを遠隔で操縦しているのだ。たとえシュラだろうとそのパイロットの居場所が分からなければ、心を読むことはできない。
だが、しょせんは付け焼き刃だ。
あんな致命的な隙を晒した状況で自分を仕留められない者など、たとえ心を読めない状況だろうと問題にならない。
シュラはシヴァを一気に加速させると、レイダーが左手で構えていたレールガンを斬り飛ばした。
更に後方に跳びながら放たれたレールガンを回避しながら、無防備なコクピットにビームサーベルを振り落ろそうとした。
〈俺の勝ちだ!〉
シュラが叫んだ瞬間だった。
レイダーの口から放たれた正確無比なビームが、シヴァの左手首関節を撃ち抜いた。
至近距離で放たれた絶大な一撃に、左腕が破壊される。
こんな神業が出来るほどの技術を持つものなど、今も正気を喪っている筈のクロト以外に存在しない。シュラは怒りと驚きで心を乱しながらも、咄嗟に距離を取ろうとした。
〈僕の武器は──〉
正気を取り戻したクロトはそんなシヴァの僅かな隙を狙い、全身の火器を同時に発射した。
至近距離でレイダーの一斉射撃を受けたシヴァは致命的な損傷を受け、機体の制御を完全に喪った。
〈キラの愛だ!!〉
クロトは叫びながら、全スラスターを利用して加速させた破砕球を振り下ろした。
シヴァの胴体部分に強烈な打撃が命中する。
その衝撃を受けた装甲はひしゃげ、猛烈な勢いで巨大デブリに叩き付けられたシヴァのメインスラスターが爆発した。
──俺が……負ける……?
意識が薄れていく中、敗北を悟ったシュラはクロトの心の深淵を覗こうとした。
必ず勝てるスペックでありながら、敗れた理由を知りたかった。
しかしクロトの心に渦巻いている闇は、今も色褪せていなかった。これほどの強烈な負の感情を漂わせた暗闇に包まれながら、なぜクロトは正気を保っているのか。
その答えは、まさに言葉通りだった。
底知れない闇の中心で、ダークブラウンの長い髪と紫の目をした可憐な少女が、淡い光を纏いながら穏やかに笑っていた。
その少女の纏う光──深い闇を照らすキラの愛が、クロトに力を与えていたのだ。
月宙域から遠く離れたオーブの一角で、カガリは脱力しながら安堵の息を漏らした。
〈さっきのは何だったんだ?〉
カガリはストライクルージュのコクピットで、クロトに疑問を呈した。
モニターには、完全に沈黙したシヴァの姿が映っていた。
クロトが錯乱状態から精神を立て直すまでの間、ストライクレイダーの操縦を担っていたのはカガリだった。
ストライクルージュとハイペリオンに接続したキャバリアーを通じて、カガリの操作をリアルタイムでストライクレイダーに反映させていたのだ。
このリモート操作は他人の心を読むアコードの対抗策としてクロトが考案した、一時的な行動不能の代わりに相手を動揺させる戦術を成立させるための切り札だった。
これは理論上タイムラグなしで長距離通信を可能にする画期的な技術だったが、実際にその性能を引き出すためにはパイロットとモビルスーツ同士の適性・相性が必須だった。
そしてパイロット同士の相性はともかく、第1次連合・プラント大戦で比翼連理と謳われた、レイダーとストライクの相性が悪いはずもなかった。
〈悪い夢でも見たんだろ〉
カガリの声に、クロトは冗談めかした口調で答えた。
本当の強さは力じゃない。
どんな状況でも諦めないこと。生きようとする意思だ。
シュラがもっと死線を潜っていたら、たとえ死のイメージを読み取ったとしてもこれほどの効果はなかっただろう。
クロトが勝利したのは、まさにシュラが最強だったからというわけだ。
〈こういう言い方は好きじゃないが。……これで良いのか?〉
カガリは機能停止したシヴァに止めを刺さず、レクイエムに向かおうとするクロトに疑問を投げ掛けた。
〈いいんじゃねーの。散々ぶん殴ってやったし、治るかもしれねーだろ〉
クロトはまるで自分のことを話しているかのように、どこか吹っ切れたような口調で答えた。
というわけで、意外な人物が生存しました。
生存した都合上、お約束の破廉恥なビジョンはキャンセルです。最後にチラ見せしただけでもサービスです。