逆襲のクロト   作:皐月莢

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自由と未来

 カルラのモニターが完全に沈黙するまでの間、オルフェはコクピットの中で座り込んでいた。

 薄暗いコクピットの中で、悪夢を見ているような焦燥感に襲われながらも、オルフェはダッシュボードから自動拳銃を取り出した。

 震える手で拳銃を握り込むと、自分には崇高な使命があるのだという強迫的な確信が僅かに沸き起こった。

 心臓は激しく鼓動し、血か汗か涙かも分からないものが頬を濡らした。その直後、コクピットに伝わってきた衝撃がオルフェの意識を現実に引き戻した。

 どうやらフリーダムが仰向けに横たわるカルラの傍に降下したようだった。そのままじっとしていると、誰かがコクピットハッチを開けようとする音が響いてきた。

 不意にオルフェのヘルメットに搭載された通信機が作動し、クロトの声が届いた。

 

「お前の負けだ。さっさとラクスを解放しろ」

「ふざけるなっ!」

 

 ハッチが開いた瞬間、オルフェは外に向かって拳銃を乱射した。ほとんどは何もない宇宙に放たれたが、一部は半開きのハッチに命中して周囲に火花が飛び散らせた。

 弾倉に込められた弾丸を撃ち切ってなお、撃鉄をカチカチと引き続ける中、オルフェは銃口の先に幽鬼のような表情を湛えた青年の姿を捉えた。

 クロトは白を基調とした黄色のパイロットスーツ姿で、じっとオルフェを見ていた。

 

「……クロト・ブエル」

 

 自らの使命を完全に打ち砕いた忌々しい青年の名を、オルフェは呟いた。空になった拳銃を構えたまま、目を血走らせて睨み付けた。

 

「何度も言わせんじゃねーよ。テメーの負けだって言ってんだ」

 

 クロトは冷淡な表情で告げた。

 まるで猛禽類に狙われていることを悟った哀れな獲物のように、オルフェの顔が恐怖に歪んだ。

 

「私には使命が……!」

 

 徐々に距離を詰めるクロトに対し、オルフェは銃弾を装填しようとした。

 そして引き金を引こうとした刹那の瞬間、クロトは目障りな虫を払うような顔で撃った。

 クロトの放った弾丸はオルフェの右手ごと拳銃のグリップを貫通し、弾倉に込められたばかりの弾丸を炸裂させた。

 眩い火花がコクピットを照らし、内側から崩壊した銃の破片が右手を破壊した。

 全ての指を喪った痛みで暴れ回るオルフェの胴体に、クロトは加速を付けた渾身の右ストレートを打ち込んだ。

 コクピットシートに叩き込まれるような勢いで殴り飛ばされたオルフェは、手足をだらりと広げたまま動かなくなった。

 

「誰が喋っていいって言ったんだよ」

 

 クロトは吐き捨てるような声で言った。

 オルフェは最後の瞬間まで、自分に課せられた使命以外は何も見えていないようだった。

 その空虚な在り方は、クロトに過去を思い起こさせるものだった。もっともこんな馬鹿げたことを実際に行う気力も、それを成功させる能力もないのだが。

 だが、これだけの力を持ちながら虐殺者の道を選択したのはオルフェ自身だ。

 確かに創造主のアウラ・マハ・ハイバルにも、理想郷を示したギルバート・デュランダルにも、この争いの絶えない世界にも一因があったのかもしれない。

 しかし、犯した罪の責任を背負うのはオルフェだ。

 まして人類の救世主を自称しながら、なぜ救うべき他者に原因を押し付けるのか。

 どこか虚しい感情に包まれる中、クロトはゆっくりと瞼を開いたラクスに視線を向けた。

 傷付いた青年の姿を見て静かに涙を流し始めたラクスに、クロトは健在を示すように会心の笑みを浮かべた。

 

 

 

 頭の中を掻き回されているようだった。身体のあちこちが軋んでいるようだった。

 キラに応急処置を受け、パイロットスーツに搭載されたオルフェと脳波を同調させる制御装置の停止も成功したが、その痛みだけは消えなかった。

 しかしラクスは痛みを受け入れていた。それだけが今、自分がここで確かに生きている唯一の証のように思えた。

 キラの通信を受けて現れたオーブ軍が周囲宙域を封鎖し、クロトが無力化したオルフェを拘束して連行していった。

 どこかで噂を聞き付けたらしいフォト・ジャーナリストの青年がその様子を取ろうとして、軍人達に事情聴取を受けていた。

 まるで祝砲のように鮮やかな閃光が、あちこちで光り輝いている。ラクスは停戦を示す信号弾を眺めているクロトに、そっと銀の指輪を見せた。

 

「……昔、母に言われました。世界はあなたのもので、そしてまたあなたは世界のものなのだと。生まれ出て、この世界にあるからにはと」

 

 ラクスの静かな声は、どこか遠い記憶を呼び起こすように響いた。

 アウラの共同研究者だった母が、何を想って自分にこの指輪を託したのか。

 アコードの女王としてオルフェに身を捧げ、共に世界を救えと願ったのか。それともその運命から自分を解放するため、アウラの下から立ち去ったのか。

 今となっては永遠に分からない。

 だが、そんなことは些細なものに思えた。

 自分の人生は自分のものであり、何のために生きるのかは誰かに決められるものではない。自らの意思で決めるものだ。

 ラクスは全ての因果を断ち切ろうとするかのように、そっと指輪を外した。

 

「何してんの?」

 

 クロトが問いかけると、ラクスの悲しそうな目にはかすかな涙が浮かんでいた。

 

「……わたくしには、こうするしか」

 

 オルフェとの接触を経て、ラクスのアコードとしての力は完全な覚醒を遂げた。

 他人の心を自由自在に読み取り、それに干渉する精神感応能力。

 スーパーコーディネイターとして生まれたキラをも凌駕する、圧倒的な空間認識能力。

 その強大な力は、アコードたちが新人類を自称していたのも当然だと断言できるほどの魔力を秘めていた。

 これからラクス自身も、そんな恐ろしい力と向き合わなければならないのだ。

 

「僕はさぁ。昔の記憶がないんだよ」

 

 クロトは穏やかに笑いながら、ラクスを励ますように言った。

 

「形見なんだろ? 大事にしなよ」

 

 両親はどんな人間なのか。今もどこかで生きているのか、それとも死んでいるのか。 

 自分は望まれて生まれたのか。ただ生まれ落ちただけなのか。

 それをクロトが知る機会は、永遠に訪れないのだろう。だからどんな形でも両親との繋がりを持っているのは、きっと尊いことのように思えた。

 

「ですが……」

 

 なおも歯切れの悪いラクスに、クロトは悪戯っぽい口調で言った。

 

「僕の持論だけどね。どんな過去でも、今の自分に繋がってるんだよ」

 

 生まれ持った遺伝子。生まれ育った環境。

 誰かに決められた自らの運命を受け入れながらも、その運命に抗うことで、ヒトは自らの存在意義を確立することが出来るのだ。

 それこそが真の自由だ。

 だからクロトの忌まわしい過去も、キラの呪われた宿命も、ラクスの母との思い出も、決して否定しなければならないものではないのだ。

 

「そう、ですね」

 

 ラクスはどこか救われたような気になった。捨てようとしていた指輪を手に戻し、そのひんやりとした金属の感触を確かめた。

 

「これで、ファウンデーション事変は解決だ」

 

 クロトはこれからが本当の戦いだと、自分に言い聞かせるように呟いた。

 未だ抵抗を続けているファウンデーション軍、ザフト軍の武装解除。

 そしてコンパスの軍事境界線侵入に伴う一連の事態の真相告発に、どこから手を付けたらいいのか見当も付かない戦後処理。

 更にそれ以外にも自作自演とはいえ核攻撃を受けたイシュタリアの復興支援や、レクイエムで撃たれたモスクワの救援活動。

 これからクロトたちがやらなければならないことは、無数に存在するのだ。

 

「わたくしはミレニアムに戻って、停戦を呼びかけようと思います。これ以上の犠牲者を出すことは望みません。クロト様も、キラも、本当にありがとうございました」

 

 ラクスがどこか晴れやかな口調で告げると、クロトとキラは笑い合いながら頷いた。ラクスはその光景を見て微笑むと、ヒルダたちの待つキャバリアーに乗り込んだ。

 

 

 

 ラクスを見送ったクロトとキラは、これまで数々の危機を戦い抜き、今も自分達を祝福するかのように静かに佇んでいる相棒の姿を見上げた。

 そのトリコロールカラーの鮮やかな可変モビルスーツは、激しい戦闘の余波を残す月宙域を照らす流星のようだった。

 自由の為に戦う襲撃者──ストライクレイダーフリーダム。

 全てが始まった、C.E.71年1月25日。

 クロトと奇妙な再会を果たした漆黒の可変型MS“レイダー”は、必然にして運命的な出会いを経て換装型MS“ストライク”と融合し、更に真の自由を勝ち取るために造られたMS“フリーダム”と完全な統合を遂げたのだ。

 まさに自由の象徴として造られたモビルスーツのコクピットに入ると、クロトは操縦桿を握り締めながら大きく息を吸い込んだ。

 

「帰ろう、私たちの世界に」

 

 クロトは静かに囁いたキラの声にゆっくりと頷いた。そして月面を離れ、無限に続く宇宙空間へとフリーダムを飛翔させた。

 後方に見えている月がみるみる小さくなり、数時間前まで戦艦だったらしい無数の残骸が視界の遥か彼方に点在していた。戦いが終わったことを示す静寂が、2人を包み込んでいた。

 全てが終わったとしても、喪われた命は永遠に戻らない。

 この数日間で、どれだけの命が奪われたのだろうか。

 キラは死者の冥福を祈りながら、こうして自分は生きている実感を噛み締めていた。

 クロトは最後の瞬間まで、キラの命を、身体を、心を守り抜いた。

 だけど、だからこそはっきりと言える。

 私は彼の価値を愛しているわけじゃない。彼を愛している。彼の全てを。

 キラはクロトの肩に頭を乗せ、目を閉じた。

 パイロットスーツ越しに伝わるクロトの温もりが、2人の確かな絆を感じさせた。

 メンデルの魔女だったアウラは亡霊に討たれ、オルフェは全てを喪った。未来は運命で決められているのなら、それこそが彼らの辿り着いた未来だった。

 そしてクロトとキラも、互いを守るために自らの未来を選んだ。自らの存在意義を賭け、自らの宿業を受け入れ、自らの意思で戦うことを選んだのだ。

 

 

 

 フリーダムは慣性飛行で地球へと向かう軌道を順調に進んでいた。

 薄暗い宇宙空間の中で、遠くに見える地球の青い輝きが次第に大きくなっていく。

 やがて警告音が不意に鳴り響いた。

 クロトがモニターを確認すると、そこに映し出された二つの機影に目を細めた。どちらも激しい戦いの余韻を残しながら、カラミティとフォビドゥンがフリーダムに接近してきた。

 オルガとシャニの2人も、無数の死線を潜り抜けてここに辿り着いたのだ。

 通信回線を開くと、すぐにからかうような声が飛び込んできた。

 

〈よぉ。ハイジャック犯が呑気にデートか?〉

 

 その冗談めかしたオルガの口調に、クロトはニヤリと笑った。

 

〈お前らこそサボりかよ?〉

〈ま、そんなトコだ〉

 

 続けて、シャニの気怠そうな声が聞こえてきた。

 ストライクレイダーフリーダム、ストームカラミティ、フレアフォビドゥンは、それぞれ今回の事件で戦略兵器級の活躍を見せたモビルスーツだ。

 その技術流出を避けるため、キラを含めた4人は一足先に地球帰還の許可が下りたのだ。

 フリーダムの両脇に、カラミティとフォビドゥンが並走する。

 3機で地球行きの軌道を共に進む中、キャバリアーアイフリッドとの通信回線を確立しているフリーダムを介して、シャニは自分達の帰還を待つメンバーと会話を始めた。

 

〈よく言うだろ。イケメンは死なねーってヤツだ〉

〈意味が分からないんだけど〉

 

 シャニのふざけた様子にミーアの溜息が木霊する中、オルガはぼそりと呟いた。

 

〈なーんか、1つだけ忘れてる気がするんだよな〉

 

 やがてクロトは互いの健闘を称え合うように、片手を上げた。しばらくすると3機は蒼く輝く地球の大気圏を通過し、オノゴロ島の国防本部を目指して降下を開始した。

 

 

 

 フリーダムはカラミティ、フォビドゥンらと共に基地の滑走路に降り立った。

 機体全体に伝わる着陸の衝撃は、戦いの終焉を告げているようだった。

 やがてエンジンを完全に停止させると、クロトは深く息を吐きながら疲労と安堵が混じった表情を浮かべた。

 コクピットハッチを開いた瞬間、爽やかな潮風が2人を包み込んだ。

 そして外の世界へと足を踏み出すと、出迎えに来ていたカガリの姿が目に入った。

 普段はオーブの若獅子と呼ばれ、国民の信頼も厚い為政者としての姿から遠く離れ、髪を振り乱しながら駆け寄って来るカガリの瞳には、涙がじんわりと滲んでいた。

 

「お前ら──っ!」

 

 涙混じりの声が、晴れやかな青空に響いた。

 カガリはキラを強く抱き締めると、クロトと拳と拳を突き合わせた。すると、一拍遅れて出迎えの列に並んでいた様々なメンバーたちから、盛大な歓声が沸き起こった。

 

「よくやってくれた! 本当にありがとうな!」

 

 その声は震えていたが、誇らしさに満ちた表情だった。

 兵士たちは一斉に集まり、カガリを胴上げにした。クロトも、キラも、この若き偉大な為政者を讃える胴上げに加わった。

 北アフリカでのファーストコンタクトを思い出す。

 最初は禁断症状で見えている幻覚なんじゃないかと祈りたいほど、最悪の出会いだった。

 しかし今では、まるで血を分けた本当の兄妹のように確かな絆を感じた。クロトはそのなんとも言えない不思議な思い出に微笑みを浮かべながら、笑顔のカガリを見上げた。

 

 

 

 オノゴロ島から程近い地点に存在するアカツキ島の浜辺にて、静かに島のビーチに降り立ったフリーダムのエンジン音が消えた。

 その瞬間、波の音だけが支配する世界が広がった。夕焼けが空を金色に照らし、二人を静かに包み込んでいる。

 クロトとキラは、ここまで自分達と共に戦い抜いてくれた相棒のコクピットを開け、柔らかな砂浜に降り立った。

 空気はひんやりとしていたが、温かい砂地がその冷たさを和らげていた。

 まるで自分達を遮るものは何もないことを示すように、二人はフリーダムの足元にパイロットスーツを脱ぎ捨て、一糸まとわぬ姿で波打ち際へとゆっくり歩き出した。

 心の声が聞こえなくても、温もりを通してキラの想いが伝わってくる。

 波が2人の足を優しく濡らし、彼らの存在を秘密にするかのように足跡を消していく。

 しばらくの間、互いの手を握って存在を確かめ合っていた2人の影は砂浜に伸び、やがて1つに溶け合った。

 君と出会えた奇跡を守ること。

 この先にどんな困難が待ち受けていようとも、それを乗り越えられる自分で在りたかった。

 それが自分の望みであり、自分1人では叶えられないことだとしても、自分達なら叶えられることだと思えた。

 いつのまにか太陽が水平線に沈み、周囲は暗くなり始めている。

 遠くから近づいてくる誰かの声が聞こえる。

 これからも世界は争いが絶えず、失われる命は増え続けるかもしれない。人々が平和と自由を謳歌する未来は、永遠に訪れないかもしれない。

 それでも、未来は誰にも分からない。

 想いだけでも、力だけでも、奇跡は起こらない。

 だから奇跡を願う前に、お互いのことを知ろうよ。たとえ心が読めなくても、僕たちは分かり合えるんだから。

 クロトは顔を見上げたキラを抱き寄せると、頷き合いながら声の方向に歩いていった。




以上で種自由編は終了となります。
エピローグ、あとがき等の執筆予定はありますが、種自由編はこれにて完結です。

連載中に劇場版が上映されたり、TS准将ブームが起こったりと色々なことがありましたが、楽しい二年間でした。

阿井上夫先生に完結記念の支援絵を頂きました。
強き者は美しい……。

【挿絵表示】
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