ユーラシア連邦は、その名の通りユーラシア大陸に存在する連邦国家であり、大西洋連邦と並んで地球連合内部の中心的な発言権を持つ非コンパス所属国だ。
だが、そんなユーラシア連邦がなぜコンパスの介入を受け入れたのか?
それは半年前のアコード事変で首都モスクワが壊滅的な被害を受け、国内外での求心力が著しく低下したからだ。
ファウンデーション・ショックと呼ばれる独立運動に悩まされながらも、プラント、大西洋連邦に次ぐ強大な国力を誇っていたユーラシア連邦も弱体化に直面し、かろうじて均衡を保っていた世界の勢力図は崩れつつある。
深刻な人材不足に陥ったユーラシア連邦は、国内で増大するブルーコスモスの勢力と、彼らが引き起こす凶悪犯罪やテロの脅威に対処しなければならなかった。
そこでブリュッセルに首都を戻したユーラシア暫定政府は、国境付近の紛争地帯に限定する形でコンパスの武力介入を認めたのだ。
こうしてユーラシア連邦国境付近の紛争地域には、アコード事変でクロト・ブエルに次ぐ戦果を上げた3人のナチュラルを中心とする精鋭部隊で構成された“世界平和監視”を担うモビルスーツ小隊が派遣された。
その小隊長にして砲撃手のオルガ・サブナックは、大西洋連邦から期限付きで供与されたアークエンジェル級強襲機動特装艦2番艦“ドミニオン”の休憩所で、ひとりの少女に視線を向けた。
太陽のように輝くセミショートの金髪と、燃えるような緋色の瞳。
目の覚めるような美貌と、扇情的な砂時計型の肢体が印象的な少女は、陶器のような素肌を見せ付けるように改造したコンパスの制服に身を包んでいた。
誰もが目を奪われるような絶世の美少女だが、オルガにとってステラはサブナック隊を彩る一輪の華というよりも、とびきり危険な爆弾だった。
少女は一心不乱にパソコン画面を操作し、次々にメールを送信している。
「その辺にしとけ」
突然無数のメッセージが送信されたクロトにわずかな同情を抱きながら、本を閉じたオルガはゆっくりと口を開いた。
するとコンパス初となるユーラシア連邦領内における武力介入任務を終えた、小隊の遊撃手ステラ・ルーシェは頬を膨らませながら画面を閉じた。
「でも、全然返事が来ないの……」
「アイツも忙しいんだろ」
オルガが皮肉っぽく笑うと、ステラは退屈そうにため息をつきながら、机の端に置かれた菓子を無造作に口に運んだ。
その向かい側では小隊の突撃手シャニ・アンドラスがソファーに寝転がり、ヘッドホンで重低音の音楽に浸っている。
「だいたい、なんでステラがこっちなの?」
「知るか」
オルガはステラの問い掛けに、突き放すような口調で答えた。
新たに結成されたサブナック隊にステラ・ルーシェが配属されたのは、オルガにとっても予想外の展開だった。
おそらくユーラシア連邦内に多数存在するブルーコスモスを牽制するため、ナチュラルで構成された精鋭部隊の存在が求められたのだろう。
ナチュラルでありながら、コーディネイターの最上位層に匹敵する戦闘能力を誇るステラはサブナック隊の補充要員として最適だったというわけだ。
「総裁だったら、いつでも会えるのに……」
ステラは独り言のように呟いた。
どうやらコンパスの新総裁に、クロトを望んでいるらしい。まさか投票資格を得るためにコンパスを志願したのだろうか。
オルガは冷ややかに笑うと、ステラを現実に引き戻すように言い放った。
「本気で言ってんのかよ。アイツが選ばれるわけないだろ」
小馬鹿にしたようなオルガの声に、ステラは苛立った表情に変わった。
「でも!」
「あのなぁ」
ステラに限らず、クロトに投票しようとする連中は少なからず存在するだろうが、コンパス総裁に選ばれる可能性はあまりにも低い。
オルガは肩をすくめると、ステラが興奮気味に話し始めた。
「最後まで残ったら、意外と勝てるんじゃないかなって」
オルガはその見切ったような口調に、思わず黙り込んだ。
総裁選挙のシステムは単純で、まずは1度目の投票で上位3名に絞り込み、次にその3名の誰かが過半数の投票を獲得出来なければ、上位2名の決戦投票に移行する。
ステラの言葉通り、クロトが決戦投票まで残ればカナーバなら大西洋連邦の支持を、アズラエルならプラントの支持を得られる公算の高いクロトにも十分勝算はあるのだ。
もちろん両者のように組織票を持たない以上、決戦投票まで残ることが不可能だが。
「分かった分かった。俺も応援してやるよ」
特段、誰を支持している訳でもない。
だが選挙当日に帰国出来るかどうかも怪しいクロトが、総裁候補に選ばれるような事態になれば最高に愉快だろう。
クロトは自室のデスクで、先程入手した戦闘データの解析に没頭していた。
デスクの上に並んだ複数のモニターでは、シュラがネオ・ブラックナイツの投入したデスティニーと交戦している様子が映されていた。
どれだけコマ送りで映像を確認しても、やはりシュラと直前まで切り結んでいたデスティニーとはまったく別の存在が、背後からシュラを攻撃したようだった。
そしてその存在の正体は、シュラと交戦しているはずのデスティニーだった。
──実体を持った分身?
馬鹿馬鹿しい。クロトは映像をさらに詳細に解析し、もう1機のデスティニーが出現する瞬間の前後をコマ送りで確認した。
すると異なる場所に存在する2機のデスティニーが全く同じ反応を示したことから、やはり何らかのトリックが用いられているのは確実だった。
あのセトナ・ウィンタースと思われる少女が、アコード事変でブラックナイツを圧倒したシン・アスカのようにデスティニーの性能を限界まで引き出したのだろう。
ラクスの命令とはいえ、この“デスティニー”を捕獲するなど至難の業だ。
火星圏との戦争を未然に防ぐためにセトナの確保が必須らしいが、どこかの代表首長のような真似は正直勘弁して欲しいものだ。
「……?」
すると突然、モニター画面に奇妙なメッセージが表示された。
メッセージには待ち合わせ場所と時間だけが書かれており、送信者の名前や詳細に関する情報は一切記されていなかった。
その匿名で送られたメッセージは、謎で包まれていた。
セトナ・ウィンタースが記憶を取り戻したのは、アルテミス要塞に逃れたオルフェ・ラム・タオが全世界におけるデスティニー・プランの導入を宣言した時だ。
世界を導くため。世界に尽くすため。
生まれる前から定められた使命を思い出したセトナだったが、それは虚構だったと理解した。
世界の頂点に立つ存在として生まれたアコードの王は、生まれ持った遺伝子の限界を超えて進化し続けるナチュラルの前に敗北した。
歴史を感じさせる落ち着いた雰囲気に包まれた通りには、簡素な書体で記された店名と、その下に「どなたも歓迎」と手書きで添えられた小さな店があった。
カフェとしては当然のように見えるが、コーディネイターを狙ったブルーコスモスのテロが連日繰り返されているこのご時世に、こうした文言を掲げる店は珍しいだろう。
そしてこの店は、意外な来客を迎えていた。
「あら」
壁に飾られた古びた絵画と、アンティークのランプが優しく灯る店のカウンターで、その店の看板娘の少女セトナ・ウィンタースはリボンで束ねた桃色の髪を揺らし、一番奥の席に腰掛けたクロトに翡翠色の瞳を向けた。
「お1人なんですか?」
セトナは冷水をテーブルに置きながら、怪訝そうなクロトににっこりと微笑んだ。
「遊びに来たんじゃないんでね」
てっきりネオ・ブラックナイツの隠れ家だと予想していたが、単なる喫茶店とは想定外だ。
クロトは警戒するように顔を引き締めながら、短く返した。
アウラ・マハ・ハイバルが製造した新人類アコード最後の1人にして、火星圏において主導的な役割を果たしているマーシャン使節団長アグニス・ブラーエの姉、セトナ・ウィンタース。
そんな華々しい過去を持ちながらも、アコード待望論を掲げるネオ・ブラックナイツに所属するセトナが、世界平和監視機構コンパスがファウンデーション駐留軍の中心的存在であるクロトに接触を図ったのだ。
「で、僕に何の用?」
クロトは店内の様子に違和感を抱きながら冷静を装って注文すると、セトナに視線を向ける。
世界に新たな未来図を示したネオ・ブラックナイツが正しいだとか、連日世界各地でテロを行っているブルーコスモスが悪いだとか、そんなことは興味がない。
コンパスは世界各地で激化する独立運動・侵略行為に対処し、世界秩序を維持する為に結成された非国家・非遺伝子差別的な国際組織に過ぎない。
敵が遺伝子至上主義を掲げるネオ・ブラックナイツだから、あるいは反コーディネイターを掲げるブルーコスモスだからというよりも、戦禍の拡大を防ぐため軍事介入しているのだ。
何らかの思想に同調することがあれば、コンパスはその大義を喪うだろう。
「ご安心ください。私はどちらの味方でもありません」
世界最強のパイロットと謳われる碧眼の視線に晒されながらも、セトナはまるで動じた素振りを見せずに、狡猾な笑みを浮かべた。
「本気で言ってる?」
「はい♪ 私は人々に尽くすことが使命ですから」
真偽を確かめるように視線の鋭さを増すクロトだが、セトナの笑みは変わらない。その表情から、真意を読み取ることは出来なかった。
「変なヤツの相手をするのはメンドーなんだけどねぇ」
クロトは呆れたように溜め息を吐いた。
セトナが自分を罠に掛けるつもりなら、問答無用で拘束する予定だったが、あくまで民間人の立場を装っているなら少々分が悪い。
まだ彼女がネオ・ブラックナイツに協力している具体的な証拠は、何も掴めていないのだ。
「私は両軍のバランスを保っているだけです」
「民間人の被害はどうでもいいって?」
「ですがブルーコスモスが勝利すれば、それ以上の犠牲が出ると思います」
思わぬ反撃を受けて、クロトの表情に苛立ちが混ざった。
コンパスがファウンデーションに派遣されたのは、ネオ・ブラックナイツとブルーコスモスが連日武力衝突を繰り返しているからだ。
もしもこの地に展開しているネオ・ブラックナイツが敗退すれば、敵対勢力を退けたブルーコスモスの勢力はさらに拡大するだろう。
そうなれば裏でブルーコスモスを支援しているユーラシア連邦が、旧国民を守るという体裁でファウンデーション領の併合に動き出す可能性も考えられる。
そしてそれは、この地で今まで以上の惨劇が起こることを意味するだろう。ユーラシア連邦はファウンデーション王国に首都を焼き払われたのだから。
「だから僕たちが来たんだろ」
クロトは静かな口調で言った。
この地を支配しようとする両軍の軍事力均衡を維持しながら戦力を削ぎ、アコード事変で壊滅的な被害を受けたファウンデーション王国の復興支援を行う。
それが真の意味での自由を目指す世界平和監視機構コンパスの新たな戦いであり、クロトの使命だ。
「お前の目的はなんだ?」
クロトはセトナの反応を伺うように言葉を続けた。
いくらなんでも、こんな雑談をするためにメッセージを送って来たとは思えない。
「両軍の内部情報と引き換えに、お願いしたいことがありまして」
「お願い?」
セトナは戸惑いを隠せないクロトを、再び翡翠色の瞳でじっと見つめた。
その瞬間、クロトは先程から漂っていた店内の違和感に気付いた。
どうしてお昼時だというのに、この店には自分以外の客がいないのか。その不自然さがクロトの中で一気に膨れ上がった。
「青き清浄なる世界の為にッ!!」
突如響き渡った絶叫と同時に、店の外で轟音が響いた。発砲音が連続し、粉々に破壊された窓ガラスが店内に流れ込んだ。
クロトは即座に伏せると、懐から拳銃を抜いた。
入口のドアを蹴破り、自動小銃を乱射しようとした男の右腕にクロトは銃弾を叩き込んだ。怯んだ男の顔面に強烈なハイキックが突き刺さり、男は壁に叩き付けられる。
「今取り込み中なんだよ」
クロトは物音を立てないように拳を男の鳩尾に叩き込んで失神させると、外で自動拳銃を乱射している武装犯たちに銃口を向けた。
どうやら武装犯たちの狙いは、クロトの命ではなかったらしい。
正確無比な弾丸は次々に強盗殺人を実行しようとしていた目標を撃ち抜き、彼らはどこから反撃されているかも理解出来ないまま倒れた。
やがて周囲で繰り広げられていた武装犯たちと憲兵との戦闘が終息して静寂が訪れると、クロトは深く息を吐いて周囲を見渡した。
「……逃げやがった」
先程までクロトの背後で様子を伺っていたセトナの姿は、どこにも見当たらなかった。カウンターの奥や洗面所、どこを探しても痕跡すら残っていない。
どうやら襲撃のタイミングに合わせて、店の裏口から脱出したらしい。こんな見え透いた手口で仕留めるつもりだったのか。
しばし立ち尽くしていると、クロトの通信機が振動した。
「あ?」
クロトは通信機を取り出すと、メッセージを確認した。
すると匿名の差出人から、両軍の情報を記載したファイルが添付されていた。
コンパスが把握出来ていないネオ・ブラックナイツの戦略から、ブルーコスモスが起こす次の襲撃計画に至るまで、膨大なデータが送られてきていた。
どうやらセトナのお願いとは、この店を武装犯の手から守ることだったらしい。
カフェの外に出ると、クロトは周囲一帯を封鎖している憲兵と共にいる、アカツキに乗って駆け付けたキラの姿を見つけた。
「こんなところで何してるの?」
「これは……」
どこから説明すればいいのか分からないまま、クロトはキラの許へと歩き始めた。
最終話の展開、モチベーションに悩んだため、久々の更新となりました。