〈102〉
身体能力、頭脳共にヒトの理論値まで高めた生命体にして、それを完璧な形で次世代に引き継がせることが可能な母体。
そんな自らの呪われた宿業を最悪の形で知らされ、その場から逃げだしたキラを追いたい衝動に襲われながら、クロトは仮面の下で嗤うクルーゼと対峙していた。
一方のクルーゼは念願の目的が遂に達成されることを確信し、大袈裟に肩を竦める。
「ふふ、女心というヤツは難しいな。そうは思わないか、生体CPUくん」
「……どうしてお前の様な奴がザフトの一員に? アズラエルの情報源はお前か?」
それは憐憫か、それとも嘲笑か。
クロトの現状を表す具体的な単語を口にしたクルーゼに対し、クロトは1つでも多くの情報を引き出す為に一歩踏み込んだ。クルーゼはアズラエルのリークによって地球連合軍に大勝利をもたらした“スピットブレイク”の真の目的や、行方を眩ましたアークエンジェル達の居場所を事前に知り得た数少ない立場だからである。
「木を隠すなら森の中……あの子がプラントの何処かに居る可能性は高いと思ってね。それが空振りに終わったらしいと気付き、アズラエルに接近したという訳だ。グリマルディ戦線で邂逅した君の情報を得る為に」
「何の為に?」
「あの戦場で直接交戦した訳ではなかったが、個でザフトを圧倒した君の力──。私は君があの子の産み出した戦闘用コーディネイターではないかと疑っていた。時系列的に、流石に有り得ないだろうとは思っていたがね」
「……戦闘用コーディネイター? 僕はそんな上等なものじゃない」
「そうでもないさ。君の台頭をきっかけに、戦闘用コーディネイター計画は完全に凍結された。同時にあの子がブルーコスモスの手に落ちていないと確信を得られたのだから」
後の地球連合軍であるプラント理事国の軍部が兵器として開発した、戦闘に特化した遺伝子調整がなされたコーディネイターである“戦闘用コーディネイター”。
ザフト設立以前から“叢雲劾”、“グゥド・ヴェイア”、“ソキウスシリーズ”のように極少数存在していたが、地球連合設立と共に台頭したブルーコスモスにより、戦闘用コーディネーターの開発・運用は中止されていた。しかし戦闘用コーディネーターの可能性を諦めきれなかった一部の研究者達はその母体として“キラ・ヒビキ”を探していた。
最終的に“ブーステッドマン計画”の完成品として、戦闘用コーディネーターと同等以上の数値を示したクロトが誕生するまでは。
「人は知りたがり、欲しがり! やがてそれが何の為だったかも忘れ、命を大事と言いながら弄び、殺し合う! 何を知ったとて! 何を手にしたとて変わらない! ならば存分に殺し合うがいい! それが望みなら!」
始まりのコーディネイター、ジョージ・グレンは世界にコーディネイターの製造技術を流出させたが、ジョージが無邪気に信じていた程、人類という種族は強くも賢くもなかった。
自分達の親が例外なくナチュラルであることすら忘れ、肥大した選民思想と被害意識の末に全てのナチュラルを滅ぼそうとするパトリック・ザラ。
所詮ナチュラルの延長線上に過ぎないコーディネイターの存在を非難しながら、同胞であるナチュラルを人体改造することすら厭わないブルーコスモス。
キラを探すためとはいえ、両陣営の闇に触れ続けたクルーゼは、いつしかこの愚かな人類は自らの手によって滅びるべきだと考えるようになったのである。
そしてヘリオポリスで極秘裏に製造されているG兵器の存在、スピットブレイクの真の目的等を情報漏洩し、両陣営の均衡を保ち続けながら戦争を激化させることで、この世界を終末に導こうとしていたのだった。何処かで自分の関与が露見、あるいは戦死して企みが失敗すれば、それが世界の意思だと考えながら。
「まもなく最後の扉が開く! 私が開く! そしてこの世界は終わる……」
クルーゼはキラの回収が終われば、ニュートロンジャマー・キャンセラーのデータを地球連合軍に流出させる計画を立てていた。
その計画が上手くいけば、地球連合軍は今までニュートロンジャマーによって封じられていた核兵器を復活させると共に、それに対抗するためにザフトは現在製造中の
たとえ計画が上手くいかなかったとしても、あのパトリック・ザラという男は地球連合軍に敗北するくらいなら、何処かで
その気になれば一発で地球を死の星に変える威力を秘めた
追い詰められた地球連合軍は全滅覚悟でヤキン・ドゥーエ要塞やプラントを攻撃しようとするだろうし、パトリックはそれを理由に地球そのものに
そしてパトリックが最悪の事態に備えて準備した、ヤキン・ドゥーエ要塞の自爆に連動して地球への
要は
プラントの防衛の要であるヤキン・ドゥーエ要塞が突如喪われれば、その混乱に乗じて地球連合軍の残存部隊は報復としてプラントに核攻撃を行うだろう。
クルーゼのやっていることはこの愚かな人類の背中を押し、世界の滅びを加速させているだけに過ぎない。何故ならクルーゼ本人が
「……なるほどねえ。お前と僕は似た者同士って訳か」
再度拳銃を構え、クロトはクルーゼにその銃口を向ける。
厳密には能動的に世界を滅ぼそうとするクロトと、あくまで人類に滅びを委ねるクルーゼの本質は異なっている。
クロトにはクルーゼ以上に時間と肉体的な制約があること、正史と比較して多少行動の自由が許されているものの、あくまで一個の生体CPUに過ぎないクロトはクルーゼと異なり自らの力以外に頼れるものが存在しないからだ。
だからこそ
人質として有用だったと思われるラクス・クラインの返還や、地球連合軍の技術を奪おうとするオーブの暴挙を黙認したのはその為である。大きく正史から離れてしまえば、自分の持っている知識は単なるノイズになりかねないのだ。
「ふふ。君がどうやってこの世界を終わらせる? たしかにプラントを滅ぼし、返す刀でアズラエルを撃てば、地球は大混乱に陥るかもしれないがね」
「……お前に教えるつもりはない」
正史よりも地球連合軍が優位になるよう戦いを進め、最終的に
ある程度の成功する算段があるクルーゼとは異なり、幾重もの奇跡を要する無謀な計画ではあったが、そもそも二週目の人生を与えられるというのが既に奇跡なのだ。クロトがその計画に全てを賭けようと腹を括るまで、そう時間は要さなかった。
とはいえキラに敗北してドミニオンに帰る方法を失った今、その計画が達成される可能性は完全に消失した。薬の予備はレイダーのコクピットに残された僅かな量であり、そのレイダーの場所も分からない今、まもなく禁断症状による発狂と共に死が訪れるのだ。
「私と同じ世界の滅びを望む一方で、彼女の平穏を望む君が何故私を撃とうとする? 君ではあの娘を守れないということが分からぬ君ではあるまい!」
「……」
クルーゼの言葉は紛れもなく正論だった。
クロトがまともに動けるのはあと半年──たとえ廃棄処分を逃れたとしても、一年も経てば確実な死が待っているのである。
この戦争が終わり、薬の複製が可能な環境に身を置けば最低限の自由を手に入れることが出来るかもしれないが、その厳然たる事実は変わらない。
クロトの寿命は脳内に埋め込まれたマイクロインプラント自体の寿命、そしてそのマイクロインプラントの拒絶反応を抑えて脳を活性化させる〈γ-グリフェプタン〉の服用によって侵された脳と臓器の機能不全に由来するものだからだ。
遺伝子工学が活発な一方で、再生医療は未だ発展途上であるこの世界には、既に一部の機能低下が起こり始めたクロトを救う技術は何処にも存在しない。
壮年のクローンということで、既に肉体年齢は還暦に迫りつつあるクルーゼだが、寿命という点ではまだ十分な猶予が存在する。もちろんクルーゼの本来の年齢からすれば極めて短い寿命なのだが、クロトとは比較にならない。
その存在を知れば、文字通り全人類が求める存在“キラ・ヒビキ”──その守護者を果たす資格がクルーゼとクロトのどちらにあるかと問われれば、答えは明確だろう。
それでも。
「……キラがその“キラ・ヒビキ”だと知っている奴は、他に居るのか?」
「いや。私の
「そうか……安心した」
「!?」
これでお前を、遠慮なく殺せる。
間一髪身を屈めたクルーゼの背後に聳え立つ培養槽の一つに、クロトの放った銃弾が突き刺さった。そして銃弾は培養槽のガラスを粉々に破壊すると、中に満たされていた液体と共にキラかもしれなかった赤い肉塊を撒き散らす。
「お前を始末すれば、死人に口無しって訳だ!」
「私と意思を同じくする君に討たれるなら、それもまた……か! ならば来い、引導を渡してやる! この私がな!」
互いに拳銃を撃ち合い、それぞれ跳弾の角度すら正確に把握出来る高い空間認識能力と、その空間認識能力ですら捉え切れない身体能力で致命傷を避け続ける。
そして先に全弾撃ち切ったクロトは拳銃を投擲すると、クルーゼの放った銃撃を被弾しながらも前進し、大きく拳を振り被って仮面の上から打ち抜いた。
〈103〉
どれだけ走ったか、もう覚えていない。
否──思い出そうとすれば、何処をどれだけ走って来たのか全て思い出せる。
これが誰もが望む、私の力の一端なのだろう。
いっそ今すぐ死んでしまいたい。拳銃で頭を撃ち抜けば一瞬で楽になるはずなのに、怖くて引き金に指を掛けることすら出来ない。
走り疲れたキラは薄暗い廊下の隅に蹲ると、腰のホルスターに取り付けていた拳銃の安全機構を外そうとしたが、恐怖で指が動かなくなって解除を諦めた。
遠くの方で鳴り響いていた銃声は途絶え、クルーゼが発している嫌な気配が徐々に遠ざかっていくのをキラは感じた。
クルーゼがキラを確実に捕らえる為に一旦引き返したのか、それともクロトがクルーゼを退けたのか、キラには分からなかった。
恐怖と嫌悪感がキラを包み込み、再び胃液が込み上げてくる。しかしキラはその場から動くことが出来なかった。
暫く動かないでいると、突如遠くからバサバサと羽ばたくような音が木霊する。
「……トリィ?」
アスランからコペルニクスで別れた時に貰った、緑を基調とした鳥型のロボットがキラの手元に舞い降りた。マーシャル諸島の戦いで戦死判定を受け、私物整理が行われた際にフレイがトリィを持ち出したとキラは耳にしていた。
マリュー曰く、アークエンジェルの追っ手として現れた船にはナタルが乗っているという。ナタルとフレイは同じ部隊に転属されたという話だから、キラの無事を知ったフレイがトリィを返すため、唯一戦場でキラと再会する可能性のあるクロトに渡したのかもしれない。製作者であるアスランと飼い主であるキラの顔を認識し、正確に戻ってくる機能が搭載されたトリィは、クロトを置いてキラの下に飛んで来たのである。
「……?」
当然トリィを追ってすぐに現れると思っていたクロトの姿は何処にも見当たらない。モルゲンレーテ本社工廠でキラの下から逃げ出したトリィをあっさり捕まえたように、クロトの身体能力ならトリィを見失うことなどない筈なのだが。
遥か遠く離れた場所で、激しい苦痛に悶え苦しむようなクロトの声が聞こえて来る。まさかクルーゼとの戦いで足でも撃たれたのだろうか。
キラは思わず声の方向に駆け出し、そしてその光景を目の当たりにした。
「■■■■■──!!」
禁断症状に伴う激しい頭痛と全身の倦怠感に襲われたクロトは壁に手を付け、発狂したような叫び声と共に頭を打ち付けていた。周囲の設備は手当たり次第に破壊され、無惨な姿であちこちに転がっている。それはキラの知るクロトの姿とは思えない、あまりにも異常な光景だった。あえて例えるならば、何らかの重大なエラーが発生して暴走するロボットのようだった。
「や、やめて! いったい何を……きゃっ!?」
キラの声は届かず、それどころか背後からの声に反応したクロトは無意識に殴り掛かろうとした。思わず腰が抜けたキラの背後にあった壁に拳が弾丸の様に突き刺さり、反動で皮膚が破けたクロトの拳から血が噴き出す。
「……あ?」
血と涙の混じった液体を垂れ流していたクロトの目に、僅かに光が戻る。クロトは一歩、二歩と後退すると、そのまま床にどさりと倒れるように蹲った。
事態が全く分からないキラは声にならない息を吐きながら、頭を抱えて動かなくなったクロトに近付こうとする。クロトは無防備に近寄って来るキラを手で制すると、震える声で自らの肉体に関する全てを打ち明けた。
「……」
不測の事態に備えて、レイダーのコクピット内部に忍ばせていた予備の薬を服用したクロトは大きく息を吐いた。皮肉にもヒトの理論値まで頭脳が強化されたキラは今まで自分が通って来たルートを完全に記憶しており、迷宮のような構造のメンデルからあっさり脱出するとコクピットだけが無事に残されたレイダーの残骸から薬を発見し、禁断症状に苦しんでいたクロトに飲ませたのである。
アークエンジェルでも時折服用していた薬はサプリメントでもなんでもなく、消耗すれば思考力が低下して発狂し、最終的に廃人化して絶命するのを防ぐ命綱だったのだ。
ある意味で、自分を遥かに凌ぐ宿業を背負わされた事に同情するような視線を向けるキラに苦笑すると、クロトは懐からデータディスクを取り出した。
「……それは?」
「アイツが落として行った物だ。多分、
純粋な身体能力という一点に限ればヒトの理論値を超えるクロトは銃弾を受けながら、クルーゼを撲殺寸前まで追い込んでいた。素顔を隠している仮面が粉々に砕けるほど殴られたクルーゼはデータディスクを落としたことすら気付かず、禁断症状で苦しみ始めたクロトから這う這うの体で逃げ出したのである。
そのデータディスクを回収したクロトはトリィを放ってキラと合流しようとしたが、その最中に禁断症状が更に進行し、前後不覚に陥っていたのである。
「ニュートロンジャマー・キャンセラー!? ……でも、どうしてそんな事が?」
「──あ」
クルーゼの落としたデータディスクを見て、中身を確認していないのにニュートロンジャマー・キャンセラーという具体的な単語の名前が出て来るのは、明らかにおかしい。
無意識に油断してしまったのか、それともキラを前にこれ以上の隠し事をすることが出来なかったのか。とはいえ既に正史から大きく捻じ曲がってしまったこの世界で、キラに真実を隠すことに何の意味があるだろうか。
何故ならクロトの知っている正史のヤマト少尉は、マーシャル諸島でイージスに殺されたのだから。
「……
「……!」
最終調整が終了しておらず、出撃出来なかったエターナルにラクスが乗っていて、クライン派を牽引する一人として行動を始めていることをクロトが知っていることは、それこそクロトの語る言葉が真実でなければ有り得ない。
絶句するキラに、クロトは天井を見上げて微笑んだ。
「前の世界は、もっと酷かった。君はとっくの昔に死んでて、僕は戦うことしか出来なかった。……だから、この世界はどうしようもないかもしれないけど、僕は君と出会えて良かった」
「……どうして……貴方みたいな人が……どうして……!」
キラの双眸から涙が溢れ出る。
この世界にキラの力を求める者は無数にいて、それは親友のラクスすら例外ではない。そんな中で、目の前の傷付いた少年は自分という存在と出会ったという事を肯定してくれたのだから。
しかし泣きたいのは自分ではなく彼だと思い、キラは溢れ落ちる涙を必死に堪えようとする。
「君は泣いても、泣かなくてもいいんだ。だって人は泣くことも、それを我慢することも、出来るんだから」
その一言で崩れ落ちたキラは、全てを諦めたように穏やかに笑うクロトの胸で慟哭し始めたのだった。
貴方は泣いていいと言ったラクス様、貴方は泣かないでと言ったフレイちゃんの対比として、君は泣いても泣かなくてもいいという第三の言葉をチョイスしました。
自由が欲しかった生体CPUらしい言葉と言えるでしょう。
(戦争を終わらせる鍵を物理で奪われるクルーゼ隊長)