仮初めの未来
〈0〉
カガリ・ユラ・アスハ。
戦局を見誤り大西洋連邦軍と戦って多くの犠牲を出した挙句、最終的に国を滅ぼした大罪人の娘にして、地球圏全域で起こった未曾有の世界大戦を終わらせた英雄の一人。
そして主権を回復した今は、オーブ連合首長国代表首長である少女の邸宅隣に、小さな研究機関が存在する。
まるで診療所の様なこの研究機関──“ヤマト生研”では、なんとフェブラリウス市の研究機関すら上回る、世界最先端の再生医療が研究されているらしい。
想定外の光景を目の当たりにして戸惑う少年に、少年と手を繋いだ盲目の少女は不安を隠しきれず小声で話し掛けた。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「あぁ、心配するな」
しかもその研究を行っているのは、先日ザフトの士官アカデミーを卒業した少年とほとんど年齢が変わらない、10代の少女コーディネイターだという。
ザフトはあくまで名目上は義勇軍であり、平時は別の本職を有している者も多い都合上、戦時中でもなければ休暇を取るのはそう難しくない。そのため、この研究機関なら戦争で永遠に喪われた妹の視力を回復させる手立てがあるかもしれないと耳にした少年は長期休暇を申請し、妹を伴ってその地を訪れたのだった。
「……すみません。ここが“ヤマト生研”ですか?」
「ええ。お客様ですか?」
「はい。フェブラリウス市の医療機関で、こちらの紹介状を頂きまして」
研究施設の入口に置かれた大きな水槽で泳ぐ鑑賞魚に給餌している金髪の少女に、少年は背後から恐る恐る声を掛けた。少女は突如声を掛けて来た少年と少年の妹を見て純真な笑みを浮かべると、手招きして案内を始めた。
施設の中には医療機関で見掛けるような器械が所狭しと並んでおり、中には使用用途すら分からない奇妙な精密機器の類も多数設置されている。
その様子から素人目にもこの施設は並の研究機関でないことを少年は理解した。いかにも高額そうな機器を壊さないように妹の手を引きつつ、少年はまるで自宅のように悠々と進む少女に問い掛ける。
「君が、ここの研究者なんですか?」
「ううん。私はただの留守番よ」
空いたスペースに辿り着いた少女は奥に設置された冷蔵庫から菓子を取り出すと、少年の妹が口に出来るように手掴みで持たせた。
その菓子は北アフリカの伝統的な菓子“バスブーサ”といい、この施設の研究者である少女がかつてバナディーヤで口にしたものを再現して作ったものらしい。
仄かにオレンジの香りを漂わせたシロップがたっぷり掛かっており、生地に混ぜられたココナッツの食感がアクセントの焼き菓子に顔を綻ばせる妹を横に、少年は少女が差し出した書類に自分達の名前や、現在の居住地などを順番に記載していく。
「──えーと、シン・アスカさん。戦争で喪った妹の視力を回復させる為に、ね。その為にプラントからわざわざ?」
プラントでは殆どのコーディネイターが遺伝子調整で基礎的な体力の向上、及び病気の予防を行っていることから、必要性の低い医療関係の研究は停滞している。
しかしコーディネイターといえどもあくまで人間の延長線である以上、喪われた手足が傷口から再生するようなことはない。
連合・プラント大戦後、元々厳格な婚約統制を行ってさえ人口維持が困難という深刻な社会問題を抱えていたプラントは限りある人的資源を有効活用するため、戦傷者の社会復帰を行う為に必要な高性能の義肢などを造る生体工学や、喪われた肉体を回復させる再生医療の分野に力を入れ始めていた。
もちろんこの“ヤマト生研”には一歩劣るものの、少年が普段妹と暮らしているらしいフェブラリウス市でも再生医療の研究は進められており、わざわざ母国のプラントを離れてオーブまで来る理由が少女には分からなかった。
そもそもこの施設は重度の脳障害と薬物依存症に冒された一人の少年の身体を完治させるためだけに、その恋人である少女が以前作成したモビルスーツ用OSの特許権をモルゲンレーテに譲渡した際に得た報酬の大半を投じて創設した研究機関である。
だからこの施設は厳密には医療機関ではないのだが、あくまで留守番を任されているだけの少女に正式な紹介状を手にやって来た彼らの受け入れを判断することなど出来ない。
とはいえ定期的にプラントから通院するなど現実的ではないし、入院などもっての他だろう。それとなく少女が少年達の事情を伺おうとすると、少年は意外な言葉を口にした。
「俺とマユは、二年前までオーブに住んでいたんだ」
コズミックイラ71年6月15日。
パナマ攻防戦における大敗によって全てのマスドライバーを喪失し、孤立した地球連合宇宙軍に補給を行うマスドライバーの確保、およびG兵器製造計画等で浮き彫りになったモルゲンレーテの優れた技術を接収、更に新型機“ゲルプレイダー”“ストライクネロ”の初披露を兼ねて、当時ブルーコスモスの盟主だったムルタ・アズラエルは大西洋連邦軍を率いて“オーブ解放作戦”を発動した。
初日の攻撃こそ奇跡的に防いだものの、同日夜間に代表首長ウズミ・ナラ・アスハら主な首長閣僚がマスドライバーとモルゲンレーテ本社工廠を巻き込んで行った自爆でオーブ連邦首長国は崩壊し、大西洋連邦の保護下に置かれることになった。
一時ザフトの特務隊による武力介入が行われたこともあり、当時大西洋連邦軍を事実上支配していたブルーコスモスによって、オーブ在住のコーディネイターには激しい迫害が行われることが予想された。その為にオーブからは多くのコーディネイターが国外流出し、中にはプラントに移住する者もいたという。
その中にはモルゲンレーテの技術者もいたらしく、主権を取り戻したも今もオーブに大きな影響力を持つ大西洋連邦から、プラントがオーブの技術を利用して軍事力を増強していることについて、オーブからも直接抗議するようにと圧力を掛けられている。
誰が言ったか、
特に先の大戦は独立戦争を望むプラントと、それを認めない地球連合との独立戦争という構図だけではなく、互いに相手の存在そのものを認めず、大量破壊兵器で相手の陣営を滅ぼそうとする絶滅戦争の段階まで進行していた。そんな両陣営の頭を力尽くで押さえ付けるような手口でもたらされた平和が、そう長く続く訳がないのは明白である。
先述した様に、人口維持が大きな社会問題となっているプラントは難民コーディネイターを積極的に受け入れているし、コーディネイターを受け入れることで国外に対する技術的優位性を確保していたオーブは、国外に流出したコーディネイターの出戻りを歓迎している。
こうした人的資源の奪い合いも、いずれ訪れる次の戦争に備えた準備の一つなのだ。とはいえ偶然腰を降ろすことになっただけに過ぎないオーブに恩も義理も感じていない少女は、戦争でこの国を離れたという少年に率直な疑問をぶつけた。
「だったら、戻って来ればいいんじゃないの?」
「戻る? こんな国に?」
「こんな国って?」
なんとなしに発した言葉に突如語気を荒げた少年に対して、隣で甘味を味わっていた少年の妹は表情を硬直させ、事情の分からない少女は首を傾げる。
「俺達の家族は、アスハに殺されたんだ! この国を、この国の理想とかって奴を信じて、ボロボロに殺された!」
オーブ連合首長国が自国の理念を貫いた影で、その理念を貫いた結果として両親を喪った少年は真紅の目を血走らせ、窓の外に映るアスハ邸を睨み付けた。
〈1〉
「僕は、どうして生きているのかな……?」
言葉にならない吐息の様な囁きが、赤髪の少年から溢れた。
少年はその言葉の意味を考えようとしたが、少年の思考は纏まらなかった。しかしこの言葉が何故溢れ出したかについては、容易に想像することが出来た。
決して手に入れられない自由を求めた少年はかつて、地球連合軍とザフトの最終決戦で全てを喪い、禁断症状で苦しみ抜いた末に世界を呪いながら非業の死を遂げた。
その直後、少年は彼が自由を喪った日に逆行するという前代未聞の事態に巻き込まれ、少年は自らに二度目の地獄をもたらしたこの世界に復讐することを誓った。
少年はこの世界を滅ぼすため自ら地獄を受け入れ、より強大な力を手に入れた。
その力は少年から未来を奪ったが、少年に後悔はなかった。両陣営が大量破壊兵器を撃ち合う終末の日が分かっている以上、その日が訪れるまで身体が保てば十分だと考えていたからだ。
憎悪と狂気だけが、少年の原動力だった。
前世の経験と知識を生かし、モビルスーツの生体CPUとしての適性を示した少年が表舞台に登場する機会は大幅に早まり、試験的に投入されたグリマルディ戦線で少年は単独でジン15機を撃破するという多大な成果を挙げた。
その後、飼い主であるブルーコスモス盟主、ムルタ・アズラエルの働き掛けによって少年は地球連合軍初のモビルスーツ“G兵器”のパイロットに任命され、その製造先であるオーブ連合首長国のコロニー“ヘリオポリス”から地球連合軍の本拠地であるアラスカ基地まで、他のG兵器及びその母艦“アークエンジェル”を護衛するという特務を与えられた。
少年はザフトの襲撃に乗じて自らの行動を縛っていた研究員を粛正すると共に、本来は存在しない6番目のG兵器“レイダー”に乗り込んで復讐を開始することにした。
この時点では少年とレイダーが苦戦する相手など存在しない筈だし、事実ヘリオポリスを強襲した圧倒的多数のザフト軍に少年は多大な損害を与えることに成功した。
そもそも、詳細は不明だがヘリオポリスで民間人として暮らしていたコーディネイター“ヤマト少尉”にすら苦戦した相手など、少年の相手になる訳がない筈だった。
そんな“ヤマト少尉”も後に脱走兵として立ち塞がる位なら、事故に見せ掛けて殺してしまおう位に思いながらアークエンジェルに乗り込んだ少年の前に現われたのが、軍人に取り囲まれ銃を突き付けられた可憐な少女だった。
「どうしたの?」
少年の囁いた不穏な言葉を敏感に聞き取ったのか、艶やかな黒髪を伸ばした少女が精神安定剤と水を片手に、少年の座るソファーに腰を下ろした。少年は精神安定剤と水を受け取ると、一息に呑み込んで溜息を吐いた。
「なんでもない。……ありがとう」
「本当に?」
少女の怪訝そうな表情に、少年は思わず苦笑した。
この虫一匹殺せなさそうな少女が少年を狂わせた──あるいは狂っていた少年に正気を取り戻させた──“ヤマト少尉”である。
彼女の名は“キラ・ヤマト”。
かつてコーディネイター製造を一大産業としていた“G.A.R.M. R&D”がL4宙域に浮かぶコロニー“メンデル”の研究所で、その主任研究員として勤務していたユーレン・ヒビキが自らの遺伝子を用いて人類最高峰の才能を獲得した“スーパーコーディネイター”として製造した実験体の唯一の完成品であり、出資者の一人である“アル・ダ・フラガ”の後継者を産む母体として造られた少女である。
少女は誕生直後、その噂を聞き付けたブルーコスモスに所属するテロリストの襲撃を受けて行方不明になったとされていたが、実際には彼女の遺伝子上の母親であるヴィア・ヒビキによって事前に逃がされており、ヴィアの妹カリダ・ヤマトとその夫ハルマ・ヤマトの二人に引き取られた。
その後、ヤマト夫妻は彼女をブルーコスモスの魔の手から守るため月面都市コペルニクスに移住すると共にキラを男の子として育て、それは世界情勢の悪化からオーブ連合首長国のコロニー・ヘリオポリスに移住するまで続いた。
こうして人類最高峰の才能を授けられた彼女だったが、その精神性は才能とは裏腹に平凡そのものであり、争い事はむしろ苦手なように思えた。
元々後に敵対する可能性の高い“ヤマト少尉”やアークエンジェルのクルーに極力頼らずザフト軍と戦う予定だった少年は、事実上人質になった友人達を守る為に戦わなければならないが、その戦いの中で明らかになった異常な才能故に孤立していた少女に慕われ、やがて惹かれ合うようになっていた。
ブルーコスモス盟主の直属兵であり、G兵器に乗った複数のザフト兵を相手に互角に戦える程の強大な力を少年は持っていたが、あくまで一人の兵に過ぎない少年が全てを守り切れる筈もなかった。
無力感に苛まれた少年は同じく心に深い傷を負った少女と傷を舐め合うようになったが、その結果として少年はジレンマに悩まされるようになった。
少年はまもなく訪れる死の運命から少女を守りたいが、少年の悲願が達成されれば少女は命を落としてしまう。
このジレンマを解消するために、少年は一つの解決策に辿り着いた。少女が生きている限り、自らの悲願は永遠に封印しようと。
そして守れなかった筈の少女も思わぬ形で生きていて、最終的に彼女と彼女の世界を守ることが出来た。
後はただ死を待つだけだった。もう何一つ思い残すことはなかったし、きっと三度目の人生はないだろうと確信していた。
しかし少女は少年に死を許さなかった。少女は持てる全ての人脈と才能を生かして、死の淵を歩いていた少年を救い出したのだ。
だからどうして生きているのかという疑問に対する答えは、目の前の少女に救われたからなのだが、少年はそれを素直に受け止めることが出来なかった。
この輝かしい才能を持つ少女と共に生きる者として、少年は自分が相応しいとは到底思えなかったし、むしろ自分は彼女の自由を奪っているのではないかと考えていた。
いっそ自分は死んでしまった方が良いのではないかという希死念慮に少年は襲われながら、少年はゆっくりと口を開いた。
「大丈夫。……で、その娘をマルキオ導師様の所で預かることにしたの?」
「うん。これからしばらく軍の長期任務に就くからって。プラントに一人で置き去りにするよりは、ずっといいだろうって」
キラは政府の避難勧告が遅れてオーブ解放作戦に巻き込まれ、流れ弾を受けて両親と視力を喪った少女マユ・アスカを“ヤマト生研”の患者第一号として預かることにした。クロトの喪われた片目を再生するためのヒントになるかもしれないと思ったからだ。
そんなキラの崇高な想いを目の当たりにしたクロトは深い無力感に包まれると共に、服用した精神安定剤の効果が現れ始めて意識に靄が掛かり始めた。
「ごめんね……迷惑ばかり掛けて……」
クロトはまるで譫言の様に謝罪しながら、睡魔に抗えずキラの手を握ったまま瞳を閉じた。
しばらく様子を窺っていたキラは寝息を立て始めたクロトの目尻から溢れた涙を指先で拭き取ると、起こさないように握っていた手をゆっくりと離した。
モビルスーツの生体CPUとしての人生を二度も経験することがどれだけの苦痛を伴うものだったのかキラには想像も付かないが、クロトは意識が回復し肉体的には回復傾向の一方で、生きる気力を完全に喪っている。
自分を守るため、生きる意味すら捨ててしまったクロトを救ったのは自分だ。だから自分はクロトの生きる意味を、一緒に探さなければならない。それがキラの率直な想いだった。
しかし生きる意味なんてなかったとしても、貴方がこうして生きているだけで自分は嬉しいのだと思いながら、キラは深い眠りに付いたクロトの身体に毛布を掛けた。
種運命編スタートです。
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