〈37〉
カナードは静かな夢現の中に取り残されていた。
近くでは金髪の長い髪をした男と、褐色の髪を短く刈り上げた男が夢心地のカナードには理解出来ない奇妙な会話をしていた。
「記憶の欠落が原因なのですか?」
短髪の男が怪訝そうに訊ね、長髪の男がそれに答えた。
「その通りだ、リー少佐。君も知っているように、彼女らは反抗心を制御するため、毎晩記憶の操作を行っている。
莫大な心身の負担と引き換えに欠点を克服した“ブーステッドマン”だったが、その優秀性故に彼らは“第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦”の最中、飼い主であるブルーコスモス前盟主ムルタ・アズラエルに反旗を翻したと噂されている。
特に“クロト・ブエル”はアズラエルの目を盗んで、自らの助命と引き換えに最重要機密であるロドニア研究所の位置情報を三隻同盟に流した嫌疑が掛けられていた。
その為、現在ロアノーク隊で運用している三基の生体CPUには、ホアキン隊に配備されている旧世代の生体CPUと同等の強化処置を行った上で、ロドニア研究所から持ち出した特殊な洗脳装置を用いて、日々記憶の操作が行われていたのである。
一見無数のコードに繋がれた睡眠カプセルのようだが、一度使用しただけでラウを数ヶ月間に渡って自らをネオ・ロアノークだと思い込ませていた強力な洗脳装置──まずはこの装置の魔の手から、彼女達を解放する必要があるとネオは考えていた。
「我々を欺き、自由を手に入れた裏切り者と、そのパイロットと幾度となく死闘を繰り広げた元特務隊。──この私とて、正面から戦えば不覚を取ることもあるだろう相手に、記憶が欠落した不完全なパイロットなど通用するとは思えない」
その“揺り籠”と呼ばれた特殊な睡眠カプセルの中で、ゆらゆらと夢の中を漂っていたカナードの意識の欠片は、その残酷な言葉を素直に受け入れていた。
旧式の機体で私と互角に渡り合った裏切り者と、その裏切り者と互角に渡り合い、昨日もアウルとスティングを一蹴した元ザフト兵。
奴らは間違いなく成功作で、私はただの失敗作。
自分の内に存在している陰鬱な感情が、朧気に浮かび上がって来るのをカナードは感じていた。しかしそんなカナードの感傷的な思考を、長髪の男は否定した。
「この3人は優秀だ。特にパルス中尉は、あの2人に匹敵する潜在能力を秘めている。ただ、その才能を眠らせているだけで」
「それは……分かっていますが……」
カナードは頭に取り付けられた装置を外し、長髪の男に手を伸ばして何かを言おうとした。しかし装置によって意識と肉体が完全に切り離されていたカナードは指先一つ動かせず、カプセルの中で僅かに身体を揺れ動かしただけだった。
「上からの言い付けを守って敗北を繰り返すか、それとも危険を承知で“揺り籠”の使用を中止するか……。どうやら重大な選択を迫られる時が来たようだな」
「……何にせよ、機体の修復が完了するまで戦闘は無理です。何か問題が発生するまで、3人のメンテナンスは中止しましょう」
「無理を言ってすまんな。……私も随分と悪い男になったものだ」
長髪の男の声を聞き、カナードの意識は再び暗黒に呑み込まれた。
今までは一度眠ってしまえば、すぐに薄れてしまう筈の激しい感情が何度も浮上しては、やがて奥深くに沈んでいった。そしてカナードは記憶の奥底に固く封印されていた、遠い過去の光景を見始めた。
「──君が、カナードか?」
まるで獲物を発見した捕食者のような不気味な気配を漂わせた仮面の男から知らされた、自分は×××××の失敗作であり、この世界の何処かにその成功作が存在するという事実。
そして成功作の予備として──成功作に準ずる性能を検証するため、自分は数多の命を犠牲に生を授けられたらしい。
深い絶望で全てが灰色に見えていた世界で、突然男から深い憎悪の感情を与えられたカナードは、誰かと戦っていた男の気配を感じなくなるまで必死に逃げ出した。
逃げて、逃げて、遠くまで逃げ続けて、その逃避行の果てがこの最悪な結果だ。あの裏切り者は自由を手に入れた鳥で、自分は首輪を付けられた犬だとカナードは強く感じた。
叫びたくなる様な絶望感と共に現実感が突如湧き上がり、カナードは意識の完全な覚醒を感じた。起き上がると両脇の睡眠カプセルには見慣れた顔の少年達が微睡んでおり、カナードは微かに安堵感を抱いた。
「か、かあさん……」
「アウルの奴、まーた寝惚けてやがる。……どうした、カナード?」
「……なんでもない」
立ち上がったカナードはスティングに返事を返すと、この“メンテナンス室”の片隅に設けられた洗面台に向かった。カナードの存在を感知したセンサーは勢い良くぬるま湯を流し、バシャバシャと音を立てながら顔を洗ったカナードは、スペースに手元のバッグから取り出した無数の私物を並べ始めた。
その異様な光景を見たスティングとアウルは僅かに顔を歪め、カナードは得意気に微笑んだ。
「しまった。占拠されちまった」
「油断するな。朝の洗面所は戦場だぞ、二人とも」
「それはカナードだけじゃない?」
用意されているタオルで水分を丁寧に拭き取ったカナードは化粧水を手に取り、自らの白い柔肌に塗布した。
そして睡眠カプセルの中でうんざりしている2人を横目に、さらにバッグから美容液、次いで乳液を取り出すと、カナードは入念にスキンケアを始めた。
薄化粧を施し、長く伸ばした黒髪を櫛で整える中、カナードは自分の記憶は何かが狂っているのだと理解し始めていた。
この“カナード・パルス”はロドニア研究所で生体CPUとして製造された失敗作で、組織を裏切った生体CPUの成功作“クロト・ブエル”に憎悪を抱く者の筈だ。
だが互いに相手の事を思い出せないという事実は、カナードが自らの記憶に違和感を抱かせるには十分な理由だった。
深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているという。
自らの不可解な記憶について、これ以上考えてはいけないという根源的な忌避感がカナードの内に湧き上がっていた。
しかし私は全てを知らなければならない。たとえ、私が何者だったとしても。
「……今更だけどさぁ」
「あぁ。ちょっとは恥じらいが欲しいよな」
まるで患者衣の様なガウンを脱いで下着姿になると、カナードは自らの豊かな肢体から視線を逸らす2人を尻目に、ハンガーに掛かっていた桃色の軍服に袖を通した。
〈38〉
椅子に腰掛けたまま目を見開き、キラはモニター画面に表示されている“ソレ”を見つめていた。
どこか埃っぽい匂いと、消毒液の様な匂い。そしてそれを塗り潰す程の圧倒的な死の匂いが、キラの鼻腔を刺激していた。
キラは頭を振り、身体の内側から込み上げる吐き気を懸命に抑えた。隣で面白そうにモニターを見つめている少年の存在がなければ、今すぐ叫び出してしまいそうだった。
「……」
先日ボスボラス海峡で行われた連合軍とザフトの戦闘に介入し、両軍を撤退させた“歌姫の騎士団”はボスボラス海峡を越えた先──マルマラ海に面している港町の程近くに存在するロドニア山脈の麓に存在する、地球連合軍とブルーコスモスが共同で生体CPUの実験・製造を行っていた研究所を調査していた。
何故なら先日の戦闘で、2年前に壊滅した筈の“ロドニア研究所”の出身者と思われる者達がファントムペインの一員として、戦場に現れたことが判明したからだ。
ヨーロッパ戦線の劣勢を受け、この地からは地球連合軍の大規模な撤退が行われたため、研究所に防衛部隊は存在しなかった。
研究所は一見壊滅状態だったが、クロトの予想通り地下設備は密かに生きており、小規模ながら“生体CPU”の製造は地球連合軍撤退の直前まで続いていたようだった。そして放棄する際に内部で被験体の反乱があったらしく、あちこちに大小様々な亡骸が転がっていた。染み付いた濃厚な血の匂いは、その反乱の壮絶さを物語っていた。
「はは、僕じゃん」
被検体“B-10”──通称“クロト・ブエル”。
少年は自身が“GAT-370”の生体CPUとして、復元したデータベースにアクセスさせたモニター画面に簡単な生体情報と共に表示されているのを見て、心底楽しそうに嗤っていた。
部屋の片隅に並んでいる、容槽の中で薬液に浸けられていたり、電極に繋がれたまま朽ち果てている無惨な子供達の亡骸は、コロニー・メンデルの最奥で見た凄惨な光景を思い起こさせた。
しかし優れた存在を造りたいという人類の夢──その暴走の果てがコロニー・メンデルであるとすれば、この研究所は真逆だった。
何故ならその
「僕のアクセス権がまだ生きてるとは思わなかった。……といっても君がいなかったら、何の意味もなかっただろうけど」
キラはこの研究所のメインサーバーにアクセスし、撤退の際に破壊されたと思われる詳細なデータの復元を行っていた。
本来であればハッキングには相当の時間を要する筈だったのだが、幸いにも生体CPU“Bー10”のアクセス権が生きていたため、そのアカウントを管理者と定義付けることで大幅な時間短縮に成功していた。
持ち込んだ大型のデータディスクに復元したサーバーの情報を取り込みながら、キラは室内を散策していたクロトに話し掛けた。
「どうしてここに?」
「さぁね。物心付いた時から、僕はここにいた。多分両親に捨てられたんだと思うけど」
「両親?」
「顔も名前も知らないけどね」
まるで自然なことの様にクロトは答えた。そんなことをいちいち考えても、何の意味もないだろうと示すように。
「開戦直後、遂に研究所は生体CPU製造に踏み切った。世界各地で快進撃を続けていたザフトに対抗するためには、生体CPUの存在は必要不可欠だと考えていたからね。幸か不幸か、エイプリルフール・クライシスの影響で被検体の確保には困らなくなったし」
ザフト軍の導入した人型戦術兵器“モビルスーツ”は、一般的なナチュラルを遥かに凌駕するコーディネイターの能力と相俟って圧倒的なキルレシオを誇っていた。
そんなザフトに対抗するため、研究所は脳内や分泌腺内にマイクロ・インプラントを埋め込み、人工麻薬“γ-グリフェプタン”を投与することで絶大な身体能力を獲得した戦闘特化型の生体CPU“ブーステッドマン”の製造を開始したのだった。
従来の歴史においても驚異的な成果を挙げたクロトだったが、逆行したことで対モビルスーツ戦の経験値を獲得していたクロトの能力は、あまりにも目覚ましかった。
その結果、試験的に投入されたグリマルディ戦線で圧倒的な戦果を残し、従来よりも早い段階でアズラエルに目を掛けられたクロトは再改造を受け、寿命と引き換えに更なる能力を獲得すると共に、本来存在しない6番目のG兵器“
「後は君も知っている通りだ。……地球連合軍とザフトが
「そこまでして、いったい何をするつもりだったの?」
ケラケラと嗤うクロトに対して、どうも変な話になったと思ったキラは以前から抱いていた疑問を口にした。クロトの語るあまりにも虚無的な言葉と、実際に起こした行動は矛盾している様に思えたからだ。
「一週目の僕は気付いたら仲間は全滅してて、ドミニオンはアークエンジェルに討たれた。三隻同盟は僕達の殲滅に夢中だったから、たぶん地球も滅んだんじゃないかな? ……それでもやっと楽になれたと思ったら、またここに戻って来たって訳だ」
クロトはこれがゲームだったら最悪のリスポーン地点だろ、と笑いながら独り言ちた。
「僕は全てが憎かった。こんな世界は滅んだ方がマシだと、その為に僕は戻って来たんだと思っていた。……放っておいてもザフトが地球を滅ぼしてくれるだろうから、僕はプラントを滅ぼすつもりだった。君と出会うまでは」
「……」
キラは沈黙した。自分がクロトに救われた理由が、思わぬ偶然の積み重なりであることを告げられたからだ。
あまりにも非現実的な仮定ではあるが、何かの偶然でキラが男性として造られたなら、この世界を滅ぼそうとしたクロトの暴走は止まらなかっただろう。万が一暴走を止めたとしても、クロトを救うために努力することはなかっただろう。
本来の自分はとても怠惰で、自らの能力を積極的に伸ばす事を嫌っていたのだから。
「これからどうするつもりなの?」
再び操作を行い、別の情報を取り込ませ始めたキラは訊ねた。クロトは僅かに目を伏せると、周囲の亡骸達を見ながら答えた。
「あの子達を解放する。……それは、僕にしか出来ないことだ」
両軍の戦闘に併せて武力介入を行うことで、共倒れを狙う。無論、武力介入という行為自体は非政府組織“ターミナル”の意思であり、カガリの意思であると言えども、本来正当化すべきではないのだろう。
しかし、このまま再び始まった地球連合、プラント、そして遂にオーブも巻き込まれてしまった戦いを指を咥えて見ている訳にはいかないというのは、決して独善的ではない筈だ。
また、世界各地で地球連合軍の大部隊を打ち破り、快進撃を続けているザフトに対抗する為、地球連合軍は再び第二のクロト、あるいはそれ以上の存在を造り出すかもしれない。一騎当千のザフトに対抗する為には、生体CPUしかないと考えてもおかしくないのだから。
そして戦場で対峙した“ファントムペイン”──戦うことが唯一の存在意義で、戦いから逃げ出すことすら許されない子供達を救うために、クロトは戦うことを決意したのだ。
まず決める。そしてやり通す。ラクスのよく言っている、何かを成す為の唯一だろう方法をクロトは実践しようとしていた。
かつて生体CPUとして造られ、世界を憎悪した末に自由を手に入れた自らの存在証明を賭けて。
「分かった」
いつの間にかキラは、自身を蝕んでいた吐き気が治まっているのを感じた。そして震えている少年の掌に、自らの掌を重ねた。
〈39〉
それは先日ザフトの勢力圏に落ちた都市の中心部分に存在する、とある高級ホテルのバーだった。
カウンターの端では黒い髪を伸ばした陰気な男が一人、目の前のマティーニをそのままに、店内のBGMを聞き流していた。男の名はギルバート・デュランダル──悪逆非道の地球連合と戦うプラントの若き指導者である。
しかしそんな大物政治家がまさか護衛も連れず一人でバーにいるなど想定外なのか、バーテンでさえ男が注文を終えてからは話し掛けるのを避けていた。
そんな男の傍らに、金髪の青年が近付いてきた。
「待たせたな」
金髪の青年は軽薄な素振りで男の隣に座ると、緋色に輝くサングラスを外してバーテンにスコッチをロックで頼んだ。バーテンは氷を落とした酒を青年の前に置き、青年は一息に飲み干すと二杯目を頼んだ。
「ようやく連中の足取りを掴めたようだな」
「ええ。わざわざミネルバを遠征させた甲斐がありました」
急速に求心力を失いつつあるジブリールが自身の手駒として動かせるのは、ロゴスに所属している非正規特殊部隊“ファントムペイン”を除けば、ジブリールがその権勢拡大を支援したセイラン家が軍事を司っているオーブ軍のみである。
インド洋を越え、ガルナハン要塞を攻略したミネルバの活躍で、地球連合軍は黒海付近の制海権を喪失した。既に後戻り出来ないジブリールは同盟を盾にオーブ軍を派遣させるだろう。
そしてジブリールがオーブ軍を対ザフト戦線に引き摺り出せば、何処かに潜伏している“歌姫の騎士団”も戦場に姿を現す。青年は全てが自分の読み通りだと嗤った。
「だが、あの歌真似しか芸のない馬鹿女のお守りで私は動けん。さっさと“コンクルーダーズ”の準備を急がせろ」
未だ世間にその名を知られていないが、遺伝子上は“アスラン・ザラ”に匹敵する戦士の才覚を持つ者達を選抜し、結成準備を進めている特殊部隊“コンクルーダーズ”。
インパルスの運用実績を踏まえ、本来ザフトが目指していた万能機を目指して開発が行われた統合兵装システム試験運用機“
「分かっております。……しかし、何故それほど急がれているのですか?」
上手く運用すれば、国を墜とすことも可能な部隊をたった一人を確保する為に差し向けるという青年の不可思議な言葉に、デュランダルは素朴な疑問を口にした。
「ふん。見た目はともかく、この肉体の寿命もそう永くないというだけの話だ」
「……貴方は一体?」
青年は冷たく微笑んだ。それは眼前に差し出された二杯目の酒に浮かぶ氷の様に冷たく、そのグラスを割った時の鋭さを感じさせる笑い方だった。
「何処ぞの似非坊主が“運命の子”などと名付けた小僧の肉体を媒体に、貴様もよく知る“アル”を再現した存在だと言っておこうか」
理解が及ばないデュランダルを余所に、アルを再現した存在だと名乗った青年は二杯目を飲み干した。
という訳で例の御方の正体は“プレア・レヴェリー”を素体にした“アル・ダ・フラガ”のカーボンヒューマンでした。
レイが正体に気付かないのは、ビジュアルにプレア要素が混合されているからですね。
ところで本作のイアン・リー少佐はもう一人の副官として、ロアノーク隊に同行しています。こっそり揺り籠の封印に加担させられてるのは内緒です。
カナードちゃんが女子力を見せ付ける一方、キラちゃんはかれぴっぴの実家訪問だぁ~!
原作のロドニア編とは異なり、本作は生体CPUが主人公なのでメンデル編に相当する重要性がありますね。