〈72〉
クロトはキラとともに、ミナの秘書であるフレイ・アルスターが退出した作戦室に足を運んでいた。人払いが行われてがらんとしたその部屋では、防衛部隊の配置や再編成などの戦術的な作戦だけにとどまらず、オーブの置かれた状況を覆す為の戦略的な作戦会議が行われているようだった。
先程カガリが報道機関を通じて行った、停戦を訴える呼び掛けは黙殺された。
同盟軍は作戦目標であるロード・ジブリールの身柄を押さえることが出来ず、反対に国防軍はその身柄を引き渡すことが出来なかったからだ。日が明ければ同盟軍と国防軍の戦闘が始まることは誰の目にも明白な状況だった。
互いに大きな犠牲を出してしまった以上、もう後戻りは出来ない。どちらかの軍が完全に敗北するまで“オペレーション・フューリー”は続くのだ。
「なるほどねぇ。……上手くいけば、ジブリールを捕まえるまでもなく同盟軍を壊滅させることが出来るかもしれないね」
ラクスの言葉を聞き、クロトは半分呆れたような口振りで頷いた。
わざわざ仮面で素顔を隠して司令部に足を運び、いったい何を話すというのか。そう思っていたクロトにとって、ラクスの考案した“
かつてプラントで治療を受けていたキラに、当時クライン派が強奪する準備を整えていたフリーダムを託したのはラクスの発案だという。
キラがパイロットとして、また医学者として優れた才能を有しているように、ラクスも歌姫というだけでなく、戦略家としての才能を有していたのだ。
大局的には、国防軍の敗北はほぼ確定している状況だ。このまま戦いを続けても敗北を先延ばしにしているに過ぎない。そんな状況を覆す可能性があるならば、相応のリスクは覚悟するのが当然だろう。
何より自身がその秘策のキーマンであることがクロトは愉快だった。理論上キラでも代役は務まるだろうが、作戦の成功率が激減することは明白だった。
ヘリオポリスでザフトの襲撃に巻き込まれ、クロトはレイダーと共に逃れられない運命に抗い続けた末に自由を手に入れた。それは本来の世界線では生じなかった筈の悲劇を引き起こし、更なる争いの火種を産み出すだけではなかったのだ。
極秘で行われたブリーフィングを終え、カガリが皆に言った。
「では、以上で解散とする」
建前上、現在クロトはオーブ軍の志願兵である。地球連合軍での最終階級が中尉だったことと、今までの功績を踏まえて三佐の階級を与えられている。しかし連合軍に所属していた時代を含め、正規の軍事訓練を受けている訳ではなかった。
もちろんクロトもモビルスーツの操縦、白兵戦、情報処理など必要最低限の訓練は受けている。しかし偽名とはいえ正規の手順で一尉の階級を与えられ、今回も司令部の防衛隊長に任命されたアスランとは異なり、オーブ軍の指揮を取ることは出来ないのだ。
必然的に単独、あるいはキラと共同での遊撃が唯一無二の役割である。戦略面での情報共有さえ終了すれば、戦術的な内容を頭に叩き込むことよりも明日に備えて休息を取ることが重要だった。
「最後に、明日は今日を上回る激戦になるだろうが、宜しく頼む」
オーブ軍にとっては指揮系統の混乱を突かれ、一時は司令部付近にまで迫られる事態に陥っていたが、あくまで威力偵察の範疇だというのがミナの見立てだった。
ジブラルタル基地から唯一参戦したミネルバの誇るデスティニー、インパルス数機こそ戦場に姿を現したものの、その僚機であるレジェンドは未だ姿を見せていない。
鹵獲したファーストステージの未完成機にセカンドステージの技術を取り込み、その他様々な勢力が開発した最新技術を盛り込むことで、バッテリー機としては最高峰の戦闘能力を有しているストライクレイダーだが、それでもハイパーデュートリオンエンジンを搭載しているサードステージを相手取るのは容易ではない。
それに同盟軍を退けたとしても、オーブ軍が壊滅しては何の意味も無い。現実的には明後日の朝を迎える前に““
唯一オーブにとって幸運なのは、同盟軍を離脱した大西洋連邦軍が未だ十分な戦力を維持していることである。
ジブリールに政争で敗れてブルーコスモス盟主の座を譲ったとはいえ、アズラエルはプラントの一人勝ちを許容する様な人間ではない。デュランダルもオペレーション・フューリーの成功と引き換えに、ザフトが大損害を受けるような事態は避けたい筈だ。
「本当にそれでいいの?」
キラは作戦室を退出し、停泊中のイズモに戻ろうとしていたクロトを捕まえた。
かつて二人が同棲していた研究所は代表首長を攫ったテロリストの住居と認定され、未だ正体不明の特殊部隊に破壊されたまま放置されていた。今もオーブ本島には育ての親が住んでいるキラと異なり、クロトの帰る場所は再び喪われていたのだ。
「ちょっと歩こうか」
クロトは曖昧に言葉を濁すと、キラを伴って歩き始めた。
停泊地から少し離れた位置に広がった砂浜には、大小様々なモビルスーツの残骸が転がっていた。そして周辺を見渡せば点在している建物の残骸は、水平線に沈みゆく太陽で紅に染まり、どこか寂寥感の漂うコントラストを形成していた。
それは世界の縮図の様にキラは思えた。
平和。正義。自由。煌びやかな言葉をお題目に掲げる一方で、思い通りにならない者を排除しようとする者達で世界は溢れているのだから。
「なかなか上手くいかないもんだねぇ」
クロトは言葉の内容とは裏腹に、まるでなんてことのないように呟いた。
屈み込んで足下の石礫を拾うと、回転を掛けて投擲された石礫は二度、三度と海面を切り裂き、やがて大きな水飛沫と共に海底に沈んだ。
ラクスの考案した反攻作戦““
キラにはそれが決して最良の手段だとは思えなかったが、他に有効な手段は思い付かなかった。かつてのオーブ解放作戦と同様に、どれだけオーブ軍が奮戦しようと同盟軍との絶対的な戦力差を覆す手段は存在しないのだ。
しかし二人にそんな決断を強いた自分、そしてこの世界を許せなかった。
やはりこの宇宙を覆う憎しみの渦は、誰にも止められないのかもしれない。今までの全ては、何の意味もなかったのかもしれない。
ならば、その集大成である自分に出来ることは何だろうか。
クロトは呪詛を吐き掛けたキラの機先を制するように、ぽつりと口を開いた。
「もしも次があったら、僕はヘリオポリスでクルーゼ隊を討つ」
キラは不意に放たれた言葉に、唖然となってクロトの顔を見た。
「プラントも滅ぼすし、もちろんブルーコスモスも壊滅させる。今の僕にはそれが出来る」
「でも」
未来で起こること。変えられること。変えられないこと。
逆行を経て、より精度を増した知識と強大な力を過去に持ち込むことがどれだけのバタフライエフェクトを引き起こすのか、キラには全く想像出来なかった。
しかしクロトが冗談の類を言っている様には思えなかったし、それを実現するだけの想いを持っていることは理解出来た。
SEED因子に覚醒したクロトであれば、生体CPUの力と相俟ってG兵器を奪ったばかりのクルーゼ隊を討つことは出来るだろう。
G兵器奪取に失敗し、PS装甲とミラージュコロイド・ステルス技術を入手出来なかったプラントは大量破壊兵器の完成が大幅に遅れ、最終的に国力差で敗北を喫するだろう。
そしてプラントが敗北した世界で、その立役者であるクロトが公の場で地球連合軍の内情を告発すれば、ブルーコスモスは民衆の支持を喪って崩壊するだろう。
それは間違いなく今以上に平和な世界の実現を意味する。しかしそれでは、肝心のクロトはどうなってしまうのだろうか。
「君と出会うことはないし、出会うつもりもない。……だけど、そんな世界は嫌だ」
限られた知識。限られた力。
偶然の出会い。偶然の別れ。偶然の再会。
その果てに掴んだ一握りの奇跡を手放すことは、クロトには出来なかった。それは単なるエゴだったが、この救いようのない世界を生きようとする確固たる意思だった。
それは今まで、決定的に欠けていたものだった。
「僕は僕の罪を肯定する。この国を、君を守ることで」
「…………」
やがて二つの影が重なった。それは周囲が闇に包まれるまで、離れることはなかった。
〈73〉
ルナマリアはかつてディアッカ・エルスマンに憧れ、彼が所属しているジュール隊への配属を志望していた。
それは残念ながら叶わなかったが、赤服として士官アカデミーを卒業したルナマリアは卒業を祝う集いの中でジュール隊と話す機会があった。
その中で一つ、ルナマリアの質問に対してディアッカとイザークが口にした意外な返答を思い出した。
今まで戦ったことのある中で、一番相手に回したくないパイロットは誰か。
不作と言われたルナマリア世代とは対照的に、特に傑物揃いと称されたジュール世代の中でも歴代最強と謳われた“アスラン・ザラ”。
あるいは世界を救った大英雄、フリーダムのパイロット。
あるいは元民間人の志願兵と噂されながら、ディアッカ達と互角に戦ったストライクのパイロット。
そんな三人を抑えて彼らが口にしたのは、レイダーのパイロットだった。機体性能が互角であれば、2対1でも3対1でも相手にならない化け物だと。
2年越しに登場したレイダーは確かに手強かったが、敵としては3機のセカンドシリーズを一蹴したアスランや、アーモリーワンを壊滅寸前まで追い込んだロアノーク隊の方が遥かに脅威だと思っていた。
しかしルナマリアは重大な事実を忘れていることに気付いた。
インパルスはシルエット次第で特性を変化させる他、最新式の“デスティニーシルエット”であれば瞬間的な出力はフリーダムを圧倒する性能を獲得するように、ストライクもストライカーパック次第で性能を向上させる。
かつて空戦能力を保有していなかったストライクの性能を装甲面を除いて完全再現したウィンダムが飛行能力を獲得しているのは、その分かりやすい一例である。
一方でレイダーの性能は、前期GATシリーズとして製造された当時と比較しても殆ど変わっていない。
戦争中という特異な状況こそあれど、ザフトは2年に及ぶ第1次大戦の最中でジンからシグー、ゲイツを経て、最終的にプロヴィデンスを製造する程の技術革新が進んだ。
そんな日進月歩が著しいこの世界で、空白の2年間を経て登場したレイダーのパイロットはセカンドシリーズ最強と目されるインパルスと死闘を演じた。
まさしく“悪魔”と呼ばれるに相応しい天才パイロットが、何かの間違いで生きていてインパルスと同等以上の機体に乗り込めばどうなるか。
彼は北極海でシンに敗北し、コクピットを貫かれて死亡した筈だ。そう自分に言い聞かせても反対に虚しく思える程の力が徐々に、確実にルナマリアに迫っていた。
『な、なんなのよアレは……!』
まるで猛禽類が一方的な狩りを行っている様な光景が広がっていた。
クロトはビームガンを連射して逃げ惑うグフを
攻撃を躱されたグフはクロトが展開した大型クローで捕獲され、その中央部から鋭く伸びた
『どうやら外れ籤を引いたみたいね、アーサー!』
同盟軍の主攻を任されたタリア・グラディス率いるオノゴロ島港湾部の攻略部隊は、たった1機のモビルスーツに侵攻を食い止められていた。
それはストライクレイダーの力が圧倒的だったことが要因だった。
モビルスーツの量産化と、その自由自在な操縦を可能にするナチュラル用のOSが普及したことによって自軍と敵軍との撃墜比は日々改善されている。それでもナチュラルとコーディネイターの能力差によって、約1:3程度の数字で停滞していた。
地球連合軍の一部が“ゲルズゲー”“ザムザザー”等の大型モビルアーマーに回帰していたのは、この絶対的な撃墜比を改善する為の試みでもあったのだ。
そんなザフトの中でもエースパイロットに優先して配備されるグフ隊を相手取り、瞬く間に葬り去っていく目の前の現実は、所詮はデュランダルの呼び掛けに応じて勝ち馬に乗ろうとした非ザフト系同盟軍の戦意を低下させるには十分だったのだ。
もちろんそれは1日目の戦闘でも同様だった。
タリアはデュランダルに1日目の状況報告を終えると、指揮下に入った同盟軍の将官達と一晩中作戦会議を行っていた。その中には突如戦場に現れたストライクレイダーの対応策も含まれていた。
そんな十分な対応を練った状況下で昨日以上に同盟軍の足並みが揃わない要因は、ストライクレイダーが先程から仕掛けている心理的な揺さぶりだった。
『お姉ちゃん! アイツ、やっぱりさっきからずっと!』
『分かってるわよ! でもなんで!?』
『そんなのわかんないよ!!』
メイリンの叫ぶような状況報告に、ルナマリアは唇を噛んだ。
ストライクレイダーはウィンダムに接近すると、海に蹴り落として無力化した。一方で見せ付けるようにバビを捕らえ、
クロトは本日夕方に発動する““
ザフト軍は容赦なく撃墜し、反対に非ザフト軍には手心を加える。
こんな露骨なやり方をされるとザフト軍の足は鈍ってしまうし、それを見た非ザフト軍の足も鈍ってしまう。
ビームを反射する特殊装甲を採用し、反射角度を制御することで多数の機体を無力化している黄金のモビルスーツと、その姉妹機と思われる真紅のモビルスーツ。
あるいは奇妙なモビルスーツ隊を率いている新型ジャスティスの方が、実力とは無関係によほどやりやすい相手だとルナマリアは思った。
『私もっ……! 私も赤なのよっ!』
ルナマリアは光の翼を展開し、ミネルバの僚艦であるボズゴロフ級潜水空母の艦橋に
帰投したシンはミネルバに着艦した直後、コクピットの中で気絶していた。
ここ数日睡眠剤を導入しなければ眠れない重度の不眠状態が続いていた中で、ストライクレイダーから複数回に及ぶ強烈な物理攻撃を受けたからだ。
命令とはいえ親友を討ったことと、妹のいる祖国を討たなければならないこと。
そして自らの手で討った筈の人間に、デスティニーに搭載された核原子炉でオーブを汚染したくないからと手加減されたこと。
2年前に妹を連れてオーブから移住し、曲がりなりにもミネルバのエースパイロットとして戦果を上げ続けるなど、無力な1人の少年でしかなかったシンは順風満帆な第2の人生を歩んでいた。そんなシンにとって、現状の全てが逆風だったのだ。
『このぉ!!』
絶叫と共にルナマリアは
『くっ……!』
ルナマリアは背部から延伸式ビーム砲塔を展開し、空中で再加速したストライクレイダーに向かって連発した。だがロゴス軍相手には十分通用したルナマリアの砲撃は、目の前のクロトにとっては牽制にすらならなかった。
クロトはインパルスの進行方向に
たとえ頭では無意味だと分かっていても、回避困難な攻撃が迫り来れば反射的に盾を構えてしまうのが人の性質だ。
まるで戦闘にならなかった。主にアーモリーワンで奪われたセカンドステージの正規パイロットを集めて結成された“コンクルーダーズ”すら敗北している相手だ。
そんな強敵を、専用カラーのザクウォーリアを与えられた程度のパイロットに過ぎない自分が多少気合いを入れた位で倒せる訳がなかったのだ。そして自分は倒されるどころか、再びシンを戦場に戻してしまったのだ。
『ルナ!!』
インパルスを呑み込もうとしていた高出力エネルギー砲を、デスティニーの放った高エネルギー光線が相殺した。空中で衝突した強力なエネルギーは眩い光を放ち、同時に発生した衝撃波は傷付いたインパルスを吹き飛ばした。
タリアの反対を特務隊権限で押し切り、ミネルバを緊急発進したデスティニーは海面に叩き付けられそうになっていたインパルスを抱き留めると、背部から
『よくもルナを!! ルナまで!!』
『ハッ! それが戦場だろうが!!』
無線通信で放たれたシンの叫びは、嘲笑うようなクロトの声で呑み込まれた。激高と共にシンは集中状態に突入し、ミラージュコロイドと光の翼を最大出力で展開した。
『五月蠅い!! ヒーロー気取りの死に損ないが!! 今度こそ殺してやる!!』
クロトは弧を描くように加速し、勢いを乗せて抜刀術の要領で振り抜いたシンの攻撃を斜め上方に飛翔して回避した。シンは全身のスラスターを全開で稼働させ、距離を取ろうとするクロトとの距離を瞬く間に縮めた。
その接近までの短さにシンが違和感を抱いた瞬間、クロトはストライクレイダーを強引に旋回させると対艦刀を抜いた。一度、二度と空中で激しい剣戟を交わし、互いに攻撃を受け止めた体勢で拮抗した。
『お前は俺の……ぐわっ!?』
シンは絶叫すると、両側頭部に内蔵された近接防御機関砲を連射した。
ストライクレイダーの頭部に搭載されている高出力エネルギー砲の発射口を狙い、誘爆を引き起こす為に放った攻撃は肩部からの
強烈な衝撃を受けて一瞬シンの意識が薄れた瞬間、クロトは左腕の対艦刀と右腕の複合防盾で二重に受け止めていた状態から左半身を引いた。
無防備な頭部に斬撃を叩き込まもうとしたクロトの動きに反応してシンは大型対艦刀から右腕を離すと、ビームシールドを展開して攻撃を防いだ。
『インパルスだったら終わってたな!』
『黙れ!! 人殺しのくせに!!』
『侵略者に言われる筋合いはねーんだよ!!』
再度放たれた
『……この反応は?』
再びストライクレイダーとデスティニーが剣戟を交わした瞬間。ミネルバに搭載された最新式の広域レーダーが、南から迫り来る純白のフリーダムを捉えた。
アスランくんが最前線に出ない理由は単純で、歌姫の鎮魂歌はザフトを狙い撃ちして同盟軍のパワーバランスを崩さないとあまり意味がないので、対ザフトに消極的なアスランくんに遊撃役は任せられないってことですね。
でもクロトくんに負担を掛け過ぎると、キラちゃんの不信感が溜まって全てが終わったら駆け落ちしそう。