〈80〉
ミーアはどうやら自分はまんまと罠に掛けられたらしいと理解した。本物のラクスを囮に、ザフトが行った電波ジャックそのものを利用されてしまったのだ。
結局のところ外見ではどちらが本物なのか分からない以上、少なくともザフトの掲げているラクスは偽物だと示すことは、単に告発を行うよりも余程有効な手法だった。
『酷いなぁ。ヤキンで一緒に戦った僕を忘れたの?』
クロトは不愉快さを露わにすると、こめかみに手を当てた。
ミーアは騒然となった空気と、静けさすら感じる視線に包まれた。
レイダーのパイロットはブルーコスモスと地球連合軍が共同研究し、モビルスーツの生体CPUとして製造した少年兵だということが、ミーアの聞かされた全てだった。
少年の言葉はハッタリとは思えなかった。
ラクスの隣で控えている婚約者──アスラン・ザラを差し置いてまで、誰かがレイダーのパイロットを騙る理由などないからだ。
『……お顔までは拝見しておりませんが』
ミーアは辛うじて平静を保ちながら、引き攣った笑顔で切り返した。
とはいえ、この少年がレイダーのパイロットだと分かる者など存在する訳がない。生体CPUの製造には地球連合軍を裏から牛耳っているロゴスも関与しており、その個人情報は完全に秘匿されている筈なのだ。
『だったら僕の名前は? 自分は顔も名前も知らない奴と共闘しましたって言うなら、別にいいけどさぁ』
『…………』
ミーアは答えられなかった。もちろんクロトの名前など知らないからだ。しかし本物であれば当然知っていなければおかしい内容であることは、疑う余地がなかった。
ヤキン・ドゥーエ要塞から大量破壊兵器の第一射が放たれるまで、三隻同盟と敵対関係だったドミニオンが迅速に共闘関係へスムーズに移行したのは、ラクスとクロトが以前から知り合いだったくらいの理由がなければ不自然だからだ。
完全に詰まされている。
仮に上手く誤魔化せたとしても、目の前のクロトが次々に繰り出すだろう問い掛けに、付け焼き刃の知識しか持たない自分が回答出来るとミーアは思えなかった。
こんな、こんな筈じゃなかったのに。
瞬く間に不信感を抱き始めた周囲の視線に、屈辱で震え始めたミーアにクロトは見下すような冷笑を向けた。
『ま、声形は真似出来ても所詮はそっくりさんか。 ……あ、逃げやがった』
カーペンタリア基地から行われていた外部干渉によって、部分的にジャックされていた映像画面が途絶えた。ミーアが更なる醜態を晒す前に、デュランダルは強制的に放送を中止したのだ。
ラクスは一歩前に進み出ると、思わぬ人物の登場に困惑の表情を隠せないマスコミ達が構えているカメラに視線を遣った。
『では改めて、皆様もお聞きされたように彼がレイダーのパイロットです。ユニウスセブンで漂流していた私を救助してくださり、その御縁でヤキン・ドゥーエ要塞の大量破壊兵器を破壊するため、敵味方の境を超えて力添えを頂いた御方です。本来は両軍からお命を狙われておられる身ですし、オーブの方々も複雑な思いはございますでしょうが、今回わたくしの一存でご協力を頂きました』
ラクスに簡単な紹介を受けると、クロトは裏口から足早に退席した。
理屈では納得出来ても、感情では納得出来ないこともある。オーブに大西洋連邦軍のエースパイロットだったクロトを憎んでいる者は相当数いるだろうし、これ以上の騒動が起こることはあまり好ましくなかったからだ。
あくまで会見の主役は同盟軍の非道を訴えるカガリと、公の場に姿を晒すことを決意したラクスの2人である。後ろ暗い過去を持ち、様々な陣営から命を狙われているクロトが無闇に表舞台で姿を現すことは、周囲を危険に晒すことに繋がるのだ。
「やっぱり私も出た方が良かったんじゃ?」
クロトは舞台裏に設けられていた控室で腰を下ろした。
自分もフリーダムのパイロットとして姿を晒すべきだったかと問い掛けるキラに、クロトは曖昧に言葉を濁しながらもきっぱりと否定した。
「いいよ。どうせ向こうは同じ手が使えねーし。こっちは“
フリーダムのパイロットが少女であることは、アラスカ攻防戦やパナマ攻防戦などに参加した一部のザフト・連合兵も把握している可能性が高い。そのため、フリーダムのパイロットだと公言するのは相当の危険性を孕んでいるのだ。
とりわけラクスの偽証が明らかになり、同盟軍に楔を撃ち込んだ状況下でアルが不用意に姿を晒す可能性は低いだろう。
クロトが言及したように、プラントにとって大罪人のラウがフリーダムのパイロットを自称していると指摘することが出来る。遺伝子上はラウと同一人物であるが故に、その反証を示すのは困難なのだ。
ラウが生まれた経緯を思えば、あまりにも皮肉なものだった。
「あー……。そっか」
キラは感心したように頷くと、テレビの音声を上げた。ザフトの電波ジャックで一時的に中断されていたカガリとラクスの演説が再開したようだった。
『私はギルバート・デュランダル議長を支持しておりません。無論、ロード・ジブリール氏も。戦う者は悪くない、戦わない者も悪くない、悪いのは全て戦わせようとする者、死の商人ロゴス。議長のおっしゃるそれは本当でしょうか? 真実なのでしょうか? 我々はもっとよく知らねばなりません。デュランダル議長の真の目的を』
オーブ連合首長国は人道的観点から反ロゴスの立場であり、その証拠として先の大戦終結時から“レイダーのパイロット”など、生体CPUとして製造された身寄りのない少年兵達の保護活動を行っていること。
上記の理由でロード・ジブリールはオーブに潜伏しておらず、ジブリールと対立しているムルタ・アズラエルがパナマ基地で確保した事実を掴んでいること。
オーブは建国の理念に立ち戻り、中立の立場を改めて掲げること。
オーブを侵攻した同盟軍に対し、その理念に則って断固たる対応を取ること。
同盟軍を主導していたザフト軍を除く部隊に対しては、本日をもってオーブ領海域より撤退するのであればその限りではないこと。
同盟軍が発動したオペレーション・フューリーの大義を喪失させ、一連の武力介入に対する釈明を行い、今後の具体的な方針を発表することで同盟軍を分断する。
国家間の戦争とは、単純な戦闘行為を意味するだけではないのだ。
『最後に、わたくしラクス・クラインは心苦しくもクラインの名を捨てることを、ここに宣言させて頂きます』
ラクスの意外な言葉に、周囲がどよめいた。
これが同盟軍を切り崩してもなお、オーブ軍に対して圧倒的優位に立っているザフト軍を内部崩壊させる最後の一手だった。
『わたくしの名を騙る方、わたくしの名を利用する方、わたくしの外面で判断する方々の手で、これ以上クラインの名を汚されるわけには参りません。わたくしはオーブ国民の
自らの名を捨てることを、ラクスは高らかに宣言した。
デュランダルやアルの煽動があったとしても、同じ顔と声だからと安易にミーアの言葉を信じたプラント国民にも、今回の騒動を引き起こした責任がある。
結局のところ今までラクス・クラインとして語った言葉も、その真意も、何一つプラント国民には伝わっておらず、自分達の都合がいいように解釈されていたのだ。
『改めてラクス・ディノの名において、同盟軍にお聞きします。あなた方は何を討とうとしているのか、本当にお解りですか?』
今まで隠遁生活を送っていたクロト・ブエルとラクス・クラインの社会的な死と引き換えに、同盟軍を崩壊させる。
それが“歌姫の鎮魂歌”の正体だったのだ。
〈81〉
オーブ領海付近にて、再攻撃の準備を行っていたタリアは周囲からの激しい追及に悩まされていた。単に特務隊というだけでなく、公私に渡ってデュランダルと付き合いがあると囁かれているタリアに向けられる嫌疑の視線は、同じような立場だったレイを喪ったことで一層強いものになっていたのだ。
「私にだって、何がなんだか分からないわよ!」
「ですが、何らかの解答が得られなければ協力を拒否すると!」
「我々の上官はラクス・クラインじゃないって答えなさい!」
タリアは動揺しているアーサーを怒鳴り付けると、自らも返答を行った。
しかしギルバート・デュランダルがラクス・クラインの偽物を擁立しており、本物がオーブにいるという状況を突き付けられ、次々に周辺部隊が離脱し始めた。
元々同盟軍はラクス・クラインの威光を一身に受けていたデュランダルの呼び掛けによって、反ロゴス・反地球連合の一環として集まった半端な同盟関係である。
最重要標的であるロード・ジブリールを含め、ロゴスを構成している主要メンバーの大部分が身柄を抑えられた以上、ロゴスは崩壊したといっても過言ではない。
そんな中で大西洋連邦が連合から離脱し、デュランダルの正当性が著しく低下した今となっては、唯一反ロゴス運動に因る世界経済の崩壊から免れたプラントに付き合って戦力を浪費するよりも大西洋連邦の侵略に備える必要があるのだ。
「南アメリカ合衆国軍、全軍撤退するとのことです!」
「そんな……」
元々クライン派に所属する一介の遺伝子学者に過ぎなかったデュランダルの支持基盤は、ラウと個人的な付き合いがあったこともあり脆弱なものだった。
かつて大本命のユーリ・アマルフィを抑え、デュランダルが議長に選ばれたのは優秀なブレーンと、ラクスの支持を得たからだと噂されていた。しかし実際にはそのラクスは偽物であり、本物のラクスはプラントを完全に見限ってしまった。
結果としてオーブが連合軍と同盟関係を結んでいたという事情はあるにせよ、ザフトが不確実な情報で同盟軍を煽ってオーブを侵攻した事実だけが残った。
沈黙していた大西洋連邦は同盟軍の侵略行為を大いに批判すると、パナマ基地で捕らえたジブリールの引き渡しを拒否すると共に大規模な艦隊を展開した。
ジブラルタルからオーブに向かう最中、急遽進路を変えてパナマに向かわせていた同盟軍の主力部隊が釘付けにされており、新たな戦力の増員は見込めない。
当初の予定通りに夜明けと共に攻撃を再開していいのか、未だ司令部からの返答が帰ってこない状況が続いている。一夜にして情勢は一変してしまったのだ。
「どうしたの、メイリン?」
「はい! 司令部より通信です!」
タリアは騒然とした空気の中で統制を取ろうとするが、メイリンはカーペンタリア基地の艦隊司令部からミネルバに送られて来たメッセージを読み上げた。
「“ミネルバは迅速にカーペンタリアへ帰投されたし”とのことです!」
「ジブリールはパナマなんでしょう? どういうことなの?」
ますますタリアはデュランダルの意図を計りかねた。
ジブリールの身柄を確保することが至上命題であり、だからこそ不確実な情報ながらもデュランダルはオペレーション・フューリーを発動させたのではないか。これではまるでオーブを侵攻すること自体が目的だったようではないか。
「詳細は不明ですが、月の連合軍に不穏な動きがあるとのことです。パナマ基地はミネルバ以外の部隊で対処すると」
「……分かったわ。私達は上の言葉を信じて戦うだけよ、いいわね?」
タリアは自分に言い聞かせるように言ったが、酷く空虚な言葉に思えた。上の言葉が偽りであれば、それを信じて戦うことは果たして正しいのか。
何にせよ亡夫と息子を裏切り、今もデュランダルと関係を続けている自分にそれを問う資格などないと思いながら、タリアはオーブ領海域からミネルバを離脱させた。
翌朝、ルナマリアは新たな指令を共有するミーティングが終了すると、そそくさと会議室から退出して立ち去ろうとしたシンを追い掛けて呼び止めた。
「シン! ねぇシン! ちょっと待ってよ!」
「なんだよルナ?」
いつになく冷たい声と、深い疲労感を漂わせたシンの表情にルナマリアは咄嗟に視線を逸らした。シンの妹や友人がいるだろうオーブをこれ以上撃たずに済んで良かった、などと呑気なことを言える雰囲気ではなかったからだ。
「え? いや、オーブのラクス・クラインのこと、シンはどう思ってるのかなって」
自分達が本物だと思っていたラクスが、顔と声を似せただけの偽物だったことは重大な事実のようにルナは感じていた。今から思えば“クロト”と名乗っていたレイダーのパイロットは自らディオキアに潜入し、情報収集を行っていたのだろう。
クロトの正体に気付いておけば良かったと思う反面、彼が暴露しなければ自分達は永遠に真相を知らなかったのだろうと思うと、ルナマリアは内心複雑なものを感じていた。
「なんだルナまで、馬鹿馬鹿しい。そうやって俺達を混乱させようってのがアスハのやり方なんだろ」
「で、でも」
混乱も何も、今まで自分達がラクスだと信じていた少女はデュランダルの用意した偽物ではないか。そんなルナマリアの言葉を遮るように、シンは口を開いた。
「本物なら正しくて、偽物なら悪だって言いたいのかよ?」
ラクス・クラインの偽物を用意した議長が悪なら、その言葉を信じて親友を討った自分は、オーブを撃った自分は悪なのか?
考えるまでもない。
今まで平和な世界を目指して戦って来た自分が、唯一生き残ったマユの為に戦って来た自分が、そんな自分を見出してくれた議長が悪である訳がない。
全て自分達を騙そうとするオーブが、議長を貶めるオーブが悪いのだ。
「議長は、あの人は正しいんだ。俺は間違ってないんだ」
「…………!」
ルナマリアは思わずたじろいだ。シンが口にした言葉は、完全に論理破綻しているように思えたからだ。そしてシンは自分の口にした内容の異常さに気付いていないか、あるいは目を逸らしている様だった。
「そんなことより、俺達には考えておかないといけないことがあるだろう。……アイツさえ……アイツさえいなければ……」
シンは呟くように言った。
傍目には快挙に映ったのだろう。数ヶ月前までアカデミー生だったシンが、フリーダムのパイロットと同様に地球連合軍で最強と謳われたレイダーのパイロットが駆る最新鋭のモビルスーツと互角に渡り合っていたのだ。
しかし実際には、デスティニーがハイパーデュートリオンエンジンを搭載しているから不用意に撃てないと好機を見逃されただけだった。もしもあの慰霊碑で出会った半病人の少年がその気だったら、あっさりと殺されていたのだ。
「……シン……」
そこにはルナマリアが士官アカデミーの入学式で出会った、不器用だけれど家族思いな心優しい少年の面影はなかった。
それは底知れない狂気に身を委ねた凶戦士の姿だった。その最後の引き金だったのだろう親友殺しの共犯者であるルナマリアには、咎めることは出来なかった。
〈82〉
同盟軍の撤退が始まったのは、3日目の朝だった。
最終的に大洋州連合などの親プラント国家の所属部隊やレジスタンスの類を除き、同盟軍は事実上の解散状態に追い込まれた。
ジブリールの引き渡しを巡ってパナマ基地で戦闘が行われたものの、明白な形で大義を喪ったザフトの戦意は著しく低下しており、また大西洋連邦軍の新型量産機である“ハーピー”が大規模に投入されたことで膠着状態に陥った。
すんなりアルが引き下がったことに違和感を抱きつつも、大凡はクロトの想定通りに事が進んだ。プラント最高評議会は一連の行動について説明を求めているものの、デュランダルは沈黙を保ったままメサイア要塞に籠城している。
一躍まともに表を出歩けない身となったクロトは素顔を隠しながら、大規模な侵攻を受けることになったオノゴロ島の復興作業に追われていた。
同盟軍の残党を押し付けられる形となったムルタ・アズラエルから猛抗議のメッセージが届いたり、ロゴス崩壊を受けて地球連合軍の体制改革に着手し始めたデュエイン・ハルバートン中将から激励のメッセージが届いたりと、精神的には殆ど休まることのない日々が続いていた。
そんな中、1人集合時間を間違って記憶していたクロトは息を切らしながら、アスハ家が保有している高級ホテルの屋上に設置されたドアを開けた。
「……これがオルガの言ってた唐突な水着回ってヤツか」
「クロト?」
「なんでもない」
黒と赤のシンプルな海パンに着替えたクロトは、恥ずかしそうな表情で薄紫の襟付きビキニを纏っているキラを二度見した。
そういえばキラの水着姿を見るのは初めてだ、とどうでもいいことを思いながらクロトは嘆息した。
「うわー……。すげぇ格好」
「似合う、かな?」
「滅茶苦茶似合ってるけど……。後ろの連中は?」
クロトはキラの影に隠れていた奇妙な3人組に怪訝な視線を向けた。その内の2人はちょうどいいところに来たと言わんばかりに何かを取り出した。
「私はコレがいいと思うんだが、お前はどう思う?」
「さ、流石にそれは……」
赤いハイネック型の水着を大胆に纏ったカナードは、まるで紐のような紫の水着をクロトに示した。確かに魅力的だがそれは
「では、わたくしはこちらをオススメしますわ」
続けてラクスは白いキャミソール型の水着を見事に着こなしながら、紺色のタンク・スーツ型の水着を示した。なぜか白いゼッケンが設けられたそれは、いわゆるスクール水着を連想させるものだった。
「実はこのタイプ、初めてで……」
「?」
キラの恥ずかしがるような顔に、クロトは首を傾げた。
一般的な教育を受けていないクロトはもちろん例外だが、基本的に水泳が必須項目らしいと以前に聞いた記憶があったからだ。
「13歳までは男の子の格好をしてたから、水泳の授業に出たことがなくって」
「あー……」
キラの存在を知ったブルーコスモス、あるいはアルの追撃から逃れる為に、育ての親であるヤマト夫妻は月面都市コペルニクスの幼年学校を卒業するまで、キラを男子として育てていたのだ。
「おい。プールサイドで走るなよ」
「ああ、分かっている」
何処かしんみりとした空気が流れる中、クロトは最後の1人に呆れたように言った。アスランは顔を真っ赤に紅潮させながら、床にぽたぽたと鼻血を溢していたからだ。
不穏な流れですが、まさかの水着会です。
阿井上夫先生からまたも素敵なイラストを頂きました。