〈88〉
月西部に、嵐の大洋と呼ばれる広大な月の海が存在する。
玄武岩で覆われた平原であるこの地は、直径93kmの月面クレーターを有しており、その内部には大規模な都市国家が建設されている。
その1つとしてC.E.10年に建設が始まり、12年に完成。以来約60年に渡り自由中立都市として、今も地球連合・プラントのどちらにも所属していない月面都市コペルニクスは第1次連合・プラント大戦のきっかけである“コペルニクスの悲劇”と呼ばれる爆弾テロ事件が起こった地として有名な都市である。
オーブ宇宙軍は以前からその宇宙港の一部を貸借しており、オーブ本土を離れたアレックス・ディノ准将率いるイズモは係留されていたイズモ級宇宙戦艦3隻との合流を果たした。
付近のデブリ帯に潜伏しているエターナルを含め、単純な戦力では先の大戦で活躍した“歌姫の騎士団”を上回る強大な戦力である。
「怒っているのですか、アスラン?」
「怒ってはいないさ。ちょっと呆れているだけだ。君は自分の置かれた立場を分かっているのか?」
アスランはどこか楽しげなラクスに、苦言を呈するように言った。
今回の任務はメサイア要塞に入ったギルバート・デュランダルの情報収集及び、O.D.Rと共同でこの地に幽閉されているらしい“ラクス・クライン”の救出である。
そんな状況で変装しているとはいえ、本物のラクス・クラインが婚約者を含む少数の護衛で市内を散策するなど正気の沙汰ではない。
デュランダルの連れていたラクスの所在がコペルニクスという情報自体が罠であり、狙いは本物のラクスを誘き寄せて暗殺という可能性も十分考えられるのだ。
本物のラクスが死亡すれば、あくまで一介のパイロットに過ぎないクロトの発言力は大幅に喪われるのだから。
「大丈夫ですわ。アスランはもちろん、他の皆様もいらっしゃるんですから」
「しかし……」
あんな連中が本当に頼りになるのか。反論しようとするアスランの通信機に、店の外で待機していた護衛の声が届いた。
《なんか飽きてきたな。少し離れてもいいかァ?》
《お前……!》
アスランは思わず歯軋りした。
その緊張感の欠片もない怠そうな声の人物はO.D.Rの一員として、オーブ宇宙軍に同行している特殊部隊員のシャニ・アンドラスである。
先の大戦では“フォビドゥン”のパイロットとして活躍し、今もエクリプス1号機のパイロットとしてオーブの表沙汰に出来ない任務を引き受けている少年だ。
《どーでもいいけどよ。いくらなんでもジャンクショップ巡りってのはねーだろ。そんなの面白いワケねーよ》
シャニはうんざりしたように溜息を吐いた。
クロトやオルガと異なり、特定の異性とショッピングをした経験はなかったが、それでもラクスが内心辟易しているだろうことは想像出来たからだ。
ラクスはハロの様な自律ロボットを連れ歩いているが、その整備は基本的にアスランかキラに任せている。ラクスが機械弄りにさして興味が無いのは、本人とあまり接点がある訳ではないシャニの目にも明白だった。
《お前は音楽ショップだろ? 大して変わんねーよ》
同じくO.D.Rに所属する特殊部隊員オルガ・サブナックは、反対側の入口付近に陣取ってジャンク屋に出入りする客の様子を横目で確認しながら言った。
《古本屋のテメーよりマシじゃね?》
《馬鹿か。女連れでそんなコトするかよ。俺なら映画館だな》
《……くだらないことを言ってないで、真面目にしたらどうなんだ?》
ゲラゲラと下品に嗤う二人に、アスランは苛立ち混じりの声を上げた。
キラはジャンク屋巡りを楽しいと言っていたし、ラクスも喜んでくれるハロの材料集めのいったい何が問題だというのか。
「ですがアスラン、わたくしブティックにも行きたいですわ」
「ブティック?」
「ええ。せっかくなのでキラにお洋服をプレゼントしたいと思いまして。キラはどんなお洋服が似合うのか、自分でもよく分からないそうですから」
街を散策しているラクスの護衛に、キラは同行していない。
間近に迫るデュランダル軍との決戦に備えて、クロトはファクトリーで改造を終えた
ジャンク屋のアイデアを元に、エクリプス2号機に搭載されていたニュートロンジャマー・キャンセラーと核エンジンを取り出し、核動力を搭載した“ミーティア改”を搭載することで、ストライクレイダーに戦艦数隻分の火力と機動力を獲得させることに成功したのだ。
同じく唯一の核動力機のパイロットとして、ミーティアの使用者に選ばれたアスランは1週間の訓練でミーティアの技術習得に成功した。しかし空間認識能力・情報処理能力において数段劣るクロトの進捗は大幅に遅れていたのだ。
そこでミーティア対応機に搭乗していないものの、オーブ宇宙軍で唯一ミーティアでの実戦経験を持つキラが先日からクロトに技術指導を行っており、二人はコペルニクスを離れていたのだ。
その代役として、今やピアニストとしても有名なニコルと異なり一般人に素顔を知られていないO.D.Rの2人がラクスの護衛役として急遽抜擢された。そんな2人はアスランにとって、全く手に負えない頭痛の種だった。
「どうですかアスラン?」
「あぁ、いいんじゃないか」
「……。どうでもいいみたいですわね」
「そ、そういう意味じゃ……」
その後アスランはジャンクショップを離れ、程近くに店舗を構えていた女性向けのブティックに足を運んだ。
しかし入籍して以来初めてのデートにも関わらず、生返事を繰り返すアスランにラクスが憤慨を現した瞬間、先行してコペルニクスで調査を行っていたターミナルの工作員から緊急通信が届いた。
それはラクスと同じ声をした少女が、ラクスに助けを求める内容だった。
少女が自らの潜伏場所として示した地点は、偶然にもラクスが足を運んでいたブティックの裏口を抜けたすぐ先だった。その場所は先日ロゴス崩壊の余波を受け、解体工事が中止されたとされる広大な劇場跡地だった。
《ハッ。こんな見え見えの罠に引っ掛かる奴はいねーだろ》
《あぁ。だが放ってはおけない》
《それを見越しての仕掛けだろ。テメーはソイツを連れて船に戻れ。ここから先は俺とシャニでやっからよ》
アスランは目の前の2人が自分に匹敵する戦闘能力を有していることを、今更ながら思い出した。彼等はクロトと同等以上の能力を持ちながら、本来白兵戦においては致命的な古傷を抱えていないのだ。
《いや、このまま援軍を呼ぶ。向こうの狙いが分からない。裏路地で話そう》
現在デュランダルの抱えているラクスに戦略的な価値がない以上、戦力を分散させて各個撃破するのが狙いの可能性も十分に考えられる。そうでなければ罠の存在を示唆したメッセージを送った理由の説明が出来ないからだ。
このまま付近で待機か、あるいは二手に分かれるか。素人であるラクスを除いた3人が意見を交わす中、ラクスは第3の選択肢を口にした。
「この方が呼んでいるのはわたくしです。これが彼女とお会い出来る、最初で最後の機会かもしれませんから」
ラクスを含む4人全員で、少女の示した地点に乗り込む。
それはあまりにも無謀な作戦だった。もはやそれは作戦ではなかった。相手の行動予想を外し、偽のラクスを確保出来る可能性も高い選択肢とはいえ、それは自ら死地に飛び込む暴挙に過ぎないとアスランは思った。
「それはねーだろ」
戦力を二手に分けて片方は撤退、もう片方は指定先の強襲を主張していたオルガも、勇気と無謀は違うとばかりにアスランの意見に同調した。
「俺は面白い考えだと思うぜ?」
一方でシャニはラクスの作戦に賛同した。
懐のホルスターから自動式拳銃を取り出し、両手でソフトに握り込む。敵が待ち構えていると最初から分かっているのであれば、たとえ足手纏いが同行しようと対処する余地は十分あると言わんばかりに。
「馬鹿な! いったい何を考えている!?」
「うるせーな。上司でもねーくせに、俺に命令すんじゃねーよ」
「ありがとうございます、シャニ様」
「…………」
アスランが視線を横に向けると、ラクスに煽てられたシャニに何を言っても無駄だと言わんばかりにオルガは肩を竦めた。せめてニコルを連れて来ればこうはならなかったと思いながら、アスランは大きな溜息を吐いた。
〈89〉
能力至上主義社会のプラントは“目の色が違う”と言われるように、遺伝子調整に失敗したことで捨てられた子供が一定数存在している。
遺伝子調整に失敗し、音楽的な素養を除けば平均的なナチュラルにすら劣る存在として生まれたミーア・キャンベルはそんな捨て子の1人であり、ミーアはプラント政府が管理する孤児院に引き取られて孤独な幼少期を過ごした。
そんなミーアにラクスの影武者としての才能を見出したデュランダルはミーアに接触すると、整形手術を施すことでラクスと瓜二つの存在に仕立て上げた。
最初は婚約者であるアスラン・ザラを追い、プラントを離れたラクスが帰還するまでの一時的なものだという約束であり、ミーアにラクスを辱めるつもりはなかった。
デュランダルの甘言を受け入れなければ明日の食事すらままならなかったのが、ミーアの置かれていた偽らざる現実だったのだ。
やがて生きる為の手段は、いつしか目的に変貌した。気付けばミーアはラクス・クラインの影武者を辞め、ミーア・キャンベルの姿に戻るのが怖くなった。
種族・陣営を超えて愛されるラクスと、無力で無価値なミーア。
デュランダルに違和感を抱いたのは、そんな時だった。ラクスであれば拒否するだろう戦争を煽る言動と、性的で下品な路線変更の指示。
まるでラクスの名を汚すことを望むようなデュランダルの言動に不穏なものを感じていたが、既にミーアは逆らうことは出来なかった。
デュランダルに唆されたとはいえ、ラクスの名を騙って戦争を煽っていたことが明らかになれば、真っ先に破滅するのは実行犯のミーアだからだ。
だからデュランダルの企みに協力する以外に、ミーアに残された選択肢はなかったのだ。
「あたしがラクスだわ! だってそうでしょ? 声も顔も同じなんだもの! あたしがラクスで何が悪いの!」
それに許せなかった。
あれほど欲していたラクス・クラインの名をあっさりと捨てたにも関わらず、今もアスラン・ザラやレイダーのパイロットなど、若き英雄達に慕われていることが。
ミーアは舞台上で孤立したラクスに、手を震わせながら拳銃を向けた。
「名が欲しいのなら差し上げます。でも、それでも貴女とわたくしは違う人物です。それは変わりませんわ」
「違わないわ!!」
ラクスの言葉をばっさり切り捨てると、舞台端から一歩近付いた。
劇場の舞台上に仕掛けていた罠に巻き込まれ、ラクスを庇ってアスランは崩落に巻き込まれた。ここでラクスを確保すれば、今度こそ自分は本物のラクスになれる。
声、顔を同一化した今、彼女の握っている情報を共有すれば、ラクス・クラインとミーア・キャンベルを分け隔てるものなど存在しないのだ。
「わたくし達は誰も、自分以外の何者にもなれないのです。でも、だから貴女もわたくしもここにいるのでしょう?」
ラクスは観客席側から迫り来る鋭い眼光の女性と、彼女が率いている無数の男達に視線を向けるが、まるでそれは些細なことだと言わんばかりにミーアの顔を見据えた。
「あ、うぅ……」
ラクスの口にした通り、どこまで似せてもミーアはラクスではない。
本物のラクスの確保に成功すれば、無用なリスクを背負ってまで偽物に過ぎない自分をデュランダルが生かす理由などあるのだろうか。むしろ真実を知る者として、口封じに殺される可能性の方が高いのではないだろうか。
「貴女の夢は貴女のものですわ。夢を他人に使われてはいけません」
ミーアが抱いていた本当の夢は、両親が捨てたこの顔で、名で、ラクス・クラインの様に偉大な歌手になることだった筈なのに。
やがて男達の1人がラクスとミーアに銃口を向けようとした。やはり偽物に過ぎない自分はこの場で消されるのだ。こんな筈じゃなかったとミーアが叫び掛けた瞬間、舞台袖から放たれた一筋の弾丸が男の額を撃ち抜いた。
「ったく、派手にやりやがるぜ!!」
驚いたミーアが拳銃を足下に落とすと、額に穴が開いた男は仰向けに倒れた。
一網打尽にされるのを防ぐため、時間差を付けて突入したシャニは目にも止まらぬ速さでミーアとの距離を詰めると、首根っこを掴んで床に引き倒した。
激痛で悲鳴を上げたミーアが拳銃を持っていないことを確認すると、突如現れた侵入者に対応しようとした男達に向かって自動式拳銃の引き金を絞った。
たたたたたたん。
まるでマシンガンの連続射撃のような銃声と共に、弾倉に込められていた24発の弾丸全てが解き放たれた。一見無作為に放たれた弾丸は様々な障害物に当たって縦横無尽に跳ね回り、同時に複数人の男達を撃ち倒した。
「ははっ、結構当たんじゃねーか!!」
反対側から飛び出したオルガはラクスの頭を下げさせると、44口径の自動式拳銃を片手で連発した。爆撃のようなとんでもない轟音が周囲に響き渡り、シャニの放った跳弾の雨嵐から身を隠した男達を障害物ごと撃ち抜いた。
「敵は何人だ?」
床に顔面を打ち付けて悲惨な状態になったミーアを横目に、シャニは全弾撃ち終えた銃の弾倉を素早く交換した。
「サ、サラしか」
「使えねーヤツ。──おい、生きてっか!?」
《……あぁ。こっちも危険だ!! 何処かに避難しろ!!》
崩落に巻き込まれたアスランは健在だったが、地下通路に潜んでいた別働隊と遭遇したようだった。
「走れ!!」
叫んだ直後、観客席側から放たれた弾丸が足下近くに着弾した。シャニはミーアを突き飛ばしながら転がるように前進すると、物陰に隠れて距離を詰めようとする男達を牽制するため、振り向きながら拳銃を連射する。
「ドコ見て撃ってんだ!!」
オルガの放った特大の一撃が男達を呑み込み、糸の切れたマリオネットのように手足を吹き飛ばした。物言わぬ姿に変わった男達を率いていた女性は、懐に忍ばせていた手榴弾のピンを抜くと、シャニに向かって投擲した。
しかしシャニはバックステップと同時に温存していた弾丸を1発放ち、投げ付けられた手榴弾を撃ち抜いた。目の前で起こった神業に理解が追い付かないまま、女性は首から上が吹き飛んだ。
亜音速で動き回る複数のモビルスーツを同時に狙い撃てるシャニにとって、所詮生身の人間が投擲した手榴弾の迎撃など容易なことだったのだ。
「ボケッとしてんじゃねー!!」
女性の死に茫然となったミーアを担ぐと、シャニは一息に舞台裏まで駆け抜けた。このまま足を止めて撃ち合えば、数の暴力で圧殺されるからだ。ラクスと共に一足早く控室に逃げ込んでいたオルガは、嘲るような調子で言った。
「おい。余計なヤツを連れて来るんじゃねーよ」
「うるせーな。俺の勝手だろ。つか、一応コイツの救助が任務じゃねーのかよ?」
「それもそうだな」
ぱん、ぱん、ぱん。
地下の何処かで断続的に銃声が鳴り響き、少し遅れて男達の悲鳴と手榴弾が爆発したような音が起こった。遭遇した別働隊と戦闘になったアスランが、目に付いた敵を片っ端から射殺しているのだ。
両側のドアを閉め切って鍵を掛けると、オルガは救援信号を送信した。どこにどれだけの装備をした敵がいるか分からない以上、迂闊に動くよりもこの場にオーブ軍を呼び出して撤退する方が安全だからだ。
「あ、あたし……」
不意に訪れた沈黙に耐えられず、ミーアは涙目でまごついた。先程からミーアとラクスを交互に見ていたシャニは、右手をひらひらさせながら疑問を口にした。
「つーか、そんなにラクスになりたいモンかね?」
ラクスは自分と違って何もかも持っていると叫んだミーアを、シャニは小馬鹿にするように嗤った。それはシャニが以前に通り過ぎたことだったからだ。
「あぁ。
シャニはG兵器の護衛として、クロトと同様にへリオポリスへ向かう候補者リストにその名前を挙げられていた。様々な観点から最終的に選ばれたのはクロトだったが、
「ラクスも同じだろ。いきなり暗殺されそうになるわ、勝手にテメーみたいな奴を造られるわで、どう考えてもメンドーだろ?」
「そ、それは……」
ミーアは沈黙した。
お前は
生まれ故郷のプラントを離れて婚約者と共にオーブに亡命した今も、常に悪意ある者達から命を狙われる日々。
それはシーゲル・クラインの一人娘であり、歌姫の騎士団の中心人物であるラクス・クラインを名乗る以上決して逃れられない宿命だった。こうしてミーアを含めた大掛かりな罠を用意してまで拘束する価値があるのが、ラクス・クラインという存在なのだ。
「俺と違って、テメーにはラクスにも負けねー声があるだろ。……それに」
「……それに?」
「スタイルはお前の方がイケてるぜ?」
「何言ってんだシャニ!!」
いきなりそんなことを言うからお前はモテないんだ、とオルガは叫んだ。
やがて単独で別働隊を壊滅させたアスランが合流すると、直後に係留地から現れたニコル、ムウ、トールの3人に回収されたシャニら5人は全員撤退に成功した。
最後まで主人公の座を争った男はいいこと言うなぁ(適当
エクリプス? 使うまでもなかったですね。
ミーアちゃんの過去は不明なので遺伝子調整に失敗して捨てられた孤児と設定しましたが、少なくとも両親はいなさそうなので多分こんな感じでしょう。