元雄英生がヴィランになったお話   作:どろどろ

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第二話:悪意の申し子

 

「相も変わらず、陰キャの溜まり場って感じだな」

 

 死柄木の牙城――簡素な酒場の内観を眺めながら、朝木は軽薄な笑みを溢した。

 そんな様子が気に喰わなかったのか、唯一の先客は如何にもな不機嫌オーラを出しつつ、不遜な来客を睨み付ける。

 

「……出会い頭に言ってくれる。雑草が粋がるな」

「その雑草の手を借りたいんだろォ? もっと仲良く歩み寄ろうよ」

「歩み寄る? そりゃお前だろうが。……こっちが下手に出れば調子に乗りやがって! この半月間どこをほっつき歩いてた!?」

 

 人の腕を模したマスクを何ヶ所にも装着した男は、嗄れた声で朝木を叱責する。

 冷静を装いながらも激情を隠しきれない死柄木に、朝木の頬が二ィと歪む。

 

「勇さんに怒鳴らないでください、不愉快です」

「……あ?」

「この人は弔くんの奴隷じゃありません。殺しますよ」

 

 ――“殺す”その一言で空気が震え上がった。

 実際、強個性ではないとはいえ、研ぎ澄まされたトガヒミコの殺意は黙過できない危険性がある。しかし、死柄木の力も劣らず凶悪だ。そんな二人が殺し合えば──朝木の見立てでは34手で死柄木の勝利に終わるが──双方に大きな被害が発生するだろう。

 しかし、人格破綻者二人は損得と感情を全く同じレベルで保っている。双方とも平然と殺しをやってのける異常者が故に、危機管理に致命的な欠陥があるのだ。要するに――、

 

「やってみろよ、女。ところでお前の名前は何だっけ」

「…………刺します、今」

 

 爛れた男の細腕と、きめ細やかな少女の白腕が交錯する。

 死柄木は眼前の少女の顔面を崩し落とす為に、トガは眼前の男の首を刺し穿つ為に、互いにそれを可能とする能力とナイフを振りかざし相手に迫った。

 しかし、双方の腕は相手に触れるより先に、空気にしみ込むかのように伸びた黒い影の中に取り込まれ、別の影からあらぬ方向へと屈折して飛び出した。

 

「死柄木、トガヒミコ。双方とも、どうかお鎮まり下さい」

 

 黒霧のワープゲートによる妨害だと気付いた死柄木とトガは、害意の色を僅かに薄くする。

 

「無粋だぞ、黒霧。このガキが売った喧嘩だ」

「……先に勇さんを侮辱したのは弔くんじゃないですか」

「俺のために怒るのはもういいよトガちゃーん。ありがとねン」

 

 朝木は少女の襟を掴み、自身の側に引っ張った。物理的に距離が出来たことで緊迫した空気は少しだけ緩和されたが、先刻まであった一触即発の予感はまだ拭えない。というか、そもそも最初に死柄木の機嫌を損ねたのは朝木ではないか。

 

「……朝木、とりあえず今はお前の謝罪で目を瞑ってやる」

「俺の土下座くらいで王様(お前)の気持ちが治まるのか?」

「はぁ? 土下座? いや、別にそこまでしろとは……」

「プライドないし普通にするぞ、俺。それとも靴でも舐めようか? そうだな……ウンコした直後の肛門を舐めて洗うくらいまでなら、ギリ許容範囲だが」

「や、やめてよ!! そんな汚いよ!!」

「ははは、そうだねトガちゃん。キングトムラのウンコなんてまともな味がしないよね」

 

 そもそも排泄物を舐めるという思考が狂気の沙汰である。ぶっちぎりの破綻者である死柄木とトガがドン引きするレベルだった。つまりどういうことか。今ここに、連合における人間序列最下位が決定したという訳だ。完全に意味が分からない。

 ちなみに言いながら、朝木はキングトムラの語呂をキングギドラと似てるとか思っていた。

 

「俺の存在が気分を害したのならゴメンよ。ただ、わたくしめは存在していたいので許してちょんまげ。今後とも末永くよろしくね」

「……まぁ、良い。ともあれ本題に入るぞ」

(良いのかよ)

 

 この小さな組織で王様の気分の死柄木は、形式ばったコミュニケーションに固執している。しかしあくまで形式だけだ。極論、無礼や勝手を働いても朝木が有能であるうちは、謝罪という過程を踏むだけで関係値は正常に戻る。

 扱いやすい猿は嫌いじゃない──そんな風に朝木に卑下されているとも知らず、得意顔の死柄木は話し始めた。

 

「そろそろ、俺たちヴィラン連合も本格的に動いていい頃合いだ。そこで、雄英を襲撃しようと思う。目的は“平和の象徴”の殺害。作戦の骨組みは俺が作ったから、朝木はそれに肉付けをしてもらう」

「待て待て。お前の無茶を俺が補足するのは今に始まったことじゃないが……その前だ。何て言った? オールマイトを殺すだって?」

 

 今年の春から雄英高校にオールマイトが教師として就任した。元雄英生の朝木には地の利もある。襲撃するのなら時期は確かに適切で、無謀ではあっても不可能ではない。そう咄嗟に朝木が考え至る程度には、理屈のありそうな襲撃宣言だった。

 しかし、普段から肝心な所で奥手の死柄木が、想像もしていなかった行動に移ろうとする心情変化の変遷には、興味を惹かれる。

 

「確認しよう。死柄木弔率いる我らヴィラン連合の目的とは?」

「破壊だ。手段としての破壊じゃなく、目的としての単純な破壊だ。この世の全てがムカつくから、とにかく全部ぶっ壊す。ただそれだけ」

「……ふむ、信念はブレてないのな」

 

 適当のような投げやりな死柄木の返答は朝木に好感触である。

 死柄木は直情型の犯罪者で、行動理念は一貫して自分の趣味嗜好。壊したいから壊すだけ。しかし、『便利屋』なんて異彩を放つ役柄を演じている朝木は、それと対照的な思想犯とも言える。自己嫌悪と似た理屈で、彼は大義めいたものを振り翳すヴィランが苦手だった。

 その点、簡潔な己に対する答えを持ち合わせている死柄木は――愚かしくも愛らしく、憎らしくも微笑ましい、典型的な便利屋の商売相手にして玩具である。何度となく殺意の応酬を重ねても、根本的に朝木は死柄木を気に入っているのだ。

 

「じゃあ何だ、オールマイト殺すのがお前の破壊の第一段階ってか?」

「段階とかは知らないよ。ただ、ふと思った。オールマイトをぶち殺そうって」

「ドでかい破壊なら何でもいいのか? 別にアレだぜ、国会議事堂に核を落とすとかでも俺は良いんだぜ。出来るかどうかはともかく」

「花火遊びの趣味はない。ぶっ壊すのはあくまで俺たちだ。それじゃ悪役は爆弾になっちまう」

「――――満点だよ、弔くん。“答えを持つこと”それ自体が満点以上だ。俺はお前の心に賛成しよう」

 

 ケラケラと薄く嗤う朝木に、死柄木は辟易した様子だったが、乗り気な返答を得られてひとまずは満足といった表情である。朝木の方も、死柄木の期待通りのイカレ具合に喜んでいる。

 トガは朝木の決定に従うため、これで組織の意志決定はひとまず固まった形となった。

 

「ンじゃ、こっちと向こうの戦力を洗う前に、お前の策とやらの大筋を聞こうか」

 

 朝木はカウンター席に居座る死柄木の隣に移動し、そっと彼の肩に手を伸ばす。個性の関係上、朝木は死柄木の五指に直接触れただけで死ぬのだが、接触をまるで恐れない行動力には当の死柄木本人でさえ息を呑んだ。

 

「離れろ。危ねェぞ。……知ってんだろ? 俺の五指に触れた途端にお前は」

「あぁ。だから? 随分みみっちいことに囚われてんな」

「……何だと」

 

 珍しくこちらを案じた死柄木の警告を、朝木は当然のように無視する。

 

「つれないこと言うなよ兄弟。友達と肩を組むことに理由なんて必要かな? お前が望むなら仲直りの握手だってしてやるぜ」

「……。」

 

 沈黙する死柄木は、軽々しく肩を抱く男の腕を撥ね退けることも出来ず、甘酒の入ったコップを呷る。

 

「チッ、馴れ馴れしい奴め」

「んー、お前の悪態も飽きたな。作戦をどうぞ」

「…………この前、戦闘特化の脳無の調整が終了した。それをオールマイトと肉薄させて、どうにか動きを止める」

「それで?」

「あの怪物を仕留める決め手は黒霧だ。ワープゲートにオールマイトの半身を引きずり込み、途中の段階で強制的に“閉じる”。ワープゲートの断裂は空間を分断するから、原理上どんな物質にも防ぎきれない」

「なるほど、それでオールマイトの化物じみた身体も真っ二つってか。確かに武器としては申し分ない」

 

 大前提となる、決定打となる手段の確保は約束された。しかし、それはあくまで最低条件だ。更に計画性が付随しなければ話にならない。

 

「それで、具体的なロケ地は? 予想される状況は? 主演以外の役者は? 舞台設計がまるでない、ってことはまさか無いよなぁ?」

「そこをお前に頼みたい」

「ふざけろ、何だそれ。武器だけ渡されて無謀な作戦で戦地に赴く特攻隊みたいな心境なんだけど、俺」

 

 薄々察してはいたが、肝心の所は朝木に丸投げである。

 死柄木の純粋な破壊衝動――理念とも呼べるそれは、後押ししてやりたいと思うが、最初から最後まで補助するのは『便利屋』の信念に反する。

 仕事人としての朝木勇は、いつだって最終的な結末を、本人の決意と行動に依存するように仕向けてきた。連合に連れ添っている間も、正味の所その行動指針に変わりはない。朝木が計画性の全てを担当したとして、オールマイトを殺せたところでそれは死柄木による破壊と呼べるのだろうか。

 

 答えは否だ。

 

「作戦はお前が立案しろ。それはもはや肉付けとかいうレベルじゃない」

「あ? だったら何の為のお前だよ」

「少なくとも介護の為の俺ではないよな。それとも、俺抜きじゃ何もできないか?」

 

 好戦的な物言いに、死柄木の肩が硬直する。彼は眉を震わせて苛立ちを示す。

 しかし、どんなに脅されても朝木勇が誰かの道具に成り果てることはない。今の彼は組織内で文字通り“道具”として扱われているが、彼自身でその立場を認めたことは一度としてない。

 

「口答えするなよ、人形の分際で」

 

 死柄木は意趣返しのように嫌味ったらしく言った。

 

「……ハッ」

 

 朝木は笑う。

 人形。そう言われた自分に対して冷笑する。

 ──全く、本気で反吐が出る。人間として扱われないことを、どうして自分は屈辱に感じないのか。人らしい温度を日々失っていく自分に、朝木は一欠けらの不安すらも抱からない。

 ただ、受け入れもしないだけ。

 道具呼ばわりされ、命令を受け、強制的に従わされるフリをしながらも、心から受け入れはしないだけ。

 

 朝木は予感する。どうせこの後、ロクでもない奴が話しかけてくるんだと。

 

 

『――弔が久々にやる気を出してくれたんだ。僕からも()()()するよ、勇』

 

 

 ほらでた。

 その声が聞こえた途端に、朝木の身体に痺れるような感覚が走る。意志を捻じ曲げ、精神を束縛する苦痛だったが、抗えないこともない。ただ、無暗に抵抗するとあとが面倒なので、あえて全身を流れる電流に身を任せた。

 

 ふと、朝木は声のした方を見やった。

 設置型の薄型テレビの向こう側で、きっと声の主は笑っている。

 

「よう、ジジイ」

「……先生」

 

 朝木と死柄木の反応は真逆だった。方や侮蔑の目と、方や羨望の眼差し。

 

「嫌だなぁ。あ~嫌だ嫌だ。アンタには敵わないなぁ。そう言われたら従うっきゃないじゃん」

『悪く思わないで欲しい。これは僕にとっても勝算のある賭けなんだ。オールマイトは現在弱っている』

「……へぇ?」

 

 先生の言葉に、朝木が訝しげな相槌を返した。オールマイトが弱っている――というのは情報としては重要だが、ぶっちゃけどうでもいい。人間なんて弱体化するのが当たり前だ。考慮すべき情報も、わざわざ驚くには値しない。

 ただ、気になったのはその前の文言。

 

(――コイツが、わざわざ勝算を()()()()ってことか? そりゃつまり、他らなぬジジイが、初めて俺に見せた“欲”だ。

 ……気付いてるかい、オール・フォー・ワン。欲ってのは弱点だ。それとも、俺に弱みを見せても怖くもなんともないってかい。だとすれば、そりゃ勘違いですことよ。お前の朝木勇(ラブドール)は想像以上に反抗的なんだ)

 

 朝木の不吉な思考と同時に、先生は弁を強めた。

 

『それに、君だって本当は乗り気なんじゃないかな?』

「何で?」

『だってさぁ、ほら……フフフ、雄英高校と言えば、かつて君を裏切った連中のたまり場じゃないか。君は良い復讐の機会を得たってわけだ』

「……復讐、ねぇ?」

 

 実感の伴わない言葉に朝木は肩をすくめる。

 確かに彼の核たる人格は、母校である雄英に向けて忸怩たる思いを持っている。しかし、それを朝木勇が個人的な破壊という形で継承しているかと言えば、別の問題だ。

 

『あぁ、楽しみだなぁ。今の君を見たら、忌まわしきあのヒーローたちはどう反応してくれるんだろう』

「別に。どうとも思わないでしょ。ぶっちゃけ覚えられてるかどうかも微妙だし」

『……ん? おかしいな』

 

 朝木の様子を見て、モニター越しの声に疑念が浮かんだ。

 それを肌で感じ取った朝木は、直感的に身の危険を感じ取る。そして演じた。機械的に淡白で無機質な人工的感情と、生来の情動の狭間で揺れ動くかのような、心の動態の自然体を。

 

『勇。確認するようだが、君は雄英を恨んでいるはずだろう?』

 

 ……にぱぁっ!と朝木の笑顔が咲いた。

 

 

「へへ、勿論! 俺の純朴な夢を潰してくれた諸先生方には、未だに殺意すら覚えてますよ! あぁムカつくなぁ! 恵まれない俺を無視して、順当に夢に向かって進んでる元同級生たちなんて、この手で八つ裂きにしてやりたいと思ってます!」

『ふふ、そうだろう。そうだろう。やはり素晴らしい出来栄えだ』

「あ~、思い出しただけでも腸が煮えくり返りそうになる! この怒りを今すぐにでもオールマイトにぶつけたい気分だ!」

「…………勇さん?」

 

 何かを直感したトガヒミコの不安げな声が、耳に痛かった。

 そっと少女の手が、朝木の手に重なる。殺人鬼のものとは思えない優しい温度を感じ、それを逃さないように朝木も握り返した。

 

『もう誰も、何にも異論はないね? 議論を前に進めよう』

「勿論ですとも。えぇ勿論! 無論最高文句なし! 俺に全部任せちゃいなさい! ただし一つはっきりさせておきたいのがさぁ──オールマイト殺害が目的なのに、何で雄英襲撃なの? 寝込み襲撃の方が可能性高くねーかねーかーーい!?」

 

 朝木はそう言って死柄木に急接近する。信頼し合う兄弟のように身を寄せて、頬が擦れ合うくらい顔を近づける。

 

「……こだわりはあった方がいいだろ」

「そうだ。それでこそ最高の我らがボスだ。無謀無暗無鉄砲上等さ、その意地を忘れずに行け」

 

 及第点と言えなくもない答えは得た。久々に連合のため、朝木勇は重たい腰を上げることを決意する。

 

「レッツ芽吹こうぜ。我ら中身の死んだ腐乱卵──雄英の黄金便器でクソをしよう」

「…………良いな、やっぱ。お前はそうでないとな」

 

 そこにはもはや邪険な空気など無く、それぞれ別種の思惑や願望を抱きながらも、同じ地点を見つめる悪意の申し子たちがいた。

 対立しがちな死柄木も朝木も、矛先を同じくする仲間を演じる内は、互いを睦まじい友のように認識する。

 

 黒い骸がただ佇み、枯れた男がニマリと微笑む。

 腐った少女の傍らで、堕ちた少年は仮面を崩さなかった。

 

 そして、邪悪の権化はそれらに讃える言葉を贈る。

 

 

『──自覚するんだ。君たちは今、美しい程に素晴らしい』

 

 

 マトモな奴なんて、ここには一人もいやしない。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 少女はかつて、この世の全てが敵だと思っていた。

 

 己の望む全てを、世界はおあずけにする。

 第二次性徴期を経て少年少女たちが性の触れ合いに傾倒するように、少女は流血という蠱惑的な現象に焦がれていった。

 

 仮に、好きな男子がいたとする。

 世間一般的な少女は何を望むだろう。 

 彼と手を繋ぎたい。一緒に居て、名前を呼んで欲しい。少しでも長く触れ合いたい。そんな風に願い、胸を弾ませる筈だ。

 

 ただ、トガヒミコの場合は違っただけ。

 

 どうしても、彼の血が吸いたくて吸いたくてたまらなかった。

 

 腹を空かせた子供に、いつまでも無味無臭な栄養食だけで我慢しろと言ったとして、子供の我慢には限度がある。トガヒミコは十分に我慢したつもりだった。ただ、いつかはその限界がくるというだけの話。

 彼の首にストローを刺し、そこから流れる鮮血が喉を通るたび、絶頂のような法悦が少女を啄んだ。

 

 

 “き、気持ち悪い……っ!”

 

 

 小学時代からの友達から。

 

 

 “人の所業じゃありません!”

 “誰か! 誰かあの子を捕まえて!”

 

 

 信頼していた教師から。

 

 

 “お願いだから、普通の子でいてよ……っ”

 

 

 大好きだった母親から。

 

 

 “この──悪魔め!”

 

 

 ずっと頼りにしていた父親からでさえも。

 

 誰もが少女の欲望と生き様を否定し、人間のものではないと断じた。

 価値観の乖離によって、少女は他人から人間だと認められなかった。

 孤独で、寂しく、全てが憎らしく、妬ましい。自分を許さず、何も与えてくれなかったこの世に、形容しがたい憎悪と、求愛を続け、いつまでも誰も答えてくれない現実に少女の心は摩耗していった。

 

 しかし、ある夕暮れ時の路地裏で、少女の人生は変わることになる。

 

 

「こんな暗い場所で、君みたいに輝かしい女の子が、一体何をしてるんだい?」

 

 

 風のように現れた少年。

 そこで恐らくは人生で初めて、少女は温もりの伴った理解の手を差し伸べられた。

 

 

「──そうか。それはさぞ辛かったろう。一人で、ずっと堪えて、頑張ってきたんだね。どれだけ乾いても、他人のためを思って自分を制限してきたんだろう。可哀そうに……」

 

「君と出会うのが遅れて、ごめんよ。待たせて済まなかった。でももう大丈夫。今は俺がいる」

 

「俺はきっと、君みたいな寂しくて一人ぼっちな女の子と出会うために、この世に生まれてきたんだ。だから、もう遠慮しなくてもいい」

 

 

 

「良いんだよ、俺で良ければ。──満足のいくまで、俺で潤っても、良いんだよ」

 

 

 

 脳髄から蕩けるような耽美な声音。

 妖精の皮を被った聖人のような佇まいで、金銀すら塵芥と化す美貌を振りまく少年は、少女の歪んだ情欲を決して突き放したりしなかった。

 

 心と身体の全てを余すところなく、受け入れた。

 

 少女の何もかもを認め、赦し、愛を以て遇した。

 

 そして天国に最も近い場所で、トガヒミコは知ったのだ。

 

 

「私は、あなたと一緒になるために、産まれてきました」

 

 

 自分の人生のスタートは、少年との出会いだった。

 ならば、人生のゴールは、少年との別れになるのだろう。

 

「私トガです。トガヒミコ」

「……あぁ、自己紹介してなかったね。俺は朝木勇。18歳」

「わぁ、勇さん年上です。私、年上の男の人けっこう好きですよ」

「そう? ありがとう。俺も年下の女の子は好みだよ」

 

 好み。

 

 そう言われただけで、全身がむず痒くなる。

 つまりはそういうことだろう。

 出会って数時間で、恋の境地に誘われてしまった。

 

 もう抗えないし、抗う気もない。全てを受け入れてくれた少年の全てを、少女は愛し尽くすと決めている。そして最後には、全部自分のものにしてしまおうと、醜い独占欲も自覚している。

 ただし、それよりも先にまずは返すべきだろう。

 

 それまでの人生が無彩色だったかと思えるほどの彩りを与えてくれた、あの初めての夜のお返しを──。

 

 

 

「──ねぇ、勇さん?」

 

 

 アジトからの帰りの道すがら、少女は異様な空気を纏う朝木の様子を案じた。

 手に触れると、いつになく冷たくて思わず高揚する。

 何を考えてるのか分からない、棘のような雰囲気のこの人も素敵だと。

 

「喉乾きました」

「……ん。コンビニでトマトジュースでも買ってく?」

「やー、もっと新鮮なのがいいです」

 

 逃がさないように朝木の総身に飛びつくと、困ったように笑みが返ってきた。

 

「俺の血は特別な日にしかあげないよ」

「私にとっては毎日特別です」

「暴論だな。……まぁ、それでも事前承諾を乞うようになっただけマシか」

 

 数か月前まで、トガは出会い頭に朝木の首の動脈を狙うほど、彼の血に飢えていた。今も見境なく欲情しているように見えて、実はかなり理性を獲得している方なのだ。

 

「それじゃあ、また俺のために働いてくれるかい?」

 

 福音じみた少年の声に、もうトガヒミコは抗えない。

 

「────はい」

 

 陶酔しきった少女は、もと居た世界が見えなくなるほど、既に堕ちきっていた。

 

 

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