「推薦者、ですか……」
雄英で教鞭を取り始めて数日。校長の申し出にオールマイトは頭を抱えていた。自身の保有する個性『ワンフォーオール』の後継者問題は、既に緑谷出久で終了している。それが今更になって、校長の根津によって蒸し返されようとしていた。
「通型ミリオ。実力は既に一介のプロを凌いでいる。この学校でも指折りの秀才さ。人格の面も君に似通っていて信頼できる」
「……何度も申し上げた通り、私は緑谷少年に全てを託しました。その選択に後悔はありません。彼で良かったと心底思っています。私がこの考えを曲げることはないでしょう」
迷いのない語気で告げる。
確かに、世界中をくまなく探せば、緑谷出久より自身の後継者として適した逸材は存在するだろう。
あの少年は、理想的なまでに凡人すぎる。時に他人のため、無理を突き通す狂気じみた一面はあれど、現実と夢との折り合いで妥協する度量を持っている。現にオールマイトに見初められるまで、自力でヒーローになろうと努力らしい努力をしていたようには見受けられなかった。
だとすれば例えば、最初から妥協を知らない才能人であったり、無個性であっても絶対に夢を諦めるつもりのない者がいるとすれば、絶対に折れることが許されない『平和の象徴』の後継としては最適だろう。
根津から推される通型ミリオは典型的な前者である。体格にも環境にも恵まれ、屈折することなく善良な性格を養い、努力をする才能すら持っている。扱いが難しいとはいえ、凄まじいポテンシャルの個性も保有している。
「『ワンフォーオール』に彼の『透過』が加われば、間違いなくより完成された象徴になるはずさ。通型ミリオならきっと使いこなせる。きっと今度こそ、間違いは起きない」
「……」
──“今度こそ、間違いは起きない”。
すなわち、起きたのだ。かつて、後継者問題について赦し難い過ちを彼らは犯してしまった。
「……そういえば、草壁少年を後継に薦めたのも根津校長でしたね」
懺悔するように呟く。
草壁勇斗。
素晴らしい少年だった。個性以外の全ての才能に恵まれていた。
だからこそ、緑谷出久と比較してしまう。草壁勇斗と比べて、現後継者が遥かに見劣りするという気持ちはオールマイトにもよく分かる。
しかし──、
「──厳しいことを言うようですが、
「あぁ、分かっている。分かっているとも。そんなつもりは毛頭ないとも」
オールマイトの強い語気にたじろぐこともなく、むしろ勢いを増して校長も返す。
「あの時、僕が草壁くんを推したせいで、彼を曲げてしまった。殺してしまった。あの選択はむしろ間違いだったんだ。だからこそ、もう間違えられない。最善の選択に、僕は全労力を惜しまないつもりだ」
自分のせいで起きた失敗だからこそ、逃げることは許されない。責任を感じているからこそ、過度に首を突っ込んでしまうのだ。
根津校長の原動力を察したオールマイトは何も言えなかった。
いいや、もしくは言葉を労して行き着く果ての答えから、目を背けていたのかもしれない。
一人目の後継者──緑谷出久の兄弟子に当たる“彼”を死なせてしまった一員に、自分が含まれているという事実を。
「迷ってくれるなら、今はそれだけでいい」
オールマイトの沈黙の意味を汲んで、根津もようやく引き下がる気になったらしい。
「しかし、覚えておいてくれ。あの草壁勇斗ですら、象徴の重責と強い力の前では醜く歪んでしまうものだと。緑谷くんがそうじゃないと確信できるまで、僕たちは悩み続けなければならないんだ」
「……醜く歪んで、ですか……」
思いを馳せる。
彼が生きていれば、今頃どんな人間になっていただろう。
どんなヒーローになっていただろう、と。
考えて考えて考え抜いて、それでもやはり、彼が悪に堕ちる光景だけは信じられなかった。
「本当に、それで済ませて良かったんでしょうか……」
言葉は、まるでこの世がその答えを与えることを拒否するかのように、空気の重さにすら押しつぶされて、消えた。
当然だ。答えなど出るはずがない。
オールマイトらの疑念の答えを知る当人は、正義の拳に砕かれて、既にこの世を去っているのだから。
◇◆◇
「その昔、『草壁勇斗』とかいう男がいたらしい」
入り組んだ地下迷宮の奥の奥。牢獄のような部屋で、煎餅を貪りながら投げやりに朝木が言った。
何の他意も籠っていないただの呟きかもしれない。しかしペストマスクの対面者はそう感じなかったようで、無視し難い含蓄の気配に気づき、顔を顰める。
「俺ほどじゃないが、それなりに美丈夫だったとか。まぁ既に死んでるって噂だが」
「……オイ、噂も何もお前自身の過去だろ」
対面者の反駁に朝木はケラケラと笑った。
「お前は一度も聞いてこないけど……知りたくないのかい、俺の過去を」
「どうでもいい。既に今のお前の為人は把握している」
「くぅ~~ッ、それはそれで寂しいぜ~~ッ! 俺ってば承認欲と自己顕示欲マシマシのかまってちゃんだからさぁ、多少は興味もってくれなきゃ拗ねちゃうよん?」
「心にもないことをペラペラと……」
「へぇ──優しいな、オバホっちは。俺にまだ『心』なんて機能が残ってるとでも?」
「その呼び方はやめろと言ったはずだ」
朝木に揶揄られる『オバホっち』──改めオーバーホールこと治崎廻は、苛立ちを潰すかのように拳を握る。
「浮浪人の半端者が……あまり舐めた態度を続けるようなら、よく回るその舌に用はない。慎重に言葉を選べ」
「強がるなよ。お前だって俺を利用したいくせに」
言うと、朝木は机の上に並べられた書類の一片を正方形に千切り、口笛を吹きながら鶴を折り始めた。もはや怒りを通り越して心配した様子で、治崎は溜息ごちる。
「……時間は大丈夫なのか」
「俺の監視者の性格的に、あと十五分くらいがリミットかな」
意外に長く見積もっているのは、本心か虚勢の類なのか。人を見る目には長けたつもりの治崎も、朝木の言葉は真実と冗談を選り分けるのが難しい。
朝木勇は監視者がいると言った。そう、彼は常に監視されている。
「俺の体内に埋め込まれた発信機だが、どの国のどの技術にも該当しないオーバーテクノロジーだ。作った奴は変態としか言いようがない。きっと死体を愛でるのが趣味の、恐らくは禿茶瓶だろう。夜な夜なエジソンとかアインシュタインで抜いてるに違いない」
「……完全に知り合いって言い草じゃないか」
「ハッ。でも流石に、この地下300メートルまでは追ってこれないだろうさ」
断定しないのが彼の底意地の悪さだろう。
朝木勇を飼育している管理者たちは、日本の闇を牛耳る覇王と言っても差し支えない巨悪である。この密会を知られれば、朝木はもちろん治崎だってただでは済まない。
治崎はその万が一を考えて、会合の場所を自らの牙城の外に指定していたので、ある意味裏切られても想定内とは言えるのだが。
「オイ! 若の時間を何だと思っている! さっさと本題を話せ!」
「……もういい、音本。噛みつくだけ時間が延びる」
若き悪の才は、逆上しかける部下を諫めた。
浅い付き合いというわけではない。治崎も根っこでは朝木勇の対処法を心得ていた。朝木はこうした摩擦も楽しんでいる節がある。
気楽そうに鶴を折り終えた青年は、軽く伸びをして思い出したかのように呟く。
「そういえば本題だけど……」
「やっとか」
「昨日のプリキュア見た?」
「……まだか」
「ちなみに俺は見てない」
「おい音本、前言撤回だ。コイツに個性を使え」
温和な治崎の限界点は殊の外早く訪れた。
ただでさえ潔癖症な彼が煙臭い地下にまで出向いたというのに、そこで待っていたのは益体のない雑談の嵐。憤慨するなと言う方が難しい。
治崎の狂信者である音本真には『真実吐き』という個性がある。問いかけた相手に強制的に真実を話させるといったものだ。
「若に代わり俺が問う。答えろ、朝木勇。
「やれやれ、早漏が……順調だよ。俺の方がしくじる訳がないだろ。そっちが薬さえちゃんと用意できれば、予定通りに勇者と魔王は潰れる」
「『勇者と魔王』?
同時並行で朝木が別のプランを作っている可能性も加味して、率直な表現を強制する。
朝木は舌打ちを挟んで忌々し気にいった。
「オールマイトとオールフォーワンを同時に倒す我らの計画は恙なく進行中であります! 決行の日取りは二週間後に決まりました! ハイ言った言った、これで満足か?」
真実吐きの個性を掛けられた者は半ば催眠状態に陥り、聞かれた事にのみ正直に答える人形と化す。にも関わらず、朝木勇は悪態めかして言い放った。これも彼の異常な精神性の成せる技なのだろうか。
「カラスみたいな頭しやがって……なァお前、音本とか言ったか。その個性は二度と俺に使うな。言動を縛られる類の個性は大嫌いなんだよ」
「聞かれて不都合な事実でもあるのか?」
「別にないさ。『俺の正体』について以外はな。……その個性を使われたら、俺も何て答えるのか分からねェ。絶対に聞いてくれるな」
「分かった。悪かったな、俺も二度と命じない」
明らかに地雷と判断し、潔く治崎は形だけの謝罪を行う。
根拠はないが、絶対に踏み抜いてはいけないと直感するだけの恐怖があった。普段は見せない朝木勇の顔の下に眠る正体……彼自身すら自覚のない『ソレ』に、触れてはいけないという嫌悪感があった。
朝木は額に滲んだ気持ち悪い汗を拭う。
「こっちは既に準備万端なんだよ。お前からの薬待ちだ」
「そのことだが──」
二人の計画の決定打となる『薬』について、治崎が重要めかして何か言おうとした矢先、朝木の腰に小さな感触が飛びついた。
まだ十代にも満たない矮躯の少女。その顔を見て、朝木は愉しそうに驚いた。
「朝木お兄さんっ! こんにちはっ!」
「……これはこれは、美しいお姫様。ご本の世界からまた迷い出てきたのかな?」
襤褸のようなワンピースの女の子。
両腕と両足は包帯に包まれ、その下からは鮮血が滲んでいる。痛々しい外見をぶら下げながらも、朝木の肌に触れた途端に少女は恍惚の笑みを浮かべる。
「そんなキザったらしい台詞が、よくも反射で出るもんだ……」
ドン引きしている治崎に後で痰をひっかけることを神に誓った朝木は、少女の肉欲をそのまま刺激するかのように、白い柔肌に自分の唇を押し付けた。
「可愛すぎて誰かと思ったよ。壊理ちゃんじゃないか」
「ご、ごめんなさい……迷惑、でしたか……」
「まさか。俺が未来のお嫁さんを疎ましく思うことなんてあるもんか」
十代後半の青年が小学生並の少女に向けて愛を囁く光景は、現行の日本の法律ではギリ違法と合法のスレスレではあったが、良識ある一般人からすれば完全にアウツであった。しかも朝木は少女を抱きかかえると、そのままエッチな部分を普通に愛撫し始める始末である。アウツどころか国によっては電気椅子まっしぐらであった。
「壊理がどうしてもと言うものでな。あまり我儘を言う躾け方はしてないんだが……縛り過ぎて、生産性を落とされても困る」
「ふむふむ。オバホっちもレディの扱い方を心得てきたと見える」
朝木が死穢八斎會に接触するまで、治崎廻による壊理の扱い方は粗雑な束縛でしかなかった。今では双方の計画の要でもある少女だ。見るに見かねた朝木が少々真心を加えたことで、周囲の壊理への当たり方は大幅に軟化した。
少女の包帯を摩りながら、朝木は言う。
「俺が出会わなきゃ、壊理ちゃんは今頃どうなっていたことやら……」
「俺以上の外道がヒーロー面か。笑えないな」
「ヒーローというか白馬の王子様? 的な?」
というか、世界中の恋愛観を持ち寄り偏差値的な基準を設けて評価するなら、王子様どころか朝木勇は紛うことなき女の敵である。
しかしそれを正しく認識するためには、ここに集う誰も彼もが持ち前の眼鏡を歪め過ぎてしまっていた。
「薬の予定量が供給できるかどうかは、今後の壊理の頑張り次第になる。今日ここに来たのは、お前に壊理を鼓舞してもらおうと思ってのことだ」
「……なるほど。切羽詰まってはいるのな」
間に合わないなら朝木がどうにか予定を遅れさせることも出来るが、その場合『連合』との不和は回避できない。少女一人に無理をしてもらうことで遅れを取り戻せるなら、多少の非道を押し付けるのもやむなしだろう。
痛みもしない胸が痛んだフリをしながら、壊理と視線を合わせる。
「……傷が増えたね。痛むかい?」
甘い声に少女の目が蕩けた。
「大丈夫、平気。……でもね、まだ廻おじさんに見られてるとき、変な感じなの」
「怖いのか?」
「ううん。胸がヂクヂクして、嫌なの」
かつて治崎が少女に行った暴力的な抑圧の日々を鑑みれば、現在の優しい生活に違和感を覚えても不思議はない。壊理はあらゆる苦痛に慣れきってしまっていた。
むしろ前のように折檻される日々の方が、悩みとは無縁だったろう。
悩むことも、頑張ることも、焦がれることもない、ただ痛いだけの人生だったろう。
それを決定的に変えたのは──眼前の男。
「あのね。……私は廻おじさんじゃなくて、朝木お兄さんに、ずっとそばにいて欲しい、です」
一世一代の告白に、少女の全身が熱を帯びた。
朝木は憐れむような笑みを慈悲に化かして、愛の温度を錯覚させるように返した。
「嬉しいよ。でも……それは俺が君に言いたかったんだけどな」
「じ、じゃあ……っ!」
「あぁ、今度の仕事が終わったら一緒に住もう。どうせ俺たちはいつか結婚するんだし」
果たす気のない約束を交わす。
どうせ計画が達成されたら、治崎も朝木も互いに用はなくなる。ビジネスで以外顔を合わせることはなくなるだろうし、反故が前提でも全く問題のない口約束だ。
「君がいるから俺も頑張れる。
なぁ壊理──俺と出会ってくれて、
「…………。」
朝木勇はつくづく思う。
彼が出会う以前の治崎廻は、この子の運用方法を致命的に間違えた。洗脳の方向性を見誤った。あの男は他人の心を動かすことは出来ても、子供の心を見抜くことが出来なかった。
ただこの一言だけで良かったのだ。
謝る必要も、脅す必要もない。
ただ『いつもありがとう』だとか、簡単な感謝を囁くだけで十分だった。
朝木はそれを十分以上に捧げて、少女の精神を溺死させただけ。
「じゃあ、今日はこの辺で」
「っ! つ、次はいつ会えますか!? いつ、会いに行けば、いいですか……?」
「う~ん。仕事が立て込んでるから、次がいつかは分からないけど……きっと次は俺から会いに行くよ」
朝木勇はただの一度も少女に何かを強制したことはない。
命令も、お願いすらも。無条件に無償の愛のような何かを与え続けているだけだ。
今回も同じ。しかし、朝木が望むだけの献身を少女が自ら実行することは、その表情を見ただけでもう疑う余地もなかった。
名残惜しさを感じさせながら、おあずけとばかりに朝木は席を立つ。
「──未来のお嫁さん。白馬の王子様、か……」
意味ありげに呟く治崎の声が、自然と朝木の注意を引く。
「お前には恋人めいた付き人がいたと思うが」
「あぁ、トガちゃんのことか。アレは路傍で拾っただけの、使い捨て抱き枕さ。真実の愛はここにある」
失笑しながら、朝木は自分の胸が痛んでいることを実感した。
──トガヒミコを使い捨てと呼称した瞬間、朝木勇のミジンコの脳みそより小さな罪悪感は微かに、しかし確かに刺激されたのだ。
その感情を確認し、満足する。この感情こそが──使い捨ての緊急避難口。
全てを使って全てを達成する。
全てが予定通りだ。
「二週間後にまた会おう、廻」
「魔王の首、楽しみにしておくぞ、勇」
「ふっふ~ん。パーフェクトプリンスな俺様には過度な期待こそが適当だな」
──全ては予定通りに『草壁勇斗の火葬式』へと向かっていた。
次回当たり突撃かな