時空管理局とエルトリア共和国の間でひとまず停戦が合意され、太陽系に潜入していたボラー連邦の辺境巡視艦隊がXV級次元航行艦の放った「アルカンシェル」の光に慄いて本国へ逃げ帰った頃――。
外宇宙からのもう一つの巨大な存在、ガルマン・ガミラス帝国の特使艦隊が、地球連邦宇宙海軍・第三十四哨戒艦隊の先導を受けながら月軌道へと滑り込んできた。
当初、地球連邦政府内では特使を地球本星に迎えての会談も検討されていた。
しかし、地球市民の間には、かつて遊星爆弾で世界を焼き尽くし、地球人類を絶滅寸前まで追い詰めたガミラス帝国に対する根強い恨みと恐怖が未だ生々しく残っている。
デスラー総統が現在の地球に対して敵意を持っていないという事実は、イスカンダル救援部隊に参加した一部の将兵や、彼らの報告を受けた政府・軍の上層部しか知り得ない極秘事項であった。
未だ復興の途上にある地球に彼らを降ろせば、過激派による襲撃や予期せぬ暴動など、特使の身に危険が及ぶ可能性が極めて高い。
その点、復旧がほぼ完了し、造船ドックが活気を取り戻しつつある月面であれば、一般市民の目はなく、滞在しているのは軍人とその関係者のみである。
ガルマン・ガミラスからの特使ジュラが乗る旗艦『デウスーラ・ローザ』を筆頭とする特使艦隊は、誘導信号に従い、月の裏側に位置する極秘ドック――『グラナダ』へと静かに入港していった。
異星の歴史と、差し出された手。
グラナダの厳重に警備された特設会談場。
地球連邦側の特使たちと、ガルマン・ガミラスの特使であるジュラ率いる外交団は、互いに一礼を交わし、張り詰めた空気の中で席に着いた。
沈黙を破り、最初に口を開いたのはジュラだった。
彼女は地球側の外交たちにまずはガルマン・ガミラス建国の経緯を語る。
「私たちガミラスは、イスカンダルでの暗黒星団帝国との戦いを経て、第二の故郷を探し求める放浪の旅に出ました……」
気品に満ちた、しかしどこか父親譲りの威厳を感じさせる声が会議室に響く。
地球側の外交官たちは、一言も聞き漏らすまいと息を呑んで耳を傾けていた。
「終着点の見えない、果てしない旅になる覚悟をしておりました。しかし、銀河系の中心部――核恒星系へと到達した時、私たちはかつての母星ガミラスと、双子星イスカンダルに酷似した二連星を発見したのです。そして、その片方の星には、私たちと血を分けた同胞……『ガルマン民族』が住んで居ました」
「ガルマン民族……」
地球側の外交官の一人が、その名を反芻するように呟いた。
実は地球側は、ボラー連邦の傘下であるリベリア星から亡命してきた女性軍人・クラーラから、ある程度の情報を事前に入手していた。
だが、手の内を明かす段階ではないと判断し、表面上は初めて聞くかのように深く頷くだけに留めた。
「はい。このガルマン民族はガミラス民族と同一の種族でした」
「同一の種族!?」
ガルマン帝国の存在は知っていたが、まさかガルマン民族とガミラス民族が同一の種族である事は今回が初耳だったので、その件については地球側の外交官たちは驚愕する。
「ですが、その星は『ボラー連邦』という強大な星間国家の圧政下にありました。ガルマンの民は不当に迫害され、過酷な搾取に喘いでいたのです。……私のお父様――デスラー総統は、同胞たちの惨状に激しい怒りを覚えられました。すぐさま駐在していたボラー連邦軍を急襲してガルマン星を解放し、ガルマン民族とガミラス民族の統合を宣言されたのです。これこそが、我が『ガルマン・ガミラス帝国』の建国の真実でございます」
「なるほど、そういう経緯が……」
地球側の特使たちは、ジュラの話によってパズルのピースが嵌まっていく感覚を覚えていた。
これまでボラー連邦側からの偏った、あるいは不確定な情報しか持っていなかった地球にとって、この証言は極めて貴重だった。
支配者階級であるボラー連邦からすれば、従属させていた星を「奪われた」と認識し、奪還のために周囲の星々を巻き込んで軍を動かしているという構図がはっきりと見えてきたからだ。
さらにジュラの話によれば、ガルマン民族はガミラス民族の祖先にあたるという。
遠い昔、ガルマン星から一部のガルマンの民たちが故郷を離れ、マゼラン星雲へと移民し、ガミラスを建国した。
その際、当時大帝国であったイスカンダルの傍の星への移住を許されたという歴史的恩義があったからこそ、かつてのガミラス帝国は隣星であるイスカンダルへの直接的な侵攻を頑なに行わなかったのだという。
長年の謎だった彼らの歪んだ崇拝の理由が、ここに来てようやく氷解した。
一通り歴史を語り終えると、ジュラは真っ直ぐに地球の外交官たちを見据えた。
「私たちが今回、太陽系へと赴いた理由……それは、地球連邦に対し、ガルマン・ガミラスの建国を正式に伝えるとともに、地球との同盟、あるいはそれに準ずる外交関係の樹立を提案するためです。私はガルマン。ガミラス帝国総統特使として、その全権を委ねられて参りました」
「なんと……!?」
このあまりにも真っ直ぐな申し出に、地球側の外交官たちの間に動揺が走った。
かつて死闘を繰り広げた敵同士であった地球とガミラスが、対等な外交関係を構築する。
これは地球人類にとって、歴史上初めて「対等な外宇宙文明」と正式な国交を結ぶ契機になり得る、極めて重大な局面であった。
地球が外宇宙への外交を得るための絶好のチャンスであることは間違いない。
だが、安易に手を握って良いものかという懸念が、即座にブレーキをかける。
亡命者クラーラからボラー連邦の冷酷な実態、そしてその底知れぬ軍事力を聞かされている地球側としては、ようやく復興が中途に差し掛かったこの繊細な時期に、ボラーに太陽系の存在を察知され、大規模な侵攻を受けることだけは何としても避けたかったのだ。
「……非常に魅力的なご提案ですが、我々の一存では決しかねる重大な案件です。一度、本国の各大統領および閣僚の判断を仰ぎたく、一時休憩とさせていただきたい」
地球側の申し出に、ジュラは静かに微笑んで応じた。
「ええ、構いません。賢明なご判断をお待ちしております」
席を立つ地球の外交官たちを見送りながら、ジュラはふっと視線を落とした。
彼女は、ジレル人の母メラから受け継いだ高精度な精神感応(テレパシー)の能力を有している。
そのため、会話の裏で渦巻いていた地球側外交団の「内心」を、ほぼ完全に読み取っていた。
(……まさか、ボラーの属国の軍人がこの星に亡命してきているとは。地球の皆様がボラーの名にこれほど怯えていらっしゃる理由が、ようやく分かりましたわ)
ジュラにとってもクラーラの存在は予想外だったが、それを表立って指摘したり、非難したりするつもりは毛頭なかった。
ボラーからの亡命者が自らの意志で地球を選んだのであれば、その一件で騒ぎ立てて地球との交渉を台無しにする方が、帝国にとって明らかな損失だからだ。
その頃、グラナダの広大なドックの一角では、かつての激戦を生き抜いた男たちが再会を果たしていた。
地球連邦軍のアイロ・ウミノ艦長、そしてヤマトの古代進。彼らと親しげに談笑していたのは、ガミラス特使艦隊の護衛を任されている猛将、フォムト・バーガーであった。
かつての敵同士が笑顔で言葉を交わすという奇跡的な光景。
しかし、談笑の最中、バーガーの鋭い眼光はドックの最深部に鎮座する「ある異形」を捉え、ピきりと止まった。
(……おいおい、ありゃあボラー連邦の『アマンガ型』とかいうミサイル戦艦じゃねえか。なんでこんなところにある?)
バーガーの脳裏に疑問が浮かぶ。
地球側はすでにボラーと大規模な交戦を経験しているのだろうか?
だが、先ほどの航路上の戦闘で回収されたにしては、船体の破損状況やグラナダの設備への馴染み方が不自然だ。
(傷のつき方から見て、実戦で鹵獲されたってよりは……事故か何かで漂流してきたのを、地球側が回収して調査していたってところか?)
一方、休憩室に戻ったジュラは、バーガーや他の将兵からの報告を統合し、地球側の現状をほぼ正確に推理していた。
地球は事故で流れ着いたアマンガ型ミサイル戦艦、そして亡命者クラーラからの情報でボラー連邦という脅威の存在を知っている。
しかし、直接的な軍事衝突を経験したのは、先日のリベリア星第一艦隊の襲撃が最初で最後なのだ、と。
(この状態の地球に、ボラーとの全面戦争を前提とした『同盟』を迫るのは酷というもの。であれば……まずは互いの本星に外交官を送り合い、大使館を設置する程度の、現実的な『国交樹立』から始めるのが着地点としては妥当ですわね)
ジュラがそう結論付けた頃、別室の地球側もまた、通信越しに本国を交えて血の出るような議論を交わしていた。
ボラー連邦とガルマン・ガミラス帝国‥‥二つの巨大国家の存在に危機感を抱いたからこそ、地球は次元世界への探査艦隊計画を立ち上げた。
しかし、その片方の当事者であるガルマン・ガミラスを率いているのが、あの「デスラー」だと判明したのだ。
特使艦隊の顔ぶれを見れば、最新鋭の『デウスーラ・ローザ』や二連三段空母、重武装ユニットを搭載した『ランベア』、そして東部方面軍のガイデル提督が配慮の末に合流させたデストリア級重巡洋艦二隻。
どれを見ても、かつて地球を恐怖に陥れたガミラス帝国の正統な後継国家であることは明白だった。
閣僚たちの意見は真っ二つに割れていた。
「ガミラスを許すなど、到底不可能だ! 我々がどれほどの犠牲を払ったと思っている!」
「そうだ。地球人類は絶滅まで一年と言う所まで追い詰められたのだぞ!?」
「しかし、過去の怨恨に囚われてここで拒絶すれば、外宇宙への進出の機会を完全に失うぞ! 何より、未知の星間国家、ボラー連邦という脅威に対し、ガミラスという後ろ盾を得ることは地球の生存戦略において不可欠だ!」
真っ向からガルマン・ガミラスとの同盟についてガミラスへの不信感とクラーラとジュラの話から得たボラー連邦への恐怖で激しく葛藤していた。
地球連邦大統領は、頭を抱えて深く悩んでいた。
この事実をまだ国民に公表するわけにはいかない。
親戚であるアイロは「せめて関係性の構築だけでも行うべきだ」と前向きな意見を具申してきているが、国家の舵取りはそう簡単ではない。
軍部や外交関係筋は国交樹立を強く支持。
国内の治安や世論を担う内務関係の閣僚たちは、極めて慎重な態度を崩さない。
そんな張り詰めた外交戦の裏で――。
当の特使であるジュラは、グラナダの特賓室でアイロが気を利かせて用意した地球の料理(豪快なアメリカンステーキやハンバーガー)を「まぁ、これは大変興味深いお味ですわね!」と目を輝かせながら満喫していた。
その傍らで、ジュラの護衛官であるメルダ・ディッツは、
「ジュラ様、一応これもお仕事の最中なのですから、もう少し緊張感を……」
と、頭を抱えつつも、自分の前に置かれた山盛りのマゼランパフェをスプーンで嬉しそうに掘り進めていたのは言うまでもなかった。
そんな中‥‥
現在、ジュラたちガルマン・ガミラスからの特使たちがいるのは月の裏側の極秘ドック『グラナダ』であるが、同じ月の「表側」に位置する地球連邦軍・月基地(ルナベース)の格納庫では、ある意味で星間戦争の勃発よりも恐ろしい防衛戦が繰り広げられていた。
「駄目だ! 絶対にグラナダへ行くな!!」
「ええ? どうしてよ、トゥルーデ! 件のガルマン・ガミラスの特使様たちが来ているんでしょう? イスカンダルでヤマトを助けてくれたっていうガミラスの、しかも特使の代表はお姫様みたいな方だって聞いたわ。同じ女性の指揮官として挨拶くらいしたいし、歓迎の気持ちを込めて、私の特製手料理を振る舞おうと思って準備していたのだけど……」
グラーフ・ツェッペリン級装甲戦闘空母『グラーフ・ツェッペリン』の副長兼飛行隊隊長、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケは、お玉と巨大なタッパーを両手に抱え、不思議そうに首を傾げていた。
その行く手を、文字通り死に物狂いの形相で阻んでいるのは、ゲルトルート・バルクホルン(トゥルーデ)とエーリカ・ハルトマンの二人だった。
「絶対に駄目だ!! 相手はあのデスラー総統の令嬢らしい! 万が一にも、貴様の料理を口にされでもしたら、国際問題どころの騒ぎではない! 地球がもう一度放射能まみれに……いや、ガルマン・ガミラスの総攻撃で今度こそ地球は消滅させられる!!」
バルクホルンは血走った目で叫んだ。
それもそのはず、ほんの半日前、彼女たちはミーナの「特製ポトフ」を食べて文字通り生死の境を彷徨ったばかりなのだ。
先日の料理騒動の際、月基地の食堂では、通常ではお目にかかれないレベルの「未確認有害物質(バイオハザード)警報」が盛大に発報し、基地全体が一時パニックに陥った。
その被害の全貌は、まさに凄惨の一言に尽きる。
宮藤芳佳は回収されたミーナのポトフを「どれどれ……」と医療従事者の好奇心から一口舐めた瞬間、口から泡を吹き、文字通り白目を剥いてひっくり返り、数時間の間、完全に昏睡状態に陥った。
フランチェスカ・ルッキーニは厨房から漂ってきた異臭を察知した瞬間、野生の勘が最大の危険信号を発し、目にも留まらぬ超スピードで基地の反対側まで逃亡。
エイラ、サーニャ、ニッカ、アレクサンドラたちはエイラが「今日の晩ご飯は何かな」と軽い気持ちで食事の献立をタロット占いした所、不吉の象徴である『塔』『死神』『悪魔』のうち、『塔(予期せぬ崩壊・破滅)』と『死神(強制終了・破滅と別れ)』が連続で正位置で出現。
顔面を真っ青にしたエイラが「死ぬ!! 今日食堂に行ったらみんな死ぬ!!」と叫び、三人を無理やり自室に引きずり込んで内側から鍵をかけ、完全密閉状態で立てこもる事態になり、
リネット・ビショップは昏睡した宮藤を必死に介抱しようとした際、運悪く床にこぼれていたポトフの飛沫を頭から浴びてしまい、その強烈な異臭と成分の皮膚吸収(?)によりそのまま卒倒する二次被害を受け、
ペリーヌ・クロステルマンは立ち込める悪臭によって猛烈な眩暈と吐き気に襲われながらも、気力を振り絞ってリーネと宮藤の両名を担ぎ上げ、決死の覚悟で医務室へと滑り込んだ。
坂本美緒が事態を把握して食堂に駆けつけた頃には、すでにグラーフ・ツェッペリン第一飛行隊の主力が全滅(機能不全)するという、敵の奇襲すら上回る壊滅的打撃を受けていた。
さらに月基地司令からも、「基地の換気ダクトを通じて殺人的な悪臭が拡散し、基地要員の中から体調不良者が続出している! 一体何を錬成しているんだ!?」と猛抗議の通信が入る始末。
しかし、肝心の元凶であるミーナ本人は、「あら、みんなお腹でも壊したのかしら?」と全くの健康体でけろりとしていたため、恐怖した美緒はすぐさま基地司令の名前で特命を発令した。
『ミーナ・ヴィルケに一切の調理行為を禁止する! 今後、彼女が厨房に接近、または食材を所持してグラナダ等の重要施設に移動を試みた場合、保安部による武力制圧および身柄拘束を許可する!!』
と、前代未聞の命令が月基地の全ネットワークに駆け巡る中、ようやく数時間前に医務室から退院(生還)したばかりのバルクホルンが、最後の防衛線としてミーナの前に立ちはだかっているというわけだった。
「ひどいわ、トゥルーデ、ハルトマン。私はただ、遠いお星様から来たお客様を歓迎したいだけなのに……」
「ミーナ、お願いだからその優しさを今はしまって……! ガミラスの人たちには、アイロ艦長のアメリカン料理で十分に足りているから!!」
エーリカが涙目でタッパーを奪い取ろうと掴みかかる。
こうして、グラナダでの歴史的な星間外交の裏側で、地球の存亡を賭けた(?)もう一つの壮絶な戦いが未然に防がれていたことをジュラや地球の外交官たちは知る由もなかった。
国交樹立への道は未だ険しく、そして地球の胃袋の防衛線もまた、ギリギリのところで保たれていたのである。
ミーナの「特製ポトフ」によるバイオハザード騒動から数時間後。
月基地(ルナベース)の廃棄ブロックでは、一人の隊員が宇宙服を着込み、涙目で巨大なチタン合金製の密閉コンテナと格闘していた。
「……くそっ、なんで、なんで私ばっかりこんな目に……ッ!」
ニッカ・エドヴァルディン・カタヤイネン――通称「ニパ」である。
彼女の目の前にあるコンテナの中には、先ほどの騒動で回収されたミーナの手料理(※レベル4危険物指定)が厳重に封印されている。
「エイラが『タロットで一番安全に処理できるのはお前だって出た』って言うから引き受けたのに……絶対騙されているよぉ~……」
愚痴をこぼしながらも、ニパはエアロックの操作パネルに向かった。
彼女の任務は至極単純。この危険物コンテナをマスドライバー式ダストシュートにセットし、月軌道外の安全な宙域(太陽方面)に向けて射出・廃棄することだ。
安全な分厚い防弾ガラスの向こう側にある観測室では、エイラ・イルマタル・ユーティライネンとサーニャ・V・リトヴャクが、インターコム越しにその様子を見守っていた。
『ニパ、文句言わない。お前がクジ引きでハズレを引いたのも事実だろ? ほら、さっさと廃棄ボタン押して戻ってこいよ』
『ニパ、気をつけてね……なんだか嫌な予感がするから……』
「サーニャちゃんまで怖いこと言わないでよ! すぐ終わらせるから!」
ニパは意を決して、廃棄シーケンスの最終ボタンを叩き込んだ。
『ブブーッ。エラー。コンテナの重量バランスが不均一なため、射出カタパルトがロックされました』
「ええっ!? そんなの聞いてないよ!」
どうやら、コンテナ内部で「特製ポトフ」が未だに謎の化学反応を起こし、ドロドロと偏ってしまっているらしい。
ニパはため息をつき、「ツイてないなぁ……」とぼやきながら、コンテナの位置を直接手で直そうとダストシュートのレーンに足を踏み入れた。
その時である。
「あっ」
ニパの足元にあったのは、先ほどの除染作業で清掃ドローンがうっかり零していった一滴の潤滑油。
見事にそれを踏み抜いたニパは、まるでバナナの皮で滑ったカートのように宙を舞った。
「ぎゃあああああっ!?」
すってんころりん。
見事な放物線を描いたニパは、あろうことかコンテナと共に射出カタパルトのポッド内へスッポリと収まってしまった。
そして、タイミングが悪いことに(ニパにとっての日常茶飯事だが)、コンテナにニパの体重が加わったことで、システムが「重量バランス正常」と誤認してしまったのだ。
『ロック解除。ダストシュート、射出します』
「え? ちょ、まっ――」
『ニパ!?』
『ニパちゃん!!』
プシュゥゥゥゥッ!! ドンッ!!
観測室のエイラとサーニャが悲鳴を上げる中、無慈悲なエアロックが開き、ニパは危険物コンテナと抱き合うような体勢で、月面の真空空間へとものすごい勢いで射出されてしまった。
月軌道上
「死ぬ! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!」
月軌道上を猛スピードでカッ飛んでいくニパ。
幸い、宇宙服を着ていた上に、咄嗟に対ショック姿勢を取っていた為、真空の宇宙空間でも命に別状はない。
しかし、このままでは太陽の引力に引かれて真っ黒焦げだ。
「誰か助けてええええっ!! ツイてない、ホントにツイてないよぉ!!」
通信機越しに泣き叫びながら、姿勢制御スラスターを吹かそうとするが、運悪くバルブが故障(いつものことである)しておりウンともスンとも言わない。
その時、彼女の前に巨大な影が接近してきた。
それは、旧世紀の宇宙開発時代に打ち上げられ、そのまま放置されていた超大型のスペースデブリ(人工衛星の残骸)だった。
しかも、月基地のレーダーの死角を突くような軌道で、ルナベースの居住区めがけて一直線に落下していくコースをとっている。
『緊急警報! ルナベース第4セクターに大型デブリ接近! 迎撃システム、間に合いません!』
ヘルメットの通信機から、基地のオペレーターの切羽詰まった声が聞こえる。
「えっ……ウソ!? あのままだと、エイラやサーニャちゃんたちがいるブロックに直撃しちゃう!?」
デブリは目前。
迎撃は不可能。
どうする? 自分には武器もない。
あるのは、己の身と、抱き抱えている「ミーナの特製ポトフ(レベル4危険物)」だけ。
「……ええい、ヤケクソだぁぁぁっ!!」
ニパは泣きながら、両腕に力を込め、抱き抱えていたチタン合金製コンテナを、迫り来る超大型デブリめがけて全力でぶん投げた。
ドンッ!!
コンテナはデブリの装甲に見事命中し、ひび割れた。
直後――真空状態と強烈な太陽光線(紫外線)に晒された「ミーナのポトフ」が、未知の宇宙成分と急激な化学反応を起こし、小規模なビッグバンにも等しい大爆発を引き起こしたのだ。
ピカァァァァァァァァァッ!!
「ぎゃあああああああああっ!?」
紫色の禍々しい閃光が宇宙空間を照らし出す。
超大型デブリは、ポトフの謎の腐食成分と爆発のエネルギーによって、破片すら残さず完全に宇宙の塵と化して消滅した。
そしてニパは、その爆風(と悪臭)の衝撃波をモロに受け、独楽のようにクルクルと回転しながら月面へと弾き飛ばされていった。
その後の評価
「ふぇぇぇぇん……痛かったよぉ……」
数十分後。
月面をパトロールしていた部隊によって、クレーターの真ん中の柔らかい砂地に頭から突き刺さってジタバタしていたニパは無事に救出された。
全身擦り傷だらけで宇宙服はボロボロだったが、奇跡的に骨折一つしていないという、彼女の「不幸中の幸い」スキルが今回も遺憾なく発揮されていた。
基地の医務室でサーニャに頭を撫でられ、エイラに呆れられながら治療を受けていると、基地司令部から大真面目な顔をした坂本美緒がやってきた。
「カタヤイネン曹長。よくやってくれた。貴様の機転により、居住区へのデブリ直撃は免れた。基地司令に代わり、感謝状と特別休暇を授与する!」
「えっ? あ、は、はい……(何が起きたかよく分かってない)」
「それにしても……」
と美緒は冷や汗を拭いながら続ける。
「あのチタンコンテナを一撃で蒸発させるほどの化学反応……。ミーナの料理は、兵器として運用すれば戦艦の主砲をも凌駕するかもしれんな……。恐ろしい女だ」
その後、基地のシステムログには『カタヤイネン曹長、新兵器(M・P・O・T・O・F・U)を用いてデブリの迎撃に成功』という謎の武勇伝が記録されることとなった。
そしてミーナ本人が「ほら! やっぱり私の料理は基地を救ったじゃない!」と満面の笑みで第二弾を作り始め、ルナベースに二度目のバイオハザード警報が鳴り響いたのは、言うまでもない。
「こんなオチ、絶対ツイてないよおおおぉぉぉっ!!」
ルナベースの片隅で、ニパの悲鳴が再び響き渡ったのだった。
次回 ウラリアの魔女とは
次回はボラー側のお話です!