――――訓練施設 模擬銃取扱所――――
「P210はないの?」
「はい。古い銃ですし、ユーザーが滅多にいないので」
「がーん・・・・・・」
専用に作れた黒色の訓練用防具に身を包んでいるのは伽耶だ。
頭部を保護するヘルメットを片手に伽耶の目は沈んでいた。
「諦めて現行モデルのP226とかP239とかにせえや。
骨董品の拳銃なんて扱ってるか、このボケェ」
「ですよねー」
すぐ後ろのベンチで煙草を吹かしていた蘭豹は呆れている。
伽耶はこれからある人物と模擬戦をする予定だ。
そのために訓練用の弾薬『FX弾』を使用できる銃を選んでいる。
要求しているのは自分の愛銃と同じもの。
だが半世紀も前に設計された銃であり、現在の使用者は少なく、武偵の施設に訓練用は置いていない。
(中隊で使ってるP229でいこっかなぁ。でもやっぱり愛銃で正々堂々と迎えたいけど・・・・・・)
両肩を落として伽耶は悩む。
事の発端は少し前のことだった。
――――数十分ほど前――――
硝煙の臭いが立ちこめるのは、ここ東京武偵校の屋内射撃場だ。
聴覚保護の耳栓をつけ、目を護る為のグラスをかけている。
右手で銃を握り左手を若干斜め下から添える。
銃を撃つ上で一番重要なのは構えだ。
センスや才能など関係ない。
両手でしっかり保持し、照門(リア・サイト)と照星(フロント・サイト)を一直線にする。
そうすれば狙い通りの場所にほぼ当たるだろう。
誰でも普遍的に使える。
それが銃という兵器の最大の優位性なのだ。
薬室に弾薬を装填し、引き金を絞る。
銃本体を構える力さえあれば、男女と老若を問わない。
「いい腕前ね」
ふと誰かに声をかけられる。
スライドを引きストッパーを上げ、開放状態で固定しトレーに置く。
目の前に現れたのはアリアだった。
「ありがと。まあ、銃の性能っていうのもあるかな」
台の上に置かれた銃に伽耶は視線を送る。
「それでもよ。練習しないと上手くならないもの」
「ありがとアリア。そういえばキンジをパートナーにできたの?」
「ううん、まだなのよ。以外とアイツは強情でね・・・・・・
ってあんたは何やってんのよ!?」
「え? 欧米式の挨拶をば、と。
むちゅー」
満面の笑みでアリアに歩み寄り、目一杯に抱擁する。
そして挨拶代わりの口付けをーーーーという所で突き飛ばされる。
「アリアちゃん、激しい・・・・・・友人としてのスキンシップを殴るなんて」
「やかましいっ。
だいたいキスは頬にするものであって唇に濃厚にかましてどうするのよ!?」
「そっかぁ、じゃあ気を取り直してほっぺに――――
って痛いっ!」
「アンタは下心丸見えだから嫌っ」
猫のように低く唸りアリアが威嚇する。
だが抵抗されると燃えるのが伽耶の性格。
射撃場のレンジなので暴れることはできないが、目は獲物を狙う蜂の目へと変わっている。
「さっきから喧しいと思ったら、何おもんない漫才しとんねん」
そこへ来たのは強襲課教諭・蘭豹だった。
「ってなんや編入組の2人か、何を揉めてんのや?」
いえ別に、と2人揃って営業スマイルを作る。
不良教師の代名詞とも言える蘭豹。
東京武偵交で日の浅いアリアや伽耶もその名前を知っている。
「まあええか。
ところでお前等は――――
神崎は母親の故郷である日本に来るためロンドンから転校。
八雲は武偵に憧れて一般校からの転入だったか?」
頭を掻きながら自分が目を通した生徒情報を確認していく。
「と、そんな個人の情報はどうでもええわ。
生徒一人一人が目指す道を後押しする、それが教師。
・・・・・・らしいけど、そんなんに興味はないんや」
途中まで教育者の鏡と思えたが最後の一言で台無しだ。
「知りたいのはお前等の力、実力や」
なんとなく、嫌な予感がして止まないアリアと伽耶。
その2人の目線を意ともしないで蘭豹は悪い笑みを浮かべる。
「ちょうど模擬戦用の教育棟が空いててなぁ。
室内戦でもしてウチの暇を潰さんか?」
最終的には蘭豹個人の退屈凌ぎになっていた。
ここまでの回想が、どうして伽耶が訓練施設にいるのかという理由だ。
『伽耶、そっちの準備はできてるの?』
対戦相手との連絡用に設置されたモニターからアリアが問いかける。
「ちょっと銃選びに手間取ってる。
後少しだけ待ってくれるかな?」
『仕方がないわね。できるだけ早くしてね』
別に伽耶は決まった銃しか使えないわけではない。
戦闘用に設計された小火器なら満遍なく使えるだけの訓練は積んでいる。
手に馴染んでいる拳銃ならP229があるらしいが、気乗りしない。
私闘に近い戦いだから、自分の愛銃をどうしても使いたいのだ。
(でも、ないものねだりは仕方がないか)
諦めて置いてあるSIG社製のものを選ぼうと指を伸ばす。
「間に合ったのだ! 伽耶ちゃん、これを使ってみるのだ」
扉を開けて独特な口調で話すのは装備科の平賀文だった。
「これ?」
伽耶が受け取ったのは四角いケースで、中には一丁の銃と予備弾倉が数本収まっていた。
「これを私に? もしかしてP210-2?」
「そうなのだ。
銃身をSIMUNITION社からP226のバレルを仕入れて作ったのFX弾専用のP210なのだ」
「本当に? ありがとう!」
黒いマット仕上げのフレームに訓練用を示す青いグリップ。
自分が今使っているものとを変わらない程、よく手に馴染む。
「でも、わざわざどうして?」
「前に助けて貰ったお礼なのだ。
恩は恩でキッチリ返す、それが商売には大切なのだよ」
右手の親指を突き出して誇らしげに平賀が胸を張る。
(前に助けたときって?
あ、武藤が連れていった依頼だ)
そう、伽耶は少し前に平賀を助けたのだ。
不知火やキンジ達と一緒に行った依頼でのこと。
相手の1人が隠し持っていた拳銃に伽耶が気が付き、平賀を押し倒して救った。
彼女は今、そのお礼に銃を改装し伽耶に届けたのだ。
「アリア、準備が出来たよ。
今から位置に着くから、待たせてごめん」
『OK、私も移動するわ。
言っておくけど、手を抜いたらタダじゃおかないわよ』
「そっちこそ。
どうせなら賭でもしない?
負けた方が何でも一つ命令を聞くって、どうかな?」
『いいわ、スリルもあって最高ね』
画面の向こうでアリアも笑みを浮かべる。
対する伽耶も気合い充分だ。
「伽耶ちゃん、私が手をかけた銃で負けないで欲しいのだ」
「もちろん。あやとこの銃に誓うから」
軽く銃に口付けをして伽耶は訓練場へ入っていく。
室内を再現した造りの地下訓練施設。
机や家具などの小道具は置かれず、黒い壁が縦横に連なり部屋の構造を成している。
この壁は移動可能で常に新しい配置に変わるらしい。
『よく聞け、お前等。
私の暇つぶしと言ったが全力でやれ。
指導者として生徒の実力は知っておく必要がある。
十秒後に開始だ』
審判である教師との連絡用に設けられた通信機からは真面目な蘭豹の声がする。
待機場所で伽耶は静かに心を研ぎ澄ましていた。
両足を肩幅に開き左足を少し前に、両手は力を抜いて体の横で下げている。
そしてアリアも腕を組み目を瞑って体中の神経を起こしていく。
瞼の奥で彼女の目には緋色の闘志が煌めいている。
『始めっ!!』
開始の合図と共に、伽耶は動いた。
右太股のホルスターから拳銃を引き抜き、スライドを動かし初弾を送り込む。
安全装置を押し下げると、壁を左に角まで一気に走る。
(あの性格ならアリアは多分攻めてくるはず・・・・・・)
室内での戦い方は壁の角に身を置くことから始まる。
通路と通路の交差する場所にいると有利なのだ。
後ろを取られても、急いで曲がり込めば壁が遮蔽物になるからだ。
もしこれが通路の間なら、撃たれている間に行くか戻るかして相手の射線から外れる道に隠れなければならない。
部屋への入り口があれば別だが、常にあるとは限らない。
また遮蔽物から動くとき、顔を半分だけ出して覗いて安全を確認するのも良くない。
手鏡かカメラやファイバースコープを用いて体を露出させずに敵の有無を調べるのだ。
そして銃の構え方。
映画の影響か、心理的なものかは知らないが拳銃を上に向けて壁に背をつけるのもいけない。
相手が急に現れたとき銃を下ろすよりも上げる方が早く、銃口が相手の体を足、腹、胸と順になぞっていくからだ。
(えっ? 速い?)
さらにもう一つ重要な要素、それは足音だ。
空間内で生じた音は屋外のように四散しない。
壁に反射しながら遠くまで聞こえる。
だから伽耶は神経を研ぎ澄ましていた。
銃声から耳を保護する栓をしていても、注意していれば波として伝わる音を全身で聞き分けられる。
アリアの足音は短い間隔で鳴っている。
だが、足首と足の指先、膝、股関節を柔軟に動かしているのか歩調とは裏腹に響く音が静かだ。
それは大型の肉食動物ではない。
獲物の背後から駆け寄るような小型の獣の動き。
(角をクリアリングしない?
そんな戦い方を彼女はしているのかな?)
歩調は段々と大きくなっていく。
足音が近づくにつれもう一つアリアの動きに特徴が現れる。
走っている音が少し遠くなったり、近くなって聞こえるのだ。
だが、相対的な音は秒毎に大きくなっている。
つまり、道を稲妻形に曲がりながら来ているのだ。
(下手に近づくと危ないかな。
迂回して待ち伏せしよう)
伽耶は2区画右に進み突き当たり右の角に身を半身を隠す。
銃を構えてアリアが通過するのを待つ。
足音の遠さと向かってくる音からして通ると思われる場所を狙う。
(来たっ!!)
ほぼ予測通り、向こうの角からアリアが姿を現す。
十字路の幅は人の身長ほどで体が出たのは一瞬だが伽耶は迷わず引き金を絞った。
二度銃声が響き、伽耶の拳銃から青色の弾頭が飛び出す。
しかし、狙いは良かったが近距離訓練に作られたFX弾では8メートルを超える長さでは失速してしまう。
伽耶の撃った弾はアリアを捉えることなく床を青く着色した。
「実弾なら当たっていたのにっ」
伽耶は左手で鉤爪式の弾倉止め(マガジン・キャッチ)を引き弾倉を取り出す。
その手で腰の左につけた弾倉入れ(マガジン・ポーチ)から新しい一本を取り出し装填し親指で留め金(スライド・ストップ)を落とす。
まだ弾薬の残る弾倉は再使用できる。
拳銃嚢と一緒に装着している空の弾倉入れて、伽耶はアリアに追撃を仕掛ける。
「俊敏な上に射撃の精度も高いね」
相手の反撃で桃色の着色料が弾ける床。
伽耶の射撃で青に染まる壁。
速い動きと正確な射撃でアリアは相手を崩そうとする。
アリアの後ろから時には横から伽耶は攻撃を加える。
先ほどまでより幾分速度を落とし、アリアも不規則に角を曲がり通路を横切り伽耶の銃撃をやり過ごす。
同時に射撃優良位置を確保し、時には回り込むようにして伽耶に銃弾を浴びせる。
互いに際どい所に着弾し壁や床が色染められていくが防護服には一切の着色を許さない。
追いかけ、逃げ、反撃し、牽制する。
右、左と半身を隠す位置も目まぐるしく変わり、銃を保持する手も逐一変更されていく。
次第に弾薬も消費し、空の弾倉を入れた左太股の小袋も大きくなる。
屋内の戦闘では基本的に弾倉を捨てない。
敵に撃った弾数や弾倉交換の瞬間を教えることになるからだ。
もちろん敵が目の前に居て、一秒を争うなら話は別だが。
今のように一定距離で撃ち合うなら弾倉の破棄は自殺に等しい行為と言えるだろう。
(アリアは両方の太股に拳銃用のホルスターを付けてた。 多分予備弾倉は少なくなるはず。
けど私の方が撃ってたから残弾はそう変わらない)
背中の弾倉入れの1本を新たに銃に差し込む。
残りは最初のものを含めて2本。
(動いたっ!)
急にアリアが飛び出し、精密な射撃から切り替えた火力重視の連射が伽耶に放たれる。
とっさに身を隠し銃だけを覗かせて接近するアリアを止めるための牽制射撃を行う。
銃撃が弱まった瞬間に狙って撃つが小部屋にアリアが逃げ込み避けられた。
後退状態の遊底なった拳銃に最後の弾倉を入れて伽耶は全身の神経に意識を巡らせる。
(アリアに逃げ道はない。けど私も部屋には飛び込めない)
ゆっくりと入り口に近づいていく。
仮にも相手が飛び出してきたなら、体格差を生かして近接格闘戦に持ち込むつもりなのだ。
だが、その後ろで何かを蹴飛ばすような音がした。
それが何かを考えるよりも速く伽耶は前に飛び込んでその場所から逃げる。
直後に鋭い銃撃が足下を襲う。
(うそっ!? 壁は2メートルあるはずだよね!?)
振り向き際に見たのは壁を飛び越え空中から二つの銃口を光らせるアリアの姿だった。
背中を地面に滑らせながら伽耶が応射した4発は虚しく空を切る。
紅い髪が尻尾のように弧を描いてアリアは再び対面の部屋に着地した。
(追いつめたけど、追いつめられた・・・・・・)
伽耶が逃げ込んだのは行き止まり。
そしてアリアが着地した部屋も練習場の壁に位置する。
つまり、二人の逃げ道は重なり合う。
そこが決着の場所になる。
(上か下か、どっちから来る?)
アリアの奇襲は見事だった。
だが伽耶を仕留め切れなかったのは失敗だ。
奇襲は相手に予測されれば正攻法となる。
もう同じ手は伽耶の不意を突くことは出来ない。
強襲としての手段と変わるだけだ。
アリアに残された道は二つに一つだ。
入り口から飛び出して伽耶を撃つ。
再び飛んで上から銃弾を浴びせる。
このどちらかだ。
そして伽耶に残されたのは、相手の攻撃に反応し迎撃する。
それだけだった。
足音と銃声の響いていた空間が静かに息を潜める。
だがそれは、森や山のもたらす自然の静寂ではない。
獲物を狙い牙を剥いた猛禽類の襲撃前に訪れる一瞬の空白だ。
如何にして喰らうか?
ただそれだけが脳を支配し目は他を見なくなる。
空間は時を止めて、対する者だけが取り残される。
その動き出しはアリアだった。
伽耶の目の前で2つの弾倉が、入り口と壁を越えて2ヶ所から飛び出した。
どちらかは囮。
次の一瞬にはアリアが床を蹴った音が響く。
飛び出すか?
飛び上がるか?
(そこっ!)
投げられた弾倉の速さ。
それは意識した方向と別の方向では変わる。
伽耶は腕を振り上げ銃を向ける。
そこには両手に銃を構え空を舞うアリアがいた。
お互いの銃が2発の弾丸を吐き出す。
「双方、そこまでっ!!」
練習場に備えられたスピーカーから欄豹の声が響く。
アリアの放った2発の弾丸は伽耶の右肩と左肩を。
伽耶の弾丸はアリアの頭部と胸部を。
赤と青の2つずつ計4つの色が付いていた。
「「・・・・・・」」
そして双方が向けた銃は弾切れを示した形で動かないままだった。
「まあ、ええ戦いやったわ。退屈せんかったしな」
後頭部を無造作に掻きむしりながら欄豹は告げる。
模擬戦が終了しアリアと伽耶は彼女の所に呼ばれたのだ。
「で、結果やけどなあ・・・・・・」
欄豹の目がアリアが手に持ったヘルメットと胸部に、伽耶の両肩に向けられる。
「アリアの弾丸は敵を無力化する位置や、対して伽耶は人を殺してしまう場所を撃ってもうとる。
武偵の放つ弾丸として殺人は認めてへん。
伽耶、お前は一般から編入したてや、依頼をこなした数も少ない。
休みの間に武藤や遠山と行動したんが初めと聞いとる。
その際も相手の肩を問答無用で撃ち抜いたらしいな?
お前の撃ち方は危ない、いつか人を殺すぞ?」
欄豹の目は笑っていない。
強襲科の受け持つ担任として看過できないのだろう。
伽耶も黙って目線を合わしたまま口を開かない。
「そしてアリア。
確かに射撃の腕は良かったし、武偵としてあるべき場所を撃った。
せやけど実戦ならお前は死んでたで?
その辺はよう考えや?」
アリアもそのことは重々承知なのだろう。
黙って頷いている。
言い表しがたい雰囲気が空間を包む。
湿っていて重く暗い。
けれどすぐに、ため息混じりに欄豹がその空気を一蹴する。
「ま、勝ち負けはお前等で決めろ。
こっちはお前等の実力見るだけやったし。
後は体でも洗ってこいや?」
タバコに火をつけて言いたいことは終わったと合図する。
場もいくらか和む。
「え? どこですか?」
が、なぜかそこに伽耶が食いつく。
そのせいか、場の空気が一気に締まりのないものとなった。
「その通路の奥に部屋があるわ。
右が男、左が女や。汗流してさっぱりしてき」
欄豹はそのまま訓練場を後にする。
その後ろ姿を見ずに伽耶はアリアを手を引いて走り出す。
(アリアとお風呂。アリアとお風呂っ)
伽耶の頭の中は既にそれで一杯だった。
古来から日本には肌と肌の付き合いと言うものがある。
そして入浴場はそれが許される場所。
射撃場では接吻を拒まれたが、今度はそれ以上のものを期待できるのだ。
(アリアの長い髪を触ったりできるかも。
あわよくば・・・・・・ふふっ、うふふふ)
アリアは髪を2つのテールに分けていて、それは両膝まで掛かる程に長い。
髪留めを外し、水に濡れ一直線に伸びた髪のアリアもさぞかし可愛いだろう。
小さな白い肢体に紅い髪が蔦のように絡む。
湖の畔に現れ水を浴びる妖精とでも言えるだろう。
よからぬ妄想に口から涎を覗かせる。
が、現実はそんなに甘くはない。
「そうかっ。シャワー室なのかっ」
勢い勇んで扉を開けて愕然とする伽耶。
普通に考えれば場所と電気代を取る湯船を置いているはずなど無い。
扉の向こうには小部屋に分けられたシャワー室が並んでいた。
「伽耶、ロッカーを頭で叩いてもキツツキになれないわよ?」
「大丈夫、頭に上った血を下げてるだけだから!」
「額から全部出てるのに!?」
来たからには仕方が無く、落ち込みながらも伽耶は汗を流すことにする。
汗よりも沈んだ気持ちを洗い流したい所だが。
「そう言えば、私の負けかな?」
リンスを濯ぎ落とし、石鹸を泡立てて体を洗う伽耶が隣の個室にいるアリアに問いかける。
アリアと伽耶は勝負に際して賭をしていた。
賞品は相手に一つ命令できる権利。
伽耶はこれでアリアを思い切り抱きしめたりなんなりする気だった。
だが、伽耶は武偵として撃ってはいけない頭部を撃ってしまった。
模擬戦の規定上は負けとなる、そう伽耶は受け止めている。
「でも、実戦なら私は死んでいたわ。私の負けよ」
シャワー室の個室はカーテンで仕切られているので声はよく通る。
答えるアリアの声には少し陰りがある。
ルールの上ではアリアの射撃は満点だ。
相手の肩と足を打ち抜き無力化する。
殺傷を禁止されている武偵としてあるべき姿だ。
だが、模擬戦の中で伽耶は敵だった。
現実であれば、それは殺意と悪意に満ちた相手だったはず。
本当の戦いなら自分は死んでいたかもしれない。
そういった思いがアリアの声を暗くしたのだ。
「それでも、規則では頭部を狙っちゃいけないから・・・・・・やっぱり、ルール違反で私の負けだと思う」
対する伽耶も自分の負けを譲らない。
規定は守らなければならないもの。
提示された条件を破るということは、作戦を自分の勝手で変更することに等しい。
それは自分の身に危険を及ぼす。
もし実戦なら自分だけでなく仲間も危険に陥れていただろう。
そういう考えが伽耶の中にあるのだ。
「実戦で相手は待ってくれないわ」
アリアはそれでも引こうとしない。
「でもあれは模擬戦だったから、それに規定は破ってはいけないし・・・・・・」
伽耶も自分の考えを曲げようとはしない。
「実戦の為の模擬戦でしょ?」
「規定は守ることが重要のはずじゃないかな?」
体を洗う二人の動きが止まる。
次に何を言うべきか、それを考える。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
勢いよく流れ出るシャワーの水音だけが室内に響いている。
体を伝う水の粒は絶えず入れ替わるが、アリアと伽耶の考えは全く変わらず止まっていた。
そして小さな笑い声が吹き出す。
「何を言い合ってるのかしら、私たち?」
「確かに、すっごい不毛な会話だった気がする。
引き分けだよね、こういうのって?」
「そうよ。どっちも勝ちを認めないんだもの」
両方が勝利を破棄するなら、その戦いに勝者はいない。
いや、第三者が見ればどちらかに軍配が上がるかもしれない。
だが、少なくとも二人の間では勝負は付かなかったのだ。
「じゃあ、賭事はどうしよっか?」
「命令じゃなくて、二人とも一つずつ相手にお願いをするのはどう?」
アリアの答えは早かった。
その口振りからは既に内容は決まっているようだ。
「いいけど・・・・・・もう考えてるの?」
「ええ、一応ね」
再び部屋が静かになる。
けれどそれは長く続くものではなかった。
アリアの沈黙は次に繋ぐ言葉を探していたからだ。
「私はね、ある事件の犯人――――武偵殺し――――を追ってるの。
もちろん私以外にも多くの武偵が捕まえようとしているわ。
でも、どうしても私が捕まえなくちゃいけない。
そのために私はキンジをパートナーに選んだわ。
私の家系はパートナーが居て初めて力を出せるの。
その相手は直感で探さないといけない。
だから私は世界中を回って、やっとここで見つけたわ。
彼とならきっと出来ると信じてる。
けど・・・・・・もしかしたら、もっと誰かの力が必要になるかもしれない。
その時、助けて欲しいときに、伽耶に手を伸ばしてもらいたいの。
お願いできる?」
薄い壁の向こうで、降り注ぐ水の音にかき消されそうな声だった。
それでも伽耶の耳に届いたのは、その小さな中に色褪せない思いがあるからだ。
「うん、いいよ。
私のお願いはアリアを助けてからにするね。
その時のほうが、もっとあなたを知っているはずだから」
「ありがと、伽耶。
忙しい一日だったけど、充実していたわね?」
アリアの声は明るい。
何となく今の声が好きだと伽耶は感じていた。
「確かに忙しかった気がする。
けど、私は楽しかったよ」
この時は、アリアも伽耶も何処かで歯車が動き出したことを知らなかった。
補足説明
☆FX Marking Cartridges(FX訓練弾)
概要・・・
SIMUNITION(GD-OTS)社が提供する訓練弾とそれを使用する『FX Training System』の根幹をなす弾薬。
非致死性でありプラスチックの弾頭の中に着色液が入っており、着弾とともに対象を着色する。
9×19mm弾仕様の他に、38口径弾(回転式拳銃用)のものと5.56×45mm弾が用意されている。
『桃・青・緑・黄・橙・白』の六色が9×19mm弾に用意されている。
あくまでも室内戦闘の訓練用なので射程はそこまで長くない。
拳銃弾で7~8m 小銃弾で30m程。
なお、M1911型の拳銃は9×19mmのFX弾を使うために弾倉も同社からの物を使う必要がある。