大天使エイスリンちゃんに罵倒されながら国際交流する話 作:アライ
接待という概念は人々の社会生活において深く根付いている。糊の効いたスーツを身に纏い、毎日を細長い電車の押しくら饅頭に費やす都会のリーマン達は、取引先の相手だかそれとも直属の上司だか、誰を接待する為なのか詳しい事は彼らの身にならないと分からないが、きっと必須要項として新卒の時に学ぶのだろう。
この世界では麻雀が大衆の娯楽と認識されている。勿論、それは歳を重ねた者達の間でも変わらない。
すっかり白くなった髪を刈り上げにして、まだまだこれからじゃ定年まで働くぞ、と意気込んでいるおじいさんだってだいたい麻雀が好き物と言っているし、ちょっといかつそうなオールバックの隠居さんだって殆ど三度の飯より麻雀が大好物だと言っている。
それ故に麻雀の接待という物は、昼夜を分かたずともそこかしこで行われているらしい。
しかし、国が違えばその接待の概念も変わってくる。
どの様に接待するかどうか、という部分の意味がここ日本と異国では天と地ほどに違うのだ。
それを、すっかり忘れていた。
東2局 親 エイスリン ドラ{五}
10巡目 自家 手牌
{五七八八④⑤⑥⑥⑦⑦⑧23} ツモ{白}
何も重ならない白を引いてきて、手牌を見る。
うーむ、先程とは変わらず一向聴だが、やはりドラ周りの扱いが辛い。白を切れば役牌は河で暗刻になるし、もう店仕舞いしろという事なのだろうか。その判断までにちょっと引っ張りすぎてしまった。上手く入ればピンフとタンヤオ、もしくはイーペーコーが付くが、薄いか。
対面 河:エイスリン
{中中98東七}
{6発3⑥}
エイスリン先生は手出しから{3}を切れば、後の{⑥}はツモ切りである。
真ん中が出始めてるが、張ってるのかな……。
牌をぐるぐる頭の中で回していれば、彼女はこっちをキッと睨んできていた。はよ切れという事だろうか。
これ程までに怒っている原因は、自分が接待麻雀という手抜きプレイをやろうとしたからに違いない。
現実と意識の差を測る様にして頭を巡らせれば、どこかで聞いた事がある逸話が思い浮かんで来た。英語圏の人物名は、基本的に日本で言う姓であるファミリーネームが後ろの方に来る。これは日本と違い、集団としての能力よりも個としての能力を重要視しているからだとか、それらしい理由だが出処が分からない──そんな話が、脳内に。これが本当の事だと思えば、接待に対する国の認識の違いも何となく分かるというものだ。
異国での接待麻雀とは日本とは違い、ヨイショなんて考慮されない真剣勝負なのだろう。
それは、対局者全員がお互いをそれぞれ個として尊重しているからこそ成り立つものだ──
そんな環境の中で産まれ生きてきたエイスリン先生が接待なんて概念を正面から食らえば、そりゃ烈火の如く怒るよね。それが未遂だったとは言え、試みようとしたのは確かなんだから、当然だ。ある程度土壌が出来上がっている日本では、たとえ接待がバレてもこれ程までには怒られない。
つまり、自分の不徳の致すところです……というワケである。
とりあえず少しオリ気味に回し打ちをする。対面のエイスリン先生の捨て牌は正直かなり怖い。
河:エイスリン
{中中98東七}
{6発3⑥}
初めから{中}をツモ切りでは無く、手出しから対子落としをしている。つまりは配牌から既に対子が揃っていたか、もしくは引いてきた{中}を入れ替えたか。どちらにせよ、彼女の手牌には対子が揃っていた時が存在する。親ならば鳴いて早上がりを目指してもいいだろうに、あえてそれを拒否しているのだ。となると、早々に決め打ちできる牌姿だったか。現状の役無しドラ1手では押し辛い。
そうやって手牌を伏せた様な気分になれば、音も無く順が巡り、牌が彼女の手に取られる。
そして。
「
11巡目 東家 エイスリン 手牌 ドラ{五}
{三四②③④⑥⑦⑧234北北} ツモ{赤五}
エイスリン先生が和了った。
「
流暢なオールが耳を心地良いほどに揺さぶる。
赤ドラの{赤五}をツモってきて20符4翻の和了。三色が狙えた手で安目を引いたが、赤ドラで同じ4翻まで持ち直した。
う~ん、一体どうなっているんだこれ……。
赤ドラが付かない普通の{五}を引いていたら1300オール、半分の点数になってしまっていた筈なのに、どういうワケかこの手でリーチをしていない。7700を出和了りしたとはいえ、トップを確信するには心許ない点数なのに。{中}を対子落としにして早上がりを蹴ってるのにも関わらず、リーチをして高い点を狙わない。何もかもが、ちぐはぐだ。
分かんね~。全てが分かんね~。
「
エイスリン先生が場に積み棒を出した。
ま、まだ勝負はこれからだし……。
◇
あの後、何とかエイスリン先生の親は流れたが──
「
逆転する事はできず普通に負けた。
いや……普通にというのは少し違うか。オーラスまでいかずに勝負がついたと表すのが正しいだろう。
端的に言えば、トんだのだ。
あれから振り込む事は無かったものの、親被りツモの大きな痛手から逆転の為の布石だったリーチ供託まで、点に係わる物全てをもってしてじわじわと甚振られ、遂には箱割れとなってしまった。
エイスリン先生、やりたい放題じゃないか……。たった1ゲームとはいえ、彼女の和了率は大変な事になっている。
一度も鳴く事はせず、じっくりと面前で手を作りながら、それでいて圧倒的な聴牌速度を誇るにも関わらず、リーチをせずにヤミテンを選ぶ狡猾さ。それが彼女の麻雀だった。
……いや、どうなってんだこれ。
カタカタと小さく震えながら点箱を開け、黒の棒を取り出して清算を終えれば半荘戦は終わった。
「お、星川さんのガキが打ってんじゃん。……って、ハコってるw」
「この女の子誰なんだ? 一見さんか?」
「こりゃまた酷い点差だな」
席で縮こまっていると、後ろから声がした。動かすのが億劫になるほど重い頭を何とかしてそちらへ向ければ、新たな客が来ていた。
日曜日なので普段よりも来客は多く、店に来るのが開店前に訪れた常連さんだけとは限らない。昼から時間も経っていたのだろう。時計の長針が上り始める頃にはそこそこの人数がいつの間にか入店していた。
主に客達の視線はエイスリン先生と、無様な点数を晒している自分へ向かっている。
み、見世物じゃないぞ……。
「へこむわ……」
寒天ゼリーの様にぷるぷると震えながら羞恥の念に打ちひしがれている。
それが今の自分の状況である。
他の地方の言葉ではメゲる、だったか。その地方から転勤してきたお客さんがこの雀荘によく来ている。確か、高打点へ放銃する度にその言葉をよく言っていたか。
メゲるわ……。
「強かったなあエイスリンちゃん」
ぐったりと席の背もたれに大きく寄りかかる自分の様子を見るやいなや、一部始終を観戦していた英語つよつよおっさんが煽りにやって来る。
「くっ……笑いたいなら笑え……」
「それは後にするからいいぞ。それよりも、今ならいけるんじゃないか?」
「いけるって何が……」
後ろにもたれた首を戻せば、綺麗なタンピン三色が揃えられた牌を手前に、少し考え込んでいるエイスリン先生が視界に入った。
「エイスリンちゃんに謝って来いよ」
おっさんはこちらを諫める様に言ってきた。誰がチクったお陰でこんな事になっていると思ってるんですかねえ……。
……それにしても、何か少しだけエイスリン先生の事で気がかりがある。彼女が接待麻雀を好ましく思っていない事──大嫌いであるとはこの半荘でよく理解できた。だが、よくよく考えてみればそれらの行為は実際には未遂である。東一局から自分がハコった南二局まで一度も手加減はしていない。少なくとも自分の中の認識ではそうである。ずっと本気で打ってきた。しかし、それにしては彼女は怒り過ぎだ。もしかして何か、とんでもない行き違いがあるのでは無いだろうか……?
そうやって思案を巡らせれば、何か思いついてしまった。
「……もしかしてだけど、接待を試みていたという話だけが伝わって、実際には未遂だったって事が伝わっていないのでは……?」
そんな取り留めもない推論をなんとなく口にした。自信は無かったので声高には言わず、聴衆は近くに居る人達だけに留めておいた。
だが、そんな呟きを聞くやいなや、英語つよつよおじさんは何やら硬直してしまった。
「……あっ、やべ。しまった」
「しまったって、この……このっ、おっさんめ……」
そして、目に見えて狼狽え始めた。何か悪い行き違いが現実に起こっていると、手に取る様に分かった。
こ、こいつ……報連相がなってねえ……。余りにも重要な部分が言葉足らず過ぎる……。
そんなんだから度々休日出勤させられるんだよ。今日は流石に違うみたいだけど。いや、関係無いけどね……。
全く、何がつよつよなんだ。称号は剥奪である。
「という事は、今エイスリンちゃんは誤解したままですねえ……」
おっさんは今のこの場の状況を推察し、結論を導き出した。あーもう、おっさんの所為で滅茶苦茶だ。凄く面倒くさい状況になっているじゃないか。
どこか誰もいない所で咽び泣きたい気分である。
「何してくれてんのよ……」
「あーすまん……ここまで事が大きくなるとは思わなかったんだ。ちょっとエイスリンちゃんを揶揄うつもりだけで……」
ああ、もう。こうなってしまったら、とりあえずエイスリン先生に誠心誠意謝っとくしかないだろう……。本当はおっさんにさせたいけど、一応自分にも負い目はあるし当事者でもあるのだから、こっちから謝った方がいいに違いない。
一体いつまで彼女がこの星川家にホームステイするのかは知らないが、このまま安息の場所である実家が、ずっと気詰まりな雰囲気で埋め尽くすされるのは勘弁願いたい。
そうと決まれば、すぐやろう。
「おっさん、謝罪する時の英会話を教えてくれ。アイム・ソーリーみたいなのじゃなくて、状況を説明する様なヤツで頼む。してくれないと出禁にするぞ」
「すまんな……」
白シャツのポケットからペンを出したおっさんは置かれていた点数表を勝手に拝借すると、白無地になっている裏に文字を書き始めた。しばし時がたった後、おっさんからメモが渡される。カタカナの小書き文字を含む、英会話文がそこには書かれていた。あくまで定型文でしか無いのだろうが、咄嗟の準備としては上出来である。日本語の補足説明文が所々書かれているので、形だけなら割となんとかなりそうだ。発音の抑揚だけが心配だが、そこはもうご愛嬌としか言いようが無い。
よし行くか。
己の意の中で決意し、ずかずかとカンペを持って歩きながら、何故か気まずそうにしているエイスリン先生のもとへ行く。
「...?!」
何やら驚いている様子だったが、気にしない。
彼女の前に立ち、深呼吸をする。そして両手を膝頭の上のところまで下げ、思い切り上体を45度分傾けながら付随してきた頭を地面の方へ降ろした。
食品偽装やら不正献金やらで問題になって、たくさんの記者のマイクの前で謝罪会見をしている弱き者達の姿が脳内に思い浮かぶ。テレビという会話発生装置によって日常の中の一部として描かれるその歌劇は、毎日の食の団欒を楽しむ中で自分に確かな経験の糧を与えてくれたのだ。主に謝罪のやり方の経験を。
果たして彼らが誠心誠意だったかどうかは預かり知らぬ事だが、日々研鑽してきたのだろう、謝罪の仕草だけはとても美しかった。彼らの様などこに出しても恥ずかしい大人だけには是非成りたくないなと、ご飯を口の中に放り込みながら日々痛感していたものである。
彼らの巧みなる技術は場所は違えど、確かに今、ここへと受け継がれた。
足先に目線を合わせた後、ひと呼吸おいて静かに頭を上げる。これが謝罪の意をボディランゲージで表した時の一連の流れである。
反応は、どうだろうか。
顔色を確かめる為に、頭を表へ上げる──
謝罪相手であるエイスリン先生はドン引きしていた。
ついでに周りの観客達もドン引きしている。
ええ、なんで……?
「何か喋れ……謝罪するつもりなんだろうけど、何も喋って無いぞ……」
予想していたものよりも遥かに悪い反応に困惑していると、すぐに横から助け舟が出される。
しまった、緊張しすぎて忘れていた。
「え、えっと……
カンペを読みながら何とか英単語を紡ぎ出す。今の自分は英語を喋っているのでは無く、予め用意された半角のカタカナを喋っている様なものだ。
「
「
「
「
「
英会話の雨あられはやめてください……。ええい、なんて言ってるか分からん。
しかし、続けなければ……。
「
会話文の最初を接続詞で紡ぎ、後に続く言葉を濁しながら考えるのは事を先延ばしにする悪い癖だ。しかしそうも言っていられない。細かな返答が返せない以上、会話のキャッチボールは成り立っていないのだ。バッティングセンターに置いてあるピッチングマシンの様に、機械的に他者に英語を投げつけているだけである。打ったボールがこっちに飛んでくればぶっ壊れてしまいます。
ええと、この次はどうすればいいのだろうか……。
助けを求める様にして急いで目を下に流せば、なんとカンペはもう既に最後に近いまでになっていた。もうちょっと書いてくれよと愚痴を小さく吐き捨てながら、焦りの気を紛らわす様にして下へ読み進める。
すると、一番下の方に何か文字を見つけた。
【最上級の謝罪文(最終手段)】
そう、小さく書かれていた。
一目見て──あっ、これしか無いなと想った。
書かれているカナをそれらしい発音で、何とか頑張って繋げ合わせる──
「
「
どんな意味なのかは分からない。しかし、かなり効果は大きいに違いない。なんてったって最上級なのだから。
そんな最上級の謝罪文を言葉に起こせば、エイスリン先生は少し考え込む様な動きを見せた。
「
どうだ、いけるか……?
頼む、行ってくれ……!
「
その言葉を皮切りに、朗らかに咲誇る花々の様な会心の笑みをその頬に存分に浮かべながら──
「
エイスリン先生はそう言った。
「
初めて出会った時の様に少しにやにやとしながら。
相変わらず聴き取りは苦手なままで、全部を把握するのは不可能だったが、最後の言葉だけは何となく意味が分かった。
それが答えならば、望むところである。
もしかして一人称じゃ、闘牌描写が難しいのでは……