大天使エイスリンちゃんに罵倒されながら国際交流する話 作:アライ
意訳すると磯野野球しようぜになります
翌朝。
窓から差し込んでくる薄明るい光に揺さぶられれば、見知った天井の木目が朝を出迎えてくれた。今日は少しばかり雲が多い様だ。こういう時は大抵昼から天気が崩れそうなものだが、岩手はほとんど雨が降らないのでそこら辺の憂い事は不必要だろう。代わりにアレが降るが。
まあ、そんな適当な事を考えながら身体を伸ばし、いつも通りの朝を迎える。
しかし何やら、いつもとは違う感覚が。毎日同じ様な生活習慣を送っていれば、僅かな違いだけでもすぐに気が付いてしまうものだと分かる。分かってしまう。
とりあえず、今覚醒したばかりの寝起きの頭を何とか動かして違和感の正体を探ってみる。
……ああそういえば、昨日から非日常の連続でした。
「オハヨウ」
目を擦りながら扉を開けて外に出てみれば、少し詰まった様な語感を持つソプラノボイスが出迎えてくれた。どうやら外には先客が居たみたいだ。
あれ、こんな喋り方をする人居ましたっけ……?
「オハヨウ!」
壊れた人形の様に同じ台詞を紡ぎ続けるその声の元を辿れば、確かに彼女がそこに居た。
困った様な表情をしながら、片言の日本語を喋っている。
外では、普段は大人しい鳥な筈のツグミが珍しい事にうるさく鳴いていたので、それに負けない位に頑張って声を張っていた。
「オハヨウ、ゴザイマス……」
「
少し返答に困ったので英語で返してみる。
おやすみとおはよう、これぐらいなら返答は簡単なのだが、果たしてこの場面での返しはこれで良いのだろうか。
「
朝の挨拶をお互い返せば、少しホッとした様な心行きが彼女の身振りに表れた。先に続くのは、いつもの様に英語である。
あれ、エイスリン先生って日本語喋れったっけ……?
「
そんな風にエイスリン先生が日本語を発した事に対して驚けば、少し不満げな面持ちを彼女は覗かせた。
まるで、馬鹿にしないでと言っている様だ。
う~む、考えてみればそうか。単身異国に留学するとなると、日本語の挨拶の定型文はだいたい頭に叩き込んでいないといけないのか。
定型文と言えば……おやすみ、おはよう、こんにちは、こんばんは、さようなら、ごちそうさまでした──列挙して見れば何て事の無い日常的な日本語の挨拶だが、しかし異邦人からして見れば独特の発音を強いられる為に中々難しいモノである。
だとしたら、昨日彼女が言ったおやすみ、という言葉は本物であったのだろう。
余りの眠さに微睡んでいたが、夢では無かった。
自身のこれまでの心情を省みる。
正直、彼女の事をどこか舐めていた所が無かったとは言えない。
英語ばかり喋っていた彼女を、本当に日本語を学ぶ気概が有るのか疑問に思う所があったが、それは大きな間違いだった。エイスリン先生は勤勉で誠実な子だったのだろう。日本語を学びたいという意思が、彼女の息遣いやら姿勢やらで、明確にこちらへ伝わってきた。
なんてことだろうか。思い違いも甚だしい。
頭からバケツ一杯の水を被った様な感覚が身を襲った。はっきりと今、目が醒めた。
「
確かに発音や抑揚の部分に拙い部分もあるだろう。しかし、意味はしっかりと伝わってきた。彼女の意思は、確かに本物だ。
そう分かれば自分の今までの認識がとても恥ずかしい物だと感じてきた。穴が有ったら入りたい気分にまでなってくる。
う~む。何か、エイスリン先生の手助けに成れる事は無いだろうか。
ここまでの想いを見せられたら、それはもう、ただでは居られない。
……そうだ。必ずや彼女の日本語習得の助けになると、彼女自身に誓おう。簡単に言えば、自分が日本語の先生となるのである。それが最大限、今の自分に出来る彼女への誓いだ。
ちなみに、一応初日にやらかした麻雀の事件の罪滅ぼしも入っている。
「
そうやってグッと胸の手前でガッツポーズをしながら誓えば、エイスリン先生は変な物を見るかの様な冷たい目でこちらを射抜いてきた。
なんでだろう。
◇
翻訳アプリという物は素晴らしい。
トーストと野菜を挟んだ簡易的な朝食をエイスリン先生と一緒に摂った後、彼女と共に和室の炬燵でぐだっと成りながら、そんな事を考えていた。
【
彼女はスマホを通して、こちらへ文章を送ってくる。どうやらエイスリン先生は林檎信者らしい。
百ヶ国語以上の言語の翻訳に対応しているというこの翻訳アプリは、二端末同士の通信を可能にする事で対面では言葉が通じずとも、対応言語に翻訳し直し擬似的な会話を成立させる事が出来る優れものである。
送られてきた英文を、機械に翻訳して貰った。
【
さすれば、普通に拒否された。
先生という呼び名を(勝手に)していた事から、逆にコチラが日本語の先生をしようかと申し出たが、どうやら安直すぎた様だった。悲しい。
【
このアプリは何故か翻訳機能の他にスタンプが打てる機能が付いている。可愛らしい物からおどろおどろしい物まで。良く分からない造形をした何かのキャラクターのスタンプだって存在する。
その内の中から、掌にSTOP!と書かれたスタンプを彼女はコチラに送りつけてきた。機械翻訳故に少々違和感の有る翻訳も存在するが、そこら辺はいくらでも別の要素で補完できるだろう。この場合はスタンプだ。うむ。
あ、あれ……おかしいですね。彼女の留学目的は、語学の習得では無かったのだろうか……?
そんな疑問をタイプしながら送れば、すぐに返信が帰ってくる。
【
肯定の意が示される。
ど、どういう事なのだろうか……?
【
発展途上、みたいな時期なのか。確かに教わるとなると、しっかりした所の語学の先生の方が良いよね。
間違った単語の意味や発音をずっと覚えていて、いざ人前で発生する時にうまく伝わらない、なんてのはどの言語でもよく有る落とし穴だ。
日本語でも、確信犯だとか敷居が高いとか、その辺を間違って覚えてしまってる人はたくさん居る。そこらをもし間違って教えでもしたら、自分は責任を取れませんね……。
でもその段階なら、普遍的な日常会話はまだ理解できないのではないだろうか。
【
そう伝えれば、言いたい事は何となく分かると返ってきた。言語が完全に解せずとも、雰囲気からおおよそ理解出来る様になれれば前進である、というのがエイスリン先生の学習に対する指標なのだろうか。
ううむ。しかし、いつも通り……? いつも通りというのはどうすれば良いのか。
自分の家族間でのいつも通りとなると、それはもう日本語オンリーという事になる。
第一言語かそれなのだから当然の話だ。
だがそうなると、エイスリン先生が完全に蚊帳の外になってしまうが……。
【
親指が強調された『良いね!』のスタンプが返ってきた。サムズアップと呼ばれる世界共通の意思表明だ。
なんか意味合いが少し違う様な気もするが、彼女の意思は何となく伝わってきた。
要するに、何となく分かれば良いんだよ!って感じなのだろう。意外とエイスリン先生は適当であった。
【
スマホをスリープ状態にした彼女が、何やら部屋の隅を指差した。
示す先を辿ってみれば、小さなアンティークのショーケース。その中にある金ピカの麻雀牌だった。全面を金メッキされた悪趣味なこの麻雀牌は確か、父がどこかの友人から譲り受けた物だったか。和室の中に洋風の家具があるというだけでも父のセンスの無さが表れているのだが、それに加えてコレだ。
来客が有った際にいつも見せつけている様だが……。
まあ、目に付くよね。
「
そんな事を思っていれば驚きの発言が飛び出してきた。プレイが遊ぶ、というのは誰でも分かる。
えっ、あの麻雀牌を使って麻雀をしろと言うのですか。む、無理です……。配牌分持ってきただけで一ヶ月の食費が飛んでしまう程高い(らしい)のに、どう扱えとおっしゃるんですかね……。
麻雀牌とその他一式で軽く百万越えるぞ。そんなもんに傷でも付けたらどうしろと。
「
驚きの念を存分に前に押し出せば、エイスリン先生はふるふると頭を振った。恐らく、否定の意だろう。
そんなボディランゲージを表したかと思えば、今日も肌身離さず持っていた画板の上に何か描き始める。忙しい。
両耳にいつもペンを挟んでいるらしく、隙あらばいつでもペンを華麗に振るってしまうのが彼女である。
よく分からない空気のまま、数分後。
「
くるりと回された画板には、自動卓と思われる絵が描かれていた。
ああ、何となく分かった。でも今日はなあ……ちょっと厳しいかもしれない。
英語が思い付かなかったので、エイスリン先生の先程行ったボディランゲージをこちらも同じ様に返してみた。
それはそうと、スマホという便利な叡智の産物が有るんだから、ちゃんとそのツールを使ってほしいです。
「
エイスリン先生が抗議の意思を、その言葉に沢山上乗せしていく。
流石に英語に表すのは無理そうなので、機械の力を借りることにした。
【代休なんで無理です。】
雀荘は今日はお休みなので開く訳にはいかない。まあ面子を集めようと思えば集められるのかもしれないが、その候補である父も母も忙しい時は忙しいので、トントン拍子にというのは難しいだろう。
「
そんな文言を機械翻訳して送って貰えば、何やら悲しそうな面構えのエイスリン先生が対面に居た。
う~ん。
きょうはなんにもないすばらしい一日だった──みたいな日常も悪くないと自分は思うのです。
「...」
そうすれば、じい、と買い物で好きなお菓子を買って欲しいと暗に強請る幼子の様に、エイスリン先生はこちらを覗いてくる。
何故か途轍もない罪悪感に襲われた。
なので、炬燵に入って丸くなる事にした。
「
二つのペンを小さく規則的に合わせて、小気味良い音を演出してくる。それはどこか森の中の演奏家の様で。
中々に手際が良いものだ。彼女は絵の上手さといい、これといい、芸の引き出しが多い人である。多芸多才とでも言うべきか。うん。
炬燵に入って、より丸くなる事にした。
「
ええい、そんな事をしてもやらないぞ。
……というのは、流石に意地悪が過ぎるか。
エイスリン先生の──彼女の置かれた状況を考えてみる。
まあ彼女の言い分を纏めると、目的は語学留学というよりも観光といった方が近いのだろう。だとすれば、留学先で楽しい事を沢山したいというのは至極当然の事である。じっとなんかしていられない、というのが心情なのだろう、それが分からない程こちらも馬鹿では無い。
しかしなあ……麻雀はなあ……。ちょっと今日は厳しいかなあ。
もっと別の物は無いか。そう、麻雀じゃ無くてもいい別の何かが無いだろうか。
そんな事を考えて──
思いついた。
そうだ、良いのがあるじゃないか。
「
「物見遊山だ!」
物見遊山。観光という言葉をちょっとだけカッコよくした言葉である。異国の地に行けば、誰だってその地を巡る事だろう。その意思は国を問わずとも同じな筈だ。
幸いな事にこの岩手は──宮守の地は観光に適した変な物ばっかりある。だいたいは遠野物語の所為だ。
エイスリン先生にはこの宮守の名所を巡って貰う事にしよう。
よし、事が決まればすぐ行動だ。
がばっと炬燵から立ち上がる。その勢いや、凝る東北の大地より出ずる新芽の如く。
やはり、存分に羽を伸ばして貰う事が重要だったのだ。急いで父と母に計画のあらましを伝えに行かねば。
「
善は急げという事である。
少しエイスリン先生は引いた様な様子だったが、とりあえず気にしない事としよう。