骨の大地 ―東北地方地獄変―   作:穢銀杏

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一人殺すも千人殺すも取られる首はたった一つ。とても悪事をし出したからは、これから夜盗家尻切。人の物は我が物と、栄耀栄華をするのが徳。こいつあめったに死なれぬわい。

(十六夜清心)



外伝・鐵の徒花

 

 角銭こそは天明の飢饉の遺子である。

 

 人心も、治安も、経済も――あの空前の凶作以来、すべてが堕ちた。

 

 東北地方、特に津軽のあたりでは、野良着姿の百姓までが、蔬菜の出来を語るのと何も変わらぬ顔つきで、

 

「老人の肉、死人の肉は不味くてかなわん。ぱさぱさしていて味がない。ちっとも力がつく気がしない」

「喰うならやはり、女子供か。味が濃くて柔らかだ」

 

 カニバリズムの品評を交換し合ったほどである。

 

 こういう異常な体験は、もちろん長く尾を引いた。

 

 どころではない。経験者の精神を永遠に、不可逆的に変質させたといっていい。

 

 既に人肉喰いという、最大の禁忌に触れている。

 

「いまさら盗も付け火も殺人も、などて憚るべきやある」

 

 奇妙な心理作用だが、それが生存者達にとり、一種免罪符的な効果を発揮したらしい。どうせ救われないのなら、先途は地獄と決定済みであるのなら、地上に於ける悪業という悪業を極め尽くして逝くべきだ。さもなきゃあ、なにやらひどく損をする、間尺に合わない感がする。

 

 無敵の人の心理に近い。

 

 かくて東北の山野には追い剥ぎ・強盗・殺人嗜好の破落戸どもが跳梁し、ここを通る旅人に極度の緊張を与え続けた。

 橘南渓の『東遊記』にも、

 

 

…その時、人を食ふ事だにも常の事に成り、老人の肉、死人の肉は味なし、婦人、小児の肉はやわらかにしてうまし抔、皆食ひ覚へて評する事になれり。是に付て、人を殺す事、家を焼事抔もたやすき事に覚へ、況や人の物を奪ひ掠むる事は誰恥る者もなくなれば、其余風今に残り、盗賊の沙汰のみ多くて、余抔が通行も安き心なかりし。

 

 

 鬼気というか、妖気というか、名状しがたく不穏・不快な雰囲気がまざまざと書き記されている。

 

 どこから手を着ければよいのかさえもわからぬ惨状。

 

 だからといって本当に口を開いて突っ立ったままの姿では、為政者たるの甲斐がない。

 

 復興に向け、仙台藩が動きはじめた。めためたになった台所事情(藩財政)の立て直しを図るべく、思いきった策に出る。独自貨幣の鋳造を幕府に願い、許可を得たのだ。

 

「五ヶ年期限」「流通は領内に限ること」等々の但し書きはつくものの、兎にも角にも仙台藩はカネをつくって()くなった。

 

 せっかく握った権限である、活用せねば嘘だろう。

 

 というわけで彼らは大いにやった。「仙臺通寳」の四字を刻んだ新貨幣、角を丸めた四角形という外見的特徴から専ら「角銭」と通称される物体を、造って造って造りまくった。

 

 

 

 このあたりでもう一度、橘南渓の筆を借りよう。

 

 

 

 京の都を幾千里、山河を踏み越え遥々と、白河関のずっと奥、仙台平野にこの医師殿の草鞋の跡がついた際。奇しくも彼の地の事情にあっては、「国中に角銭みちみちて」――仙臺通寳の流通、(たけなわ)なる時期だった。

 

 南渓もまた、様々な用に弁ずべく、さっそく手持ちのいくらかを角銭に変えたものである。

 

 が、すぐに後悔した。

 

 理由は大別して二つ。

 

 一つ目はごく単純に、角銭の質が悪いこと。

 

此角銭甚悪敷(あしき)鉄にて、破砕くる事石瓦も同じ様也」――「財布に入れただけで壊れる」「百文を支払っているうちに、二~三文は駄目になる」と方々で批判されるほど、角銭の壊れやすさときたら折り紙つきなものだった。

 

 耐久性の低劣は、勢い貨幣それ自体の信頼性の低下へと波及せずにはいられない。

 

 橘南渓の見ている前で、角銭の価値はどんどん下がった。

 

初には金壱歩に角銭二貫三百文を買いしに、毎日銭相場下りて、後には二貫七百、八百、九百にも及べり」――これが二つ目、自由落下もかくやとばかりの、急速な値下がりぶりである。

 

「この調子だと、一ヶ月後には四貫のラインを割ってしまうのではないか」

 

 半ば本気で、南渓は予測したものだ。

 

 銭相場の変動に合わせて、あらゆるすべてが騰貴した。

 

 従来四~五文だった草鞋は十六~七文、下手をすれば二十文を放り出してやっと購う域であり、かつて一泊百二十文を謳った旅籠は三百五十文払わなくば床を貸さぬと言い張った。

 全体的に三倍程度の値上がりである。「替らざるものは宿継人馬の賃銭のみ公儀の御定の通り也。此故に宿々の困窮も亦甚し」――なんだか『東遊記』の記述が段々と、社会実験の報告書に見えてくる。

 

「仙台侯はなんだって、態々こんな粗雑な銭を鋳ったのか」

 

 橘南渓は首をかしげた。

 

「わしならきっと()をする」

 

 すなわち寛永通寳よりも――世間一般に流通している「丸銭」よりも質のいい()を作製し、衆の輿望を掻き集め、以って流通の拡大を待つ。ごく穏当な常識論を述べている。

 

 もっとも南渓の本領は医術であって経済ではない。

 

 理論と実際の食い違いは世の常だ。経済学の分野に於いて、その弊は特に甚だしい。素人玄人のべつなく、立てた予測は片っ端から踏み躙られる。常識など時として、一文の価値も持たぬばかりか逆に負債のタネになる。

 

 橘南渓の聡明さは、どうやらそのあたりの呼吸をもなんとなく察していた点だ。

 

「わしならこうする」のすぐ後に、「さりとて所詮こんなのは、素人の机上の空論だから」と予防線を張っている。

 

畢竟是は机上の論なれば、直に政を取る人の上にては、かくのごとくならざれば不叶(かなはざる)道理も有にや」――一国の政治を左右するお歴々ともあろう頭脳が、この程度の考えに逢着してないはずがない。きっと自分のような門外漢には片鱗さえも掴めない、なにか深遠な計算が働いてるに違いない。意訳するならこんな具合いか。みごとな韜晦の手腕であった。

 

「灰色」こそが安全地帯だ。迂闊に白黒決してしまうと馬鹿を見る。趨勢に確信が持てるまで、自己の意見は適当に煙らせておくがよい。

 

 





支那人は人を怒らせるのが好きだ。人が怒っているのを見るのが好きだ。日本は申し分ない小さな「怒り蟲」である。日本人、殊に日本軍部にはヒステリーの気味がある。彼等には脱離の心がない、そして不幸にも黒は黒、白は白と強く信じている。一方日本より更に狡猾な、聡明な心の支那人は、辛抱強く待てば白も黒も灰色に変化するということを知っている。

(ハリー・カー)

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