繭に照明ダイオード光がみち、目覚める。静かな音楽が一気に激しいリズム、寝ボケが吹っ飛んだ。気分もいい、酸素濃度が高いからか。
壁のサブディスプレイを見ると……〇五四〇? 急がないと。
“わがまま、バカじゃ生きていけない、自由でなきゃ生きる価値はない”と、あのあと書いた繭の壁を空ける。
風呂で中水で泡だてて海水で洗い、最後に中水で流して更衣室にいくと、もうみんな着替え終わっていた。着替えとかは個室のほうがいいかもしれないけど、ここ……食糧・エネルギー生産メガフロート居住区に、そんなスペースはないのもわかってる。
本土でも繭が普及してるようだし。
あ、二十一世紀初頭の読者がわかるように説明するんだ、面倒だな。繭、というのは一部持ち上がって安楽椅子のようにもなるベッドを中心にした、地上の……そう、昔のテレビで見たカプセルホテルのような個人のスペースだ。
右手側の壁が全部棚。壁に折りたためる机板もあり、それを倒してベッドの背を起こすとちょっと懐古趣味のコタツに座椅子のようになる。左手の壁が開いて出入り口になる。
右手側、棚の下にある長く大きなスペースに、昔はパソコン、ゲーム機、テレビ、ビデオ、ラジオ、有線、レコードプレイヤー、電話、時計などと分かれていたらしい総合端末が入ってる。
それに全体で音響を計算されて7・1サラウンドと、最近は三次元ハイビジョン多目的接眼ディスプレイがついてる。昔は映画でいい映像を楽しんでいたらしいけど、今はいい繭を借りるのがいちばんだ。ライブが最高だけど、もちろん。
天井は、背は大人並みのオレが背もたれを起こし、手を普通に挙げたら届く程度。
容積が小さいから空調効率もよく、酸素濃度を高めれば勉強などの効率もいい、とのことだ。停電になったら自動的に窓が開き、外気が通るらしい。
コンピュータも昔のパソコンより容積が大きいから安い。いくつも繭がある家や寮なら、まとめて一つの大型コンピュータで処理することもできる。
問題は、上級生によれば女の子と寝るには不便だってこと。船や倉庫など色々苦労しているらしい。
朝食はかわりばえしない七分づきご飯、蒸し魚、地元製ラクダベーコンと豆とトマトとチーズのスープ、ぬか漬けのヤシの新芽やビート、大根。
もう飽きてるけど、本土の人にはおいしくて健康だ、ということらしい。
明日は本土からインスタントラーメンが届いてるはずで、楽しみ。またハワイまで航海したら、あのおいしい料理が食べたい。
朝ネットの暇は……まあ、学校に着いたらゆっくりやるか。
家族区域から出ても、この居住、軽工業メガフロートは半透明の太陽電池で覆われて薄暗い。でも、港に出れば朝とはいえ強烈な回帰線の日光が刺さる。波の照り返しで海面がまぶしい。
埠頭には、子供たちが集まっていた。
見上げる大風車は相変わらず力強く回り、遠くには海鳥の群れが立ちのぼっている。昔は風車が鳥を殺すと問題になったが、レーダーで一定空域を見張り、動くものには自動的に死なない程度のレーザーを当てる防鳥器が解決した。
「今行くよ!」
「くるよ!」
これって何か意味があるんだろうか。物心つく前からみんないうけど。
「由、今日は掌帆長(ボースン)お願い」
「ん」
と答え、昔は大きく感じたブリッグに飛び乗った。
「ん、じゃないでしょ、今日はあたしが船長よ!」
「はい、わかりました! っ……」
くそ、明日はオレが船長だから、そのとき何かミスったら覚えてろよ……
ぐっと揺れが来る。いきなり外洋うねりがもろ……といっても、内陸の波なんて数回しか知らない。
ここ、太平洋のど真ん中、硫黄島と南鳥島の間にある日本第七メガフロート群の4番、通称新緑ケ丘が故郷だから。
少し動力を借りてしっかり畳まれた、強化蜘蛛蛋白・炭素複合繊維の帆を広げると、ぐっともやい綱が張り、水が滴る。
「全員そろった? 出港(アヘッド)!」
「ほら、しっかり持って。とも放します(レッコ)、サー」
と、小さい妹の美香にもやい綱をちょっといじらせ、離させた。ぐっと吐き気がくるけど、抑えこんで遠くを見て……酔うのは恥じゃない、仕事ができないのが恥なんだ……といっても恥ずかしいものは恥ずかしい。
埠頭を離れて、美香がほっとしたように吐き、こっちもほっとする。困ったところが似たよ。
「酔うのは恥じゃない、仕事ができないのが恥なんだ」
「お兄ちゃんこそ、ちゃんとやってる?」
「通学船220……443……14、0623、硫黄島学園人工島に向けて、出港しまーす!」
船長室から、葉波のよく通る、少しかすれた声が聞こえてどきっとした。吐いているのを見られたか……?
「気をつけて!」
おっと、
「みっち、三番帆脚索(シート)を右に引いて。ハリー、もっとやさしく(ハンサムリィ)……うん」
裏帆を打とうとした帆が、うまく風をはらんでぱんと張り、ぐっと船が動き出す。
船酔いはいやだけど、この感覚はたまらない。陸で生まれるか海で生まれるか選べるとしたら……って、吐いてるときは迷わず陸を選ぶけど。
波と磨かれた甲板が、かっと照りつけてくる日光を照りかえす。今日は学校島に行けるので張り切ってる基礎準備校の子供たちが、鼻をつまみながら船底の水(ビルジ・ウォーター)をポンプで排水……するはずが水遊びを始めている。
甲板を、洗うそばから湯気がたつ。
基礎準備校も新しい学制だったな。四歳から十歳ぐらいまで、週六日で午前は読み書きそろばんと新素読と科学の初歩、午後は運動や音楽、色々な遊びを大体年齢別にやっている。落第したら合格まで補習学校。ストレートで卒業できるのは半分くらいで、オレも半年遅れた。葉波と峰はストレートなのが悔しい。
地域が運営するからいつもはメガフロート内だけど、週に一度は学校と船に慣れるためこうして出かけている。
「こら!」
また、葉波の声にどきっとして、裏帆を打ちかけた。
行きは順風だから、まあ苦労はそんなにしない。
海鳥が、まるで入道雲のように集まる人工マングローブ林メガフロートに近づく。その海鳥もあちこちに肥料分を散布してバランスよく広い海域の魚を増やしてくれる、大切な要素だ……けど……
鳥たちが帆桁(ヤード)で休もうと、ざっと寄ってくる。航跡がなんともいえない緑褐色に染まり、独特のにおいがする。
いい眺め? とんでもない。
「わあっ、ついた、」
「やーい、ふん、ふん、えんがぎゃっ!」
「みぃもやられた! ふってくる!」
「甲板洗いなさい!」
「刺された、虫がくる!」
「勝手に海に入るな!」
特に基礎準備の子供たちがいると収拾がつかないもんだけど、葉波の一喝はきくな。
海鳥が糞の雨を降らし、いろいろ汚れるし人を刺す虫も飛んでくる。
まして、ここに汚水汚物を運ぶ生存公役は、二週間に一度だけどいやになる。
食糧生産メガフロートの風呂やトイレ、それに農業や家畜、水産加工の排水を処理しているだけでこんななら、大都市の近くにあるという汚泥処理専門人工干潟メガフロートに汚水汚物を運んでいる大型タンカーなんて、どんなに大変だろう……間違ってもやりたくない仕事だ。誰かがやらなきゃいけないが。
あと、ここは漁礁として珊瑚も含め水面下にいろいろ延びてきているから、注意しないと大変なことになる。まあ葉波は信頼できるし、いざというときはちゃんと大人がみていてくれてるから、大丈夫だろうけど。
それにしても、今朝はなぜここに近づいたのだろう? なんか最近隠しごと多いな。
「エンジン始動します。出力……」
「了解!」
音もなく、最近スクリューに本格的に取って代わった水素燃料電池の常温超伝導電磁推進機関が水を吐く。航跡に力強く押し出され、塩素臭がかすかに漂う澄んだ線ができ、微妙に帆の感じが変わる。
といっても多くの船には安全のため、従来型のディーゼルエンジンとスクリューもついている。ディーゼルといっても、昔のように石油精製燃料なんて非常識なことはない。そんなことをしたらとんでもない再生不能産業税をとられる。再生可能な精製植物油だ。
ぐっと船が加速され、また帆の感覚が変わる。燃料を節約できるよう、また予定外の方向変換を起こしたり、帆やマストを破損したりしないよう、推進と帆走を併用する際にはこっちも注意しなければならない。
ローテで任されるようになって半年、最近やっとコツがつかめてきた……と思う。
次は東で別の農場メガフロートに寄って、そこは子供が少ないから十人ほど乗せて……おっと、帆がばたついた。
「帆脚索引いて!」
ちなみに水素燃料電池も実用化されたのは二〇一五年前後だったらしい。そのころにやっと、貴金属を使わず鉄とナトリウム、アルミニウムなど安価な元素素材を原子単位で制御して作る触媒と、同様に原子の網で水素を効率よく安全、安価に貯蔵するシステムができた、ということだ。
「予備スクリューも錆止め運転するから、ちょっと帆を絞って!」
はいはい……きた!
やはりオレも、このドドドドっていうディーゼルエンジンの音が好きだ。ガソリン車がいいという大人の気持ちもわかる。
四十五分ぐらいで着いた学校も洋上のメガフロート。硫黄島周辺の生徒数六万を数え、三分の一程度が我々通学生、残りが寮生だ。
通えないほど離れたメガフロートの子供も寮に入るし、本土からわざわざ入る子もいる。
帆をたたんで、エンジンで港に滑りこむ。オレはもやい綱をつかんで埠頭に飛び移った、拍子に誰かにぶつかり、押し倒した。
むにゅ、と頬に柔らかな感触……これは、このあったかくてやわらかくて……
「ヘンタイっ!!」
叫び声と同時に、海に叩き込まれた。
ちょ、ちょっと待て! 繋留されそこなって波に揺れる船と埠頭のサンドイッチ……なぜか、ケチャップいっぱいのハンバーガーにかぶりつくイメージ……
迫る船が弾むようにずれ、オレのすぐ右手で埠頭にぶちあたった。
「もやい綱とって!」
「もやい綱ってなに?」
もがくオレの上で、そんな言葉が……それどころじゃない、水が巨大な腕のように……引きずり込まれ……うわ……
我に帰ると、なんとか、もやい綱が足に絡んでいたのが幸いして引き上げられたようだ。
「ちょっと、なに考えてるのよ! 海に冗談はないの、命に関わるのよ!」
「乙女を押し倒して、触ったヘンタイに、制裁を加えて、なにが悪いの!」
ぐぇ、げほ、ぺっぺっ。うーっ……
「あ、生きてた……死んでればよかったのに」
「ヘンタイ! 死んでればよかったのに」
二人の女の声がハモる。
大柄で堂々とした印象の葉波とは対照的に、すごく華奢な女の子。
真っ黒な髪と白い肌も、アメリカ人とのクオーターでブロンド、濃く潮焼けした葉波と対照的だ。
こんな、日本人形みたいな女の子があんな極悪なことを?
まあいいや、とにかく……間一髪助かった……
あらためて震えがくる。もし今日の船長が葉波じゃなかったら……あ、結局悪いのは、安全確認せず飛び移って、大切な繋留作業をし損ねたオレか……
「……すまん、助かった」
「謝るのはわたしにでしょ!」
……海の危険をわかっていない、全身でおかものです! と叫んでるやつなんか知るか。多少可愛くても。やわらかかったけど。
学校で、朝礼前にケーコ……ケーコも説明するか、まず腕時計、音楽を聴くウオークマンやラジオ、そして二十世紀末に携帯電話、ゲーム機、PDA、ノートパソコンと別々に発達したものが、二〇一〇年ごろ米軍と企業の共同研究から接眼ディスプレイ中心に革新されて統合、標準化された。
3Dのヘルメット型、ヘッドホン+マイク+サングラス型、ゴーグル型、2Dのスカウター型、腕時計型、懐古的なノート型など色々はやりすたりがあって結構面白い。
オレのは第二次大戦飛行帽型でグローブ入力。ちょっと古いしディスプレイを下ろさないと操作できないのが不便だけど、飽きのこないデザインで、ヘッドホンがかなりいいし3D映像もOK。本体も小さいの、大きいけど高性能なのと使い分けられる。
それでネットをちょっと回っていると、朝礼が始まった。
メールで転校生の噂が飛びかっている。
もうすぐ夏休みなのに、いやそれより女か男か……げ、さっきのおかもの!
「埼玉から来た転校生の、岡野えまです。緑海寮に入ります。よろしくおねがいします」
同じクラスかよ。といっても、オレたち十八歳までの高等義務教育では、クラスなんて行事と掃除と給食と朝礼、それにいくつかの生存公役ぐらいしか関係はない。必修は徹底して習得してはじめて上に行ける積み重ね式だし、選択は十一歳から四十過ぎの生涯教育受講生までなんでもあり、もちろん習得度別の単位制だ。
昔は全部の授業を同い年だけの学級でやっていたそうだけど、それはめちゃくちゃだよ……先に行ける奴は時間と才能の浪費だし、ついていけない奴は必要な知識を習得できずに卒業することになる。
それに、どうしても嫌な奴がいたらどうなるんだ? 最近読まされた『ソロモンの指環』という本によると、狼は降参ポーズをした仲間をかみ殺さないよう本能にプログラムされているけど、牙がないハトはそれがないからひとつの檻に入れると残酷につつき殺す。人間もハト同様、素手じゃ仲間を殺すのが難しいから抑制本能がないそうだ。
その人間を一日中同じ教室に閉じこめるってのは、ハトたちを逃げ場のない檻に入れるのと同じことじゃないか。船と違って年齢も同じ、伝統やノウハウもないのに。
ひそひそ、とまたおかものか、という会話が交わされる。ここもまあ、逃げ場がないというほどじゃないけど狭いしな。
しかも、すぐ後ろの席ときている。
「よろしくね、あたしは相原葉波」
さっき怒鳴り合ったのも忘れたのか、葉波がもう仲良く話しかけている。
「それで、第三次石油危機をきっかけに日本の年金と財政、アメリカのドル、中国の人口と共産党支配が破綻したとき、互いに争って世界を戦乱と飢餓と混乱に陥れ、文明の衰亡を招くか、それとも文明国が手を携えて本当の共通の敵、貧困と無知と環境破壊と抑圧と専制と戦うか、“人類文明の幸福な存続への総力戦”を旗印にした日本の……」
退屈な講義に、ふと最近ネットで読んだりネット配信映画で見た、『北斗の拳』や《ウォーターワールド》の未来像を思い出す。本当に戦乱があったら、たしかに週に一日半と月一度の三連休は自由だけど、大人も子供も義務と面倒が多い世界ではなかったのだろう。
「……失業者や各国の余剰人口を吸収するため、大植林運動が起きました。さて、大植林運動の主な舞台はどこでしょう……長谷川くん、長谷川由くん!」
「由」
隣の葉波の声に、びくっとした。
「は、ええと」
「中国」
「それだけじゃ不十分よ、皇太子が花粉症だったからその対策として、首都圏近郊の杉林を植え替えたのがきっかけでしょ」
なぜか転校生が文句をいう。
「規模は中国、それにアフリカや南アジアでの世界的な運動のほうが大きいじゃない! グリーン・バイ・フード・トウ・ホープ運動で指導的な役割を果たしたのは、サー・ゲイレスとアフガニスタン出身の……」
「相原さん、岡野さん、討論は自由討論の授業でしてくださいね。長谷川くん、罰点1。これで現代史は罰点10、宿題としてチャーチルの『第二次世界大戦』を原文手で書き写し、自分なりに訳しなさい。できるまで現代史三の単位は認められません」
ぷいっと、葉波と転校生の視線が頭上で切り結ぶのを感じる。
「復習に原くん、グリーン・バイ・フード・トウ・ホープ運動、GFHMとは?」
「あ、ええと……はい、先進国の再生不能産業税を財源に、植林と引きかえに最低限の食料と水、そして初等教育と医療を保障する運動です」
「よろしい。でもとっさにケーコで調べるのもいいですが、ちゃんと本で読んでおきなさい。みなさんもいいですね、その情報は本の目次程度でしかないですし、全文プラス動画があってもウェブでは本の十分の一も頭に入りませんよ」
もちろんディスプレイで本のようにテキストを表示することもできるのだが、やはり紙のほうが便利だ。だが今世紀初めまで横行した原生林伐採のような狂気の沙汰はもうない……再生可能林業かケナフ、遺伝子改良麻・竹を原料にしている。
「さて、経済危機を解決するために各国と円卓は、まったく新しい分野で、しかも環境を破壊しない大きな公共事業の必要に迫られました。全地球規模の植林、食料増産の中心を耕地開発から海洋開発に移すこと、絶対的貧困の解消、石油から太陽・水素への第四次エネルギー革命、そして遅れていますが本格的宇宙開発です」
その言葉に、オレは一気に目がさめた。
軌道エレベーター計画がやっと再来年から始まるらしい。
エネルギーも、軌道エレベーターと宇宙太陽発電が動き出せば事実上無限になる。うちのような食糧生産メガフロートも、海水淡水化のための太陽光発電に多くの面積をとられることなく、全面積を耕地に使えるかもしれない。
そうだ、水素は単なるエネルギーを運ぶ電池でしかない。本当に新文明と言えるのはエネルギーが事実上無限になったらだ。いや、核融合も、でもまだ無理だってことは……ええと、エネルギーは今世界ではどうなってるんだっけ。来週の自由選択はそれにするか。
「そこで社会主義と新自由主義、福祉国家と開発独裁すべてのシステムが破綻した……」
「さて、これを見てごらん」
「これ、発泡コンクリート?」
「そう。今ここも支えている、メガフロートを本格的に始動させた革命的建築素材ですよ。
みんなちょっとづつ手に取ってみなさい」
「なんか、やわらかい泥みたい」
「べたべたして、変」
「あったかい」
「うり」
と、峰がオレの頬にそれをかぶせてきた。
「やったな!」
と、仕返し。
「こぉら、基礎準備校生じゃないんだから。よく洗ってきなさい」
実技室の水道で顔を洗って戻ると、先生がシャーレと顕微鏡を用意した。
「これは、発泡コンクリートの泡を出す、遺伝子改良真菌よ。
嫌気性、酸素がないところで増え、生の特殊なコンクリートに含まれた特別な栄養を分解してガスを出すの。ちょうどパンと同じように、混ぜられた炭素繊維や結晶をうまくならべて、木材によく似た、無数の部屋のような……ほら、こっちの顕微鏡ものぞいてごらんなさい、こっちが薄く切った木材で、こっちが発泡コンクリートよ……」
「どうなってるんだろ」
「似てるけど、こっちは三角形だね」
「へんなの」
「うわ、ぶつぶついってる」
「ちょっと、割り込まないでよ!」
「由、いつまでも泡コンをいじってないで並ぼうよ」
でもこれ、なんか気持ちいいんだ。ちょうど水田の泥みたいで。
「普通のコンクリートは骨材として砂利や砂を使うの。要するに、コンクリートは接着剤のようなもので、本当に建物を支えるのは骨材なんだけど」
「でも、発泡コンクリートの表面に、小さなぶつぶつが無数にあるんですけど、砂利や砂じゃないんですか?」
「砂利や砂を入れたら、いくらガスで泡構造ができても沈んじゃうわよ。
それは別のところで作った密度の低い結晶を骨材として入れているのです。
本質的には普通にある石と同じ酸素、ケイ素、アルミニウムなどの結晶だけど、軽く化学的に安定していてとても丈夫。それがセメントの結晶と絡んだ炭素繊維とうまくなじみ、泡を正四面体を集めた構造にして、全体を木材みたいに軽くて丈夫な構造にしているの。砂は炭素繊維やコンクリートの泡になじまなくて、うまくいかなかったのよ」
ん?
「じゃあ、その結晶を自由に加工できれば、鉄のように強くて軽く、さびない素材になるんじゃないですか?」
「それはさすがに無理ね、単結晶の大きさは三ミリが限度で、しかも形も限られてるから。でもできたらすごいわ、将来やってみなさいな。
あとこの実験もしてみましょう。これを配って」
と、全員に何本か鉛筆ぐらいの木の棒と瞬間接着剤が配られた。
「正方形と正三角形を作って潰してごらんなさい」
ナイフを出して角になる部分をちょっと削り、接着する。少し待って乾いたのを確認し、潰してみた。
「四角形は潰れやすいけど三角形はなかなか潰れないでしょ。四角形は、角の角度を変えれば潰れるけど、三角形は角自体が壊れるまで潰れないから。
同じように正四面体は潰れにくいから、発泡コンクリートは比重〇・六八で鉄筋コンクリートに匹敵する強度があるのよ」
あれ、なんか変だ……なんだろう。
昼休み、学校の本屋で『第二次世界大戦』を手にして、オレは真っ白に崩れ落ちた。ただでさえ英語は苦手なのに……七カ月しかない……昔あったというゆとり教育とやらが羨ましい……
何なんだこの分厚い本は、これ全部英語かよ……それを書き写して訳すのか……日本語訳もこの分厚さ、こっちを丸写ししろといわれてもきついんじゃないか? テキストを手で書き写したり暗誦したりは基礎準備校からやってるが、これは桁が違うだろ。
「うわ、海も結構きついのね。でも本土じゃもっとすごいこともあるわよ」
と、なぜか転校生が話しかけてきた。葉波と意気投合しているようだが。
「るせ……」
「でも、これでもう英語も得意になるね。いやでも。それとも現代史捨てる?」
「じゃかあしい」
葉波って、オレより九カ月先に生まれてストレートで基礎準を出たからって、やたら年上ぶるんだよな。
月曜の午後は食糧生産メガフロートの立ち上げを学び手伝うため、八丈島沖まで行く。これで生存公役と授業単位の両方になるから便利だ。ついでに運動の義務も果たせる。
オレの世代には当然だが義務が多い。生存公役、全世界と国の義務教育だけでなく、毎日最低十分の瞑想、最低週五日三十分の運動、要約を書かされる映画や読書などいろいろ。
バス飛行艇で早速『第二次世界大戦』を機械的に手写ししはじめるが、もちろん同時にこっそりケーコで音楽を入れる。
で、結局ゲームを始めてしまって、ほとんど手写しは進まなかった……『それが君の本当にやりたいことか』と、ケーコの文字。うるさいな、常駐ソクラテスは……それに大人にもまた言われるか、週三日の生存公役だけで配給、福祉に頼る側になるのか、嫌なら学べ、人生に背を向けるな、と。
八丈島が見えるところまでくると、微妙に海の色が違う。
ぼうぼうに草が生えた、緑のマットのようなメガフロートが大きな帆をつけていくつか漂っている。
その横には白く輝く太陽電池メガフロートもいくつか並んでいる。
風力でゆっくり自走しながら、一年近くかけて北回帰線にたどりつくのだ。真水さえあれば、回帰線前後の日射しでとても農業効率がいい。
着水……このときのショックと、いきなり襲ってくる強烈な船酔いはいやだが、飛行艇のほうが気楽は気楽だ。
小船でメガフロートに降り、着替えや道具を積んだ箱を引き上げて、早速作業服に着替える。
といってもやることは実に単調だ。伸びた草を刈って土に混ぜるだけ。
まあ、トラクターを扱ったりするのは楽しい。
主にマメ科の雑草が、先週より緯度が低くなり、夏が近づいて強まった日差しの中、身長より高く茂っている。
先週刈ったばかりのところも、もう膝まで伸びている。
トラクターでは歯が立たないところは、手で刈るほかない。かなりの重労働だ。
波風も強いからだいぶ塩しぶきが入っている。草の汁をなめたら辛い。
「だいぶ塩分が増えているから、全体を刈ったら水を増やして塩抜きをするぞ! 刈り終わったら集まれ」
先生の声が遠くで聞こえる。とにかく広い。
「うりゃああああっ!」
と、晴樹が大きな鎌を二刀流で振り回している……相変わらず元気な奴だ。
「今日は長谷川の番だな、」
と、トラクターの補助席に乗った先生が招いた。このときを待っていた!
授業の初めに簡単な講習は受けたけど、本気で動かすのは今回が初めて。
ぐるぐる回る、バネかある種のパスタのような鋼の歯を確認する。のどが鳴る……人間が簡単にミンチになるし、うっかり点滴灌漑パイプを傷つけたらえらいことになる。
スタートボタンを押すと、ディーゼルエンジンが精製植物油を食って力強く回り始める。ディスプレイに、エンジンからバッテリーに電力が流れ込んでいるのが表示される。
「離れて!」
「前方、右、左、後ろ、安全確認! はじめます」
「ストップ、ちゃんと指差し確認しろ」
「はい、」
力強く、だいぶ刈り倒された草が切り刻まれ、土とかき混ぜられていく。むらがないよう何度も往復して……
ものすごい力に、酔う……
「終わったぞ」
「は、はい」
「お疲れ」
信じられないほど、草を刈っているとき以上に疲れてる。
「こら、暑いのはわかるがケーコを外すな。事故があったとき頼れるのは七つ道具だけなんだからな、去年のあれを思い出せ」
かっと、オレと葉波の顔が熱くなり、みんなが注目する。
ケーコだけじゃなく、海上生活者の海難七つ道具の常時着用は日本、アメリカ、EU、ベトナムでは義務だし、最低限の端末は世界全員に配られてる……はず。
七つ道具も説明するのか、防水耐塩のケーコか非常用発信機、手鏡、浮きベルト、サメよけ剤、簡易釣具、蒸留器、氷砂糖、防水ライト、ロープ、チタン合金製MPT(注:マルチ・パーパス・ツール。ナイフやドライバーなど工具がついたペンチ。折りたためるものが多い)など、海に落ちたり流されたりしたときの命綱だ。太い、ズボンとは別のごついベルトに、いくつかポウチがついた形が普通だ。
「さて、前も言ったとおり、特に西アフリカ沖や西太平洋、中国では、砂漠の不毛な土がまずメガフロートに入れられる。だが、マメ科の植物は窒素を固定できるから、窒素以外の燐酸カリ、微量の鉄硫黄を中心にした肥料をやっては草を茂らせ、それを土に混ぜていけば土の中の小さな生き物がそれを分解し、いい土に変えてくれる。
だが、注意すべきなのは……山中」
「はい、土のpHと、塩です」
「そう、特に化学肥料を大量に与えていると、どうしても土が酸性になる。だからといって石灰で中和すると、土が固くなって土壌生物に害がある。だから農業をはじめる前に一年はかけて草を育てては混ぜて腐らせ、有機質の多い土にしなければならない。
刈った草を処理して土を肥やしてくれる土壌生物は、長谷川」
「はい、ミミズと……」
「特に重要なのはほら、ここにもこんなにいるミミズだが、他にも多くいる。みんな、特にその温度、水分、pH、塩分濃度の限界を含めて調べてくるように。まとめてテストに出るぞ。
さてキャラウェイ、pHというのは何のことだ?」
「え、ええと……ぼく、ケミカルはまだ、アシッド、酸とかアルカリ……」
「ウェブで調べるように、皆もだ」
みなケーコで、少し遅い衛星回線でだけど学生にはフリーで開放されている大英百科事典日本語版(アメリカ出身のジャン゠キャラウェイは英語で)調べ出し、メモした。
「さて、そして塩は真水で抜く。といっても再来年ぐらいにやるか、土と塩はイオン関係でいろいろある、興味があれば今送ったのから予習すること。このようなメガフロートは、無限に地下がある大地の農場と違って、本質的には海に浮いたたらいでしかない……ここの底にも大きな排水スペースがあり、そこに排水を流し込む。
だから今日は、これから真水を、土表面から多めに与える。普段の給水は地中のパイプからだがな。明後日には大雨が降るから、そんなにやる必要はないんだが。まあ、ホースとスプリンクラーを用意! 同時にやることは何かないか?」
「ええと、排水をくみ出す準備は必要ないでしょうか?」
「よし清水、正解だ。塩と肥料が混じった排水はどうする?」
「排水タンカーに汲み出して、栄養がない海に少しずつ流します」
「そう、実はもう呼んである。一時間後には着くはずだ、それまでに水をちゃんとまくぞ、班ごとに競争だ! ほら、ちゃんと自分でもう一歩進んで! ここで集めた排水は、どこの海にまくのが一番いい?」
終わってからしばらく海で泳いで、余計疲れて帰ってくると、
「ただいま……」
なぜか例の転校生と葉波がいた。
「……」
「おかえり」
「え?」
なんでここにいるんだよ、寮だろ、というのを葉波が制し、オフクロと二人で説明をはじめた。
要するに、寮がいっぱいで、こいつの親とオフクロが親しかったから、それで当分うちに住むことになった、ということらしい。
「男の子もいていやだと思うけど、変なことしないようわたしと葉波ちゃんで十分監視しますから、ごめんなさいね」
「いえ、どうも……」
「勘弁してくれ、オレは今朝こいつに殺されかけたんだぞ!」
きっと転校生が目をむき、何か言おうとしたが、
「じゃあ去年のあれ、これで貸し借りなしにしたげる」
と葉波が言ってきた。かっと頬が赤くなる……あの漂流はどっちも悪いけど、オレがミスしたせいで彼女も死ぬところだったんだ……
ふと思う。あれ以前と今の一番の違いは、みなが安全のために子供に何もさせないのではなく、なんでもやって学ぶのが中心になったことだ、と。まあ七つ道具のおかげで、死者はそれほど出ていないが。
「じゃあ仲直り!」
と、強引に葉波がオレと彼女の手をとり、握手させた。
向こうも嫌そうだが、こっちも嫌だ……手はあったかくて柔らかだけど、葉波みたいにロープと海水で固まっていないってことだから……
食事中、オフクロは努めて親しくしようとしていたのは、得意の合鴨のローストと潮汁、貝とパイナップルのココナッツミルクカレースパゲッティ+牛ラクダ合挽ハンバーグ、自家製ぬか漬けというメニューでわかる。
彼女も、オフクロや美香には親しく話そうとしている。
「これ、なんですか?」
「敬語なんていいのよ、家族なんだから。これはバナナとヤシの成長点のぬか漬けで、ここではよく食べてる野菜なの」
「メガフロート農場でね、あちこちの食べ物と日本の知恵がうまく、ええと、おいしい食べ物がたくさんあるんだよ。
それにね、昔日本軍が南洋で戦ったときも、色々な知恵があってね、それが」
美香が彼女に夢中で話しかけている。
「本土ではお肉も高いんですって? 魚だけじゃなく、海藻を牛に食べさせたりマングローブの葉をラクダに食べさせたりしてるからお肉も安いのよ。たくさんおあがりなさい」
「特に内臓はね」
「こら由」
どうせおかものだ、誰が百億に肉やメタンを、海水から作ってるのかも忘れてるに決まってる。自分で家畜の腹にナイフを入れたこともないだろう。
「ごちそうさま」
「こら由、まだ……」
もういい……と、繭に飛びこんだ。音楽をつけた。海底光ファイバーとグローバル・サテライト・ブロードマルチネット(GSBN)で、映像も音楽も情報も……昔の言い方をすればテレビ、ラジオ、有線、インターネットすべて本土の都市と変わらない環境はある。
ボリュームを思い切り上げる。繭は防音、断熱も完全だから、ボリュームを上げても誰の迷惑にもならない。それも発泡コンクリートとかのおかげか。
「由」
突然3Dディスプレイが点滅すると、峰の面(つら)がキスしそうな至近距離に浮かんだ。
「バカヤロウ、心臓に悪いぞ」
「で、あの転校生がお前んちに同居だって?」
この横五〇〇メートル、縦二キロの狭い居住メガフロートじゃ、なんでも即知れ渡るのは当然のことだ。
「喜んでかわってやるよ」
「すっごい可愛かったよなあの子! うらやましいぞこ」
問答無用で切って、繭を出て風呂場に向かうと、何か声がする。
「塩水が、なんで」
「ここでは……真水は、限られた雨水をためたり、海水から太陽光発電の電力で作ったりする貴重品なの。水道は、ほら青で三角の雨水にミネラルや酸素を加えたおいしい飲料水、赤で十字の海水から作った中水と赤丸のそのお湯、黄色い四角が海水、長四角の海水の熱湯の五つに分かれてるの。しばらく何が出るか確かめて。
海水は熱湯も含めて使い放題だから、お風呂はそれで入って、最後に中水のお湯で体を流すだけなのよ。ごめんなさいね、でも海での暮らしに慣れてもらわないと」
「そんな」
むっ、
「いやならさっさと陸(おか)に帰れよ!」
「由!」
「……帰れるものなら帰るわよ!」
と、何かをきょろきょろ探している。
「あ、ごめんなさい、もう遅いわね。今、空繭はあるんだけど、中身がないの。由、貸してあげなさい」
「ちょ、ちょっと待って」
「ケーコがあるでしょ?」
家を買うとき、子供を見越して繭を余計に作ることもある。
それは子供が育つまではいい収納になる。そこにコンピュータ……テレビや電話の機能も……を入れても、使われるようになるまでのバージョンアップを考えると無駄になるので、エアコンとシートコントロール、照明だけしかない。
確かにケーコをホムコンにつなげば大抵のことはできるが、やはり繭のほうがいい。
「ちょっと待っててくれよ、いきなり言われても」
「あ、エッチなのがあるんだ!」
妹の言葉に、背筋に冷たいものが流れる。
「由」
だいじょうぶ、やばいのはパスワードをかけてある……
「でもいやです……匂いとか……」
と、ものすごく小さい声で……
「ったく! ちょっと待ってろ」
と、繭に戻ってパスワードを確認し、リビングでケーコとホムコンをつないで3D放送を見始めた。
それで、全く意識していなかったのだが……
「最低」
ん?
「由、レディの前でしょ」
「お兄ちゃん、レディの前で失礼でしょ」
「由、レディの前でなにしてんのよ」
おい、ちょっと待て。いつの間に葉波も、じゃなくて、
「あのなあ、家族なんだろ? だったら家の中でも屁ぐらい普通にさせてくれよ。学校だったらトイレまで我慢してるんだから」
「でも、今はよ、女の子がいるんだから」
「そんなに邪魔なんだったら、わたし」
転校生が、突然泣き出した。
「由!」
と、いきなり葉波がオレの頬を張る。
……オレがわるいのかよ……
「じゃあオレは、今夜は船で寝るから」
「こら、七つ道具はもっていきなさい!」
美香がロッカーに飛んでいく。
「あ、私もついていきます」
「大丈夫? こんなスケベと夜の船なんて」
美香の言葉に葉波は笑い、
「大丈夫ですよ、あたしは。この子が落ち着いたらすぐ帰りますから」
とオフクロに笑いかけた。
「気をつけてね」
微笑みうなずく葉波の横顔が、なんだかいつもと違った。でも、誰がこの子だよ……
振り返ると、岡野はまだ泣いている。
「明日、ちゃんと謝りなさいよ」
船の簡易ベッドを整え、明日の朝食にと持ってきた非常食を枕元におき、ケーコを船上無線LANにして充電器につなぐと、軽く葉波がオレの頭に手を乗せた。
「子供扱いするなよ」
「すねてるのは子供よ、ちゃんと謝れる?」
「何でオレが! 何から何までオレが被害者だぞ!」
ふう、と葉波は深くため息をつき、じっとオレの目を見ると……時間が止まったように、呼吸が詰まる……
いきなり、目の前が覆われる。いっぱいになった葉波の顔……そして、歯に硬いものがあたる感覚。
次の瞬間、唇を包む熱さ。
え、と思うと、唇を離した葉波が、さっと埠頭に飛び乗る後ろ姿……月明かりにポニーテールが跳ねた。