こんな明日はいかが?   作:ケット

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第13話

真実とは何だ?

決して直視したくないもの。

それに直面するには、ハンマーを振るうまで見ても見えず触ってもわからない、堅固な壁を打ち砕かなければならない。

自分だけでできるのか? 他人がしてくれるときもある、雷のように来ることも。神の御手?

少なくとも無麻酔で手術するぐらいの痛みの報酬は? しばしば死、だが自由……

 

 なんでこんな言葉を思い出すんだ? どんな夢だっけ?

 葉波? なぜ、どこへ行くんだ? オレを置いていくなよ、海の果てまで、なにがあっても一緒だって……

 あ、朝か、また……いや、今日はゆっくり寝てていいんだ。

 やっと講座が終わった。といっても、最終試験の結果次第では科学五輪特待生として次の合宿が、とか国費上級学校とかいう話もあるけど、できれば早く海に帰りたい。

 帆に風を受け、海をおもいきり航(はし)りたい。思う存分繭でネットしたり録りためたのを見たい。新しいケーコもいるな。

 今朝は岡野と二人きりだ。両親とも忙しいらしい。でもありがたいといえばありがたい、彼女の両親はいい人だけど、若すぎてちょっと世話が過剰で、正直疲れる。

 食事も豪華すぎて家庭料理って感じじゃなかったり、逆に忙しいからって出前が続いたり……おいしいけど飽きるよ。まあ寮の連中から見れば贅沢な悩みだけどな、給食というか配給に近かった。

 講座自体はどうだったんだろう。

 何でゼロで割っちゃいけないのとか、小さい頃ちゃんと答えてもらえてなかった質問に、消化しきれないほどちゃんと答えてもらえた。宿題としてやるべき教科書も、普通にやったら何十年かかるんだ、ってぐらい紹介された。

 どれだけわかってないのにわかったふりをしてきたかも、少しはわかった。すごい。

 みんなにひどく……残念というか、連中を殺してやりたいのが本音だ。質問と小テストで散々へこましてやって、少し気は晴れた。先に進んでいれば勝ち、という授業ではなく、とことん理解の深さを問われたから助かった。木田みたいに解析は国際修士まで進んでいたのもいたからな。岡野は別格。

 でも、いくら嫌な奴でも、数学などでわかりあえる人がいるのは嬉しい。ネットでは世界中の数学好きとも交流できそうだし……

「帰りの船は明日でしょ? 今日は東京見物にしない?」

「あ、じゃあ、ケーコ買いたいな」

 オヤジも一応OKしてくれた。壊されたけど、バックアップデータはうちの繭にある。

 ケーコを買えば、久しぶりに電話やメールで……忙しかったのはあるけど、ずっとなぜかやらなかった。岡野の家の繭からも。

 こんなにケーコなしで過ごしたのは初めてだ。急に、まるで丸一日飲まず食わずのようだ。

「よかったら、同じ脳直結型にする?」

「え? やだよあんな欠陥品。海で壊れたら死ぬだろ」

「改良されてるからもう大丈夫よ。それに、国費上級学校に合格してても海に戻る気なの?」

 今の言葉を、聞かなかったことにした。

「それにああなったら仲間も迷惑するし。手術にどれぐらい?」

「そうね、慣れるためのリハビリを入れて一週間かな……通常版なら」

「アホいうなよ、夏休み終わるって」

 金のことをきいたんだが。

 まあ、もちろん海のみんなは大喜びで飛びつくだろうな、最新型ケーコはみんな憧れだから。みんな、岡野のことをうらやましがってたし。

 でもオレは元々、あんまりケーコは好きじゃないんだ。特に船ではまず使わない。余計なものなしに、肌で海を感じるのが好きだから。

「ついでにディズニーランドにも、行かない? 一人で行っちゃ駄目って言われてるの」

 つややかできれいな色の唇が、妙に気になる。

「オレはいいのか?」

「いないより、ましでしょ」

 言葉に心臓が跳ね上がり、自分でも顔が真っ赤になっていないか怖くてトイレに逃げた。

 踊り出したいような、逃げ出したいようなどうしようもない気分。

 どうしたんだろう、オレは……彼女の顔をまともに見ると胸が苦しい。できたら繭に逃げ込んで宿題でもいいからやりたい、という気持ちがある。

 出かけてみると天気が悪い……でも、われながら嫌になるぐらいうきうきしている。

 雨はやんでいるが、かなり台風が近くて風が強い。雲が流れている……でも何かが違う。

 

 この駅は乗降の音までディズニーか、呆れたもんだ。

 ディズニーランドはよちよち歩きの頃一度連れてきてもらったけど、やっぱりすごい。

 夏休み終盤の人波も。

 そしてよく見ると、やっぱり本土の連中のファッションセンスって違うよ。

 岡野みたいにサングラスだけとかも結構見かける。最新、って感じだ。オレもそう見て欲しくて、サングラスを買おうとして、

「みっともないからよしなさい」

 と、岡野に止められた。

 講座でも、オレはやっぱり浮いてたよな……興味さえあれば、世界中からいろいろ吸収できるんだけど。

 海側にモノレールで行くと、もうここはメガフロートだな、と気づく。

 潮の香自体はかすかだが、海という感じがはっきりする。

 なんとなく、下が大地か海かはわかるんだろうか。メガフロートで生まれ育つと普通だけど……おかものにとっては、メガフロート自体が怖いみたいだ。

 空をふと見上げると、かなり強い風。台風がかすめたんだっけ。海は時化だな。

 彼女がアイスクリーム売り場にオレの手を引っぱり、それで全部ふっとんだ。楽しむか!

 

「わたし、あいつが嫌いなの」

「あいつ? 彼氏か?」

「バカ」

 ふといって、彼女はゲースターの台に上った。くっついて立ったまま下半身を固定され、彼女は魔法剣、オレは魔拳銃とホーリーナイフのコンビを選んだ。

 備えつけの接眼3Dハイビジョンディスプレイを固定すると、景色全体がおどろおどろしい魔界と化す。

 唐突な落下から反転急上昇、一気にループ。大地が歪み、あちこちから魔物が襲いかかり、視界が輝く雲と放電の嵐で覆われる。

 なんとかお互いを守るポジションを見つける。

「パパよ」

「ああ……」

 あいつ、って父親だったのか。

「嫌になるぐらい、あなたそっくりなのよ!」

 叫びながら、剣を大きく振り下ろしてドラゴンの首をはねとばす。すごくきれいな動きだ。

「外では英雄で、家ではいばってばかりでまるっきりだらしなくって、女心には鈍感で!」

「悪かったな」

 ハービーをつぎつぎに狙撃し、ナイフで翼蛇を斬った。

「なにかあったときだけ張り切って、ふだんはまるっきりバカで」

「おほめにあずかって光栄だな、でもそっちだって」

「何よ」

 あれ? あまり会ってないけど、岡野の親父さんってそんな感じだったっけ?

「ほらそっち!」

 くそ、息が合わない……葉波だったら!

「ハナのこと、思い出してるの?」

 びくっとしてミス、大ダメージを受ける。

「悪かったわね、いい相棒じゃなくて」

「ないものねだりしても何にもならないだろ。がんばるからそっちも」

 とにかく近くの巨大羽虫を次々に撃墜した。

「それに、わたしは……円卓も嫌い」

「オレもこの世界、好きじゃないよ。義務ばっかり多くて……でも、選べない」

「どういうこと?」

「人間の世界がいやでも、一人で生きていくのは無理なんだし、まとまって正しい方向に行かなきゃたくさん死んじまうんだから!」

 と、中ボスのケルベロスの目に銃弾をぶちこんだ。

「今だ、突け!」

 葉波とだったらこんなこと、言う必要はない。ほら、タイミングがずれた……かばってこっちがダメージを負う。ぎりぎりだな……

 まあエンディングのときには、そんなの忘れて楽しんだ。

「次、どこ行こうか?」

 彼女も楽しんでいるようだ。すごく可愛い笑顔にどぎまぎする。

「そろそろ昼にしようか」

 と、オレは自然に彼女の手を取った。心臓がばくばくし、でもふしぎと落ちつく。

 彼女も抵抗せず、そっと手を任せてくれた。

 温かく、すごく柔らかい手……葉波と違い、ロープと海水で固まっていない。そういえば、葉波と最後に手をつないだのはいつだっけ……

 嵐のとき以外、手が触れるたびに反応するのはいつからだろう。葉波の顔を見るたび、声を聞くたびに胸が苦しくなるのは。でも、岡野にも同じように……

「なに考えてるの?」

 岡野の、ちょっと怒った表情。

「罰、お昼おごりね。あ、ちょっと……ん」

 体内ケーコで誰かと話しているときの癖、ちょっと口の端がむずむず動く。誰と話してるんだ?

「こっちにしよ」

 と西部街に向かい、寂れた感じのケイジャン専門店に着いた。でもかなりの行列になっている。

 行列で待っていると、すごい美人がこっちに歩いてきた。

 スポーティな服装、筋肉質にすらっと伸びた脚と豊かな胸の谷間がまぶしい。濃く日焼けし、野性的な色香が太陽のように放射されている。

 この人の海でも、圧倒的な存在感で皆の目をひきつける。

「由! 久しぶり」

 え? その声……声さえ微妙に違う、違う……

「葉波ぃ?」

 声がひっくり返った。嘘だろ……一カ月も経ってないのに。

「どうしたの、全然運動もしてないでしょ。すっかりなまっちろくなっちゃって! 久しぶり、えまちゃん。でもネットでいつもいっしょだったしね」

 あれほど聞きたかった、明るい声。目がキラキラ輝いている。

 オレは何も言えなかった……やっと席が開いた。三人席? 葉波が来ることを、あ、体内ケーコで待ち合わせたのか。

 割とおいしい、鉄鍋そのままで出てくる料理を三人でつつきながら、なんだか言葉が出なかった。

「どうだったの?」

「オレ? ひたすら勉強。広かったろ?」

「うん……すごかった。大地もあんなに広いなんて。おじさんたち、すごいね、あんなに広く森や農地にしたんだね」

「ああ。チェンさん、元気だった?」

「うん、由によろしくって」

「どんな意味だか」

「そんな意味よ」

 すごくきれいになった……いや、前から美人だったんじゃないか? 目が砂漠の星みたいだし、キャップ型ケーコからこぼれる金髪は陽に輝く波しぶきのようだ。

『帰ってきたときは、二人とも……きっと違っているはずよ』

 百合姉の言葉をふと思い出す。変わったのか? ちくん、と胸が痛い。

「じゃ、行こうか」

 待ちきれないように葉波が立つ。

「フェニックス号?」

「当然!」

 昔の木造帆船が、いくつかディズニーによって復元されている。

 係留されたまま、内部でピーターパンのショーをやったり、海に出ることも、時には中国まで航行することもある。

 特にイギリス軍艦シリーズはとても人気があり、オレたち帆船を練習船にしている、海の人々にはたまらない。一度行ってみたかった。

 岡野といってもつまらないだろうが、葉波となら最高だ。

「それに、行きたいところがあるの。言いたいことも」

 と、葉波がオレの手を取った。固い手に安心する。向こうでどうだったか聞く必要はないな。大変だったんだろうけど頑張ってきたんだ。オレの手は少しなまってる、でも勉強はしっかりした。

「あ」

 岡野が小さく声を漏らす。

 開いている左手をどうするか……さっきまでのように、岡野と手をつなぐわけにもいかない。

 ちょっと動いた岡野の手を、葉波が取った。

「やっぱりいいな、柔らかくって」

「でも、彼はこっちの手が好きなんでしょ。……さよなら」

 岡野がいきなりそういってオレを濡れた目で見つめ、手を振り放して離れた。

「由、追いかけなきゃだめ! さもないと、二度と会えないわよ!」

 え? 強引に葉波がオレの手を引っ張り、人波にまぎれて四次元ミラーハウスに入った岡野を追った。

「おもてからはさんで」

「ともで」

 一言だけ交わし、ミラーハウスに入った。

 いきなり合わせ鏡に上下左右をはさまれ、平衡感覚を失う……数秒後照明が消え、気がついたら目の前に長い通路ができている。

「え」

 う、気持ち悪くなってきた。それで四次元か、ひどいな。

 そうなると……そうだ……

 ほとんど目を閉じたまま手探りでそろそろ歩く……変形でできた通路の向こうに、岡野がいた。

「あ」

「よ」

 次の瞬間、また闇。

 逃げた彼女を追う。

 ずるいな、ひょっとしてあの体内ケーコ、この迷路の地図をハッキングしてるんじゃないか?

 なら、唯一ケーコを持っていないオレは認識されていないはず。

 なんとなく探していると行き止まりに、岡野がいた。

 オレの横を走りぬけようとしたのを、腕を伸ばしてつかまえた。

 勢いで倒れこみ、唇が重なる。

「あ」

 彼女の顔がゆがむ。

「どうして! どうして、どうして……わたしはもう……ううん、生まれつき……わたしが誰か知っても、追ってくれるの? どうして……本当に知らないの?」

 泣き崩れる彼女を思わず抱きしめ、キスで口をふさいだ。

 しばらくキスが続いて……正直、ずっとこうしていたかったが、ふと気がつくと出口へのほとんど一本道ができていた。そして、目の前の鏡に上下反転した葉波の姿。

 ばっ、と後ろの鏡を体で割りそうな勢いで彼女が離れた。

「行こうか」

 声をかけて手を伸ばすと、手は拒否して、でも並んでそのまま出口に向かった。

「お待たせ」

 出口での葉波は、なんともいえない泣きそうな笑顔を抑えていた。

 なにか言えよ……せめて。いつもみたく、帆桁端からぶらんこさせろよ。

「待ってたよ」

 そのまま、三人黙って……少し、手を伸ばしても触れない程度に距離を置いて岸に、フェニックス号に向かった。

 着いてみると、あまりに高くマストがそびえている。

「あんなところに人が登ってたんだ」

「学校船にだって、あれぐらいのマストはあるよ」

「ああ、あのとき……すごかったな、なんで怖くないのかな」

 怖いさ、もちろん! でもオレがやらなかったら船が沈み、みんな死ぬんだ。必死で我慢してるんだ……葉波は昔の、“泣き虫ゆーぼー”も知ってるけど……

 さりげなく見回りながら索具などを確認する。完全復元は本当だな、いつでも人数がそろえば出港できる。

「船底はどうかな」

「たまに航るからね、ちゃんとカキ殻は取ってるはずよ」

「カキ?」

「船の底にはフジツボとかいろいろつくのよ。掃除しないと、要するに摩擦がひどくてスピードが落ちるし、フナクイムシが木材を食い荒らして壊れちゃうこともあるの」

「なんだ」

「どんなだと思ったんだ?」

「教えない」

 普通に戻った、かな?

 タラップは舷側ではなく、鎖索孔(ホーズホール)につながっている。

「水兵扱いね」

「出口は舷門だよ、出世して出るって事かな」

「ええと、ちょっと」

 岡野が体内ケーコをチェックしているようだ。

「まず最下層甲板(オーロップ)から回ろうか。春おじさんがコンスティチューション号を見たときって」

「そうそう、大砲に体を入れてみたんだって?」

「それでバーン、って誰かが音を出して、びっくりして」

 岡野を外して話しているのが、ちょっと悪い気もするけど……ここで話すには、どうしても海の言葉になる。

「外で待つか?」

「だめよ、えまちゃんも来て」

 また、二人とも寂しそうな目で互いを見る。

「本当はすごいにおいなんだよな、何百人も全く体を洗わない男が押しこめられてるから」

「いくら完全再現といっても、そこまでは無理よね」

「この音、何?」

 ふと岡野が、小柄な彼女さえ頭をぶつけそうに低い天井を見上げた。

「ああ、索具……縄に風が当たって鳴る音さ」

「いい音してるわね、ちゃんと麻で作ってるんだ」

 葉波と二人、うっとりと耳を澄ます。

「そうそう、オレたちの新素材ロープじゃこんな音出ないよ」

「この大砲もちゃんと再現してるね」

「すごいよな、こんなのを人力で動かしてたなんて。うわ重い」

 ふ、と一歩下がっていた岡野に、葉波が手を貸して階段を上らせた。

 かなり急で少し揺れる、なんだか怖い。おかものには危険か。

「ごめんね」葉波が小声で、「でも、あたしたちは海で生まれたの」

「わかってるわよ、わたしが入る余地なんてないって。みんなにも言われたし」

「違う、わかってほしいの、少しでも」

 何の話だ? 女の子同士の話ってわからん。

 艦尾楼(プープ)に着いたとき、ふと葉波が海を見て索具の奏でる音に耳を澄ませ、ふっと言った。

「ねえ由。もし、今この艦が転覆したら、どっちを助ける?」

 え? きれいな目が、まっすぐにオレを貫く。足が震える。

「む……両方助けるよ」

「できるの?」

 厳しい目。本気の目だ。

 できるだろうか? 口だけじゃなくて?

 あの夢を思い出す……

「絶対二人とも助ける。オレは死んでも」

「ばかぁっ!」

 突然岡野が怒鳴った。

「それで助けられても、嬉しくもなんともないから。絶対そんなことしないで」

 オレの袖をつかみ、顔がくっつきそうなぐらいに寄る。あまりの形相にぞっとする。

 どうしてそんなに怒るんだ?

「あ……知らないの、パパが……」

 え? みるみる、涙の粒がふくらんでいく。

「はっきりしてよ、知ってるの? 知らないの? こんなのひどいわ!」

 血を吐くような声、岡野が泣き出した。周りの普通の客が、びっくりしたようにこっちを見る。

「知らないわ」

 岡野が葉波を、信じられないような目で見た。

「なんで、脳がつながってもいない他人のこと? 言っちゃったのよ、この夏、あなたが彼を追いかけて砂漠に行くつもりだった、って。そのお返しに、もう言われてるとばかり思って……」

「あたしは言ってない、それにあたしたちは、おたがい嫌っていうほどわかってるから。由がえま……恵美(えみ)を好きだって事も」

 ガヤガヤ、バンバン……遊園地の効果音、群衆の音がまるで場違いに響く。そして、かすかな潮風の香り。

「葉波の辞書に報復はない、それが、最後の清水(せいすい)でも」

「清水(せいすい)?」

「真水のことよ」

 オレが一番知っているんだ、報復しないことが、最悪の報復になるんだ! 心があるのならば……それを思い出してしまって、胸が裂けそうなほど苦しくなり、オレは甲板を強く踏みつけずにいられなかった。

「本当にわかってないの? それともずっとからかってたの? わたしは……円卓騎士団、岡村晴の娘、岡村恵美(えみ)よ」

 整った顔が涙に崩れる。岡野……岡村恵美の言葉に、オレの時間は止まった。

 

 円卓騎士団事件……オレにとっては本や映像の中の歴史だ。

 単純に言えば世界的な恐慌、貧困地域の社会崩壊、環境災害が文明崩壊に至るのでは、という危機感で、欧米富裕層の選民・白人至上主義秘密結社が人工伝染病などで人類の大多数を殺そうとしたのだ。まず人種……白人以外全員。ワクチンを投与されるエリート層以外の白人は、遺伝子などで選別されて半分程度に。

 地球は百億に贅沢な暮らしをさせるには小さすぎる、なら選ばれた人種が生き残ればいい、ノアの箱舟と同じ……聖書のヨハネ黙示録などを真に受け、黙示録騎士団と自称したという。

 その計画は極秘裏に、莫大な資金と強大な権力によって進められた。

 だが、インターネットにできた気ままな集まりがそれに気づいた。世界中の、あまりに多様で有能な人たちが何となく集まってしまった。地球と人類、人道、あるいは真の神、そして真実に忠誠を誓った人たちが。

 何篇もいろいろなジャンルのよくある冒険小説が集まったように、ごくわずかなメンバーが圧倒的な敵と戦った。

 暗殺、謀略、裏切り、口封じ、引退した老スパイの暗躍、サイバースペースの戦い、怪盗の脱獄劇、事故と見せた殺人を解き明かす名探偵、カジノでの対決、元特殊部隊員と暗殺部隊の銃撃戦、最新鋭機と旧式機の空中戦、嵐の中海賊まがいの新鋭戦艦斬りこみ奪取、拳法の達人による人質奪回……

 ただ、局面を打開したのは誰も想像もしないこと、今は聖杯探求と呼ばれている行動だった。円卓の騎士団と名乗った彼らが、黙示録騎士団研究所のコンピュータにアクセスしたのだ。

 今の、基礎準備校から最低限遺伝子を学んでおり、また今集合論の特別講座をやったばかりのオレにはわかる、人種生物兵器を作るのは不可能だ。人種を集合論的に定義しようとするとどうしようもなくなる。そして彼らは教養あるエリートであり、同時に人種とゆがんだ信仰にとりつかれていた。

 その矛盾で狂って……狂気じみて超高性能な複合コンピュータが作られた。

 地球全体に広がる、あらゆるコンピュータがつながるインターネットも、コンピュータ自体の発達、GSBNと都市圏の光ファイバーなど回線速度の向上で、それ自体が超巨大な超並列コンピュータ、データベースになっていた。

 そして円卓騎士団の別働隊だった天才トリオ、ギャラハッド・パージヴァル・ポーズと呼ばれる三人が中心となって、半ば事故でめちゃくちゃ危険で大胆な脳=コンピュータ直接接続を作り出し、彼ら自身が実験台になった。

 その三者がつながったとき、それが起きるのは必然だった……が、そのことは本人含め誰も知らなかった。

 それ……人格としてはアーサー王、システムは聖杯と呼ばれる……は人間を圧倒的にしのぐ知能を持ってしまったのだ……その日のうちに黙示録計画の証拠を暴き、研究所を完全にハッキングしながら、ついでにリーマン予想を証明するほどに。

 聖杯は人類を滅ぼすのではなく、選別するのでもなく、全員を生かす道を選んだ。人類にとっては実に幸運なことに。

 まあ、幸運かどうかは、それを知っている人に言わせるとわからないそうだ。

 黙示録側の研究者は伝染病の基本的な性格……感染性、潜伏期、発症率、死亡率を遺伝子工学の粋をつくして調整した。

 感染性は人類全員が確実に感染するほど高く、複数のルートで。

 潜伏期はできるだけ長く。潜伏期が短く致死率が高すぎると保菌者ごと病原体が全滅し、人類全体には広がらない。

 そして発症率……遺伝子をまず人種、そして知能や性格などでマーキングし、条件を満たす者は確実に発症、満たさない者やワクチンを投与された者は絶対に発症しないように。

 もちろん死亡率は、発症したら百パーセント。

 病原体は世界中の、おおよそ近代文明と接触のある人すべてに蔓延していた。

 だからこそ、アーサー王が変更していた病は、ほとんど全人類がかわるがわる発症した。数日の間体がうまく動かなくなり、激しい心身の苦痛……ある種の神秘体験に至るほど。自力では数日も生きられない重病人の介護はなんとかできるけど、殺し合いはとてもできないほど。ついでに、その病はエイズとマラリアの病原体も殺し尽くし、根絶した。

 同時におおよそコンピュータにつながるすべては止まっていた……中国やインドなど非白人核保有国の核を封じようとした軍事作戦も停止させられた。逆に非白人核保有国も、怒り狂いながら報復攻撃に出ることはできなかった。ほとんどの機械が動かなかった。

 その間、アーサー王によって世界中のコンピュータやテレビ、ラジオ、ロボットなどがハッキングされ、世界中の人に黙示録騎士団の陰謀を含め、あらゆる情報を開示した。自分の正体も明かし神を名乗ることなく、さまざまな面を持つ真実をありのままに。

 政治的な真実だけでなく、人間の本質まで。誰もがどれだけ、教育や宗教、文化なども含む邪悪に支配されているか……それを破って自分の魂を取り戻し、自由になる道も。

 それが人間との発想の違いだった……人間だったら混乱を恐れ、社会を守るために肝心な情報は隠す。または神を名乗り、権威を持って命令する。だがアーサー王は無造作に、すべてを白日の下にさらした。また人間の革命者は、反革命を恐れて恐怖政治を行う。だがアーサー王はそうしなかった。

 そして感染を予防され、唯一自由に動けた円卓騎士団の活躍で世界は再建に向かう。

 引き続き膨大な、さまざまな面を持つ真実が、世界の隅々まで伝えられた。

 世界全体が極度の貧困、無知と全面的に闘った。どんな貧しく偏狭な地域も円卓による技術革新が産んだ桁外れの生産力と莫大な余剰労働力を活かし、まず充分な食糧などが与えられ、治安を回復させられて自給自足と緑化が進められた。そして円卓の意志として情報に触れられない者が出ないよう、手回しや太陽電池で動く、GSBNやラジオにつながる最低限の端末が全人類に配られた。その端末を通じ、円卓が主に常駐ソクラテスを通じて、圧制下にあった一人一人の心も癒していった。

 また人工翻訳も可能になり、ニュインが急速に普及した。

 制度上も国家主権が制限され、国際連合やいくつかの世界組織が改革・民主化されて権限が拡大されるなど、世界全体が大きく変わった。配給・生存公役制度もその一例だ。

 事実上の世界革命。あまりにも混乱が大きすぎてしばらく流血はなかった。

 ただ、間もなく第二次事件が起きた。糾弾され、多くの特権を奪われた白人富裕層によるクーデター、真実を受け入れられず憎悪に狂った狂信者の暴動、コロンブス以来の莫大な不公平が抹殺に至りかけたことに怒り狂う非白人、貧民の暴力などが世界的に多発した。

 だがそれも、アーサー王に率いられた円卓騎士団、そして世界の真実を知り、自分が生きるためには協力するほかないと悟った世界の圧倒多数が鎮圧した。

 こちらはそれなりの犠牲があった。だがもちろん黙示録計画が成功していても、中途半端に終わってひたすらな殺し合いが起きていても、貧者による世界共産主義革命でも、核戦争でも、生物界および人間社会の破局があった『何もしなかった未来』でも比較できないほど多く、人類の大半が犠牲になったはずだ。『天国と地獄』は破局はないかもしれないけど、間違っても選びたくない。

 そして世界がはっきりした目的を与えられ、安定した後、あまりにも大きな名声を持ち、多くの敵に狙われる円卓騎士団は皆名を変え、姿を隠した……アーサー王も人間に関心を失ったかのように大抵沈黙している。

 ただし信じない者もいるが存在しているし、今も自分自身を改良、進化している。

 市場・競争を温存し、進歩を阻害する要因を人間たちに理解させたことで、また円卓が出す革新的な知恵で技術開発も急速に進んでいる……特に貧しい者のための技術も。

 そして人類の活動の相当部分を利用し、自分のコピーを作らせている。もう月にも、たとえ地球が滅んでもなんとかなるような拠点を作らせているそうだ。

 それは基本的に人類には干渉しないが、人類が大きな過ちをしてそれ自体の存続を脅かすようなこと、大量虐殺、人権侵害、大絶滅などの定められた悪があれば行動する、と警告している。それを殺すにはすべてのコンピュータを壊すか原始的なレベルに落とすほかないが、それはもう不可能だ。それ自身が自己進化で生み出した革命的なコンピュータが、あまりにも急速に普及してしまっている。

 そして日常の生産や介護など様々な仕事も、それが支配するロボットがかなりの部分をやってくれている。もちろん軍事はそれなしでは何もできない。

 中でもすごいとオヤジが言ってたのが、サハラやオーストラリアなど砂漠地帯での、超小型機械と自動工場と海水灌漑農場を組み合わせ、それがアシストする巨大な太陽熱風力発電設備だ。多くの労働力を吸収しつつ、まるでパンにカビが広がるように勝手に広がっていくから、あっというまにものすごいエネルギー設備ができてしまったのだ。

 オレたちの住むメガフロートも、結局はナノテクと自動工場の力がなければ不可能だったろう。

 今の人類圏は人類とそれの共生体でもあるのだ。

 もちろん、今も人々に混じって人類文明を裏から支えている円卓騎士団の権威と権限は計り知れない……民主主義の皮をかぶったプラトンの哲人国家だ、とかとんでもない秘密警察国家だ、とかいう文句を聞くことがあるほどだが、その文句も結局は円卓があくまで自由を大切にしてくれている、それどころか生きているから言えるんだ。

 そして一部はいまだにその体制を嫌い、円卓騎士団やその家族の暗殺などテロが……

 

「ちょっと待て、お前の両親」

「二人とも、あなたをだますため従卒(スクワイヤ)に頼んだのよ」

 従卒は円卓騎士団の下級職員だ。

 ふと、葉波がこっちに気づいた。

「ちょっと、えまちゃん、どういうこと?」

「いっしょにいたくて!」岡野……岡村が叫んだ。「事情で寮から追いだされた、ってことにして嘘のマンション、嘘の家族で……いっしょに暮らしてるの」

 葉波の沈黙は、暴力や怒鳴り声より厳しい。特に船長としての沈黙は誰もが恐れる。

「わかってる……わかってる、ずるいって……」

「あ、野村や木田も……」

「小さい頃からわたしを守ってる従卒。てっきりあなたもだと思ってたのよ、助けてくれたから」

「あ……」

「台風の日に海に落ちたのは、無音銃のゴム弾。従卒のくせに人工呼吸なんて、って……いやだったの、どこに行っても狙われて、守られて、見られて、自分のない暮らしが。パパが造ったメガフロートも嫌いだったけど、一度見ておけって言われて行ってみた、でも追って来た。寮に入る予定も、船の日程まで変えたのに」表情が悲痛にゆがむ。「何回助けてくれたか」

「ジョンソンさん!」

 気がついた。

「そう、円卓騎士の一人でパパの親友」

「あの時も……」

 キスの感触が今更よみがえり、頬がかっと熱くなる。

「港でも公園でも、後ろで起きてる血なまぐさい戦いから目をそらすために……強引にキスしたの」

 葉波を見つめる目から涙があふれ、手のハンカチをくしゃくしゃにしている。

「こっちでも、さっきも?」

「あれは、違う」

 それって……

「葉波は、知ってたのか?」

 葉波も静かに、微笑みながら泣いていた。

「うん……体内ケーコが故障したあと問い詰めたの。なにも隠しごとなし、って約束して。さんざん破ってくれたみたいだけど、まあそれは……お互いさまよね」

「え?」

 葉波の表情に、ふと……恐ろしい確信が忍び寄り、強烈な空腹感と渇き、暑さと衰弱と恐怖を思い出した。

「じゃあ、これからはえみ、って呼べばいいのか? それとも岡村?」

「えみで、いいわよ」

「由、それどういう意味かわかってる?」

 葉波が厳しく問い詰める。

「いつまで目をそらしてるの? 海の男は、船では現実だけを見なきゃダメでしょ。二人とも由が好きなの。どっちか選んでよ……恵美を名前で呼ぶ、ってことは、彼女を選ぶの?」

 え……そうだ、葉波が、ゴビ砂漠に親父を手伝いに行くオレについてくる、って時点で……オレのことが好きだからに決まってる。

 う、うそだ……そんな……確かに葉波は好きだ、でも近すぎる……好きといわれても、頭がパニックになる。

 それに岡野……岡村恵美……いや……そんな……

 正直、今は恋をするのは面倒くさい。古文も音楽も苦手だから。今は愛の告白には、和歌などを作るか、または普通の歌か曲を作るのが普通なのだ……

 漢詩は読むのは好きだけど、恋愛向きじゃないみたいだし。

 

「彼女と、あっちに行ってたら?」

 そう、葉波がオレたちの手を引いて船から降ろし、ほとんど二人きりで魔界を走る、魔法のじゅうたんに乗せた。

 何も言わず、しがみついてくる……あまりに可愛い。

「由」

 消え入りそうな声。

「わたしも、由って呼んでもいい? それとも、そう呼んでいいのはハナだけ?」

「好きに呼べよ」

 どうしていいかわからない。息ができない。あまりに彼女が可愛くて、あまりに風が熱くて。

 その上品な不思議なにおい、白い肌……どうしたんだ、心臓は。

「由」

「え……み?」

「由……ゆう」

 と、胸に顔をもたせかけてきた。

「わたしはなに? 円卓騎士団の娘? 円卓の端末? なんなのよ!」

 オレは圧倒されていた。その中で思い出したのは、彼女が転校してきた時の同級生の反応だった。

「一人の……女の子だろうが。クラスの男子がぎゃあぎゃあ騒ぐような」

「じゃあ、抱いてよ、あのときみたいに」

 え?

「お、おい……」

「可愛い、抱きたい女の子、っていうほうが円卓の端末よりずっとましよ!」

「円卓の……端末?」

「わたしの体内ケーコは、一般人がつけてるのとは違うの。わたしは……遺伝子レベルでいじられ、胎児の段階で直接接続されてるのよ。こうして見てるものも、全部あれに送られてる」

「で、でも普通の女の子だろ、ほら」

 と、前のようにわざと、柔らかい胸をつかんだ。拒まない、オレの手をぐっと、より強く胸に押しつける。頭が真っ白になる。

「今の心拍の上昇も、血の中で増えるホルモンも、このときめきも、全部リアルタイムで二進法の情報になってあれに送られてるのよ」

「じゃあ、外せばいいじゃないか! 全部外して、どこか遠くに二人で」

 そう言ってしまって、初めて気がついた……どこか遠く、海の向こうには……飢えと渇き、死しかなかった。

「いつか……あなたも巻き込んでしまう……そして、あなたはパパみたいに、英雄になろうとするかもしれない」

「パパみたいに?……あ」

「思い出したようね?」

 円卓騎士団の話の一つ。優秀な船長で数々の貢献をし、特に海洋開発の基盤を築いた岡村晴氏は、第二次事件の動乱で妻子をかばって致命傷を負い、生命維持装置につながれて円卓に脳だけで参加している……

「もうあんな思いだけはしたくないの、だから……だいっきらい、でも大好きなの」

 そこで洞窟の向こうに光が見え、出口に着いた。

「じゃ、行こうか……由、できたら……ううん、ついてくるな、っていってもついてくるよね」葉波は寂しげに言うと、大通りを外れて歩き出した。オレにしがみつくように。

「由もバカよ、女の子の前であんなところ見せて」

「え?」

「嵐の海で! あんなすごい操船を見て、惚れない女の子なんていると思う?」

 なんて答えていいか、わからなかった。

「タイミングが悪かったのかな、もうちょっと早く、どっちかが好きって言ってれば」

 それにも、なぜか答えられなかった。あんなに葉波のことが好きだったはずじゃ……

 このディズニーランドって、大通りの人波を外れると意外と木々が多く、寂しい。

 海からの風がとても熱い。

 寂しい? なんとなく、ぞわっとする……あえて無視してきた……

 葉波が、静かに振り返る。

「恵美……どうして、こんな誰もいないところまでついてきたの?」

 岡野……岡村恵美が、ふっと……同情するような、もっと悲しいような目で葉波を見た。

「由、お願い……止めてよ! バカなことはやめろ、って言ってよ。また同じミスをするの? それってバカよ! どうしようもないわ」

 葉波の、あまりに悲痛な声。オレも泣きたくなってきた……でも、こうさせているのは、オレなのか?

「ついていくさ、海の向こうだって。何度でも。信じてるから」

 葉波が口を覆い、その目から涙が流れる。

「最低だな、オレ……二人とも、泣かせちまった」

「それだけじゃない、由……あの子を守って、って言ったでしょ? わかってないの、陸(おか)で勉強しすぎて波も読めなくなったの? ここは海の上よ、海は時化(しけ)よ。前線が来てるのよ? この風がわからないの?」

 そういわれると、強烈な危機感が襲ってくる。そう……いつもの、嵐の感覚だ。

「あれは、どっちのせいでもなかった」

 オレは突然、口にしてしまった……同時に、船を沈める波がそそりたつのを確信する。

「どっちも壊れてたのよ」

 葉波は嫉妬で……あの時は、春おじさんの結婚が決まって。オレは今思えばくだらないが、とにかく出て行きたくて。

 また嫉妬しているのか……嫉妬? なんとなく、それを受け止めたくない。オレは和歌が下手だし……

 あの変な言動は、奴らと……反円卓テロリストと連絡していたのか?

「オレは葉波が寝てる間に、最後の清水(せいすい)を飲んでしまった」

「まじめに受け取ってなかったのね、飛び出したときもだけど。普通思わないわよ、ちょっと怒られただけであんなにすねて、海図にない無人島に行こうっていわれて真に受けるなんて。本当に備品を全部捨てるなんて。でもあたしも耐えられなくて、海水を飲もうとして、止めた由の首を絞めた」

 お互い、全部知ってる……自分と相手の、一番嫌な部分も。そして美しい部分も。

「でも、そこからはお前も雄々しく飢え渇き、死と戦った」

 まっすぐ目を見る。唇がひび割れ、舌があごにはりつく痛みを思い出す。

「由だって。最後の最後まで鉄でできてるようだった……生命の危険がせまったら、由は最高よ。あたしは、最後の最後で耐えられなくなる……一人では。由が支えてくれなきゃダメなの」

「オレはお前を信じてる。馬鹿なことをすることもあるが、立ち直ったら一番信じられる。オレだってお前が必要だ」

「だから、わかってるのよ! わたしみたいな化物が、あなたたちの間に入りこめるわけがないって……」

 岡野が泣き叫んだ。

「ううん、ちがう……もう遅いの」

 葉波の言葉と同時に、突然数人の、黒服にケーコのバイザーを下ろした大人が襲ってきた。

 オレは振り向き、叫ぼうとした拍子に、何人かが同時に組みついて……瞬時に全身に言葉にならない衝撃が走る。

「ご苦労だったな、情報どおりだ」

「どうも」

 葉波がその一人と……両肩を、左右からつかまれたまま……話す。

 唐突に……容赦なく、その表情がゆがみ、大男の腕に崩れて気絶し、頭のケーコが叩き落される。

 オレは悲鳴を上げようとしたが、声が出ない。恵美も倒れ、大型園内カートに担ぎこまれてようとしている。

「早く!」

「こいつは?」

「放っておけ、余分な死人は邪魔なだけだ」

 彼らが走り去ってすぐ、強い風が海から吹いてくる。

 反円卓テロリストか?

 風が心を集中させてくれる……よろめきながら立ち上がり、見回す。走り去る車、まず追わなければ……知らせないと、ケーコ……岡野のキャップ+バイザー型ケーコと、携帯電話時代から受け継がれた有線操作スティックが転がっている。

 内側に葉波の最後の一本、三日月のように優雅な折りたたみナイフもちゃんと隠されている。ごく小さく薄く軽い、超セラミックとハイパーカーボン複合材の波刃(セレーション)、カーボングリップ。

 一つ向こうの道にパレード!

 走りながらケーコをつけ、カボチャの馬車から鎌形の波刃にものをいわせて馬を切り離し、飛び乗った。回りの叫びなど気にしない。

 オヤジの植林を手伝いながら、モンゴル帝国の血を引く遊牧民ともつきあってきたんだ。裸馬だって何度も乗ってる。

 激しく抵抗し、足掻く。元競走馬か? おとなしく見えるが、こいつかなり強いぞ。

「おおっ!」

 引き綱を手綱替わりにつかんで一声かけ、腹を膝で締めつけた。

 馬が人をかきわけ、凄まじい勢いで飛び出す。

 道から外れて二人が乗せられた車を追う。すぐに馬とも息が通い、落ち着くと片手を離して追いながら、ジョンソンさんのナンバーに連絡し、メールを口述、送信した。葉波と互いのパスワードは知っているし、何度もケーコを貸し借りしているから不自由はない。

 銃撃があり、馬が驚いたが首筋を叩き、鎮める。オレの闘志が伝わったか、馬はもっと激しく走り出した。オレにも馬の闘志が流れ込んで一気に燃え上がる。

 道に出た瞬間、馬に驚いた車が自動的に止まる。後続の車も事故防止装置が働いたか、一斉に止まって逃げようとする車の侵入路をふさいだ。

 車は強引に園内に引き返した。追いつけ! 柵を飛び越えた。

 園内カートの暴走に、客がパニックになる。そして馬。

 車は小回りがきかないが、馬は階段も上れるし、いけっ! なんでも飛び越えられる。

 かなりきつい生垣を……よし! 越え、海の方向に追い詰める。

 やっと見える距離、向こうで小型船に!

 馬のわき腹を強く締めた……間に合え、くそ!

「葉波! 恵美!」

 叫びもむなしく、船は出てしまった……

「くそ」

 泡汗を吹く馬を降りて少しでも高いところに上がり、船がないか必死で見回し、同時に現在見ている画像を送信し……

 そこを、肩を抱きとめてくれた大きな手。

「ジョンソンさん?!」

「てめえ……」

 全高4mの重強力鎧(パワードアーマー)から、木田の声がした。その隣の軽強力鎧、野村がオレの胸倉を、機械の強大な腕で締め上げる。

「よくも」

「よせ! よく知らせてくれた。途中まで追ってくれたおかげで、陸路を封じることもできた。十分だ……いいか」と、ジョンソンさんが木田と野村に、「彼は何度も岡村さんを、正体も知らずに助けている。ゴム弾で海に落とされた彼女を無謀にも救けたのを皮切りに、ネットを通じて憎悪をあおられた、無能な実習生が無茶をして沈みかけた船を救った」

「彼はここに来る船でも、まず船客に化けた刺客を見分け、船の横腹の爆弾も見つけた。嵐の中別の刺客が仕掛けた破壊工作や放火、別の船からの攻撃からも船を救い、恵美さんを救ったのよ」神田さんもか。

「彼女が本土に降りてすぐの電車でも、別の駅で降りなかったら次の乗換駅で、人波にまぎれて毒を注射されていた。これ以上何をしろというんだ?」野村たちがぐっと詰まり、オレを振り払うように投げ落とした。

「長谷川由、もう十分だ……二人を助けたいのか?」

 着膨れに見える軽強力鎧のジョンソンさんがヘルメットを外し、厳しくオレを見た。船での目だ。

「もちろん!」

「なら、ここから一歩も動くな。命令だ」

 心臓が凍りつく。

「絶対に来るな。お前は優れた船員だが、プロの人質救出部隊兵士じゃない。強力鎧も銃も高機能弾頭軽迫撃砲(スマートモーター)も半機械化蜂も聖槍も使えない、使えたとしても我々のチームに馴染んでもいないのでは、足手まといにしかならない。二人が助かる確率を下げるだけだ。違うか、長谷川由。現実から目をそらすな!」

 う……がああああっ! その通りだ、オレがついていったら、邪魔なだけだ……

「必ず二人とも助ける。私達を信じて、弾幕や火の海に飛び込むよりも強い、真の勇気を見せてくれ」

 あああああああああっ! ちくしょうちくしょう!

「はい」

「信じるぞ? 縛ったりしないぞ?」

 おかものに縛られても抜けられるが、ジョンソンさんに縛られたら抜けられまい。

「は……い」

「よし、必ず二人とも助ける」

 さまざまな、軽量版から重装備までさまざまな強力鎧がぱっと動き、高速船や軽潜水艦、垂直離着陸機に飛び乗った。

 オレは悔しくて悔しくて、嵐のような焦燥感をじっと押さえ、砕けよとばかりに手を握り締めていた。

 職員……騎士団関係か、何も言わず馬を引き取ったのもろくに見ていない。

 

 すぐそばに見えるフェニックス号の、巨大なマストを見上げる……

 段索を伝ってマストを駆け上がり、トップで敵と対決する。陰険なおっさんと妖艶な美女が、陰謀を丁寧に説明してくれる。

「正義? でも、彼らは『ライオンと牛に一つの法律を当てはめるのは、暴政だ』はちゃんと理解してただろ? 本当に最低限しか個々の共同体には要求しなかったはずだ」

「全員の最低生存保障、最低限の読み書きソロバンに科学、再生不能資源の浪費や環境汚染は重税、情報公開と自由の保障、奴隷的拘束禁止……十分暴政だ! 誰もが神と我々にひれ伏していればいいんだ、選民だけの豊かな世界が明白な天命(マニフェスト・ディスティニィ)だ!」

「わたしだって円卓は嫌いよ……でも、あなたたちはもっと我慢できない」

 恵美の、自嘲を混ぜた声。

 ふとなんとなく、葉波が何をしたか、オレに何を求めているかわかった。

 何の合図もなくオレが帆脚索を握って飛び出すと同時に、葉波が縛られていたはずの手を抜いて岡野を帆桁から突き落とす。

 余計なロープが切れ飛ぶと、しっかり二重もやい結びで確保された岡野が索を伝ってこっちに流れる。

 オレは横静索(シュラウド)へ飛び移りながら帆を引き上げてそれをクッションにし、岡野を受け止める。

 葉波自身がどう動いたのかは読めている。

「目、閉じてろ」

 オレは恵美を抱きかかえたまま、一気に帆桁端に飛び移り、帆桁……高さ二十メートルの平均台を駆けてミズンマストにしがみついた。

 やはりメン・トップマストの上部が崩壊する……そして倒れてきた帆桁から、葉波がオレの腕に、文字通り空を飛んできた。すごいショックに肩が抜けそうになる。

「ど、どうして……」

 岡野が呆れた目で見る。

「黙って、歯を食いしばれ、舌かむぞ」

 葉波が別のロープを使って三人を縛り合わせ、後支索を滑り降りた。二人とも手が真っ赤な鉄をつかんだように熱くなり、皮がむける……何回かやらかしたけど、これって痛いんだ。

「ば、ばか……無茶しやがって!」

 ジョンソンさんにひっぱたかれ、乱暴に抱きしめられて頭をなでられる。

 野村と木田が、信じられないという目でオレたちを見ていた。

 

 白昼夢から覚めると、わめきちらしたくなる。

 船では空想に浸るな! 現実を見ろ……現実、オレは何もできない。ここを一歩も動いてはならない。

 ちぃっくしょう!

 この船を動かせれば……そして船、馬、人魚など、オレが使える様々なもので敵を追って、二人を助け出す……

 くそ、オレは何がしたいんだ? いいところを見せたいだけか……誰に?

 どっちに?

 違う、二人に生きていて欲しいだけだ! なんとしても! なんとしてもだ!

 一秒一秒、一分一分が静かに過ぎていく。からからに乾いた喉、汗がじっとりにじむ手。

 客たちは、何事もなかったように楽しんでいる。風が強まり、視界が揺れる。外海がどんなだか、ついこのあいだ通った海域を思い浮かべる。船酔いさえ感じる。

 海も、何事もないかのように波を打ち寄せ、しぶく。繋留された船が特有の揺れ方で揺れる。

 こんなの、あの時以来だ……美香が産まれる前、オヤジとオフクロが飛行機で台風に巻き込まれ、消息を絶ったことを思い出す。

 百合姉と葉波がずっと抱きしめてくれていたが、それでも気が狂いそうだった。

 突然、稲妻? 空は薄曇だが雷はありえない。

 円卓騎士団の聖槍! 宇宙空間の鏡からの、膨大な日光を自在に制御、鉄をも蒸発させる最終兵器。

 そして、また狂おしいほど時間が経つ。二人が、どちらかが死んだのではないか……彼らは本当に葉波も助けてくれるだろうか……うあああああっ! なんとかしてくれ! 飛び出したい……ああ。

 一隻の小型……オレにはわかる、漁船に見せているが軍用だ……船がこっちにむかってきた。

 くそ、二人は……船がいやになるほどのろく感じる……

 

「こっちだ!」

 ジョンソンさんの声。

 岸壁の階段から、びしょぬれの葉波と……恵美。

「葉波、恵美!」

 二人を抱きしめる。

「よかった……二人とも……」

 冷たく濡れた体。伝わってくる震え。

「うん、無事」

「ごめんなさい……」

 葉波が泣きじゃくる。

「いいんだ。守ってくれたんだろ?」

「相原葉波さんはある種の二重スパイだった。一時は嫉妬」ごほん、とジョンソンさんが咳をする。「をあおられて岡村さんを売ろうとしたが、私たちにもそのことを通報し、危険を省みず円卓に協力してくれた。おかげでかなり大きな反円卓組織を壊滅できた、当分岡村さんも無事だろう」

 ジョンソンさんが少し遠慮しながら話してくれる。

「この色男!」

 と、神田さんがオレの背中を叩いた。

「一度目が覚めたら、コイツは最高です」

 と、ぎゅっと葉波を抱きしめる。

「それに、どんなに助けてくれたか。最高のハッカーだし」

 恵美がオレにぎゅっと抱きついた。激しく抱き返す。

「助けてくれたのは由よ」

 葉波が、一本のナイフを取り出した。

 あ、オレの最後の一本……あの時恵美にやった……

「いきなり『あのナイフどこにしまってるの?』って、びっくりしたわ」

「そりゃ見てたもん、由が渡すとこ。大事にしてるのもお見通し」

 恵美が真っ赤になり、震えが止まった。

「それで、それ一本でロープを切って抜けて」

「やっぱりおかものよね、まともな縛り方も知らないんだから! 端止めもしてないし、キンクもあったし、あれじゃナイフがなくたって」

 ちゃんと縛らなかったことを怒っているようだ。

「ナイフ一本とロープひと巻きで、あれだけのことができるなんて。ネジまで閉めたり緩めたり、太い針金曲げたり」

「当たり前でしょ」

 柄にある、軽量化を兼ねた細長い穴は蝶ネジやシャックルを回すのに使う、海での必需品だ。

 二人がオレの腕の中で言い争う。それがなんだかすごく嬉しくて、笑い出した。

「“人魚”を奪ってこっちに飛び込んできたときにはびっくりしたわよ」

 神田さんが呆れた表情。

「これでも“嵐の長谷川”の相棒よ? でも、恵美じゃなかったら無理だった……彼女、すっごく強いのよ」

「え?」

「とどめの聖槍だけじゃないの、素手で何人も簡単に殴り倒しちゃうんだから」

「そういえば……」

 ひとしきり笑い合い、ふと三人抱き合っていることに違和感を感じて、着替えや飲み物を求めに離れた。

 そこに、別の方向から、七人の小人が踊りながら……敵?!

 とっさにオレは二人に向かって走った。背後で何か近接兵器を使ったか、何人かが倒れた。

「だめ、ヒーローに、パパ!」

 恵美の悲鳴。英雄になりたいのか? いや……知るか! オレは、大切な人に無事でいて欲しいだけだ。

「生きて欲しいだけ!」

「どっちに?!」

 葉波の声。

 最後の敵が倒れ、手榴弾が転がった。

 オレ一人伏せれば両方死ぬ。三人とも少し離れてる、どちらかを押し倒してかばうことはできるかもしれない。でもその場合もう一人は死ぬ。

 オレはためらいなしに手榴弾をつかむと体ごと、防波堤の隙間に突っ込んだ。

 全部太陽になったような光……それが、最後に肉眼で見たものだった。

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